88 依頼と兄弟の対立
ひとりの人物が、靴音あらく執務室に入ってきた。
謎の闖入者は、ほぼ領主とそっくりの服装をしていた。違うのは服の色だ。
男は服を、派手な赤い色に染めている。ラウンドリットの下の鋭い狡猾そうな顔が、不機嫌という文字をそのまま貼り付けたような表情で、じろりとダーたち一同を睨めつけている。
「――兄者、聴いたぞ。ここにおる得体の知れぬ冒険者に例の件を依頼したと」
「だしぬけに何事だ! デアトラ! 言っていい事と悪い事があるぞ」
「兄者こそ正気に戻られよ! このような無頼のものに脱出口の位置を教えるなど! ナハンデルの安全上の秘密を外部に漏らすことになるぞ!」
「そのような心配こそ杞憂というものだ。脱出口は怪異を退治してもらい次第、ただちにふさぐことにしておる」
「ふん、兄者は変わられた! 以前の兄者なら、自分でそいつを退治してやろうと言っていたはずなのに。部下どもも、率先して退治しようと言う者もおらぬ! どいつもこいつも腰の抜けたふぬけ野郎揃いときた」
この言には、その場にいたソルンダもロセケヒトも、顔色を変えた。
だが、さすがに領主の弟君相手に食ってかかるわけにもいかぬ。悔しげに唇を噛み締めるふたりを横目に、領主ウォフラムが反論する。
「デアトラ、我のことをどういおうと構わぬが、部下の侮辱は許さぬぞ」
兄弟は非友好的な視線をぶつけ合った。
睨みあうふたりの双眸から、見えざる電流が走ったように見えた。
「それで採った手段が、素性も知れぬ風来坊に頼るということか」
「このような風来坊じゃが、そこまで言われる筋合いはない」
ダーはきっぱりと言った。デアトラ・レネロスは、じろりとダーを睨み返す。
まるで痛痒を感じていないように、ダーは言葉を重ねる。
「そこまで威勢がよいなら、おぬしがじきじきに退治すればよかろう、弟君――デアトラどの。領主みずから戦いに赴くより、その方が百倍ましのように思うぞ」
「口だけは達者だな、風来坊。ぬしなぞに指図は受けんわ」
「いるわよね、場の空気を読めない人って。さぞかし女にモテないでしょうね」
あくび混じりに、ヴィアンカが揶揄する。
いまいましそうに舌打ちをするデアトラ。だが、不意に口の端を歪めると、
「残念だが、これでも俺は女には不自由しておらぬ。どうだ、ヴィアンカ。ぬしの器量なら、俺の愛人のひとりに加えてもよいぞ」
「あたし野蛮人と付き合う気はないの。ごめんなさいね」
「誰が野蛮人か! 色香で兄者に取り入った女が」
これにはさすがにウォフラムも、ついに堪忍袋の緒が切れたか、
「デアトラ、大概にせぬか! ヴィアンカはその強大な魔力を見込んでナハンデルへ来てもらった逸材。彼女に非礼を詫びろ! そもそもこの件に関しては、おぬしは無関係だろうが」
「――兄者、よそ者なぞに頼られて、ゆめ後悔なさいますな」
デアトラはダーたちをじろりと一瞥すると、来た時と同じように、荒々しい足音を同伴させて部屋から退出した。
「なにあれ、感じ悪いの」
コニンが扉に向かって、べーっと舌を出した。
「見苦しい所をお見せした。兄弟仲はあまり良いほうではなくて…」
それだけ言うと、領主は深い溜息の底に沈んだ。
ダーたちとしては、かける言葉もない。
彼が気を取り直し、ソルンダ、ロセケヒトに「冒険者たちを地下通路への案内するように」と命じるのは、それからしばらく後のことであった。
―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*
さて意外な闖入者があったものの、ダーたちがやることに変わりはない。
『フェニックス』面々は、ロセケヒト、ソルンダの案内で、地下の隠し通路へと案内をしてもらうことになった。てっきりダーは安易に、玉座の裏だの地下牢の奥だのという、ベタな隠し場所を想像していたのだが、実際は大違いだった。
ロセケヒトが案内してくれたのは、なんと厨房の奥であったのである。
食器や鍋、調理器具がさまざま並んでいた場所。それらの道具を調理人たちに協力させて移動させ、壁をむき出しにしてから、ぐいっと強く押す。
すると壁は重い音を立ててぐるりと回転し、奥への隠し通路が現れた。
「なるほど、これは発見には手間どりそうじゃわい」
感心したようにダーがつぶやく。
「そうでしょうとも、潰すのが惜しいくらいの隠し通路です」
いささか得意げに、ソルンダが頷くのもご愛嬌だ。
案内役のロセケヒトがランタンの灯をともす。その灯りをたよりに、細くほの暗い隠し通路を数歩あるくと、ほどなくして、竪穴をふさいだ石造りの蓋があった。
蓋はかなりの重量ゆえ、ロセケヒトとソルンダがふたりがかりで押し、後方へスライドさせる。徐々に円形をした地下への穴が姿を見せる。竪穴の大きさはダーの身長よりやや小さいくらいであろうか。
当然ながら内部は夜を円形に切り取ったように暗く、降りてみないことには様子がわからない。
縄梯子をするすると音がするまで下ろす。やがてコツンという音が響き、地下の底に行き当った。まずはもっとも身長の低いダーが、ランタンを片手に通路に降り立った。
ランタンをかざし、周囲に眼を走らせる。
灯りに照らされた通路は、彼が想像していたよりも狭い。
横幅は戦士ふたりが横にならんで剣を触れるかどうかという程度である。
縦幅となると、ドワーフであるダーには不具合を感じないが、エルフや身長の高い人間には厳しい大きさなのはまちがいない。
明らかに、身長が高いエクセは身をやや屈して歩かねばならず、さらに大きなクロノトールにいたっては完全にアウトであろう。ダーは適当な場所にランタンを置き、いったん上へ戻ることにした。
頭上は意外なほど明るい。ルカが灯りの魔法を唱えていたからである。
「――というわけでクロノ、エクセ、今回はお留守番じゃ」
できるだけ厳かな調子で、ダーは非情な宣告をした。
「…………やだ…………」
とダーの相棒を自負するクロノトールは、当然のように駄々をこねた。
だが、巨体の彼女が剣が振れない地下のなかに無理に入っても、逆に足手まといにしかならないことは明白である。
結局のところは不承不承ながら納得し、エクセとともに留守番をすることになった。代わりに同行することになったのが、案内役のロセケヒトである。彼の身長はコニンより少し大きいくらいであり、地下にはうってつけであった。もうひとりの兵士、ソルンダも同行を希望したが、
「どうかな、おぬしもこの横穴を行くには少々身長が高いのではないか?」
というダーの言葉により、見送り組に組み込まれることとなった。
「しかし、まだ見ぬ敵を過大評価するつもりはありませんが、魔法使い抜きでいくのは少々手ごわい相手かもしれませんよ」
エクセが懸念を示すと、傍らにすいっと進み出た者がいる。
「かわりに私がお供してあげるわよ」
一同の眼がおどろきに見開かれた。
自信満々に、その豊かな胸をどんと反らしたのが、深緑の魔女ヴィアンカであったからである。
「――なにかご不満かしら?」
薄闇のなか、ルビーのように紅い双眸が、いたずらっぽくきらめいた。
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