洞窟迷宮龍症候群

 どこかの街のどこかの場所。

 夜だけ開業する小さな診療所である。

 雨がしとしと降るこんな夜にも、患者はやってくる。

白鳥浩司しらとりこうじさん」

 私は受診表をみる。

 ビジネススーツなのに、大きなリュックを背負い、三メートルほどの長い棒を手にしている。

 スラックスの下の靴は登山用のものだ。

「今日はどうなさいました?」

 私の質問に、白鳥は苦しそうに言った。

「最近、数字がちらつくのです」

「数字?」

 私は問診表に書き込んでいく。

「いつからですか?」

「二か月くらい前から……行動するたびに、何かコロコロ転がる音がして数字が見えるのです」

 白鳥はそう言って、目を伏せた。おそらく、今もまた、聞こえたのであろう。

「お仕事は?」

「システムエンジニアです」

 白鳥は、ふぅっと息を吐いた。

「転がるものの数は?」

「わかりません」

「その棒は?」

「歩くたびに使わないと不安なのです……ないと、危険なのです」

 白鳥はそう言ってぶるぶると震える。診療所に入ってきてから、ぎゅっと握りしめたままだ。

「洋子君、入ってもらいなさい」

 デュークが診察室からそう言った。

「はい。医師ドクター

 私は、白鳥を診察室に招き入れる。

 白鳥は、長い棒で慎重に床を叩きながら、診察室へ入り、丁寧に椅子を観察してから腰を下ろした。

「ふむ」

 デュークは目を細める。

 そして、引き出しを開き、ピラミッド型の正四面体の三角すいを取り出した。

 それぞれの面に数字が刻まれている。

「これ、何かわかりますか?」

「さあ?」

 白鳥は首をひねる。

「では、これはどうかな?」

 デュークは、何種類かの数字の刻まれた小さな塊をごろごろと机の上で転がした。

「ギャアアアアアっファンブルがああああ」

 白鳥は突然取り乱し、頭を抱えてしまった。

 冷や汗をびっしりかき、ぶるぶる震えている。

「ひどいな。洋子君、鎮静剤を」

「わかりました」

 私は薬品棚に立つ。

 めったにないことではあるが、この診療所で注射をうつこともあるのだ。

 鎮静剤を注射された白鳥は、ようやく落ち着きを見せた。

「洞窟と言えば?」

「宝箱でしょうか」

「龍とドラゴン、一緒だと思うかい?」

「ドラゴンは羽があるやつですよね」

 白鳥の答えに、デュークは頷いた。

「なるほど、君は、洞窟迷宮龍症候群ダンジョンドラゴンしっぺいしょうだ。今時、古風だね」

「なんですか、それは?」

 白鳥は青ざめて、震える。

「大丈夫。それほどひどい状態ではない。すぐ直るよ。洋子君」

「はい」

 私は、白鳥をいつもの別室に案内し、機械を頭にかぶせた。

 「準備できました」

 私の言葉を合図に、デュークが手元のスイッチを入れる。

「えっと。これは402-DO5AR『ダンジョンにドラゴンは眠る』だ」

 デュークがディスプレイに表示されたタイトルを読み上げる。

「これまた、古典レトロですねえ」

 私はファイリングを取り出し、デュークに手渡す。

「うん。間違いない。送還して」

「了解」

 私は部屋のスイッチに手をのばした。七色の光が放たれた。

「うん。処置完了。洋子君」

「わかりました」

 私は、白鳥から機械を外す。

「白鳥さん」

 デュークが、言いながら、机の上で、ころころと小さな塊をいくつか転がす。

「どうかな?」

 白鳥は何事もないように、それを見つめている。

「うん。大丈夫そうだね。では、とりあえず、一か月ほど、この棒はうちで預かるから、一か月くらいたったら、取りに来て」

「はあ……」

 白鳥は不安げにその棒を眺める。

「そうだな。じゃあ、不安になった時はこれを」

 デュークは、カードを白鳥に渡して、にっこり笑った。


医師ドクター、何を彼に処方なさったので?」

「古今東西のお守り紹介サイトのアドレスだよ」

 ニコリとデュークは笑う。

「少なくとも10フィートの棒を持ち歩くよりはましだ」

「……そうかもしれませんが、また異世界を引き寄せかねませんよ」

 私は思わず顔をしかめる。

「仕方ないよ。あの系列は、SFから各種ファンタジーまでたくさんある異世界アナザーワールドだから、疾病を繰り返す可能性は最初からある。それならできるだけ、害のない異世界のほうがいい」

 デュークはそう言って、机に置かれた塊を手にした。

「しかし、まあ彼がテーブルトークRPGのゲーマーじゃなくてよかった。四面ダイスも知らない素人だったから、あの程度で済んだ。重度のゲーマーだったら、チェインメイルにバスタードソードの重装備だったかもしれない」

 テーブルトークRPGというのは、実に古典的なゲームで、さまざまなサイコロを使う。一般的な1から6までの6面体のほかに、4面、8面、10面、20面、さらには100面なるものがある。

 それらのサイコロの目によって、行動の成功、不成功を判定するというゲームなのだ。

「さてと」

 デュークは棒を手にして、カツンと床を叩く。

 ゴンと音がして、そこに穴が開いた。ちゃぽんと水音がした。

「今日の水位は、1フィートってところかな」

 私は思わず頭を振る。

医師ドクター

「なんだね、洋子君」

「職場の床に変な仕掛けを作るのは、やめてください」

 私は、床板を閉めながら言う。

「いや、でも迷宮管理人ダンジョンマスターって、男の浪漫ロマンだと思わない?」

 デュークはにやりと笑う。

「……そういうことは、ご自宅だけになさってください」

 職場で10フィートの棒の正しい使い方を実践しなくてはいけないのは、面倒である。

「じゃあ、勇者洋子くんがうちのベッドにたどり着いたら考える」

「誰が、勇者で、どこに行けと?」

 冷ややかに私は答える。

「んー。そのいけずな顔がまた好みなんだよ。洋子君」

 デュークは、艶やかな笑みでそう言った。

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