第十章
96 寒村での攻防 その1
ダー・ヤーケンウッフは、ナハンデルの冒険者ギルドの扉をくぐった。
その背中をクロノが、エクセが、コニン、ルカが追う。
彼らは依頼の張り出された壁面に眼を通し、しばし議論していた。やがてこれだという依頼が見つかったのか、依頼の記された木片のひとつを手にし、受付へと向かう。
「――本当にこれでいいんですか?」
不思議そうな口調で尋ねるのは、ぴょこぴょこと愛らしいウサ耳を動かすバニー族の受付嬢だ。
「ウム、これでいいんじゃ」
ダーは鸚鵡返しに応えた。
受付嬢はやっぱりよくわからない、といった顔つきで、
「しかし、この依頼、たかだかゴブリン退治ですよ? あなた方のような上級冒険者が受けるような仕事ではないような……」
「よいのじゃ、こちらにも色々と都合があっての」
「そうですか。わかりました。それではこちらの方にサインを――」
そう、ダーたちにはこんなちっぽけな依頼でも受けなければならない都合があった。
彼らは王から追われ、魔王軍の幹部からもつけ狙われている。いってみればお尋ね者の身の上である。下手にナハンデル領内から、遠くへ出ることはできないのだ。
それに玄武の珠の力についても、まだ分からないことだらけだ。珠のもとの所有者である深緑の魔女の協力は欠かせない。まだナハンデルから離れるというわけにはいかないのだ。
「それなら、ここで稼げるだけ稼いでおいたらいいじゃない?」
というヴィアンカの言葉もあり、そうすることにしたのだ。
「――今回の依頼は、ローゾン
「うーん、それじゃ報酬のほうもあまり期待できないね」
「ああ、宿屋に二、三泊がいいところじゃろ」
ローゾン村は、ナハンデル領内でもかなり辺鄙な山間の奥地にある、人口五十人ほどの寒村である。特に特産品があるわけでもなく、村民の生活は不便であり、また貧しい。
領主ウォフラムは、城壁の近隣への移動を勧めているが、実行に移した村民は数少ない。
「なぜ彼らは、そんな暮らしに満足しているんだろ」
「本当ですね、大変ですよ、この道は……」
一同は汗にまみれ、埃にまみれながら、名もなき山道を往く。
灼熱ともいえる天候だった。強すぎる太陽の光は生い茂る緑に遮られ、樹木の隙間から流れる涼風が、苦痛を和らげてくれるのがせめてもの救いだった。
早朝からギルドを出立し、ときおり休憩を挟みつつ、一同が村にたどり着いたのは、あたりを夕暮れが朱に染めだした頃であった。
ローゾン村は、想像以上に荒廃していた。
村の周囲を囲む木の柵は、敵の襲撃を避けるために先端を尖らせ林立しているが、あるいは折れ、あるいは押し倒されているものばかり。本来の役目を果たせるものか、大いに疑問であった。
村の正門には、おどろいたことに見張りの姿すらなく、勝手に通れと言っているかのようだ。あちこちから顔を出している傾いた家屋に人の姿はなく、陰には、かつていた住民の死霊が漂っているかのようであった。
「ねえ、ここ、本当に人が住んでいるの?」
コニンはびくつきながら周囲を見回し、ルカは聖職者らしく浄化の奇跡を唱える体勢をとっている。クロノも意外なことにこういう雰囲気は苦手なのか、身体を小さくして足を進めている。
ダーとエクセはさすがにキャリアが違う。警戒は怠らないが、必要以上に怯えることはない。それが身に染み付いている。
「あそこが、村の集会所といったところかな」
彼らは村の中央付近にまで歩をすすめた。
ダーが指差した先には、かなり大きめの家屋が建っている。
「入らせてもらう」と一声かけて、ダーは扉に手をかけた。鍵はかかっていない。
内部には、ふたりの人物がテーブルを挟んで立っていた。テーブルの上に載っているのは、この村の見取り図だろう。防衛計画でも練っていたのだろうか。
ひとりは中年で、もうひとりはさらに歳をとっていた。
「あんたらが、依頼を受けてくれた冒険者かね?」
「他に見当たらぬと思うが、まあそういうことじゃ」
ダーは手をさしだした。老人の方がその手を軽く握り、すぐに背を向けて――ふたたび凄い勢いで向き直った。
「おめえはもしかして、ダー・ヤーケンウッフ?」
「はて、こんな遠い村にまでワシの名前が轟いておるとは……」
「違うでしょ。ダーさん、どうみても顔見知りの反応だよ」
「見覚えがあるのではないですか?」
問われてダーは首をひねった。ベクモンドの例もある。人間の姿は数十年で驚くほど変貌を遂げることを思い知らされたばかりである。
「おめえ、忘れたか。灰色狼のハイローといえば分かるか?」
「おお、その名前ならば覚えておるわ。ハイロー、かつてワシとともにチームを組んだことのある、旧き戦友のひとりじゃ」
「その、ハイローでえ。驚いたな、まさかおめえがまだ現役とはよ」
白髪に柔和な眼をした老人は、衰えてはいるが、元戦士といわれて納得するような、頑健そうな身体つきをしている。年のころは七十ほどといったところだろうか。頬に走っている古い傷跡は、かつて冒険者だったときの名残であろう。
「こんなところでかつての戦友に逢うとはのう。おぬしが我らを呼んだのか?」
「そのとおりでえ。こっちにいる男は、これでもこの村唯一の若者でね」
紹介されてぺこりと頭をさげた男は、どう見ても四十代なかば。この歳の男が、唯一の若者といわれれば、ダーとしても顔をしかめざるを得ない。人手不足は如実なように感じられる。
「おぬしも、ゴブリンを追い払えぬほど衰えた、ということか」
その声に、ハイローはうつむいた。
ダーはその様子に何かを感じたのか、複雑そうな顔つきで彼を見つめている。
「まあよい、それより、村の防備体制はどうなっとる」
「おうよ、見ての通り、防備は手薄、人数も不足。集めればあと七、八人は集まりそうだが、みんな鍬ぐらいしか握ったことのない素人ばかりでえ」
「ということは、事実上、おぬしらふたりがこの村の最大戦力ということか」
「そういうことよ、本当はあと3人ぐらい、若くて使えるやつがいたんだがな」
「そいつは今どこに――」
ハイローは拳を目の前に持ちあげると、パッと手のひらを広げ、
「サッサと風を食らってとんずらこいちまった。もう、おいらたちしかいねえよ」
―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*
太陽はその座を月に譲って姿を消した。月は冴え冴えとした青白い光で地上を照らしている。
まだ敵の襲来まで時間があるというので、酒を飲んで昔話に花を咲かせることとなった。
月光の下、中央の集会所で一同は酒を酌み交わした。
といっても主に飲んでいるのはダーとハイローばかりである。
「こやつはこう見えてもロマンチストでな。愛する者のために戦いは捨てた……こうぬかしおってパーティを抜けよったのじゃ」
「なにをぬかすか、おめえもそんななりで可愛い奥さんなんてもらってやがって、年齢差はいくつでえ」
「……えへへ、奥さん、だなんて……」
クロノは嬉しそうに、ぽっと頬を赤らめている。
その対角線上に座っているコニンは不機嫌そうな顔つきで、
「そうだよ、全然違うよ。奥さんじゃないよ」
ふたりの目の前の空間がグググと歪んでいく。それを無視するような格好で、ダーはコンコンとテーブルを叩き、親指を右に向けた。それを見たコニンは、
「ちょっと気分が悪くなってきたから、お花を摘みにいってくるね」
そういい置いて、静かに集会所を出た。
その様子を横目で見つつ、ダーは尋ねた。
「ところで、見張りの方は大丈夫かの?」
「ああ、村の年寄りたちが、敵が襲来したら笛を吹いて教えてくれる手はずになっている。戦力にはならねえがよ、こうしたことには役に立つってもんよ」
ダーは上目遣いにその顔色をうかがいつつ、
「のうハイロー、おぬし、何か隠し事をしておるじゃろ」
「それは……」
ほぼ、その直後であった。笛の音が夜闇をつらぬいた。
遅れて烈しい轟音が村の正門からひびきわたった。敵の襲撃であろうことは明白であった。
コニンが慌てふためいて、一同のもとに戻ってきた。ひそりとダーに耳打ちをする。
ダーはうなずいて立ち上がった。
「明らかに敵はゴブリンなどではないな。もっと手強い何かじゃ」
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