決断


―――


 それから何日かが過ぎた。当面の間活動休止するという事になった『the natural world』はスケジュールを白紙にし、吹雪の回復を待ちながらスタジオに籠って日々を過ごしていた。


「嵐。」

「何だ?氷月。」

「社長から電話があった。今すぐ社長室に来いってさ。」

 強張った顔の氷月が自分のスマホを掲げながらそう言う。それを見て俺の表情も固まった。

 ふと視線を感じて辺りを見回すと、雷達が心配そうな表情でこっちを見ていたから慌てて取り繕う。


「だ、大丈夫だよ。そんな心配する事じゃないって。ただの業務連絡だろ。」

「でも嵐……」

「大丈夫だって、風音。よし!じゃあ行ってくるか。氷月も、ほら。」

「え?」

「『え?』じゃなくて。お前も呼ばれたんだろ?早く行こうぜ。」

「う、うん。」

 氷月がわたわたと準備をしているのを見ながら俺も身支度を整えた。


「何で僕も呼ばれたってわかったの?」

 スタジオを出てしばらくすると氷月が問いかけてきた。いつもと違う氷月の態度に苦笑しながら答える。


「何でってお前のスマホに電話してきたんだろ?」

「まぁ、そうだけど。でも社長はリーダーを寄越してくれって言ってたから……」

「社長はどっちかって言ったら俺よりお前の方を信用してるからな。お前にも来て欲しいって思ってるぜ、きっと。」

 俺がそう断言すると微妙な笑みを浮かべた。


 いつも冷静な氷月がこんなにテンパっているのには理由がある。

 今回の事で活動休止っていう決断をしたのは、実は俺と氷月の独断だった。雷や風音や南海ちゃんには社長の許可はもらってると言ってあって、吹雪には会議で決まったと言った。最初からあの社長に相談なんてしたら何を言われるかわかったもんじゃなかったから、敢えて何も言わずにどう出てくるか様子を窺っていたのだ。


 氷月は渋々だが俺の意見を尊重して協力してくれていたのだが、こうして呼び出しをくらってしまった事に動揺しているのだろう。さっきからソワソワしている。


「氷月。」

「な、何?」

「中に入ったら、俺が何を言っても止めないでくれないか?」

「え……?」

 社長室に辿り着いてノックをする寸前、俺はそう氷月に懇願した。氷月は訳がわからないって顔をして見てくる。それにただ微笑んで目の前の扉をノックして開けた。


「失礼します。」

 中に入ると社長と佐竹さんがいた。社長はソファーにどっかりと座っていて、佐竹さんはその脇にひっそりと立っている。


「やぁ、来たか。座ってくれ。」

 待ちくたびれた感を装っているのが頭にくる。やっぱりこの社長は好きになれないな。


「早速だが、高森吹雪の事で話があって君達を呼んだ。……私の言いたい事が何かわかるね?」

 鋭い声に隣の氷月の肩が跳ねる。俺は深呼吸して息を整えた。


「はい。勝手な事をして申し訳ありませんでした。」

「私の許可なく……いや、私に何の相談もなく重大な事を勝手に決めて、ただで済むと思ったのかな?」

 静かだが怒りの籠った言葉に思わず怯みかけた。でもここで負けちゃいけない。


「すみませんでした。」

「今更謝られても困るね。」

 鼻で笑いながらテーブルの上に置かれていた書類を俺達の方に向ける社長。俺と氷月は揃ってその文面を見つめた。


「君達と交わした契約書だよ。ほら、ここ。ここに書いてある。」

 そう言って指を差した所には、


『メンバーが怪我、あるいは病気で活動ができなくなった場合、ただちに解散。更に解雇処分とする。』


 と、書いてあった。


「これは!」

 氷月が声を上げる。俺はそれを目で制すと言った。

「契約書を改めて見ていた時、その記述に気づいて焦りました。今日辺りこちらから出向いて謝罪しようかと思っていたんです。」

 口から出任せがどんどん出てきて自分でもビックリだ。ア然とする氷月と佐竹さんの視線をよそに続ける。


「どんな処分でも受けます……って言いたいところですけど、俺達には竜樹を待つという使命があります。だから……」

「ふんっ!竜樹君は今人気絶頂なんだぞ?戻って来る訳がないだろう。高森吹雪が復活するのが先か竜樹君が戻ってくるのが先か、って言ったら高森吹雪の方が早いとは思うが声が出ないんじゃしょうが……」

「だったら!」

「……っ…!」

 俺が突然大声を出したからその場にいた全員が驚いて目を見開く。


「……だったら解散します。それでいいですよね?」

「ちょっと嵐……!」

 氷月が俺の腕を掴んできた。見ると必死の形相で首を振っている。

 ごめん、氷月。でも俺はこんな風に吹雪の事を悪く言われたくない。こいつは確かに大物かも知れないけれど、心というものがない。もし吹雪が治って復帰しても、この社長と上手くやっていける自信がない。何かにつけて文句をつけたり待遇が悪くなるんじゃないか。そう思ってしまう。竜樹の事だってどこまで本気で考えてくれているのか。


 吹雪が入院してからずっとこんな風にぐるぐると頭が回っていた。中々答えが出せなくて苦しかったけど、今決断した。


「『the natural world』は楢橋竜樹と高森吹雪の不在によって活動できなくなって解散する事に致しました。もちろん事務所も退所します。でもこれは解雇ではなく、あくまでも依願退職という事にして下さるとありがたいんですが。」

 最後のは佐竹さんに向けて言った言葉だ。佐竹さんは確か総務全般を任せられていると雷に聞いた事がある。

 解雇と依願退職では意味が大きく変わる。今後の事を考えるとやっぱり依願退職の方が都合がいいと思った。


 期待を込めた目で見つめていると、佐竹さんは一度大きく息を吸った。


「わかりました。」

「おい、佐竹!」

「今のお話の内容をまとめると、辻本さん達はこの事務所を辞めたいと社長に言いにきた。という事ですよね?そういう事なら依願退職という形で処理するのが妥当と思われますが。」

「……勝手にしろ!」

「じゃあ失礼します。スタジオは綺麗に掃除していきますので。」

「あ、待って!明日全員の分の辞表持ってきて下さい。もちろん高森さんのも。」

 出て行こうとする俺を呼び止めて佐竹さんが言う。俺はそれに頷いて社長室をあとにした。


「嵐……」

「うん、ごめん……」

 廊下に出た瞬間、氷月に睨まれて小さく縮こまる。

 氷月が怒るのも当然だ。解散するなんて宣言しちゃって、もう後戻りができなくなってしまった……


「突然解散するなんて言った時は呆れたけど、僕もあの社長の言い方には正直頭にきた。」

「え……?」

 思いがけない言葉に体から力が抜けた。怒ってない……のか?


「僕も考えてたんだ。竜樹が抜けて吹雪がこんな事になって……これからどうすればいいのか、方向性がわからなくなりかけてて。でも『解散』っていうこの二文字だけは考えないようにしてた。考えてしまったら終わりのような気がしてさ。」

「だよな……ホントごめん……」

「だけどさっきスカッとしたんだ。嵐が解散するって言った時の社長の顔見た?凄く間抜けな顔してたよ。」

「へっ……?」

 そうだったか?喋るのに夢中で見てなかった。


「そんなに間抜けだったのか?見てみたかったなぁ~」

「まぁそんな事はさておき、これからが大変だよ。皆を説得しないといけないんだから。」

 苦笑しながら言う氷月に、表情を引き締めて頷いた。



 雷と風音と南海ちゃんは案外あっさりと了承してくれた。三人も密かに今の状況を色々と考えていたらしい。

 社長に解散すると啖呵きってきたと話すと、雷が大爆笑して椅子から転げ落ちた。それを見た風音と南海ちゃんも笑顔を見せ、氷月も珍しく表情を緩ませていた。


「あとは……」

 俺はそっと呟いた。




―――


「という訳なんだ、吹雪。勝手に決めてごめんな?お前が気にするかもって思ったんだけど、俺も皆もこうする他なかったんだ。」

 ベッドの柵にすがりながら語りかける。吹雪はさっきからこっちを見ない。表情も影になっていてどんな顔をしているのかわからなかった。


「でも俺達は必ずまた集まる。その為の準備もする予定だし、俺達を拾ってくれる事務所も今氷月が探してくれてる。だから……」


『ゆっくり療養して完全復活したらまた一緒に歌おう。』


 そう言おうとした俺の口が動きを止めた。吹雪がこっちを向いたからだ。薄暗い部屋で煌めく瞳が綺麗だった。


『私のせいじゃない?』

 画用紙に大きく書かれたその言葉に、何の躊躇いもなく頷く。だってこれは……


「竜樹が抜けて本当ならそこで解散になってもおかしくなかったんだ。でもここまでこれたのは吹雪と南海ちゃんがいてくれたから。五人で一つだったのが七人で一つになった。竜樹をいつまでも待つっていう覚悟を持てた。だから本当に二人は幸運の女神だ。」

 そこまで言うと少し微笑んだのがわかった。


「俺の我が儘って事にしてくれないか?誰のせいでもない。吹雪のせいでもない。俺がお前と一緒じゃないと歌えないって駄々をこねた。ただそれだけだ。足の怪我は絶対治る。声も出せるようになってあの綺麗な歌声で観客を魅了するんだ。そんな未来が現実になるまで……俺達はお前を待ってる。」


 初めて会った時は目を見て話すなんて、とんでもない事だった。それなのに今はこうしてじっと目を見つめて、自分の想いを嘘偽りなく伝えようとしている。そんな自分の成長にビックリしていると吹雪が笑って頷いた。


「わかってくれたのか?」

 こくりと首を縦に動かす。ホッとして椅子に座り直していると、画用紙に何か書いていた。何気なく覗き込んだ瞬間、衝撃で体が動かなくなった。


 そこにはさっきとは比べ物にならないくらいの小さい字でこう書かれていた。



『別れて欲しいの。』



 出逢いから今日までの日々が走馬灯のように頭の中を駆け巡った……ような気がした……



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