山田さんの雑学知識はたまたまです

杜村

プロローグ

 階下から、バターと卵の焼ける甘い香りが立ちのぼってくる。

 トレーニングマシンが鎮座する殺風景な部屋には、似つかわしくない香り。

 コントローラを両手で握りしめていた司は、開け放されたドアの方に顔を向けた。

 隣り合ってテレビに向かっている緑川は、ひょいと肩をすくめた。

「甘いもの、好き?  好きか、女の子は」

「好き、ですね」

「 大好きー、じゃなさそうな口ぶりだ」

「機会が少ないだけです」

「菓子作りの趣味もないと」

「余裕がないですから。一人暮らしの身には」


 二人の会話は、視線をテレビに向けたまま行われていた。

 ゲーム機の起動からユーザーページ、選んだゲームの起動画面が次々と表示され、司はすべてを食い入るように見つめていた。

「はい、お待たせ。どうぞ」

 緑川が、それまで操作していたコントローラを差し出した。

 司はごくりとのどを鳴らして、練習用に渡されていたコントローラを床に置こうとした。そのちょっとした動きで、フロアクッションに座っていた体がぐらりと揺れた。

「あっ、危なっ。すみません」

「そこから落としたくらいで、壊れないから」

 赤くなって慌てる司に、緑川が笑いかけた。しかしながら、その笑顔が怖い。眉毛の薄い坊主頭の強面は、つるりとした色白の頬に傷はなくても、怖い。

 コントローラを差し出したままの、石像の様に固そうな太い腕をそっと見やって、司はぺこぺこ頭を下げた。

「そういうの、いいから。ほら」

 苦笑いを浮かべて、緑川は画面を指さした。

「新しいファイル作ったから、とりあえずやってみようか」

「どう、したら、いいんでしょうか」

 司は、ゲーム機と接続されたコントローラを受け取ると、にらみつけるように見つめた。

「スタートボタン、押して。そしたら、ストーリーの説明が始まるから」

「最初は見るだけ、なんですね?」

「そう」

 決心を固めたらしい司は、はっと緑川を見た。

「何も起こりませんからね?」

「え?」

 目を合わせた緑川の顔からは、わくわく感があふれ出していた。

「ボタンを押した瞬間に画面が光に包まれるとか、風が吹いてくるとか、何かが出てくるとか、そういうの?」

「一切ありません」

「えー、そりゃまあ、そうだろうけどさあ」

 見た目に似つかわしくなく、幼子のようにすねた緑川から見えないように、司はちろっと舌を出した。

 それから、背筋をしゃんと伸ばして画面に向き直った。





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