第11話 恋はあせらず、バズらせず

「これは……思ったより怖いな……」


 ごくりとつばを飲みこんだ。

 僕の目の前には、高架線と急激な下り坂。それがちょうどトンネルのようになっている。


 時刻は夜九時。あたりには街灯が少なく、トンネルから薄ぼんやりとしたオレンジ色の光がこぼれてくるだけ。

 なかは暗くてよく見えない。まるで地獄への入り口がぽっかりと口を開けているように感じられた。

 道端には小さな水子地蔵がまつられている。ここで電車にかれた児童の霊魂をなぐさめるために建立された、という噂を聞いたことがある。


 僕は地蔵が視界に入らないよう顔をそらした。すると空から、白いふわふわとした物体が僕に近づいてくるのが見えた。


 ひゅ、と僕ののどが鳴った。


 白い物体は僕のそばまでやってきてホウキから下りると、


「こんばんは」


 と挨拶してきた。


 小戸森さんだった。涼しげな白いワンピースがよく似合っている。


「や、やあ」


 僕は心臓が踊りくるう胸を押さえてなんとか返事をした。


 恐怖や緊張を感じているときに異性に会うと、そのドキドキを恋愛感情と誤認してしまうことがある。とある心理学者はそれを『吊り橋効果』と名づけたそうだ。

 なら、恐怖でドキドキしていた胸が、もともと好きな異性に会うことで甘い高鳴りに切りかわることはなんというのか。


 多分その心理学者はこう言うだろう。


「はいはい、ごちそうさま」


 と。


 何度も密会を重ねて平常心で向かいあうことができるようになってきたというのに、こんなに胸が苦しくなるなんて思いもしなかった。

 それは、こういうシンプルなワンピースが僕のツボであるのとも無関係ではないのだが、やはり『学校外で小戸森さんと会う』という特別感が強く関係しているようだ。


 ――だってこれ……ほぼ、で、『デート』だよな……?


 僕は小戸森さんを『デート』に誘ったときのことを思い出していた。



「知ってる? あそこ、らしいよ」


 と、クラスメイトの男子が言った。


「友達の知りあいが言ってたらしいんだけど……」


 ――はい、出た。『友達の知りあい』。


 リアリティを損なわないていどに近く、しかし実際にはソースが不明な『友達の知りあい』。都市伝説の類はこうした『リアリティのスパイス』が少しだけ利いているからこそ広まりやすい。


 自分で言うのもなんだが、僕は他人のおしゃべりにいちいち突っかかるようなことは基本的にしない。なのに、内心とはいえ突っかかってしまったのは、僕がオカルトチックな話が苦手なのもあるが、なにより大きな理由は――。


 そのおしゃべりの相手が小戸森さんだったからだ。


 もやもやする。『しゃべってほしくない僕』と『そのていどで嫉妬なんて馬鹿らしいと思う僕』がレスリングをして、くるくると上を取りあっている。

 結局、後者の僕が勝って、前者の僕が負け惜しみを言っている。


 唯一、僕をなぐさめたのは、小戸森さんがいつもの『作り笑顔』だったことだ。


 しかし、僕は焦りに似た感情を抱いていた。小戸森さんは「一年間でしもべにできなかったあきらめる」と言った。僕はそれを耐え抜いたら彼女に告白しようと思っている。

 でも、一年間、彼女がほかの誰からも告白されないという保証はない。それにいまさら気がついたのだ。

 いまのところそういう話は聞かない。『小戸森侵すべからず』の不可侵協定が効力を発揮しているようだ。でもこれから約八ヶ月間もそうであるとはかぎらない。


 だから僕は誘ったのだ。いつもの放課後の密会で、思いきって。


「きょ、今日にでも、噂の心霊スポットに肝試しに行かない?」


 肝試し。夏のデートの定番。

 よく言った。僕はよく言った。


 小戸森さんが僕を見て、


「肝試し……?」


 と小首を傾げた。僕は慌てて、


「そう! 肝試しっていうか、小戸森さん魔女だから! 魔女だからそういう、悪さをする霊とかを追い払えるんじゃない? 混野まじるの市の市民のために、僕らで除霊に行こうよ!」


 そう早口で付け足したのだ。



 ――ヘタレがぁ……!


 僕はうずくまった。ままごと人形の『ラビちゃん』を返却したときからまったく進歩がない。


 ――地蔵様、出しに使ったうえ失敗してしまってすみません……。


 僕は水子地蔵に謝った。気のせいかさっきより怖い顔をしている気がする。


「大丈夫? 具合が悪いなら帰る?」


 小戸森さんは怪訝な顔で僕を見おろす。


「なんともないよ?」


 僕は弾かれるように立ちあがった。

 本当はなんともなくはない。情けない自分にうんざりしているし、これからあのトンネルに入ると思うと怖くてしかたない。


 でも僕がしゃんとしていないと意味がない。

 吊り橋効果を狙っているのだ。彼女には大いにドキドキしてもらい、それを恋愛感情と誤認してもらわないといけない。そのとき僕がびびっていてどうするのだ。頼られなければ。


 ――あと八ヶ月間、告白はできない。でも距離を縮めないと……。


 またあの『もやもや』がやってきてしまう。


「い、行こうか」


 僕はトンネルの入り口の前に立った。

 一歩、踏みだしてしまえば、そこはトンネルのなか。


 ――境界……。


 小戸森さんの話を思い出してしまう。


『垣根は境界。あの世とこの世のね』


 ――あの世……。


 僕はあの世の前に立っているのではないか。

 背筋がひやりとする。

 頭では前に進めと命令を出しているのに、膝が笑って前に出ない。

 でも。


 ――行かなきゃ。


 行け、行け、僕の膝。

 歯を食いしばり、ふとももに力を込めた、そのとき――。


 小戸森さんが僕を追い越してテクテクとトンネルのなかに入っていった。


「うぇへえ?」


 思わず変な声が出た。


「ちょ、ちょっと小戸森さん」


 僕は泡を食ってあとを追った。


「なに?」


 と聞き返しながらも、彼女は足を止めない。


「不用意すぎない? 危険があるかもしれないのに……」

「大丈夫。仮になにかいたとしても、わたしが守ってあげるから」


 にっこり笑って自分の胸をぽんと叩く小戸森さん。

 なんて頼もしいんだろう。これなら安心だ。


 ――……ん?


 僕はぶるぶる首を振った。


 ――いや、違う違う! 僕が頼ってどうするんだ。頼られないと。


 しかし、さすが魔女。幽霊の噂ごときでは動じないということか。


 ――ならば……、これは使いたくなかったが、いたしかたない。


「そういえばさ、こんな話を聞いたんだけど……」


 僕がそう言うと、小戸森さんは立ち止まってこちらを見た。


「なんの話」

「これは僕の母さんの友達の兄弟の話なんだけど」


 僕は低い声で話しはじめた。

 そう怪談である。怖がらないなら怖がらせるほかない。


「奥さんと久しぶりの外食を終えた車での帰り道のこと。ふたりともちょっと浮かれた気分で談笑しながら、このトンネルに差しかかったんだけど……」

「……」

「そのとき奥さんが急に黙りこんだんだ。さっきまであんなに楽しそうだった奥さんが。どうした? って尋ねてもなにも答えない。しつこく尋ねて、やっと『上に……』とだけつぶやくように言ったんだって。上って、車の屋根か? と思ったそのとき――バン!」


 僕は大声を出した。小戸森さんはぴくんとした。


「と、白い影がフロントガラスに張りついた。それは生白い肌をした五、六歳の男の子だった。うわあああ! と叫び声をあげてブレーキを踏みこむ! 車が止まる!」


 僕はそこで一呼吸おいた。話に臨場感を出すための演出だ。


「恐怖でうつむいたまま固まっていた彼は、このままでは埒があかないと、おそるおそる顔をあげた。すると……フロントガラスには先ほどの男の子はいなかった。その代わり前方に見えたのは、二股道と、その分岐点に立った電柱。車は電柱にぶつかる寸前で止まっていたんだ。奥さんは言った。『きっと、さっきの子がわたしたちを助けてくれたのよ』。旦那さんも、きっとそうだな、と思って、車をバックさせようとしたとき――」


 僕は目を大きく見開き、小戸森さんを凝視した。


「バックミラーに映っていたんだ。さっきフロントガラスに張りついていた子供が、後部座席に座っている姿が。その子供は、笑いながら言った」


 裏声を出す。


「『ぶつかっちゃえばよかったのに』」


 会心の出来だった。自分でしゃべったのに鳥肌が治まらない。


 ――どうだ、さすがの小戸森さんもこれには恐怖を覚えずにはいられまい。


 小戸森さんは二、三度、まばたきをして言った。


「ふうん」


 以上、リアクション終了。


「……だけ!?」


 動じないにもほどがある。


「なにかその……感想とかは……」

「う~ん……」


 小戸森さんは頬に手を当ててしばらく考えたあと、言った。


「そういう子もいるよね」

「え、なに、その保育士みたいな視点」

「なんて言うの? 目立ちたがり屋? 手が込んでるというか。まあ、バズりたいのかな」

「『バズりたいのかな』」


 思わずオウム返しをする。


「い、いや、動機は恨みつらみじゃないの? バズは目的じゃないと思うけど」

「わざわざ姿を現して声まで聞かせたのに命をとらずに帰らせるって、完全にバズ狙いでしょ」


 僕はぽかんとした。


 ――なにこの説得力。


 たしかに疑問に思ったことはある。呪い殺すことなく、びっくりさせるだけの幽霊はいったいなにが目的なのかと。


 答えはバズ狙いだった。

 バズりたがっていたのだ、彼らは。


 小戸森さんはまたすたすたと歩きはじめた。僕は慌ててあとについていく。

 と言っても、短いトンネルだ。もうすぐ出口に着いてしまう。


 小戸森さんがクラスの男子とおしゃべりをする場面が頭のなかにちらついた。

 焦りは最高潮に達した。


 僕はうずくまった。地面に膝をつき、つぎに手をつく。


「うぅ……」


 うめき声をあげて、ようやく小戸森さんは立ち止まった。


「園生くん?」


 歩み寄ってくる気配。


「どうしたの? やっぱり具合が悪いの?」

「うう……」


 僕はうめき声で答えた。

 苦しまぎれに僕は『霊障』を装った。心霊が原因の体調不良である。これもまた怪談や都市伝説の定番だ。

 引きとめて、なんとか時間を稼がないと。そのあいだになにかべつのアイデアを……。


 小戸森さんがかたわらにしゃがみこんだ。


「ちょっと、冗談ならやめて」

「う、う、ぅ……」


 小戸森さんの手が僕の肩に乗る。


「園生くん、嘘じゃないの? 本当なの?」

「胸が、苦し……ぃ!」

「園生くん? 園生くん!?」


 小戸森さんが立ちあがり、


「ど、どうしよう、なにも感じなかったのに……! なにかがいた……? どうして気配が……!?」


 と、ぶつぶつつぶやきながらうろうろと歩きはじめた。


 ――あ、あれ? なんか期待したリアクションと違う……。


 少しのあいだ引きとめられればよかっただけなのだが、小戸森さんは、


「わたしが未熟だから……、そのせいで園生くんが……!」


 などと、自分を責めるようなことを言いだした。

 彼女は再び僕のそばにやってきて、地面に膝をついた。ホウキを放りだし、僕の両肩に手を添えて顔を覗きこんでくる。


「大丈夫、任せて、わたしがなんとかするから。まずどこがどう苦しいのか、具体的に教えてもらえる? つらいだろうけど、お願い」


 一語一語、噛んで含めるように言う。しかし声が張りつめていて、緊張していることは隠せていない。


 ――違う。


 なにをやっているんだ、僕は。彼女の善意をもてあそんで、困らせて。

 罪悪感が胸のなかでふくらんで、本当に具合が悪くなりそうだった。


 僕は声を搾りだす。


「あ……」

「ん? なに? 大丈夫、落ちついて。ゆっくりでいいから」

「ち、違……」

「血? どこか怪我をしたの? 膝?」

「違うんだ」


 僕は顔を上げて、小戸森さんの目を見た。本当は目を逸らしたかったけど、これ以上、卑怯なことはしたくなかった。


「本当は苦しくなんかない」

「……え?」

「小戸森さんをびっくりさせたくて、嘘をついたんだ。その……ごめん……」


 小戸森さんは呆然とした。目が点になっている。

 脱力したように、手が僕の肩から落ちた。

 そしてうつむく。肩が、腕が、ぶるぶると震えている。


 ――やばい、めちゃくちゃ怒ってる……!


「ほ、本当にごめん。その、魔が差したというか……とにかくごめん!」


 小戸森さんとの距離を縮めたかった、なんて理由を口にできるわけもなく。僕はひたすら謝ることしかできない。

 でも彼女の震えはさらに大きくなって、息まで荒くなってきた。


 ――これは、魔法で吹き飛ばされるくらいのことは覚悟しないとな……。


 小戸森さんが顔を上げた。僕は目をつむり、身体を固くした。


「よかったあ……!」


 小戸森さんの声。

 僕はおそるおそる目を開いた。


 そこには小戸森さんの泣き笑いの顔があった。切れ長の大きな瞳から清水のように涙が溢れ、頬を伝ってあごからしたたり落ちている。でも表情は苦笑のような、安堵あんどの笑顔だった。


 今度は僕が呆然とする番だった。

 彼女は「はー……」と大きく息を吐き、手の甲で涙を拭った。


「ほんとに病気になったのかと思った」

「ごめん、ほんとに……」


 僕が顔をうつむけた瞬間、額に痛みが走った。


「痛っ!?」


 僕は額を押さえた。小戸森さんにデコピンされたらしい。


「これで許してあげる」


 と悪戯っぽく笑う彼女。


「でも、こういうの、もうやめてね」


 僕は姿勢を正した。


「はい」

「ならよし」



 僕らはトンネルを抜けた。


「やっぱりなにもなかったね。――誰かさんのお芝居に騙された以外は」

「ほんとすみません……」


 小戸森さんはくすくすと笑った。汚れてしまったワンピースの膝のあたりをぱんぱんとはたき、ホウキに横座りする。


「じゃあ、おやすみなさい」


 ふわりと舞いあがって飛んでいく白い影。

 姿が見えなくなってからも、僕は熱に浮かされたみたいにぼうっとその方向を見つめていた。



「知ってる? あそこでらしいよ」


 と、クラスメイトの男子が言った。


「友達の知りあいが言ってたらしいんだけど……」


 彼が話しかけたのは小戸森さん。彼女はいつもの作り笑顔で相づちを打つ。

 既視感のある光景だった。


 僕はそれをぼんやりと眺めていた。


「昨日の夜、あのトンネルの近くで空を飛ぶ白い影を見たんだって」


 小戸森さんの作り笑顔が一瞬、ひくりと歪んだ。


「しかもトンネルのなかから叫び声や女のすすり泣く声が……!」


 ひくり、ひくり。小戸森さんの頬が痙攣する。僕は口元を押さえてうつむいた。気を抜けば吹きだしてしまいそうだ。

 その話に興味を持ったクラスメイト数名が「なになに?」と近寄ってくる。同じ話を熱っぽく繰りかえす男子。


 小戸森さんは誰にも見られていないことを確認してから、僕のほうを見た。そして焦りのにじんだ表情で人差し指をくちびるの前に立てる。


 内緒。彼女はそう言いたいらしい。

 僕は笑いそうになるのを必死に堪えながら小さく頷いた。


 誰かに言うつもりはまったくない。


 小戸森さんが魔女であること、小戸森さんと密会していること、そして小戸森さんが僕のために泣いてくれたこと。


 これは僕だけの宝物だ。言ってたまるか。バズらせてなるものか。


 まあ――。


 ――僕があの小戸森さんと密会だなんて『リアリティのスパイス』が利いてないから、バズるわけないんだけど。


 僕は苦笑いをした。

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