第二十話 平助、包まれる
時間が、思った以上にゆっくりと流れていた。気が付けば僕は会話を楽しんでいて。洗い物に取り掛かる頃には、いつの間にか十時になっていた。
そういえば。
「なにか余計なこと考えてませんか?」
うわっ、びっくりした。いつの間に近くに来てたんだこの人。洗い物も終わりだからいいけど、ビックリしてお皿落としたらどうすんだ。
「ごめんなさいね。お布団の準備が終わりまして。貴方が洗い物をしている間に、色々と準備を整えたんです」
「ありゃっ。そうだったんですか。なにからなにまで、申し訳ありません」
色々とやらせてしまっている自分に、申し訳なく思う。どうしてサキュバスは。佐久場さんは。こんな僕に良くしてくれているのだろう。
「謝ることはないのです。少なくとも今の私は、やりたくてやっていますから。そもそも、やりたくなければここには来ていませんよ。他の男から啜って、おしまいです」
「えっ」
確かにそうだ。佐久場さんの性衝動は啜ることで収まるのだから、他の男でもどうにかなってしまう。だけど、それをせずに。なぜ?
「そろそろ潮時ね。また寝物語でもしましょうか」
しゅるり。サキュバスがメイド服を脱ぎ始めた。ちょっと、僕が見てるんですけど。
「見せてるのよ」
ですよね。分かってましたよ。しかしここ、まだキッチンですけど。
「上級者相手だったら、キッチンでもアリだけど。貴方まだまだウブだからね。ちゃんとせんべい布団でシてあげるわよ」
いつの間にか、サキュバスは生まれたままの姿になっていた。もう何回も見ているはずの裸なのに、サキュバス状態だとなぜか見違えて。僕は後ずさりする。
「カワイイじゃない」
弾んだ声が僕に近づき、捕獲されて。あっけなくベッド・インとなる。許しを得て電気を消す。今回浮かび上がったのは、広々とした草原だった。だが。見たと感じる間もなく、再びサキュバスに包まれてしまう。彼女の柔らかさ、果実のような香り。草の匂いまで漂いそうな草原で、全てが僕を包み込む。温かい。可愛いと言われたのは悔しいけど、それ以上に。
「まず、貴方は勘違いをしているわ。いくつも」
先に口を開いたのは、サキュバスだった。包まれているために、表情は見えない。
「事情を整理しましょうか。貴方が本体から逃げた後、翼くんがS・Cに入店したわ。つまり。貴方を『案内』したのは、翼くんね?」
「ふぁい」
包まれたままなので、返事の声がおかしくなった。それを聞いて、彼女はようやく僕を解放してくれた。
「で、本体が先客と言ったことから。貴方は自分を用済みと勝手に判断した。そうでしょ?」
「はい」
わずかの間を置いて、僕は答えた。一時のテンションで逃げ出したけど、今となっては。逃げて正しかったのかさえ分からない。
「ん。では最初に一つ。貴方、翼くんを女の子の姿で見たんじゃない?」
はい? いや、そうなんだけど。姿、って。なんか嫌な予感がする。説明が欲しい。
「うん、説明がいるよね。翼くんは男の子。この際だから言っちゃうけど、インキュバスなのよ。女装は、本人の趣味ね」
な、なんだってー!?
確かにガッチリしていたし、髪もショートカットだったけど。ついでに目も鋭かったけど。ボーイッシュじゃなくて、ボーイ!? 可愛かったのに!?
「そう、ボーイなの。ちなみに、貴方忘れてたと思うけど。サキュバスは女の子じゃ満足できないからね? それで
「あー……」
そうだった。かがりさんで満足できるのなら、僕は最初から要らない子だった。しかし、安心してはいけない。まだ話は解決していない。
翼ちゃんが翼くんということは。どっちにしても僕は要らなくなったんじゃ?
ここでもサキュバスは心を読んだ。本当に便利な能力である。
「まあ多分数日後には出会うだろうし、言っておくけど。翼くんが本体を狙っているのは事実よ? ただ、あの日の目的は違ったのよ」
「つまり、このままだとお払い箱ってことです?」
一番気になった部分について、僕は聞いた。翼くんの目的、ってのも気になるけど。今はそっちが優先だ。
「疎遠が続けば、いつかそうなるわね。翼くんは、本体に同居を迫るでしょうし。狙ってるのは心と体。いわば
「初耳ですね」
答えを聞いて更に返す。ここまで来て、まだ初耳の話があるとは思わなかった。
「言わなくていい話だもの。佐久場家では、こんな家訓があるわ。『性を扱うが故に、性に厳しくあれ』。本体は暴走と覚醒を鎮める。もしくは、常に寄り添う者を得る。このどちらかをしないと、家訓を果たせない訳。だけど」
そこでサキュバスは言葉を切った。目と目が合わさり、やがて離れて。
「貴方に『その気』がなければ、やはり翼くんが本体のつがいになるのかしら。本体が嫌がっても、家の者はそっちを進めるでしょうし」
草原の向こうに視線をやって、サキュバスは言う。
「翼くんは、今年の春。貴方の学校へ進学する予定よ。先日S・Cに居たのは、その報告と同居の交渉の為」
僕の喉が、ひとりでに鳴った。ここまでお膳立てされて。ネタばらしもされて。それでも僕は、佐久場さんをどうしようか決めかねていて。
「まあ、私という『他人』から色々言われても腹が決まる訳じゃないわね。明日は日曜日。昼まで寝ても許される。本体も帰って来る。だから」
草原が消え、せんべい布団という現実が帰って来る。とても寂しい現実で。だけど。
「今は夢に抱かれて、お眠りなさい」
サキュバスが、僕の身体を包む。優しい柔らかさが、僕を覆っていく。布団のような温もりに包まれて。僕は、幸せな夢へと誘われた。
それは、幸福な夢だった。
母さんが戻って来て、ささやかながらも幸せだった暮らしが帰って来て。
母さんの作ってくれた味噌汁が湯気を立てて。
炊きたての白米が、ピンと立ってお茶碗に盛られている。
「さあ、ご飯にしようか」
「うん。いただきます」
おかずは、ハムと漬物。食べ盛りの身には、ちょっと足りないけど。母さんの気持ちが、僕をお腹いっぱいにしてくれて。
「美味しい!」
「そう? ありがと」
夢の中の僕は、童心に返っていた。パクパクと白米にかぶりつき、漬物をまとめて、一気に頬張る。食事は、みるみると減っていき。
「ごちそうさま!」
手を合わせ、顔を上げる。すると母の顔が、いつの間にか。
「そうか、最期の飯は美味かったか」
かがりさんの憤怒の表情に変わっていて。
「ならば……いつ死んでも構わんな?」
残忍な微笑みと共に、短刀が僕に襲い掛かった。
「それ」は、佐久場さんの横に寝そべる僕。その首筋を的確に狙っていた。僕が襲撃に気付けたのは、夢とシンクロしたからだろうか。頭を傾け、初太刀を避ける。せんべい布団に短刀が突き刺さり、羽毛が舞った。
「っ!?」
声が出なかった。口をパクパクとさせながら、僕は襲撃者の姿を見る。忍者装束に身を包んだ女。思い当たるのは、一人しかいない。
「かがりさん!?」
声が出る。相手は口元も頭も隠しているため、目元しか分からない。でも、彼女しか居ない。動機も揃っている。以前の言葉が、頭の中で反響した。
「下手に義務感を匂わせるようなような付き合い方をしたら。お嬢様を泣かせるような真似をしたら。その時は全てを断ち切る」
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