一乗谷城の陥落


―――


 刀根坂 秀吉軍



「秀吉様。そろそろ朝倉の残党が来る頃でしょうか。」

「そうだな。先程戻ってきた伝令は朝倉不利の状況を見てすぐ報せにきたようだから、もうすぐこの刀根坂を通って一乗谷城に向かうだろう。……仁助殿、おられるか。」

「ここにいる。」

 秀吉が声がした方を見上げると、木の上に猿飛仁助がいた。

「今回は召集に応じてもらい、助かったよ。」

「信長様の為、いつでも馳せ参じる用意は出来ているさ。修行の成果を見せる良い機会でもあるしな。」

 そう言うと、仁助はニヤリと笑った。秀吉も表情を崩そうとしたが、すぐにハッとした顔をして前を向いた。


「来た!全員配置につけ。」

「はっ!」

「いいか。私達の任務はここで朝倉の残党の全てを排除する事。誰も一乗谷城に戻らせるな!」

「はい!」

 全員が揃って返事をしたのを満足そうに見ると、秀吉は仁助と顔を見合わせた。


「頼んだぞ。」

「わかっている。任せろ。」

 仁助は音も立てずに木から降りると、意識を集中させるように深く息を吐いた。




―――


 小谷城



「長政様!朝倉の軍が織田に圧されて一乗谷城の方向に敗走している模様です!」

「……そうか。では私は義景殿に見限られたという事か。」

「いや、見限った訳ではないと思いますが……今は助かる為に仕方なく……」

「気を遣わなくとも良い。しかしこれからどうすればよいやら……城に残っているのは一万にも満たない。その中には女、子どももいる。織田は必ず朝倉を滅ぼすだろう。そうなればその後は必然的にここを攻めに来る。我々が成すべき事は二つに一つ……」

 長政は一瞬目を瞑ると、脇に置いてあった文をそっと家来の方に差し出した。

「これは?」

「市に渡してくれ。」

「そ、それが……先程女中達を部屋から閉め出したそうで……何でも一人で考えたい事があるからと。」

「そうか。……では女中達に伝えてくれ。市が顔を出したらすぐに渡せと。」

「畏まりました。」

 家来はその文を丁寧な手つきで持つと、頭を下げて部屋から出ていった。


「市……」

 小さく呟くと長政は静かに涙を流した……




―――


 織田軍、本隊



 信長は刀根坂の方は秀吉らに任せて、敢えて違うルートで一乗谷城に向かっていた。


「蘭丸。」

「は、はい!」

「他の者を先に向かわせろ。」

「え?」

「言い訳は何でもいい。とにかく俺とお前だけになれるように話を通せ。」

「わかりました……」

 信長の突然の申し出に戸惑いながらも、蘭は後ろを振り向いた。


「あの、皆さん!信長様はちょっと……お腹の調子が悪いようなのでここで休憩するそうです。先に行ってて下さい。」

「大丈夫でございますか?私も残りましょうか?」

「いえ!俺が残るんで大丈夫です。皆さんはどうぞお先に!」

 吉継が控え目に言ったが、蘭の迫力に押されて渋々先に歩いていった。その後を他の面々が訝しげな顔をしながら通りすぎていく。蘭は溜め息を吐いた。


「おい!いつから俺は腹の調子が悪くなったのだ?」

「いっ……!だって上手い言い訳が浮かばなくて……」

 鋭い瞳で見下ろされて蘭は固くなった。それを見た信長はふんと短く鼻を鳴らすと、馬から下りて近くの切り株に座った。

「信長様!そんなところに座ったら……」

「構わん。それに腹の調子が悪いのなら少しくらい遅れても不信には思わんだろう。これから久しぶりに話すのだ。ゆっくり腰を据えないとな。」

「話すって?……まさか!」

「あぁ。市とだよ。」

 信長はそう言うと、目を閉じた。


「……市か。」

『はい、お兄様。お久しぶりでございますね。』

 蘭には市の声は聞こえなかったが、信長の表情が柔らかくなったのを見て無事に繋がれたのだと安心した。


「義景はお前の旦那を放って負け犬のごとく逃げ出した。俺はこれから朝倉を亡き者にする為に一乗谷城に向かう。」

『そうですか。今こちらではその事で大騒ぎです。籠城していたので戦力は一万にも満たない状況で、一体どうしたら良いのか長政様も困惑しているようです。これから小谷城はどうなってしまうのか、私も子ども達も不安でたまりません。』

「だろうな。しかし安心しろ。勝家がそちらに向かっている。頃合いを見計らって潜入させるから、お前は子どもらを連れて城から脱出しろ。」

『でも……』

「お前が浅井に嫁ぐ時から決めていた。長政と敵対関係になった場合は迷わず俺の元に戻すと。……お前には帰る場所がある。夫婦として共に暮らしてきた長政を裏切る事に抵抗を持つ事は仕方がない。しかし俺にはお前が必要なのだ。だから絶対に生きて戻ってこい。いいな。」

『……わかりました。わたしはお兄様に従います。』

「それでいい。」

 そこで一息つくと信長は立ち上がった。

「この辺にせんとこの後の戦闘に支障をきたす。……では切るぞ。」

『あ、お兄様!』

「何だ。」

『どうかご無事で。』

「俺を誰だと思っている。負ける訳がなかろう。」

 優しい表情でそう言うと、再び目を閉じた。次に開けた時には鋭い光が戻っていて、蘭は市との連絡が切れた事を知った。


「腹の調子も良くなったし、行くか。」

「はい!」

 豪快に馬に跨がると、一乗谷城へと再出発した。




―――


 刀根坂 秀吉軍



 秀吉と仁助の前には倒れた兵達が積み重なっていた。

「これで全てか?」

「いや、まだいるはずだが……」

 秀吉が首を傾げると、もう一人の伝令が走ってきて秀吉の前に膝まづいた。

「ご報告申し上げます!こちらに向かっていた朝倉の残党は全員自害した模様です!」

「そうか……戦力を喪失した訳だな。そうなると義景とその手勢はどうなった?」

「義景らは別の道を通って一乗谷城へと到達したそうです。そして籠城の準備に入ったと。」

「わかった。信長様も直に到着するだろうから、我らも向かうとするか。」

 秀吉は死体を跨ぎながら、残酷に笑った。




―――


「これは……」

 信長は目の前の光景に呆気に取られていた。朝倉の居城、一乗谷城が燃えていたのだ。


「腰抜けだとは思っていたが、ここまでとは……少なくとも小谷城を挟んで戦を始めようと睨み合いをしていた相手に、少し追い詰められたぐらいで自ら火を放つとはな。まぁ、無駄な労力を使わなくて良かったと、喜ぶべきか。」

 信長は真っ赤に燃える炎を瞳の中に映しながら、薄ら笑いを浮かべた。対する蘭は頭がパニック状態でその場でただ立ち尽くしていた。


(一乗谷城が炎上……?テキストと違う。義景は別の場所に逃れたけど家来に裏切られて自刃するって書いてあった……でも信長もこうして驚いているって事は想定外だったって事だし、信長が言うように朝倉義景っていう人は思ったより弱い人間だったのかもな……)


 蘭はそう思いながら、信長と並んで燃える一乗谷城をいつまでも眺めていた。




―――


 永禄11年(1568年)、織田軍は長政が籠城する小谷城を挟んで睨み合いを続けていた朝倉軍を雨の中急襲。突然の出来事に対処出来なかった朝倉軍は一乗谷城へと敗走。その途中の刀根坂で多くの兵が戦死した。

 義景は少数の手勢を率いて一乗谷城に帰還したものの、自ら火を放って自害した。


 ここに11代続いた越前朝倉氏は滅亡した。



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