第16話 追憶6 勘弁してあげる!


「……ていうか、コージ君、予備校行くんじゃなかったの?」

「行くよ。このあと6時から」

「なんでギターなんか持ってるのよ?」

「ああ、ちょっと修理に出そうかと思って」


 コージ君がよいしょとギターを降ろすと、窓側の私の席の向かいに腰を下ろした。ほどなく、店員さんがアイスコーヒーとジンジャーエールを持ってきてくれる。私たちは飲み物を口にして話を始めた。まるでこの数か月のブランクなんかなかったかのように。

 結果的にコージ君の持っていたギターのおかげで、私は驚くほどスムーズに会話を始めることができた。ここしばらくあれほど苦労した会話の一言目は、なんの障害もなくするりと口をついた。


「ん?ギター修理するってことは、もしかしてまた文化祭でなんかやるの?」

「そりゃ、やるさ。今年は最後だからね。ちょっと好きなようにやってみようってなって」

「メンバーは?また山岡君と広瀬君とコージ君とゆかりちゃん?」

「うん。それにまだ確定じゃないけど白石さん」

「のんちゃんまたゲスト参加するんだ。卓球部よりも軽音で活動してた時間の方が長いんじゃない?」

「ははは、そうだよな。白石さん、1年生の文化祭でヘルプで出てもらってからずっとだもんな」

「のんちゃん、正式に入部すればよかったのに」

「もう実質部員みたいなもんだよ。白石さん、いろんな楽器できるし。それに彼女は好きなんだろうな、みんなで楽器合わせるのが。でも、軽音に顔出してた時間だったらだーともも結構なもんだぞ?」

「私、楽器できないもん。見学してるだけで悪かったねえ」

「なにすねてんだよ。料研特製お菓子の差し入れ、みんなに好評だし」

「まあ、食べてもらってこそのお菓子だしね。喜んでくれたら本望……。ん?ボーカルがいないじゃん」

「ボーカルは今出演交渉中だけど、吹奏楽部の三谷さんに頼もうかと」

「あら!めぐちゃんが歌うんだ!めぐちゃん歌うまいもんねー」

「三谷さん、前から軽音バンドにも興味あったんだって。高橋さんが最後だからやってみないって声かけたら乗り気になったって」


 ちょっと顔を出さない間に軽音にもいろいろ動きがあったんだ、と少し気が滅入る。


「しかし、みんな勉強もして楽器の練習もしてるんだ。すごいなあ。コージ君、予備校、遅くまで行ってるんだよね?」

「大体10時前くらいまでかかるかな」

「大変なんだね」

「他人事じゃないんだぜ? だーともだって受験生なんだから。ユリちゃん心配してたぞ?」

「……ノーコメント。それ以上言うとセクハラで訴えるよ?」


 私の前期中間テストは悲惨な成績だった。ぶっちゃけその原因の8割はコージ君なんだからね、と声に出さずに毒づいた。


「え? これがセクハラになんの? いくらなんでもそりゃひどすぎる。どこにもセクシャルな要素ないじゃん」

「受けた方がセクハラと言えばセクハラなの! なんならパワハラでもいいし」

「なんだそれ。理不尽すぎて鼻血出そうだわ」

「ふんだ!」


 いや、だからコージ君のせいだって。

 あ、でも、なんか今日は普通に喋れてる、私。

 そう思うと少し懐かしい気分になって頬が緩んだ。

 コージ君は私の一瞬の表情の変化を見逃さず、鋭く突っ込んできた。


「だーとも、そこでニヤニヤするとか意味わからん。不気味」

「…… えへ。あはは、私ニヤニヤしてた?」

「してる。というか自覚ないとか危ねーやつじゃん」

「…… いやね、なんか、久しぶりだなって思って。ここんとこコージ君と全然話せなかったから」


 思わず素で本音が出る。話せなかったのは私だけなんだけどね。でも、やっぱりこの会話のペース、楽しい。


「そうだよな。だーとも、ここ来るとだいたいパンケーキ注文してたよな」


 コージ君はにこっと笑って言った。私はこのコージ君の笑顔にめっぽう弱いんだった。ここでそういう顔するの反則だよね。


「あはは、そうだったねー。実は今日も頼もうかと思ってたとこ。お昼食べてないんだ」

「あ、じゃあ頼む?」

「んー、とりあえずまだいいや」

「で、だいたい2回に1回は俺が払わされてたよな」

「ちょっと!盛らないでくれない?……3回に1回ぐらいだよ!」

「そういうの、なんていうか知ってるか?」


 コージ君が意地悪な笑顔で聞いてくる。

 五十歩百歩とかどんぐりの背比べって言わせたいんだろうが、意地でも言ってやるもんか。

 しかし、咄嗟にいいことわざが浮かんでこなかった。


「―――― 窮鼠猫を噛む。うがーっ!」

「違うくね?だーとも、ボケのキレ悪すぎ」

「いーの!正解も言わなくていいから!それセクハラだよ、セクハラ。本当に訴えるよ?」

「いや、だからどこにセクシャルな要素があるんだよって」

「だいたいね、私が全部払ったことも ―― あれ?なかったっけ?」

「んー、ないね。ここでは」

「いや1回ぐらいは」


 1回もないよ、とコージ君は笑った。そしてふと表情を引き締める。


「ところで、だーともさあ」


 コージ君は私の目を見て聞いた。


「俺のこと避けてただろ。3年になってからずっと」


 コージ君の口から出てきたのは内角をえぐる豪速球ストレートな質問だった。少しうろたえてしまう。


「え?」

「なんか俺が5組の教室行っても知らん顔だし、廊下で会っても無視するし、軽音には来ないし」

「……もし、そう見えたんなら、ごめん」

「見えたも何も、あれで避けてないって言うなら何が避けてることになるんだよ」

「避ける気はなかったんだけどね、なんか話しかけづらくって」

「俺、なんかした?」

「してない。何も」

「広瀬にも白石さんにも言われたよ。だーともに謝っとけって」

「コージ君が謝るような話じゃない。ホントにごめん」


 話しかけられなかったのは一方的に私の問題。コージ君に非はまったくない。私が悪いんだよね。全面的に。


「いや、俺もすぐにでも謝りたかったんだけど、何を謝っていいのか分からなくて」

「むしろ謝んなきゃならないのは圧倒的に私だよ」

「なんかだーともと話さないといろいろ調子狂う。よく分かったよ、それが」

「そう言ってくれると―― ちょっと嬉しい。思わずここは私のおごりって言っちゃうぐらい」

「いいよ、そんな無理しなくたって」

「でも、……コージ君だってさ」


 豪速球ストレートのお返しだ!

 私はなかば勢いだけで聞きたかったことを口にした。


「玲奈ちゃんと付き合い出したらしいじゃん!」

「は?」

「私とこんなとこ来てていいの?」


 反応を窺おうとしたら、コージ君は思い切りむせていた。


「げほげほ、誰だよそんなこと言ったの」

「1組の女子」


 正確には立ち聞きなんだけどね。

 えーい、ついでだ!

 聞いちゃえ!


「バレンタインに超豪華なスペシャルチョコもらったんでしょ?」


 超豪華でスペシャルかどうかは知らないけど。もうこの際だから少しくらい脚色してもいいでしょ。


「その時から付き合い出したの?」

「そんなわけあるかよ……」


 コージ君は心の底から心外だと言わんばかりの下目使いで言う。さすがにそれはないはずとは自分でも思っていた。


「あー、もう、面倒!全部聞くからね!」


 私は止まらなくなった。気になっていたことを一気にまくしたてる。


「今日だっていっしょに予備校行くんでしょ?私、帰った方がよくない?」

「……」

「成績すごく上がったんでしょ?」

「……」

「私と話さなくなったからだよね。違う?」

「……」

「私なんかより玲奈ちゃんと話した方がいいんじゃないの?」

「……」

「私、いない方がいいんだよね、きっと……」


 話しているうちに涙が出てきた。

 いけない、今日は泣かないって決めたんだった。

 泣きそうになるのをぐっとこらえたら、コージ君を睨んでるみたいになってしまった。


「ね、私、邪魔なんでしょ?コージ君にとって」

「……」

「邪魔ならそう言って。もう…… 邪魔しないから」

「……」

「……コージ君の邪魔にならないようにするから。…… はっきりそう言って」


 違う。違うでしょ、私。

 こんな風に問い詰めたかったんじゃないでしょって。

 コージ君やればできるじゃない、ほら、私の言った通りじゃない、と言ってあげたかったのに……。


 立ち聞きした1組の女子の会話の中での、私と別れたらコージ君の成績が上がったという話。

 一番堪えたのがそこだった。

 私がいない方がコージ君のためになる。

 玲奈ちゃんと付き合いだしたかどうかよりも、そのことの方が何倍も私には重かった。


 コージ君は黙って私がまくしたてるのを聞いていた。そして、ふう、と私に分かるぐらい大きく息を吐いてグラスのストローに口を付ける。


 しばらくして、コージ君は少し視線を落として、口を開いた。

 これはコージ君が真面目に話をしようとしている時の様子だ。こういう時のコージ君の話に嘘はない。私はそれを知っている。


「だーともは誤解してる。目一杯誤解してる」

「……」

「俺は先崎さんと付き合ってなんかいない」

「……」

「今はそれしか言えないけど、断じて付き合っていない」

「……」

「そして、だーともは邪魔じゃない。邪魔なんてことは一切ない。むしろ……」

 コージ君は出かかった言葉を無理やり飲み込んで続ける。


「……とにかく、だーともは邪魔なんかじゃない」

 コージ君はごく自然にテーブルの上の私の手を握った。じっと私を見つめながら。驚くひまも照れるひまもなかった


「……コージ君、あのね、……私ね……」

「ん?」

「今までどおり……、2年の時みたいに……、コージ君と話していい?」

「もちろんさ」

「これからも……、軽音にお菓子持って見学に行ってもいい?」

「待ってるよ。みんなもね」

「それでね」

「うん」

「コージ君のこと…… 訴えてもいい?セクハラで」

「うわっ!」


 コージ君は握った手をあわてて引っ込めた。にっこり笑って見つめると、コージ君は顔を赤くして珍しく動揺を隠せていない。ちょっといたずらしたくなっただけだけど、私も赤くなってるかもしれない。それに気が付かないふりをして私は続けた。


「うーそ。パンケーキで勘弁してあげる!」


 振り返って店員のウェートレスさんに声をかけた。必要以上の大声になってしまったのは、多分私の照れ隠し。


「すみませーん、ミルフィーユパンケーキ一つお願いしまーす!」


 その後、コージ君と私はひたすら雑談をして過ごした。

 あっと言う間に時計の針は進んでいく。

 喫茶店からの帰り際、私はレジで「出しとくよ」というコージ君から無理やり伝票をもぎとった。


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