第54話 ロイス・マリーという場所



 「……はい。はい。分かりました。ええ、こっちは大丈夫ですから。どうか気を付けて……はい。それじゃあ」

 

 低い声色で受け答え、チェロットは静かに受話器を戻した。直後、無意識に強張っていた肩の力が抜け、自然と溜息が口から漏れる。

 

 「リオナたちからか?」

 

 近くの椅子に腰掛け、ぼんやりと虚空を眺めていると、後ろから声を掛けられた。厨房にいると思っていたオーブルが、控室と厨房を繋ぐ廊下の口近くに立っていたのだ。

 電話の着信音を聞きつけてやってきたのだろう。彼も2人のことが心配なのだ。

 

 「うん。今日のディナータイムには加勢に来れないって。なんでも今からテルミナ商店街に行くんだって」

 「テルミナに? 何か買う物でもあるのか?」

 「詳しくは聞いてないけど……でも、かなり焦ってる様子だった。きっと契りの木を育てるために必要な物なんだよ」

 「そうか……テルミナは夜にはほとんどが店じまいするからな。もうすぐ夕方だ。何を買うか知らんが……間に合うのか?」

 

 オーブルは窓に目をやって呟く。チェロットも彼の視線を追って窓へと振り向いた。

 外の景色は仄かに黄ばみ始めていて、通りを流れる人波もかなり落ち着いている。あと一時間もすれば人通りは途切れ、薄く伸びる闇の中に人工光がちらほらと点き出すだろう。着実に、一日が終わろうとしている。

 

 約束の一週間はいよいよ明日。つまり、今日までに何かしらの結果を出す必要がある。電話口の2人はまだ聖都にいると言っていた。これからテルミナに出向いて商品を購入するとしても、頻繁に店が変わる広大なあの場所で、果たして目当ての物を見つけることはできるのだろうか。

 

 オーブルと同じように、窓の景色に不安を映すチェロット。

 

 そんな淡い感傷を突き破る、来客を告げるカウベルの音。

 ディナータイムまではまだ少し時間があるというのに。

 

 「はーい。お待たせしまし……って、みなさん」

 

 もしかして念願の宿泊客か、と期待し、そんな自分に僅かな罪悪感を抱きつつ受付に出たチェロットが見たのは、マクギとその仲間たちからなる集団だった。

 

 「何しに来たんですか? ディナーの時間はまだですよー」

 

 期待が外れた落胆のせいで少し言葉に棘が混じる。けれど、マクギは意に介さず、朗らかに笑いながら抱えていた大きな包みを受付台に置いた。

 包みを覆っている布を解き、蓋を開ける。中には藁に包まれた大きな卵が保管されていた。

 

 「はは、わりわりぃ。いやな、リリィの風邪がなかなか長引いてるからよ。相当、厄介なのに罹ってるって思ってな。ほら、竜族の卵だ。これで卵酒でも作ってやんな。一発で治るぜ。俺んチでもガキが風邪引いたら作って飲ませてやってんだ」

 「マクギさん……」

 

 マクギの言葉に、不安に浸る心が温かくなってくる。見れば、後ろの仲間たちの各々が、食材やら薬らしき品物などを持参していた。

 彼女たちを案じているのは自分たちだけじゃない。彼らもまた、彼らなりにリオナたちの力になろうとしていたのだ。

 

 だからこそ、胸が痛んだ。

 真心からリオナたちを想っているマクギたちを偽り続けている、その行為に。

 

 「おーいリオナー! 良い物持ってきてやったぞ出てこーい!」

 

 そんなチェロットの心痛など知る由も無く、マクギは食堂に向けて呼びかける。だが、当然、彼女がひょっこり現れるはずがない。

 

 「……ありゃ? いないのか、あいつ」

 「リオナさんは今、ちょっと……で、出かけてまして。帰りは遅くなると思います」

 「はあ? 病気の妹をホテルに任して何やってんだあいつは。自分だって病み上がりのくせして。ったく……あ? そういえばあのチビっ子も見当たらねえな」

 「あ、アリスさんも今日は出てまして。リオナさんと一緒に……」

 「………………」

 

 朗らかだったマクギの表情が、瞬く間に猜疑の硬さを帯びていく。彼は受付台に肘をつき、真正面からチェロットを見つめた。

 

 「なあ、チェロット。お前、なんか俺たちに隠してねえか?」

 「あ、ありませんよそんなこと」

 「下手な嘘はよせ。真面目なお前にゃ人を騙すなんてできねえよ。丸わかりだ」

 「う、うぅ……」

 

 年長者の含蓄を宿す言葉に、チェロットは反論することができない。しっかり者といえども所詮は子ども。大人の経験に適うはずがないのだ。

 

 「そこまでにしてくれ」

 

 その時、控室からオーブルが登場する。速やかに受付台まで歩いてマクギの前に立ち、チェロットを後ろに下がらせた。

 

 そうして視線を交差させるオーブルとマクギ。

 剣呑、とはいかないまでもどことなく居心地の悪い空気の中で、マクギが口を開く。

 

 「よぉ、旦那。リオナはどこに行った? リリィはホントにただの風邪なのか? 本当のことを教えてくれよ」

 「すまないが……それはできない。これはあの姉妹の問題だ。本人が望んでないのに、それを他人に漏らすことはできない」

 「ふざけたこと抜かしてんじゃねえぞオーブル。他人だから口出すなって? それがこの店のやり方だったか? 他人の人情話に同情し、他人のケンカに首を突っ込んで、他人と馬鹿騒ぎして、そんな連中との繋がりを何よりも大切にする。それがこのホテルだろ。それが俺たちのロイス・マリーじゃねえのかよ!」

 「この問題に手を出せば! てめえらもただじゃ済まなくなるかもしれねえんだぞ! ヤバい連中が後ろにいるんだ。お前らだって守らなきゃならないものがあるだろう! それでも聞きたいか?! それでも関わる覚悟がてめえに! てめえらにあるってのか?!」

 「上等だコラぁ!! 俺の母ちゃんやガキどもはなぁ、俺がいなくなったからって腑抜けるような、ンな弱いヤツらじゃねえんだよ! ヤバい連中だと? だったらそいつらに教えてやるよ。てめえらが手を出した姉妹のバックにゃあヴェネロッテの荒くれ共がついてるってことをなあ!!」

 

 オーブルの胸倉を握り締めて、マクギは叫ぶ。

 

 チェロットは息を呑んだ。怒声。罵倒。殴り合い。そんなことはこのホテルにとって日常茶飯事。それを周囲が焚き付けて茶化して悪乗りして、最後には必ず笑顔に繋がっていく。

 

 だけど、今回の争いは違った。どちらも真剣に、誰かのために心を燃やしている。なあなあで済まそうという半端な気持ちはどこにも存在していない。

 それは、背後の仲間たちも同様だった。何も言わず、マクギと同じ揺るぎない瞳を一途にオーブルへ向けている。

 

 そんな彼らの決意を目の当たりにしたオーブルは、微かに口元を緩めた。

 

 「……わかった。全てを説明する」


 まるで、こうなることが最初から分かっていたような。

  

 「お、お父さん……」

 「大丈夫だ。それよりもチェロット、飲み物を用意してくれないか? 少し長くなりそうだからな」

 

 チェロットの頭を優しく撫でて、オーブルはマクギたちを食堂まで導いていく。その背中をしばらく眺めていたチェロットは、一つ頷いた後、厨房へと急いだ。

 

 

 




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