荒療治
―――
「……で?」
「で?」
「何故……ここに……?」
雷に首根っこを捕まれ……もとい連れられてボーカル専用の練習室に入った俺の前に仁王立ちしていたのは、思いがけない人物だった。
数十分前に雷に向かって怒鳴り散らしたのと同じ言葉を放つつもりが、出たのはか細い切れ切れな息だった事は大目に見て欲しい。これでも頑張った方なのだ。
「何でって氷月達から頼まれたのよ。」
如何にも面倒くさそうな表情と言い方でその人物、高森吹雪は言った。
「頼まれた……というのは?」
「『バンド加入の件は白紙になるかも知れないけど、一緒にスタジオ使う事は許可が下りた。だけどやっかいな事が一つあるんだ。もちろん嵐の事さ。』」
「あ、あの~……」
急に妙な喋り方になったのに驚いて思わず遮ってしまった。途端にその猫のような鋭い瞳に射ぬかれてビクッとなる。
「ど、どうぞ続けて……下さい……」
「『だからちょっと荒療治だけど二人っきりになってくれないかな?世間話でも音楽の話でも何でもいいから話をすればお互いの事が少しはわかるようになるだろうし、苦手だからって理解しようともせずに遠ざけてしまうのはやっぱりいい事ではないからね。同じボーカル同士交流を深めて、仲良くなっておいで。』だって。一字一句間違ってないわ。」
「あぁ~……」
何だよ、氷月の真似かよ……しかも似てねぇし。
つぅか何だ、その理屈!立派な事言ってるつもりなんだろうが、俺にとってはただの拷問だし!
「あの、さ……君はその……」
「吹雪でいいわよ。」
「あ~…じゃあ吹雪さんは……」
「だから吹雪でいいってば。」
「う~……!」
畳み掛ける言葉に思わず地団駄を踏む。チラッと窺うと横顔がニヤけていた。
くそっ!楽しんでるだけじゃん!……こうなったら恥を忍んで……
「ふ、吹雪はそれでいいのかよ……?」
「へ!?」
俺が呼び捨てで呼んだ事が余程意外だったんだろう。目が点になってついでに口が半開きになっている。
初めて会った時からずっと崩れなかったその冷たいとも思わせる表情が、何とも間抜けな顔となって俺の前に晒された事がおかしかった。
「ふはっ!」
「な、何よ……」
「そんな顔できるんだな~と思って。」
「そっちこそ随分慣れてきたじゃない。」
「あ……」
鋭い指摘に綻びかけた顔が強張る。すると彼女は苦笑をこぼして部屋にあった椅子に腰かけた。
「嵐も座れば?」
「あ、あぁ……」
勧められるまま少し離れた所にあった椅子に座ると吹雪は静かに語り始めた。
「ごめんね、私こういう言い方しかできないの。南海にもよく叱られるんだけど。このつり目と変化に乏しい表情と性格のきつさのせいで大体の人に言われちゃうんだ。名前の通りだねって。冷たい人だと思われちゃうんだ。」
「…………」
何処か淋しげな顔で俯く姿に胸が痛む。俺だってさっき思ったばかりだ。あまり変わらない表情が冷たく見えるって。でも……
「俺は……吹雪っていい名前だと思うけどな。」
「……え?」
「ほら、俺だって嵐って名前だろ?小学生の頃はよくからかわれたよ。『嵐がきたぞー!逃げろ~!』てね。」
「ふふっ……くだらないわね。」
「だろ~?でも上には上がいるっていうか。風音はともかく竜樹やら雷やら、極めつきは氷月だぜ?あいつの笑顔はそれこそ月も氷るよ。」
「あはは!確かに!」
俺のジョーク(半分本音)を聞いて爆笑する吹雪。すると途端に崩れるその雪のような白い肌。釣り気味の目尻が下がって、固く結ばれたその口元が上がって。何だか笑った方が……
「氷月に比べたら可愛いもんだよ。」
「か、可愛い……?」
「ん?どした?」
「ううん…何でもない……」
どうしたのか顔が赤くなっている。不思議に思ったけどそれには触れずにおいた。
それよりもさっきの自分の心の声が引っ掛かり、一人首を傾げる。俺はあの時――
「まぁとにかくこうして話した結果、冷たい人間じゃないって伝わったから。うん、良かったよ。」
「……そう。そりゃ良かったわ。だけど嵐……」
「ん……?」
吹雪がじっとこっちを見つめてくる。その気配を感じた俺は不意に固まった。
「饒舌に話しているけど大丈夫なの?」
「な、何が……」
忘れていた、途轍もなく重大な事を。今この瞬間思い出してしまった。汗が凄い勢いで流れ落ちる。昨日痛めた後頭部のたんこぶがズキズキと音を立てた。
「ご……」
「ご?」
「ごめんなさい~~!!」
「あ、逃げた!」
一目散に部屋から飛び出す。そして勢いよく閉めた扉を背にしたまま、ズルズルとしゃがみ込んだ。
「信じられねぇ……俺普通に喋ってたよな?」
一人呟く。さっきまで繰り広げていた吹雪との会話を思い出して、口元を手で覆った。
「夢…?幻…?」
口に出しながら小さく首を振る。
いや、あれは現実だ。紛れもない現実。だからこそ信じられないのだ。
女が苦手なこの俺が女と普通に話す事ができた。ちゃんと正面から向き合って顔を見て、そして笑い合えた。
それがどんなに凄い事か、俺自身が一番よくわかってる。
でもどうして話せたのかわからない。氷月の仕組んだ荒療治が功を奏したのか、それとも相手が彼女だったからか。
確かに吹雪は第一印象があまり良くなかった。だけど意外な一面を見て心が動いたのも事実。もっと色んな事を話したいかもと思ったのも本当だ。だからあの時思い出さなかったら、もう少し長く話していたかも……
「だあぁぁぁ!!」
髪をかきむしりながら大声を上げる。そして誰にも聞こえないよう、心の中で続けた。
(気持ち悪いんだよ、俺!!)
―――
そしてその後は、扉についている小窓から吹雪の事を覗いているところを風音に見つかって皆に告げ口されてキレたり、また復活した女苦手病(俺命名)を吹雪にからかわれたりと散々だった……
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