第八章

75 三魔将との激突 その3

「どうした、逃げ回っていては勝てんぞ!」


 弓矢を手に駆けながら、ンテカトルは挑発する。 

 かれは軽装だった。機動性を重視しているためか、チェインメイルは着込んでいない。頑丈そうな革鎧に、頭にはボイオーティア式兜。頭部を守るだけの簡素なつくりで、視界が広く、耳当てがないため周囲の物音を拾いやすい。

 料金所の向かいに、広がる下草と潅木の覆う不安定な足場。ふたりはそこを戦いの場に選んだ。その地より先は、林立する樹々が視界をさえぎっている。

 コニンの闘いのプランは、シンプルだった。たがいに弓が届くか届かぬかという位置で弓を構え、射ち合うものだと想定していたのだ。

 近接武器とは違い、弓の殺傷範囲というのは広い。だが、ある程度の距離は必要不可欠だし、何より遮蔽物がないと相打ちの危険性がある。

 そうした常識を打ち破る戦法を、このンテカトルという男は用いてきた。

 なんと、こちらへ猛突進しながら矢をつがえ、射撃してくるのだ。


「な、なんだこいつ!?」


 俊敏な身のこなしでかわしたコニンだが、相手は追撃の手をゆるめない。

 まるで槍でも突き刺すかのような距離まで肉薄し、矢を射ってくる。

 コニンも慌てて矢を放つが、突進してくる敵にうまく標準が合わせられない。


「や、ヤバイやつだ!」


 コニンは完全に圧倒されていた。相手の異常な戦法に。

 距離を開くべく、コニンはどんどん後方へと走った。

 そうはさせじと、ぐんぐん接近してくるンテカトル。

 ふたりはひたすら駆けた。弓を構えたまま。

 

 ついに森林の内部まで、ふたりは移動してしまった。

 もはや、肺活量の限界だった。コニンはぜーぜーと息を切らせながら、太い樹木の背後に隠れる。この瞬間を狙われてはひとたまりもない。

 敵はまちがいなく追ってきているだろう。この木の向こうに立っているのかもしれない。太い木を背にしたまま弓を構えるが、みずからの腕が震えているのに気付く。

 まず息を整えなければ、うまく当てられない。

 コニンはすうっと深い呼吸をする。ひとつ、ふたつ、みっつ。

 よし、震えがおさまってきた。やれる。

 隠れていた木から、ゆっくりと身を乗り出す。油断なくきょときょと周囲を見渡すが、追ってきているはずのンテカトルの姿が見当たらない。

 

「――あれ? 逃げた?」


 そのときである。ふいに頭上の小鳥が、羽音を立てて飛び去った。

 コニンはぞっと悪寒めいたものを感じ、大地に身を転がす。

 そのわずか背後の地表に、矢がびいん、と垂直に突き立った。


「フフフ、なかなか勘がいいな」


 どっと冷や汗が噴きだす。まさに危機一髪だった。

 相手はいつのまにか頭上から、彼女の脳天に狙いを定めていたのだ。

 まずい。コニンは駆けた。

 駆けながら背後を振り返り、先ほどの木の上を確認する。

 敵影はない。すでにどこかへと移動したのだ。


「愚かだな。どこへ逃げても俺の弓はお前を捉えているぞ」


「うるさいよ、アルガスかお前は!」


 コニンは悪態つきつつ、敵の攻撃に戦慄をおぼえていた。

 大地に安定して両足をセットし、常に正確なフォームで射ること。

 それが命中率を高めるコツだと、彼女は師からいつも言われてきた。

――だが、この男にはその常識が通用しない。

 

 跳ぶ。奔る。木に昇る。

 あらゆる距離で、あらゆる位置から射ってくる。

 それもかなり正確に。

 コニンは軽くパニックに陥りつつあった。こんな相手とどう闘えばいいのか。ンテカトルの攻撃は彼女の常識を超えていた。


 なぶるように、矢が風を切る飛翔音が彼女の耳元を通過する。

 命中しそこねたのか、わざと外したのか。もうそんなことはどうでもよかった。コニンはふたたび、転がりこむように、自分の身が隠れるほどの大きさの木の背後へと回りこんだ。

 

(エクセさんにでかい口を叩いておいて、完全に圧倒されているな……)


 内心、自嘲気味につぶやいた。ジリ貧もいいところだ。

 コニンは木々の隙間から、周囲の様子をうかがった。

 鳥の歌声が降ってくる。途切れ途切れに風の音が聞こえてくる。

 風でかさかさと木々が揺れ、彼女の眼を惑わせる。あらゆるものが敵影に見えてしまう。弓を射るには、あまりいい環境ではない。

 彼女はそっと耳を澄ませた。どこかから下草を歩く音がする。

 場所は特定できないが、とりあえずコニンは地を蹴った。


 どすっと彼女が立っていた場所に、矢が突き刺さる。

 コニンは身を大地に投げ出した。前転しつつ、体勢を低くして潅木のうしろに身を隠す。

 すると彼女を嘲弄するような声がする。


「そんなところに、野ネズミのように隠れて大丈夫なのか?」


「なっ、何?」


 コニンがその姿を発見したとき、すでにンテカトルは、跳躍していた。

 潅木の背後に隠れているコニンに狙いを定め、空中から矢を放つ。

 でたらめな射撃術だとコニンは思った。身を沈めているコニンの姿勢から、迎撃は不可能である。

 コニンは横へ跳んだ。矢は彼女がしゃがみこんでいた位置に、斜めから突き立った。

 こんな馬鹿げた射撃方法で狙いが的確なのが、いっそう不可解だった。

 

 ンテカトルは潅木を飛び越え、彼女のすぐ近くに着地した。

 近接武器なら、ここで勝負がつきそうな距離である。

 あまりに近すぎる。ここからでは射れない。


 コニンは木を背に逃げ出した。

 背後から射抜かれぬよう、樹木のすきまをジグザグに移動する。


「また追いかけっこか? 野ウサギのようなやつだな」


「野ねずみか野ウサギか、どっちなんだよ!」


 悪態をつきつつも、コニンは完全に相手に圧倒されているという焦りがあった。

 ザラマの戦場では、もっとまともな活躍ができたように思う。

 まるで勝負になっていない。勝負開始から翻弄されっぱなしである。

 ンテカトルは足元が坂だろうが空中だろうが、おかまいなしに撃ってくる。

 それでも狙いが的確なのは、生まれつきのものなのか、それとも特殊な修練のものなのか、異質すぎてコニンには理解できない。

 理解できないから、対応策が見つからない。

 どうにかして、自分の距離を確保しなければ……。


(オレの技術は、そうしないと生きない)


 だが、相手はそれをさせてくれないのだ。

 こちらの距離を確実に潰してくる。それも意表を衝くやりかたで。

 森林に逃げ込んだのは間違いだった、とコニンは後悔した。


(ここは相手の庭のようなもんだ。オレの間合いが作れない)


 逃げ回っていると、ふたたび息が切れてくる。

 行動がにぶる。脚を止めると、射られる。

 これはよくない。どんどんよくない方向に向かっている。

 コニンはできるだけ周囲を見渡しながら走った。

 敵からの襲撃を警戒しているのもあるが、少しでも自分に有利な地形を発見しようとしたのだ。

 コニンの脚が止まった。


「やばっ! 行き止まり?」


 森のど真ん中に、壁が突如として発生し、彼女の行く手をふさいでいる。

 コニンは困惑した。この壁の高さはコニンはおろか、ンテカトルという男の身長も超えているだろう。

 そっと壁の表面に触れてみた。どうやらこの壁は樹だ。

 巨大な古木が横倒しになって、行く手をふさいでいるのだ。

 付近の木々とはスケールが違う。倒れてからかなりの歳月が経っているのだろう。


「そんなところで、のんびりとしてていいのか?」


 はっと振り返った瞬間だった。

 ンテカトルの放った矢が、彼女の肩に突き刺さった。


「ぐうっ――痛っ!!」


 しゃがんで二の矢はかわしたが、呆然としていたのはうかつだった。

 痛みに耐えながら、彼女は木の壁沿いを走った。

 革鎧の上からなので、肉に深く食い込むことだけは避けられた。

 だが、痛い。ずきずきと疼く。矢を抜く暇もない。


「どこへ行こうというのかね」


 相手は余裕しゃくしゃくで追いかけてくる。

 この肩では、弓が引けないかもしれない。 

 相手もそう思っていることは明白だった。だけど、ここで死ぬつもりはなかった。

 なんとか活路があるはず、あきらめなければ――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る