第33話 俺達の戦場
その頃、リオンは仮想空間のファニールで、既に五年もの時を過ごしていた。
その日リオンは家族と共に、湖の傍にあるペンションへと遊びに来たのであった。
湖で釣れた魚の入ったボックスを手に、リオンは笑顔で家族のいるはずの宿舎の中へと入る。
「ただいま! いやぁ、結構たくさん釣れたよ」
すると、イコだけが食卓の席についていたのだった。
「あれ? イコ……なんだか久しぶりに見たな。みんなはどうしたんだ」
部屋の中央まで行き、床にボックスを置いて辺りを見渡すが、両親もヘレンも姿が見えない。
「彼らは今、別の場所に向かわせたわ。テキトーに話をごまかして誘導しておいたの」
「誘導? なんでだ?」
「もうあなたがこの世界に潜り込んでから五年も経つじゃない? さすがにそろそろ目でも覚まさせようかと思って」
「は……?」
リオンは急に表情を硬質なものへと変え、テーブルの上に手をつき、イコに迫り寄った。
「ふざけるな。さっさと父さんと母さんとヘレンを元に戻せ。俺の邪魔をするな」
「リオン……」
イコは席を立ち、リオンの後方へとまわると、その右肩にふわりと手を乗せた。
「私、この星の住民をずっと馬鹿にしていたわ。野蛮で知恵遅れの原人だって言って」
「この星? あぁ、元の世界の事か……。知ってるよ。お前は中途半端に第二種人権なんてものを途中で取得したから……だから人権を持たない現地人を下に見てたんだろ」
「そうね……確かにそうだったわ。でも、今は違うって、そう思い始めてるの」
すると次の瞬間、リオンの後方の壁がバタンと大きな音を立てて倒れた。
リオンは思わず「え……」と、そちらを振り向く。
するとその先は湖でも、そもそも惑星ファニールでもなかった。暗い星空の下に燃え盛る炎。雅楽の音が鳴り響き、舞殿の上で美しく舞う巫女の姿。どうやらそれはリオンが見ることのなかった四代祭りの光景のようだった。リオンは席を立ち、その様子を眺めた。
「あれは……杏……」
杏は額を汗で濡らしながらも、剣を振り、髪と振袖をなびかせて舞っていた。その姿は凛々しく、そして神々しくさえ感じられる。杏はリオンの姿に反応する事なく演舞を続ける。
そしてその前には雑賀の住民達がいた。リオンが元々助けるはずであった人々だ。皆、厳しい状況に置かれながらも、どこかに希望を捨てていない。そんな目で舞台を見ていた。
「私は、その……あなたにお願いしたいのよ。彼等を助けてほしい。皆を死なせたくない。あの国の文化を守りたい。あなたにもそんな気持ち、少しはあるんじゃないかしら」
リオンは「それは……」と呟き、杏のいる世界に向かってそのまま歩き出した。
そして、元々雅が見学していた社務所二階の一室、そこに足を踏み出したその時だった。
「お兄ちゃん!」
という声と共に、宿舎の入口の扉が開かれた。振り向くとそこにはヘレンの姿があった。
「ヘレン……?」
ヘレンは膝に手をつき、呼吸を整えてからリオンの元までやってきた。
「間に合ってよかった……。私、本当は全部知っていたの。この世界が仮想世界だって事。そしてお兄ちゃんがこの世界を作り出した理由も……」
「そう……なのか?」
ヘレンは「うん、そうだよ」と返事をすると、リオンの手をぎゅっと握ってきた。
「そっちに行っちゃ駄目だよお兄ちゃん。行ったらきっと危険で野蛮な戦いに巻き込まれる。だからこっちにいようよ。そしたらずっと安心で安全で幸せな生活が送れるんだから」
リオンは「それは……」とヘレンの言葉にしばらく沈黙し、こうべを垂れた。
「そうだな……お兄ちゃんもヘレンと一緒に、ファニールにずっといたいよ」
ヘレンはその答えにふんわりとした笑顔を浮かべた。
「う、うん! そうだよね……だから早くこっちに戻ろうよ」
そして更にその手を強く握りしめ、ヘレンはリオンの手をファニールの世界へと引っ張る。
「でもな……それは出来ないんだ」
しかしリオンは頭を上げると、ヘレンの手を振り払った。「え……」と目を見開くヘレン。
「分かってはいたさ……こんなこと、いくら続けても何も前には進まない。俺はこの生暖かい世界でずっと足踏みしてただけだ……。そろそろ現実に目を向けなくちゃな」
「お、お兄ちゃん! お願い! わ、私お兄ちゃんの為なら何だってしてあげるから……!」
「ごめんなヘレン。俺はもうお前に会えそうにない。この惑星で生きていくしかなさそうだ」
「そ、そんな……」
リオンはヘレンの頬から伝い落ちる涙を拭うようにその頬に手をやった。
「でもな、今俺はそれがそんな不幸な事じゃないのかなって思い始めてるんだ。だから……」
そしてイコへ目を向け「イコ、ダイヴオフだ」と命令する。
「分かったわ。……ダイヴ、オフ」
ヘレンは「お兄ちゃん!」とリオンにとびつこうとする。しかし、ヘレンの体はリオンの体をすり抜けて行ってしまった。ヘレンは自身の半透明になってしまった両手を見る。
そしてリオンは踵を返すと、もう触れなくなってしまったヘレンの頭を撫でたのだった。
「じゃあなヘレン……。これまでありがとう。俺はもう行くよ」
◇ ◇ ◇ ◇
リオンが目を覚ますと、そこにヘレンの姿はなく、手すりの上にイコの本体の姿があった。
「このまま干からびるまで目を覚まさないかと思ってたわよ」
リオンは「はは……」と軽く笑ったあと、真直ぐにイコへと目を向けた。
「イコ、俺だって同じさ。雪丸や杏、城のみんな……いつの間にかそいつらは俺にとってかけがいのないものになっていた。ファニールに帰れなくなったショックで、ちょっとばかし頭から飛んでたけどな」
「……そう」
「それにしても意外だったよ。まさかお前にそんな事を気付かされる事になるなんてな」
「べ、別にいいじゃない。私だって考えを改める時だってあるわ。完璧なんかじゃないのよ。それが……人間ってものでしょ」
リオンはふっと笑いながらコネクタを抜き、席を立った。イコ本体に手を差し伸ばす。
「そうだな……。行こう、彼らの……いや、俺達の戦場へ」
そしてイコは「えぇ……!」と言ってリオンの腕にぐるりとからみついたのだった。
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