第三章 哀しみの旋律
病床からのアドバイス
―――
「肺炎……ですか…?」
「はい。しかも相当無理をしたんでしょう。だいぶ肺に負担がかかっています。しばらく安静にしていて下さい。」
風音が運ばれてきた病院の一室で、俺は医者にこう告げられた。握った手に力が入りすぎて爪が食い込んだけど、こんなの風音の苦しみに比べたら何でもない。
「失礼します。」
ボーッとした頭で診察室を後にする。そしてなるべく足音を立てないように廊下を歩いた。
救急車には付き添いは一人しか乗れないという事で、俺が代表して乗ってきた。風音にとりすがって泣く南海ちゃんを吹雪達に任せた俺は、担架に寝かされた風音にずっと声をかけ続けた。
「風音!風音!しっかりしろ!もうすぐ病院だからな、大丈夫だから!」
風音は荒い息をして咳も全然止まらなくて、ぐったりしたまま目も開かなかった。酸素マスクみたいなやつをつけられて、凄く辛そうだった。
病院に着いてすぐ処置に入って今は落ち着いて病室で寝ている。
「あ、もしもし?氷月?あぁ……肺炎だって。うん…南海ちゃんは?そっか。俺はもう少し病院にいるよ。もう夜だから見舞いは明日の方がいいかもな。」
廊下の公衆電話のスペースで氷月に電話をかけた。とても心配している様子で今すぐにでも来そうな勢いだったけど、もう時間も時間だったから明日来るように言って電話を切る。
「はぁ~……」
俺は長いため息をついて風音の元へと向かった。
「……まだ寝てるか。」
そーっと扉を開けると、風音はまだ目を覚ましていなかった。音を立てないように慎重に椅子を持ってくるとそれに座る。そして荒い息でベッドに横たわる風音を見た。
「どうして……」
どうしてこんなになるまで我慢して……
「いや……我慢してたんじゃなくて、気づいてあげられなかったんだ。俺達が……」
皆、自分の事だけでいっぱいいっぱいで、風音が苦しんでた事に気づかなかった。
ほんの少しでも余裕があったなら、ほんのちょっとでも真剣に向き合ってれば……
だけどもう遅い。
「……嵐…」
「風音……!」
弱々しい声がしてハッと顔を上げると、風音が体を起こそうとしているところだった。慌てて肩を掴んでベッドに戻す。
「寝てろ。」
「でも……」
「いいから。」
強引に寝せると、風音は自嘲気味に微笑んでベッドに身を沈ませた。
「ごめん……」
「何でお前が謝るんだよ?謝んなきゃいけないのは俺らの方だろうが。」
「違う…ゴホ…ゴホッ…こんな事になって皆に迷惑かけて……ホントごめん……」
「風音……」
先に謝られて逆に申し訳なくなる。俺は小さく咳をする風音をただ見ている事しか出来なかった……
「いつから…具合悪かった?」
「う~ん……デビュー曲が決まった辺りからかな?」
「そんな前から!?」
思わず大きい声が出て慌てて口を手で塞いだ。
「最初はね、ただの風邪だったんだ。でも治ったと思ったらまたぶり返したり、かと思ったら演奏中は全然平気だったり。自分でも自分の体調がよくわかんなくなってたんだ。そしたらここ最近特に酷くなって……」
「そうだったのか……」
「ねぇ、嵐?」
「ん?」
「僕達、どうなっちゃうのかな……?」
「え……?」
「竜樹が抜けちゃってこの先どうなるのかな……」
風音のか弱い声に忘れていた怒りがこみ上げてきた。声を抑えながら言う。
「あんな奴いなくたって大丈夫だよ。」
「嵐……」
「俺らの事裏切った奴なんてもう顔も……」
『見たくない。』それでもその言葉は言えなかった。
「だいたいあいつは自分勝手なんだ。自意識過剰ですぐ調子に乗る。……それに今回の事は氷月にも責任があるんだ。あぁいう言い方して竜樹を怒らせてさ。だけど今回ばかりはもう修復は不可能だと思う。竜樹は戻ってこない。だから……」
「いい加減にして!」
パチンッ!
小さいけれど鋭い声が聞こえた瞬間、左頬がじんわりと熱を帯びた。茫然としていると風音が体を起こして俺を悲しげな表情で見つめている。
「心にもない事言わないでよ……そりゃ竜樹は嵐の言う通り、そういうところはあるよ?誤解もされやすいし、苦労もさせられる。だけどそれが竜樹の全部じゃないってわかってるでしょ?本当は仲間思いで良い奴だって知ってるでしょ?……ゴホ…ゴホッ…」
「風音!無理すんなって…」
咳き込む姿に手を伸ばすと身を捩って避けられた。固まっているとようやく止まったようで、深呼吸しながら顔を上げた。
「きっと社長に何か言われたんだよ。」
「何かって?」
「それは…わかんないけど。竜樹が自分の意思で僕達を捨てるとか思うなんて、信じられないもん。」
「…………」
「氷月はデビューしてから…ううん、バンドを結成してからずっと、僕達がどうしたら気持ち良く演奏できるか。そればかり考えてた。一言多かったり何を考えてるかわからない時はあったけど、あんなに良い曲が作れるなんて凄いなって純粋に尊敬してた。確かにデビューして変わったかも知れないけど、根本は変わってないと思う。僕達に良い曲を作りたい、聴いてくれる人に良いものを届けたい。氷月の奥底にはそれしかないんじゃないかな?」
俺はこの風音の言葉を聞いて情けなくなった。リーダーなんて言いながら、誰の事も信じてなかった。誰もが心の奥底に隠し持っている本当の気持ちを見抜けないでいた。
風音……こんな状態になってまでも言わせてごめん……
そう心の中で謝った。
そういえば……と過去を思い出す。俺と竜樹のガキみたいな言い合いを止めるのはいつも風音だった。雷の大声を嗜めたり氷月がいない時に場を仕切るのも風音……
年下だけど一番しっかりしてていつも皆の橋渡し役で、全体を把握してて適切なアドバイスをしてくれた。
「はは……こんな時でもお前はお前だな。」
「え?何?」
「何でもない。それよりありがとな。大事な事に気づかせてくれて。俺がリーダーなんだから、俺がしっかりしなきゃな!」
突然立ち上がった俺に目をパチパチさせてた風音は、そっと枕に頭を乗せて微笑んだ。
「その意気だよ。頑張れ、嵐!」
「おう!」
「しー!病院では静かに!」
「おぉ…悪い、悪い……」
病人に嗜められて顔が赤くなった。そしてそのまま扉へと体を向ける。
「じゃあ、俺は帰るわ。」
「え?もう帰っちゃうの?」
「もう遅いし安静にしろって先生からも言われてるしな。今話しただけでも辛いんだろ?」
「うん、ちょっとね……」
「あぁ、そうだ。南海ちゃんもだいぶ心配してたみたいだぞ。明日吹雪達と一緒に来るって。」
南海ちゃんの名前を出すと途端に顔が赤くなる。あれ?と思いながらも、今日はもう辛そうだから帰った方がいい。そう判断して病室を後にした。
「あいつ…もしかして…?」
口元に手を当てながらニヤニヤする。今思いついた事を頭の中でグルグルと考えながら、病院の廊下を静かに歩いていった。
竜樹の事はもう今更どうこうできるような状況ではないのかも知れない。決定事項であるなら俺達の力だけじゃ、覆す事はできないのだから。
だけどこの6人でやり続けるには、俺達はもっと話をする事が必要なんだと思う。今まで以上に楽しく活動していく為には、腹を割って真摯に向き合っていくべきだと気づいた。
俺は寝る前にそう考えて皆の顔を思い浮かべる。
風音…氷月…雷…南海ちゃん…吹雪……そして……
最後の一人を映す前に慌てて目蓋を閉じた……
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