夜のレストラン

 桜に与えられた部屋には化粧品の匂いが残っていた。

 黒ギャル河童懲罰士――〈ケース〉と謎の妖怪〈布引〉の襲撃を退けた〈ダイモン〉と防除班、それに鹿村キボウ。桜はそのまま、予定通りここ、『レストラン DISH』の二階の空き部屋へと移り住むこととなった。

 キボウはここが〈布引〉に知られたことを大いに懸念していたが、それはおそらく桜の身の安全のためではなく、彼女自身の安全のため。結局キボウはレストランの周囲を何度も巡ってなにやら仕掛けを施していき、満足したのか桜とともにここに落ち着くことに決めたらしかった。

 とはいえ、キボウからはまた、同じ身を隠すための方法を守るように厳しく伝えられた。以前のものに加えて、今度は許可した人間以外の名前を口にしないこと、というものまで課せられた。

 前回自分の張った結界が破られたのが余程ショックだったらしい。キボウがどこまで凄腕なのかは桜などには知るよしもないが、相手はさらに手強いことは間違いない。

 レストランの夜の営業が終わってしばらく経ったころ。まだ目が冴えて起きていた桜の部屋のドアをノックするものがあった。

 返事をして、ドアを開ける。夜だというのにスーツ姿のキボウが立っていた。

「今から防除班の皆さんと会議を行います。『せこブリーダー』についてもそこで話します。同席を願えますか」

 すっかり忘れていたが、キボウは桜とコンに「せこブリーダー」なる相手と接触するように迫っていた。桜が拒否すると、防除班と相談して今後の方針を決めると一応は引き下がった。

 ここで桜が会議を欠席すれば、勝手に「せこブリーダー」への対応を一身に押しつけられかねない。仕方なくキボウについて階段を下りていく。

 店舗スペースの一番大きなテーブル席に、北村と店主の小林が腰かけていた。向かい合うかたちで、以前防除班の班長を務めていた笠井。その隣に岸が座っている。

「班長。まずは説明してください。なぜコンちゃんにPCDドライバーが渡っているんですか」

 キボウと桜が一つ離れたテーブル席に腰を下ろすと、小林が口を開いた。

 北村と小林の話では、桜とコンをカッパ製薬の外に連れ出すこと自体はカッパ製薬も認めた決定事項だったらしい。条件として、コンをPCDドライバーの検体とする、というものがあったが、防除班はこれを不服としてPCDドライバーを受け取らずに桜とコンを救出した。

 だが実際には、コンの手にはすでにPCDドライバーが渡っていた。

「上との折り合いということになる。カッパ製薬側からの監視をなくす代わりに、コンにはPCDドライバーのテスターになってもらった」

「なんじゃそりゃ。じゃあ俺たちがあんなにビビって二人を攫ったのも、お上は全部織り込みずみだったわけっすか。あーあ、ビビって損しましたよ」

 軽口の割には棘のある北村の物言いに、笠井は苦い顔をする。

「青黄桜を解放するにはこれしかなかった。お前たちに無用な危険を負わせることに、班長は反対だった」

 岸の言葉に、北村は眉を顰める。

「ずいぶんな言い草っすね。俺らが今もこうして前線に出てることと、理由くらいわかってもらえてるもんだと思ったんですが」

「やめろ北村。班長も岸さんも、こうして機密を明かしてくれているだろ」

「信用してもらえてる――なんて思いませんよ。絶賛秘密アリアリでしょ、どうせ」

 北村は言うだけ言うと気がすんだのか、椅子に大きくもたれかかる。

「PCDドライバーの危険性は?」

 戦線を離脱した北村を横目で見ながら、小林は本来の話題へと軌道修正を行う。

「CCCドライバーより安全なことは確かだ。出力はCCCドライバーよりも抑えられている。想定外の事故のリスクは軽減されている」

「まあCCCドライバーはもともとお嬢様専用のワンオフ機だったんでしょう? 相当はちゃめちゃな性能をしていたはずですよね」

 口を挟む北村を無視し、暗い目をした笠井が話を切り上げる。

「以上。コンにPCDドライバーのテスターを任せるのと同時に、防除班および青黄桜の警護に当たらせる。納得してもらえるな?」

「ういー」

「――わかりました」

 返事をする二人。笠井の目は桜に向いていた。

「青黄桜くん。君も、納得してもらえるね?」

 大きく舌打ちをする。こいつらも所詮はカッパ製薬の社員。打ち倒すべき敵であることに違いはない。

 だが、コンは今の桜にとって、己の半身と言ってもいい存在だった。自分の姿に擬態した河童だとわかってはいても、一度馴染んでしまった感覚はそう簡単には拭い去れない。

 コンを勝手に検体として扱うカッパ製薬にはやはり怒りを覚える。だがそれはそのままコンの存在を人質に取られているのと同義であった。

 下手に反抗して、またあの部屋に閉じ込められるのは御免だった。かつて市内でも恐れられた無鉄砲さはなりを潜めている。

「わかった」

 笠井は小さく頷くと、桜の隣でずっと立ったまま会話を聞いていたキボウに目を向ける。

「では私からいくつか報告を。現在市内で『せこ』なる物品の噂が広まっています。噂の中における『せこ』とはいわゆるドラッグに近しい扱いをされており、取り扱う人物を指す『せこブリーダー』という呼称と当該人物とやりとりを行ったと見られる反社会勢力のスマートフォン内のログも確認できました。そのスマートフォンは現在私が保管しており、いつでも『せこブリーダー』なる相手へとメッセージの送信が可能です」

 鬱陶しい。あれだけ桜に「せこブリーダー」と接触するように迫ったくせに、報告の中ではまったく触れてこない。

「鹿村氏からの情報を受けてカッパ製薬でも調べたところ、おそらく『せこ』というのは、自己複製機能を持った〈ディスク〉を指すものと思われる」

「それって!」

 急に前のめりになる北村。岸は首を横に振る。

「〈ダイモン〉によって懲罰された、鹿村氏と青黄桜を襲撃した河童は、〈ディスク〉を排出すると消滅した。その〈ディスク〉内に保存されていた情報には、我々の知る人物に関するものは含まれていなかった」

 大きく息を吐いて、北村はまた椅子にもたれかかる。

「あれ、相当苦しいんだよな――」

「いずれにせよ、自己複製機能を持つ〈ディスク〉が流通している可能性は大きな懸念となる。鹿村氏からの報告から考えるに、〈ディスク〉を打ち込まれた人間が河童へと変質する恐れがある。もしも〈ディスク〉を打ち込まれた人間の中で〈ディスク〉が自己複製を繰り返すようになれば」

 全員が押し黙る。話の主旨がおそらく一人だけ理解できていない桜は、苛立ちを露わにして口を開いた。

「どうなるってんだよ」

「うーん、早い話、ゾンビ? みたいな」

 軽口を利く北村の目はだが、暗く澱んでいた。

「〈ディスク〉を打ち込まれた人間が河童に変質し、その河童が体内で自己複製機能を持った〈ディスク〉を精製し、人間に打ち込む。この繰り返しが起こった場合――河童化した人間の増殖が拡散する恐れがある」

「マジで、ゾンビ――かよ」

「この懸念を取り除くためにも『せこブリーダー』への接触は急務と考えます。私は青黄さんを使って接触を図ろうと考えています」

 絶句した桜の隣で、キボウはさらりと己の計画を口にする。

「待てよお偉いさん。『せこ』ってのがやばいって話をしてるってのに、その元締めに桜ちゃんをぶつけるってのは考えもんだと思うが」

「あくまで接触に際して、青黄さんの立場を利用しようという話です。青黄さんは『せこ』が流通していると噂される反社会勢力と接点を持っています。青黄さんが『せこ』を手に入れたいと『せこブリーダー』に接近するという行動に不審な点はありません。私が保管しているスマートフォンの持ち主は河童となって消滅しました。このアカウントから接触を図るのでは、相手側が本来の持ち主を始末した可能性を鑑み危険が多すぎると判断します。そこで『せこブリーダー』の連絡先を青黄さんに送信し、青黄さんが個人的な目的で接触を図る。無論私が常時バックアップを行い、彼女に危険が及ばないように全力を尽くすつもりです」

 すらすらと話すキボウを見て、桜は少し呆気に取られた。単に汚れ仕事を桜に押しつけたいだけなのかと思っていたが、実際はここまで考えた上での提案だったわけだ。少しキボウに対する考えを改めるのと同時に、最初から自分に話せと怒りを覚える。

「――いいだろう。『せこブリーダー』に関しては鹿村氏に一任する。有事であればコンとPCDドライバーの使用も許可する。よろしいですね?」

 笠井が承認した時点で、この場の決定権が下ったのと同じ。キボウは頷くと、くるりと踵を返して階段を上がっていった。

「では今後の防除班の方針だが、自己複製機能を持った〈ディスク〉の回収をメインに動いてもらいたい」

「それは――河童化した人間を懲罰しろということですか」

「しかも〈ディスク〉を抜かれたら消滅するんすよね? 四割くらい人殺しでは?」

「〈ディスク〉を打ち込まれた人間がどうなるか、お前たちなら理解しているはずだ」

 北村は悲壮な笑みを浮かべる。

「俺は例外ってわけっすね」

「あれはCCCドライバーがあったから起きた奇跡のようなものだ。現在カッパ製薬はCCCドライバーに関する技術を保持していない」

「わかりました。仕事は仕事で楽しませてもらいますよ」

「北村、お前――」

 小林が不安げな目で戦友を見つめる。底知れぬ不安。もともと動物を虐殺していた異常者である北村という男が、これを契機として人間にまでもその嗜好を延長させるのではないか――。

「自己複製する〈ディスク〉から、トオノちゃんやお嬢様、アリスちゃんのデータが出た場合、俺はもう容赦できねえっすよ」

 だが北村が目の奥で燃やしていたのは、愉悦ではなく義憤。

 もしも自己複製を繰り返す〈ディスク〉をばら撒いているのが〈ケース〉だったのなら、もはや対象をただの懲罰すべき河童としか見做さない。一度〈ディスク〉を打ち込まれて人間としての境界を失いかけた北村には、いま出回っている悪趣味な代物は看過できない。

 小林は安堵するとともに、居心地の悪そうな表情を浮かべる。防除班にとって〈ケース〉はまだ、救うべき仲間であるという認識が残っている。

 特に終始平静を貫いている笠井にとっては、〈ケース〉の中に保存された菅原沙羅は終生仕える主人だと決めていた相手である。この中では実際、笠井が最も〈ケース〉の保護と修復に血眼になっていると言えるだろう。

「わかった。解析は当然全ての〈ディスク〉に対して行われる。その中からお前の言う情報が出たなら、すぐに伝えよう」

 笠井は椅子から立ち上がり、岸もあとに続く。店を出ていった二人を見送ったあとで、小林は暗い顔で厨房へと入っていった。明日の仕込みがあるのだろう。

 桜もいつまでも起きていられる身分ではない。さっさと新しい布団に慣れるために横になろうと階段のほうを向く。

 目の前に自分の顔があった。

「うわっ! コン、脅かすなよ……」

 桜に擬態した河童――コンがいつの間にか桜の背後に立っていた。踵を返した桜とコンは鏡にでも向かうように向き合っていた。

「桜」

「なんだよ」

「私がいなくても平気?」

「平気って、そりゃ平気だけどさ。でも――」

「そう。よかった」

 言葉を続けようとした桜を遮って、コンはその場をあとにした。

「なんなんだよもう……うおっ!」

 階段に向かおうとした桜の足が滑る。

 コンが立っていた床には、大きな水溜まりができていた。

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