69 街道沿いの宿にて
馬車は揺れる。ダーたち一行を乗せて。
もう三刻ほどもこうしているだろうか。
先程まで、あきれるほどに明るく晴れ渡っていた空は、いまや鈍色に翳っていた。
異世界勇者ふたりの、すさまじい激突による衝撃は、天候すらもおかしくさせてしまったのだろうか。そうなのかもしれない。なにしろ天は鳴き、大地は割れるかと思われるほどの衝撃波が、ふたりの勇者を中心にして発生したのだ。あの場所から無傷で生還できたのは、奇跡と言わざるをえない。
「…………」
一行は無言である。まるでクロノトールの無口が伝染してしまったかのように。
当然、疲労もあるだろう。すべてがはじまったのは、冒険者ギルドでミキモトと対峙してからのことである。今はもう、遠い昔の出来事のようだ。
「……それにしても長い一日だったのう」
おもむろにダーが口を開いた。自然と嘆息が漏れる。
「まだ一日は終わってません、油断は禁物ですよ」
疲労を声ににじませてエクセが応える。
白皙の顔がさらに白く見えるのは、気のせいではないだろう。
「ゴウリキ、どうなっただろうね……」
不用意に発した一言で、コニンに全員の視線が集中する。
あっと口に手を当て、コニンはあわてて顔を伏せた。誰もが口にしなかったが、それこそ皆が最も懸念していたことであったのだ。
「わからぬさ、それこそ誰も」
「ご、ごめん、つい……」
「謝る必要はない。謝るのはゴウリキに対してじゃ。もっとも、次にまみえるのはいつのことになるやら」
ダーの口調も、どこか熱がない。どうすればよかったのか。
その解答を持ち合わせている者はいない。
すべては過ぎ去ったことだ。馬車から見える景色は一瞬で変化する。
空も木々も岩肌も、刻とともに姿を変えていく。もう二度と同じ瞬間は訪れないのだ。
鈍色の空から、徐々に明るさが失われつつある。
夜が訪れようとしているのだ。
さすがに夜をまたいでの強行軍は危険である。視界が利かぬし、なにしろ馬がもたない。
どこかで野営しなければならぬかと、憂鬱な相談をしていたときである。御者台からベクモンドがいきなり声をあげた。
驚いて前方を見ると、夜闇のなかにまたたく、地上に落ちたひとつの星が見えた。民家だろうか、それとも馬車宿の光だろうか。まちがいなく誰かがいるのだ。
「これは助かる、ベクモンド、慎重に馬を寄せてくれ」
「街道沿いの建物ですから、否応なく接近せざるを得ませんよ」
ベクモンドが苦笑する。
馬車が前進するにつれ、光の正体があきらかになった。
背の高い、頑健な石造りの外壁に囲まれた、馬車宿が建っている。
遠くから見えた光源は、鉄製の門扉の横に設置された松明の灯のようだ。馬車から降りて、ダーたちが門扉に近づくと、盗難防止のためか、太いロープでがっちり固定された角笛が置いてある。
「これを吹いて、中の者を呼べということかのう」
「そういうことでしょう。道楽のために置いているとは思えません」
そういうことならと、ダーは大きく息を吸って角笛を吹いた。
吹いているうちに楽しくなって、適当な曲を吹き鳴らす。
するとガラガラと大きな音を立てて鉄の門が開かれ、
「コラ、道楽のために置いてるんじゃないぞ!」
と、屈強な体躯をした、門番らしき男から怒られた。
しばし門番はダーたちをじろじろと眺めまわしていたが、結局は建物の受付に向かうように指示した。ダーは内心、ほっと胸を撫でおろした。なかには亜人を毛嫌いして、宿泊を断る主人もいるのだ。
手配書が回っているようすも感じられない。彼らとしては、人の多い宿泊施設に泊まるのはかなりの冒険であったが、野宿するという選択は避けたかった。
なにしろ、ほぼ着の身着のままでベールアシュを飛び出てきたのだ。携帯食料の予備などはない。
ベクモンドは馬車とともに、使用人の案内で厩の方へと導かれていった。
「今日はここで一泊するか。食料も水も補給できればよいが」
「そうですね、さすがに全員の疲労も限界に近いです」
「今ミキモトが現われたら、もう無理だね」
「その場合は無理でもなんでも、夜通し逃げねばなるまい」
「もうそんな体力はどこにもありませんよ!」
悲鳴のような声でルカがこぼす。
「もちろんワシとしても、走るのはもうウンザリじゃ。あいつらに付き合っておったら健康になってしまうわい」
ダーは受付にベクモンドを含めた、6人分の宿泊費を払った。ベールアシュの宿賃の倍は取られたが、それはそういうものだから、ダーも文句は言わない。
受付の帳面には念のため、偽名を記しておくことにした。エクセの偽名のところで、ダーはこっそり「魔性の男たらし」というふたつ名を書き込んだ。もちろんすぐに発見され、したたか杖で脳天をどつかれたのであったが。
受付をすませると、中庭を抜け、1階の扉を開く。
酒の匂いがつんと鼻孔をくすぐる。
ダーは思わず笑みをこぼして、近くの丸テーブルの椅子に腰を下ろした。
すぐに
遅れてベクモンドも合流し、ここでやっと、一行はほっと安堵の吐息を漏らした。
「ご苦労だったの、ベクモンド」
「いえいえ、ダーさんのお力になれてなによりです」
「まったく、おぬしがいなければ、とっくに我らは野辺に屍を晒しておった。感謝の言葉もないわい」
「ホントにそうだよ、ありがとう、誰だか知らないオジサン」
「失礼ですよ、コニン」
だって本当に誰だか知らないんだもん。と頬をふくらませるコニンに、ダーは過去のいきさつを語った。3人は初めて聞く話だったらしく、興味深そうに話に聞き入っている。
ダーが語り終えると、頬を紅潮させたコニンが瞳を輝かせて、
「素敵な話でしたねえ」とルカが言えば、
「やるねえ、ダーさん格好いい!」
「……いいはなし……」
と三者三様の褒め言葉が飛び出てきた。
「オイ、泣かせる話じゃねえか」
聞き耳を立てていたのだろう。隣の丸テーブルに座っていた男たちのひとりが、にわかに起ちあがり、ダーたちのテーブルへと歩み寄ってきた。
装備は使い込んだ革鎧。腰に長剣を佩いている。
片目に黒い眼帯をした、色黒の男だった。熟練の冒険者であろうことは想像に難くない。
「出会った記念に、一杯おごらせてくれねえか。オイ、
「いえ、私は酒をたしなみません」
「オイオイ、俺の酒が呑めねえってのか?」
面倒な手合いのようだ。一行の顔つきが、瞬時に戦闘モードのそれに変わっていく。ここまでの道中で、メンバーの実力は尋常でないほど高まっている。しかし追われる身としては、ここで揉め事を起こすのは得策ではない。
ダーはそう考え、ひとつの提案した。
「よし、ならばワシがこのエルフの分まで呑もう。それでどうじゃ?」
「……わかった。それなら別に異存はねえ。ドンドン呑んでくれ」
その後は酒を酌み交わしてのドンチャン騒ぎとなった。
見ず知らずの冒険者たちと酒を酌み交わし、ダーはひたすら呑んだ。ルカは手にした酒杯を前に、うんうんとしきりに頷いていたが、最後まで酒には口をつけなかった。
疲労を理由に、まずエクセが抜け、ついで三人娘が順番にぬけ、さらにベクモンドが抜けた。最後まで呑んでいたのはダーと、眼帯の男が率いる三人の男たちだけだった。
さらに一刻ほども過ぎたころだったろうか。ダーが呑み疲れたと言い残し、三人の男たちに別れを告げて部屋へと向かった。
――その、夜更けのことである。
ダーに割り当てられた寝室の扉が、ゆっくりと音もなく開いた。
するりと無音で室内に侵入した男は、室内をすばやく見回す。
男は布団を深くかぶり、ベッドに横たわるドワーフを発見する。
暗闇のなか、男は忍び足でダーの横たわるベッドまで近寄ると、ためらいもなく短剣を深く布団に突き立てた。
「ム……?」
違和感を抱いたのか、男は布団を引き剥がした。
そこには布団の塊が、あたかもドワーフが寝ているように丸めて置かれていた。
「ぎゃあああああああッッ!!」
男の絶叫が、深夜にこだました。
驚いた人々が灯りを手に、絶叫のしたダーの寝室に駆けつけると、異常な光景が飛び込んできた。
千切れかけた片足から大量の出血をした男が、朱に血塗られた床を転げ回っている。
「やれやれ、せっかく宿をとったのに、硬い床で寝る羽目になるとはの」
どこからか声がする。駆けつけた人々が周囲を見回すと、不敵な面構えをしたドワーフが、戦斧を片手にベッドの下から這い出してきた。
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