番外3.損得勘定の基準は人それぞれ

 人間は社会的存在である。

 個ではなく群体として生活し、群体の中で自分の役割を探し、遂行する存在。

 社会という大きな機械を回す歯車のような存在。

 それが人間であり、私たちである。


 しかし、歯車と違い人間には一人ひとりに個性や理性というものがある。

 単に役割を果たしているだけでは自分の価値を証明できず、常に評価される。

 だからこそ人間はそれに淘汰とうたされないために、己を高めるのだ。

 そして己もまた、他の人間の価値を無意識のうちに判断している。


 そこで自分に価値のない人間、赤字となる人間が出てくる。

 価値がなければ切り捨てるだけで十分だろう。

 じゃあ、赤字となる人間の場合はどうするか?

 存在そのものが罪であり、悪でしかない人間の場合は、どう処理する?


――――一番簡単なのは、物理的に切り捨てることだろう。


 倫理的な問題さえなければ、一番簡単で楽な方法であり、確実でもある。

 しかし現実的な問題として、それはそう簡単な方法ではない。

 社会的存在であるが故に、社会の中で守らなければならないルールがある。


 そして首都ベルバからインルーへと向かう馬車の中。

 私、ベルジュ・フラーブはその先で待ってる愚弟のことを考えていた。


 手の中には愚弟の側で世話をしている執事からの報告書。

 愚弟の行動と企み、それに関わる人物情報が細かく記載されている。


「エルフ、そして神の使徒か」


 エルフに関しては実のところ、相当根深い問題だ。

 未だに国内の意見をまとめられず、中央では暇さえあれば口論が行われている。

 実が結ばれることない、不毛な論争だ。


 エルフを完全に排除して、敵国としてみなそうとする第一王子の派閥。

 今までの王家の意思を尊重し、和平の道を歩もうとする現王と第二王子の派閥。

 王の意思が和平、共存でなかったのなら既に戦争になったくらいの勢いである。

 そして我が公爵家を筆頭に数多くの貴族も王家の意見に賛同している状況だ。


 しかし、最近の第一王子の派閥はその勢力を凄まじい勢いで広げている。

 そして残念なことに我が愚弟は第一王子側の誘惑にまんまと載せられたのだ。


「もし、愚弟が神の使徒を第一王子側に渡したら――」


 今の力関係は崩れて、第二王子派は一気に発言力が高まるだろう。

 そのまま事が進んだら、事態は最悪の方向へと転ぶ。

 国外……いや、全世界を巻き込んでの大戦争に発展する可能性すらある。

 神の子孫を名乗る輩が神の威を借りたら、その結末は破滅でしかない。


 今まで愚弟のことを泳がしたのは、利用価値があったからだ。

 公爵家の権力を使い、己のために行動して、エルフというお土産と一緒に第二王子に付きながら自分が公爵家の実権を握る。

 今回は運良く――いや、運悪く神の使徒までおまけで入った形になる。

 ここまで把握してしまえば、泳がしたほうが使い道がある。


 その意味でも、愚弟は今が潮時だろう。

 父の了承は既に得ている。

 なら有終の美を飾るためにも、相応しい使い道ができるように工夫すればいい。

 そこで気になるのは、やはり神の使徒だ。

 使い方次第では毒にも薬にもなるが、どちらに転んでもその効力は絶大だ。

 愚弟を泳がせて得られた一番の拾いものと言っても過言ではない。


「報告を受け取ってすぐ動いたとはいえ、あまり時間はない。

 あの愚弟のことだ、行動に移るまでの所要時間も長くないだろう」


 あと何日かすればインルーに着く。

 何とか愚弟の後始末をしながら、神の使徒の見定めをしたいのだが――


『べ、ベルジュ様! あ、アレを見てください!』


 そこに飛んできたのは外にいる御者の慌てた声。

 アレと言われても何のことかさっぱりだったが、とりあえず窓の外に顔を出しては馬車の進行方向に視線を向け、目の前の光景につい声が溢れてしまった。


 雲ひとつない晴天の空。

 その遠くから空を貫くかのように、その存在を誇示する光。

 いや、それはただの光ではなく光の柱であった。

 それでいて太陽の光と違い、直視していても目をやられることはない。

 こんな光を放つことができる存在を、私の知る限り一つだけだ。


「……速度を上げてください、急いで!」


『はっ、はい!』


 あの光は、プリエ神の祝福に間違いない。

 恐らく例の神の使徒が放ったものだろう。

 理由も詳細も不明だが、あそこまで巨大な光の柱は見たこともない。

 いや、そもそも光の柱を作れるほど強力な祝福でもない。

 つまり例の神の使徒は、それだけ神の総愛を受けているということだ。


 一足遅かった、しかしこの光景を見られたのは大きい。

 そして愚かな愚弟の使い道も完璧に決まった。

 なんとしてもあの光を、神の使徒を味方に引き込む。

 それだけで第一王子派は勿論のこと、あの神の代理人気取りの連中まで黙らせることができる。


 今、中で起こってるであろう事件の予測。

 そこから考えられる問題たちの解決策、エルフとの交渉。

 そして神の使徒。

 色んな考えが頭を巡る中、プリエ神の光だけがその存在を私の脳内に刻んだ。


********


 インルーに到着してからは、それこそ目眩がするほど忙しかった。

 到着して早々、執事の案内を受け監視団とギルド、都市の執行部が会議を広げてるという場に乱入し、愚弟の代わりに後始末を引き受けること。

 簡単な状況説明を受けた後、見せしめとして愚弟を三者の目の前で処刑した。

 まともに身動きも取れない愚弟は、最後の瞬間まで私への罵倒を止めなかった。


『貴様と、貴様らが継ぐ公爵家に呪いあれ』


 何を言おうが負け犬の遠吠え。

 腹違いの肉親に対しては最初から何の情愛もなかった。

 結局は他人であり、同じ家に住んでいる家来たちの同じかそれ以下でしかない。

 恨みの言葉に一々かまってる暇すらなかったが、他の人達はみんな引いてた。


 ただ事情がどうであれ、信頼を得るため肉親すら殺したという事実は消えない。

 おかげで引き継ぎも簡単に済んだ。

 病床にいる神の使徒にその首を渡したのは流石にやりすぎた感はあるが――まあ、愚弟とは違う人間だというのは確実に伝わったはず。


 それだけで充分だ。

 良い初印象を求めることができないのなら、敵になる気がないことを刻む。

 その後はこちらの対応次第でどうにでもなる。


 神の使徒本人に関しても、人間的に好みの性格であった。

 理知的で排他的、他人を簡単に信じず裏を探るも脆い。

 その脆さを隠すため、己を冷徹な人間に仕立てようとする。

 ああいう人物は、こちらが先に裏切らない限り裏切ることはしないだろう。


 逆に愚弟のようなやり方はどう足掻いても駄目だ。

 強制的に従わせるのは裏目にしかでない。

 そっちのほうが効率的な場合もあるが、あれは圧迫すると跳ね返すだろう。

 圧迫されてるように見えても、いつ爆発するかわからない時限式でしかない。

 なら、正攻法で味方に引き入れる。

 最悪の場合でも敵にならないで済むように、相手を刺激しないようにするべきだ。


 今のところは悪くない、と見ている。

 次の会合で良い返事を引き出せたら一番だろうし、駄目でもやりようはある。

 一度失敗したからって諦めるには、神の使徒の価値が大きすぎた。


「――ロゼさん、いらっしゃいますか」


『ここに』


 書き終えた手紙を封筒に入れ、封をしては何もない場所で人の名前を呼ぶ。

 その声から当たり前のように現れたのは一人の侍女であった。

 手にはいつの間に作ったのかすらわからないお茶が持たれている。

 見知った状況とはいえ、どうも慣れそうにない。

 ただそれは顔に出さずに、先程書き終えた手紙を彼女に渡す。


 公爵家に送る現状報告のための手紙。

 他の人に任すには少し憚れるが、この侍女なら問題ないだろう。

 現に彼女は手紙のことは何も聞かず受け取り、服の中に忍び込んだ。

 そんな彼女を見ながらついため息が溢れてしまった。


「本当に、恐れ入ります。

 あなたを貸してくださったボアード様に申し訳ないほどに」


「でしたらどうか、ご主人様と今後とも良いご関係を紡いでくださいませ。

 私はあくまでご主人様の下僕に過ぎないので」


「それはこちらこそお願いしたいですね……その手紙、頼まれてくださいますか?」


「かしこまりました。

 ただ使徒様が今こちらに向かわれてるとの報告が来てるので、使徒様が帰られてからにいたしましょう」


「――そうか、やっと来るのか」


 ロゼさんからの言葉を聞いてすぐさま部屋の外に出て他の兵士を退かせる。

 向こう側の神経を逆撫でそうな要素は全部排除しないといけない。

 今回、あえてロゼさんを貸してきたのもそのためである。


「立て続けに申し訳ございませんが、お願いできますか?」


「了解しました、周辺警備はおまかせを。

 それと使徒様に対してはご主人様に報告する必要もありますので」


「そのあたりはおまかせします、ただ気付かれないように」


「最善を尽くしましょう」


 そう言ってロゼさんはまたしてもどこかに消える。

 私もそれに気にせず、何事もなかったかのように仕事を続けた。

 自然に、余計な気を回さないように、特別なことは何もしてないように。

 普通であることを演じながら、神の使徒を待つ。


 そしてやがて到着した神の使徒こと、アユム様とエルフのエレミア様が来た。

 軽い挨拶を交わしたが、どうもアユム様本人からは嫌われてる模様。

 でもここまで自分から来たというのは会話する気はあるということ。


 アユム様は途中で色々と気になることは言っていた。

 目的はオーワン様に会うこと、それに付いては本当かどうかも定かではない。

 しかしどうも本人の価値どころか一般常識ですらズレがあるように感じる。

 だが、決して考えなしの馬鹿でもない、これは単に知らないだけだ。


 取引だけを見ると、事は順調に進んだと言える。

 こちらに目的を提示したというのは取引に応じる条件で、見返りの要求。

 それを提示できる知識と、こちらの意思は十分に伝えた。

 ここまですんなりと取引を締結できるとは思っていなかったのだが――


 初めての顔を合わせたときもそうだったけど、やはり面白い。

 神の使徒以前に、一人の人間として好みであった。

 特に最後、私が質問をあえて変えた時の反応もたまらない。

 全てがこちらの意図を読み取った上での行動だというのも好感が持てる。


 個人的には末永く付き合いたいものだと、そう思われる人物。

 どこか馴染みがある性格だと考えを巡らせて、答えに辿り着く。


――――そうか、ボアード様に似てるのか。


 本人同士は毛嫌いするだろうけど、二人が対峙たいじする場面は見てみたいと思った。


 そんなことを考えながら見送ると、なぜかエレミア様だけが残った。

 アユム様に付きっきりなエルフ。

 事件の後処理絡みで何度か顔も合わせてるし、これからのことを考えるとこちらともいい関係を紡いでいく必要がある。


 しかし、アユム様を外に出してからの話とは、どういう内容だろうか。

 こちらから聞くべきか悩んでいると、先にあちらから動いてくれた。


「ベルジュさん、アユムをどうするつもりですか?」


「どうする、とは? アユム様本人がおっしゃったとおりですよ。

 こちら側の政争にその名前を使わせてもらうだけです」


「その使うというのは、どこまでのことを仰るのでしょうか」


「さあ、そればかりはなんとも言えませんね」


 ここの名前を使う、というのは威を借りるにほかならない。

 そしてもしもの時は本人にその言葉を証言してもらう。

 確認は取る予定だけど、それがどこからどこまでになるかはわからない。

 そもそも、このエルフさんは何に対して気にしてるのだろうか。


「――じゃあ、質問を変えましょう。

 アユムが思っても、考えてもいない言葉を彼の言葉として使うつもりですか?」


「それは――」


 そこでやっと目の前のエレミア様、エルフの意図を知った。

 嘘を嫌いつエルフにとっては自分たちの名前が嘘で使われるのも嫌なのだ。

 それが例え他人であり、ましてや人間であったとしても。

 しかし、そうなると逆に聞きたいことができる。


「本人が許すのなら良いのではないでしょうか。

 それともアユム様は嘘一つ付かない潔癖な人間とでも言うのですか?」


「いえ、彼もまた嘘を付きます」


「だったら――」


「――でも、それは彼なりの決意あっての言葉です。

 彼自信の意思で、覚悟と決意を持って、苦しみながら嘘をつく彼だから。

 私は、私たちは彼に惹かれたのです。

 いくら彼が許したといえど、私はそれを納得できそうにありません」


 向こう側の言葉を聞いて、なるほどと心の中でぼやく。

 どうやって人間がエルフ側の信頼を得たのがずっと疑問だったが、それでか。

 嘘を嫌う種族でも、それを超える真心には胸を打たれるということか。


 要は自己犠牲だ。

 それが神の使徒となる人間か。

 確かに、私にはできない芸当であることは確かだ。

 神の使徒は愚か、この目の前のエルフとも私は合わないだろう。

 しかし、だからといって敵になる必要もない。


「アユム様の了承を得て、得てない言葉に関しては発言を慎むとしましょう。

 それくらいしかこちらとしては譲ることができません。

 何より、本人はそれを了承してるので。

 いくらエレミア様と言っても、アユム様の代わりにはなりません」


「わかりました、ではアユムとその会話をする時は必ず、私かレミアお姉ちゃんを含めて話をしてください」


「――ふぅ、わかりました。努力はいたしましょう。

 先ほども言いましたが、状況というのはどう変わるかわかりませんので」


「そこは大丈夫です、ただし、わざとそういう状況を作る行為は、許しませんから」


「肝に銘じておきましょう」


 それ以降は挨拶もそこそこにエレミア様は部屋を出ていく。

 残されたお茶をゆっくりと飲みながらしばらくすると、いつの間にか現れたロゼさんは空いたコップの中に温かいお茶を注いでくれた。


「使徒様、およびエレミア様は無事に建物を出られました」


「そうですか、ありがとうございます。お二人はなにか話していましたか?」


「特別なことはなにも、先程の会話に付いても話されてません」


「信じてるのかそれとも聞く必要はないと思ったのか」


「両方でしょう、ああいった方はそういう傾向があります」


 どうやらロゼさんもアユム様に関しては私と同じ印象を受けたようだ。

 己のご主人さまと似ている人間、ロゼさんの評価は果たしてどんなものだろうか。

 少し気にはなったが、それを聞くのは敢えて保留にしておこう。

 聞くとしたら、三人が揃った時にでも聞くのが良い。


「――お勤め、ご苦労さまです。続いて先程の件はお願いできますか?」


「了解しました」


 それだけ言って先程と同じように、音もなく姿を隠すロゼさん。

 やがて部屋周りにざわつく音が聞こえる。

 どうやらアユム様の対応で退かしておいた兵士たちを呼び戻したようだ。

 相変わらず、神出鬼没な方だ。


「ふぅ……」


 運に運が絡まった状態ではあるが、とにかく最初の一歩をようやく踏み出せた。

 神の使徒とエルフが一緒に行動してるというのはまさに神の導きだろう。

 うまく行けば、王国の歴史も、行く末も変わる。

 我ら公爵家の地位も、少なくとも百年は揺らぎないものになるはず。


「こっからの事は王国史の中でも前例のない試みになる。

 しかし、全ての物事には必ず始まりがあるもの。

 そしてそれが失敗しても成功しても歴史に名を残す。

 ――だったら、どうせなら成功させて名を残すに限る」


 首都に戻ったら忙しくなる。

 今から下準備をしておかないといかないだろう。

 目標は来週まで具体的な日程を話せる状況を作ること。

 そのために片付けるべき案件はそれこそ山積みだ。


 休んでる暇などない。

 決意を固めながら、目の前に山を成している書類作業に取り掛かることにした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る