第34話 束の間の戯れ
「なんだ? リオナたちは今日も休みか?」
多くの人で賑わうランチタイム。甲高い声と野太い声が入り混じる、繁盛を極めた食堂内で、中央に位置するテーブルについているマクギが、辺りを見回しつつ、通りすがりのチェロットに問うた。
「そうですね。まだちょっと体調が優れないようで……」
「へぇ、もう三日間だよな? 2人ともって、かなりやっかいな風邪なんだな」
「はっ。あのお転婆娘が風邪で寝込んでるとはなぁ。殺したって死なねーようなヤツなのに。なあ?」
「あ、あはは……」
マクギら一行の冗談に、チェロットは苦笑いで応えることしかできなかった。
リオナが金策に走り出してからすでに三日目。早朝にホテルを出発し、毎日のように夜遅く帰ってくるのだが、芳しい結果は一度も聞かされていない。碌に食事も取ってないらしく、オーブルが用意していた賄を貪ってはすぐに床に就く。そしてまた早朝に飛び出していく生活では、3人とまともに会話する機会すら恵まれず、日毎にボロボロになっていく様子をただ見守るしかなかった。
できれば、助けてあげたい。その想いは常にチェロットの中にあった。けど、自分がいっぱいいっぱいなのも事実だ。
なんとなれば、近頃のロイス・マリーは客数を飛躍的に伸ばしているからである。リオナら見目麗しい従業員の登場に加え、カイル=フィリップス直筆のサインが書かれたメニュー表や先日の魔工技術士たちのよる見本市などの相乗効果により知名度が劇的に上がり、今や待機組ができるほどだ。
その全てがオーブルの料理目当てで、宿泊に繋がっていないのは残念ではあるが、元々は近場の技術者たちが主な利用客である、知る人ぞ知る程度の名店という評価が関の山だった頃を考えれば、大した進歩と自賛してもいいだろう。
しかし、問題はその人たちをいかに常連として定着させるかであって、サービスを維持しなければならない現状で、これ以上、現場の人間を割くワケにはいかない。
従業員の新規雇用も考えたが、この人気が正当な評価なのか、一過性の流行なのか分からないため、そう簡単に増やすこともできない。それに、リオナたちへの罪悪感もある。
仕事終わりの後はどうか、とも考えたが、その頃になると皆はヘトヘトで、他の事に手を回す余力など無い。
どうしようもないのだ。
「お待たせしました。土地喰い豚のステーキとメリエス入りパン、そして付合せのサラダです。こちらのお客様は――」
マクギたちと話している間に、チェロットの背後をワゴンが通過していく。運転するのはアリスで、彼女は2人組みの男性客が着いている窓際のテーブルの前で足を止め、ワゴンで湯気を立てている調理品をそこに並べていく。
そして、2人に一礼すると、今度はワゴンを押しながらテーブルを順に周回し始めた。各テーブルに置かれた使用済みの皿を回収し、空になったコップに水を継ぎ足していく。
客が去ったテーブルを布巾で丁寧に拭き、減った備品を補填して。
途中で寄せられる客からの注文に殊勝に対応して。
入店してきた客を明るく迎え、待合場にいる客からの不満に健気に頭を下げて。
彼女はとにかく動き回る。小さな体に鞭打って、本当によく働く。
それは、2人の穴を埋めるため? それとも、2人に対する贖罪のため?
チェロットには分からなかった。
彼女がずっと貼り付けている、誰からにも受け入れられ、愛される笑顔を見ていると、どうしようもなく胸が痛むのも。
チェロットには分からなかった。分かりたくなかった。
「……あの2人がいなくなって、大変そうだな」
「え? あ、はい。嬉しい悲鳴ってヤツですね」
無意識にアリスを目で追っていたチェロットは、マクギから話し掛けられることで正気付く。
咄嗟につけたアリスと同じ型の仮面は、彼女と同じように輝いているだろうか。
「………………いやぁ、それにしてもよぉ。あの嬢ちゃんも、最初はドジばっかりしてたけど、今じゃ立派に戦力になってんなぁ」
「ああ、はい。みっちり教育しましたからね、あたしが」
マクギの唐突な話題変更に、なんとなく話を会わせるチェロット。
「なぁるほど。そりゃあまともになるもんだ。おぉ、怖いねえ。あいつもいずれチェロットみたいになっちまうのか」
「むっ。あたしみたいってどーゆうことですか?」
「ロイス・マリーに新たな女王様が誕生しちまうってことだよ。逆らったらメシには与れねえ。大の大人たちを手玉に取る、おチビさんたちの独壇場だ」
「なんですかそれー!」
「ひぇー。女王様がお怒りだぞー」
「メシ隠せメシー」
「どーか。どーかお目こぼしをー。チェロットさまー。アリスさまー」
チェロットが憤慨すると、マクギたちは打ち合わせでもしたかのように揃って哀願を始め、それがあまりにテキトーなものだから、周りの連中は一斉に笑い出す。
そうして伝播していく、馬鹿馬鹿しいいつものロイス・マリーの空気。
「ふむ。女王様か」
「どうした?」
「いや、良い響きだと思ってな。いい大人が幼女にこき使われ、詰られ、罵倒される……なるほど。天国か」
「おっと勇者がまた発症したぞ」
「ガキに詰られて何が楽しいんだ。大人の女ならともかく」
「お前もなに言ってんだ……と言いたいところだが、大人か。チェロットもそうだが、あのアリスって娘も将来有望だよな」
「いや、器量だけならチェロット以上だろ。絶対に美人になるぞあの娘」
「どうする? 今のうちにツバつけとくか? チェロットはあの熊親父が邪魔だし、あのアリスって娘なら……」
「へいラズクリーム煮お待ちっ」
「あっつぅい!」「ぎゃああまたとろみのあるクリームがああっ!」
テーブルに激しく置かれた皿の液体が掛かり、男たちは床に転げ落ちる。
犯人はオーブル。
なんか、どっかで見たようなシチュエーション。
「だだ、旦那ぁ?! アンタ厨房に……ってかクリーム煮注文してねーんだけど?!」
「サービスですよお客様。面白そうな話のなぁ? ああ? ウチの従業員にツバをつけるって?」
「ひょええぇぇ……」
「熊親父ぃ?」
「くまままま……」
オーブルに凄まれ、ガタガタと震えだす男たち。
その時、1人の男が立ち上がる。そう、彼だ。
「安心しろ、オーブルさん」
臆する素振りもなく、オーブルと正対するのもあの時と変わらない。
「やめろ! 前の二の舞だ!」
「お前は黙ってろ! どうせ自爆するから!」
「余計なことはするなって! もうお前の巻き込み事故はイヤなんだよ!」
床に倒れた男たちも同じことを考えたのか、我らが一斉に(ある意味の)勇者に制止の声を上げる。
そんな彼らを尻目にして、しかし勇者は勝気に微笑んだ。
「安心するがいい。オレは学習した。二度と同じ轍を踏まん」
そして、勇者はオーブルに視線を戻し、
「断言しておこう。確かにアリスのゆるふわポニーテールや走る度にスカートから覗く瑞々しい太腿、そしてあの愛くるしさは家に持ち帰りたいほどに魅力的だ。しかしオレは! あの娘に邪な感情など決して抱かない!」
と、雄雄しく言い放った。
「な、なんだと……」
「今のはセー……いやギリアウ……いや、セーフ? どっちだ?」
「ところどころ怪しかったけどセーフ! いや、成人男性と考えると完全アウトだけど! 辛うじて突き抜けてない点はグッジョブ!」
男たちは今度こそ期待した。過去の失敗など無かったかのように胸を張るこの勇者に。きっとこの急場を切り抜けてくれる。そう信じて。
「オレが欲情するのはチェロットだけだ!」
「突き抜けんなっつっただろうがああ!!」
「お前はなにを学んだんだあああああ!!」
「自警団に突き出せやこいつぁあああ!!」
やっぱりそんなことはなかった。
「こっち来いやああっ!!」
「「「ぎゃあああああ!!」」」「ふっ、未来のための積み重ねと思えば、それも悪くない……」
「ぎゃっはっは。おーぅ、行け行けー。バツとして皿洗いでもしてこいやー」
オーブルに引き摺られていく男たちを見て、マクギは愉快そうに腹を揺らす。そうして三つの悲鳴と一つの戯言が厨房の闇に消えた後、彼は不意に立ち上がった。
「さぁて、俺たちも騒いで店に迷惑かけた分、後片付けくらいするか。そうでもねえと女王様にお叱りを受けちまう。なあ?」
「はい? いえ、別にそんなことは……」
「うおっ。そりゃあ大変だ! 早く片付けなきゃ!」
「しゃーねえなぁ。ゴミ集めろゴミー」
「だったらおれもウラ行って皿洗いでも手伝ってくっかねー」
「おらアリス! ワゴンは俺が持ってくから次を呼んじまいな! 客をいつまでも待たせちゃいけねーぜ!」
「ぅえっ? うわっ、ちょっと……」
馬鹿騒ぎなんて、この店なら日常茶飯事のはずなのに。
マクギに呼びかけられた仲間たちは、形だけの不満を謳いながら、食堂のために動き始める。総じて浮かべる笑顔のどこに、チェロットへの畏懼があるのだろう。
「みなさん……」
チェロットは出かかった感謝の言葉を飲み込んだ。これはホテルに対する詫び。そうしたい彼らの思惑を考えて、相応しいものではないと察したからだ。
いつもの気紛れ。いつもの図々しさ。いつもの悪ふざけ。それを皆は望んでいる。
ならば、自分もそれに準じよう。そうすることがきっと、彼らの厚意に対する報いになるはずだから。
「みなさんっ。ちゃんとしてないと後でお仕置きですからねっ」
マクギたちに発破をかけたチェロットは急いで厨房に駆けた。リオナがいないため、調理担当のオーブルのサポートは自分がするしかない。
そう思っていた矢先である。控室から電話の呼び出し音が聞こえてきて、チェロットは足を止めた。
「もぉ。せっかくやる気が出てたのに」
愚痴を零しつつ部屋に入り、ジリリリリと喚く電話機から受話器を取って耳に当てる。きっと食堂の予約だ。そう思い――
「え……?」
しかし、耳朶に触れる言葉は、あまりに予想外のもので。
「どうしたチェロット?」
すでに通話が切れた受話器を耳に当てたまま、しばらく呆然と佇んでいると、オーブルから声を掛けられる。
チェロットは古びた人形のようなぎこちない動作で振り返り、答えた。
「リオナさんが、自警団に捕まったって……」
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