34 ダーの最期

「――実は今回も、実験に協力してもらおうと思ってるの」


 その言葉が合図だったのか、黒衣の男が動いた。まるでエクセが空間魔法陣を展開するように、空中に何かを描く仕草をしている。

 彼がなにをしているのか、すぐに明白になった。景色の一部がよじれ、裂け目があらわれる。

 またも何かがこの場に到来しようとしているのだ。

 今回の時空の裂け目は、大きかった。内部から不吉な音がする。それは何かをこすり合わせるような、どこか不気味な響きを帯びていた。

 時空の裂け目が広がり、這い出てくるものがある。

 

「まさか――黒い魔獣か!?」

 

 誰かが緊張した声を発した。

 ラートーニはちっちっと指を振り、


「んー。残念、同じものばかりじゃつまらないでしょ? だからね――」


 這い出てきたものは、巨大な蟹のような多脚生物だった。

 全身がむき出しの骨格のように白々とした、鋭角な装甲に包まれている。

 

「うちの新兵器、クラスタボーンっていうのよ。ぜひ堪能していってね」


「つくづく、趣味の悪いものを創る連中じゃの……」


 ダーがぼやくのも無理はない。

 全身がむきだしの骨格のみで構成されているような、巨大蟹――クラスタボーンは、するどい鉗脚を胴から前面に突き出し、その大きなハサミで威嚇している。

 左右から六本突き出た歩脚は前後左右、独自にうごめいている。見る限り、自在な走行を可能としているようだ。

 普通の蟹と圧倒的に違う部分は、突き出した目がなく、代わりに額域のあたりに、トカゲの頭蓋骨のような頭部を設置しているというところだろうか。

 圧倒的に悪趣味な合成獣だった。

 その化物は威嚇するように、ギシギシという声をあげている。

 

「私では、こう簡単にはいかないわ。さすが貴方ねえ」


 ラートーニは、黒衣の男に甘えるようにもたれかかった。

 男もまんざらではないらしい。彼女の方を気安げに抱いている。


「さて、移動もうまくいったし、あとは実戦でのデータを取らせてねえ? クラスタボーン、相手は一流の冒険者揃いだから、手負いとはいえ、きっちりと皆殺しにしないとダメよお」

 

「くっ……」

 

 エクセは座り込んだまま、一歩も動く事ができない。魔力を消費しきった魔法使いに、どれほどの抵抗ができるというのだろう。彼は無念そうに俯いた。完全に足手まといとなってしまった。

 ダーの傍らに、さりげなくヒュベルガーが立った。その背後にエクセがいる。


「楽には勝たせてもらえぬというわけか」


「そのようじゃな、意地の悪い姉ちゃんじゃ」


 ふたりは苦い微笑をかわしあった。


 まず、口火を切ったのはヒュベルガーだった。

 雄雄しい掛け声とともに、炎の剣を振りぬいた。

 火球が発生し、一直線に化物へと迫る。

 それは空中で四散した。

 ヒュベルガーが驚いた眼で視線を転じると、ニヤニヤと笑みを浮かべるラートーニの姿がある。得意の暗黒障壁を張っているのだ。

 歯噛みして、ヒュベルガーは直接打撃へと移行する。

 鋭い突きがクラスタボーンの胴体へと繰り出される。化物はいともやすやすと、突きをハサミで受け、もう片方のハサミでヒュベルガーの胴を捕えようとする。

 それを阻止したのがダーだった。

 戦斧でそれを受け、弾き、逆に敵の胴へと斬りかかる。

 攻撃を察知したクラスタボーンは、巨体を感じさせぬ俊敏なバックステップで距離をとった。

 

「ちっ、ちょこまかと――」

 

 言いも終らぬうちであった。

 三メートルは離れた位置から、クラスタボーンはあたかも圧縮したバネが復元するかのような、猛烈な特攻をかけてきた。

 目で捉えられぬ程のすさまじい勢いで、鉗脚が突きだされる。

 戦斧で勢いを流しきれず、ダーが横へと弾き飛ばされた。

 

「この……っ」


 反対側から迎えうたんとしたヒュベルガーの剣を、返す刀でハサミで弾き返す。

 ヒュベルガーもこれまた横へと弾かれる。障害物は完全にとりはらわれた。

 

「いかん、奴を行かせるな!!」


 無防備なエクセとルカの前に、近寄るクラスタボーン。

 エクセはただ座り込んだまま、敵を睨みつけるのが精一杯で、何もできない。

 ルカも同様だった。ただ、エクセにしがみつき、震えるのがやっとだった。

 

「――ドルフ、頼む」

 

「承知だ、リーダー!」


 がいん、と耳障りな不協和音がこだました。

 ドルフがクラスタボーンの繰り出す鉗脚を、盾で受け止めたのだ。 

 強烈な一撃によろめくものの、片足を後ろへ伸ばし、前傾姿勢をとるドルフ。決してこの場を譲るまいと、覚悟を固めているようだ。盾を前面にかざす。

 怪物は、連続で鉗脚を、速射砲のように盾へ叩きつける。

 地を噛んだ靴底がじりじりと後方に流れる。汗が吹き出る。ドルフは押されつつも、ひたすらふたりを護りつづける。

 しかしそれも限界であった。怒涛の勢いで流れ続ける川を、人力で堰き止めることはできない。 

 決壊する瞬間が訪れた。

 ついにドルフの盾がまっぷたつに折れたのだ。

 

「いかん!!」

 

 ダーは攻撃に集中している隙をつき、怪物の左側面の歩脚へ。

 全身の力をこめて、斧の一撃を放った。


 がくん、と怪物はバランスを崩した。

 こうるさげに歩脚をダーへ突き出すが、当らない。

 どうやら、首だけを回して側面を見ることは不可能なようだ。

 またしても怪物の態勢が崩れる。今度は右側面の歩脚を、ヒュベルガーが炎の剣で斬りつけたのだ。


「ドルフ、盾を捨てて剣で応戦しろ!」


「了解だ、リーダー!」


 ドルフはその通りにした。

 裂けた盾を放り投げ、腰剣を抜いてハサミと斬りむすぶ。

 

「いまのうちに、二人はこの場から逃げるんだ」


「そうしたいのはやまやまですが……」


 申し訳無さそうにルカが応える。マナが尽き、体力が尽きたふたりは、一般人より弱弱しい存在である。

 かろうじてルカだけは動けそうだが、エクセを引きずって移動するだけの力はない。


「おい、馬はどうなっておる!!」


 ダーが叫ぶが、この激闘に恐れをなしたか、兵も馬も、ここへ近寄ってこない。

 コニンとアルガスが弓で援護射撃を行うが、なにしろ表皮が骨である。

 矢が通用するわけもない。

 コスティニルも、遠方から攻撃呪文で援護してくれるものの、例の結界ですべて防がれてしまう。

 いつか見た光景だ、とダーは苦々しく考える。

 ジェルポートの町での激闘――一歩も動けなくなったダー。彼の代わりに命を落としかけたクロノトール。

 

(あれだけは断じて繰り返してはならぬ。この身にかえても)


 ダーはひたすら歩脚を叩き続ける。

 確実にダメージを与えているという手ごたえがある。

 ヒュベルガーは援護をダーに託し、チームメイトのドルフを援護するため、前面へと回りこんだ。

 それは、わずかながら手遅れだった。

 頬傷の男、歴戦の勇者であるドルフは、致命的なミスを犯した。

 繰り出されるハサミを見切りそこね、上半身を斜めに斬られた。

 ドルフの唇がわずかに動いた。


「……あばよ、リーダー」


 そうつぶやいたように見えた。

 ドルフの身体が一瞬、横にずれた。

 そう見えた瞬間、ずるり、と彼の上半身のみが地に落ちた。

 

「ド、ドルフ――――ッ!!!」


 返事はむろん、ない。

 すでに絶命している。

 ルカはひたすら「ごめんなさい、ごめんなさい」と連呼している。

 大粒の涙を流しながら。

 エクセは無言だった。次は自分の番である事を理解しているのだ。

 怪物が静かににじり寄る。

 彼らを守ってくれるものは、もういないのだ。


「そうは、いかぬわぁ―――っっっ!!!」


 ダーは、斧を振りかぶった。大きく。

 振りかぶった斧が前方にくるほどに全身をねじり、一気に振りぬいた。

 轟音が響きわたる。歩脚の硬い表皮にひびが入った。

 クラスタボーンは大きく態勢を崩した。側面に生えた別の歩脚を繰り出し、ダーを追い払おうとする。しかし、当らなければどうということはない。

 再度、身をぎりぎりとよじると、一気に振りぬく。

 こんな木など伐り倒せばよい。剣法というより、伐採に近い。

 四撃目のことだった。

 ついに歩脚の一本が、バキバキという音を立ててへし折れた。

 五本足となったクラスタボーンは、すさまじい勢いで後方へと逃れた。

 距離が開いた瞬間、ヒュベルガーはドルフの亡骸に歩み寄った。

 

「ドルフ、すまない……」

 

 無念の想いを嚙んで、かつての友の亡骸を抱きかかえる。

 ダーはこの隙に、エクセとルカをかばうような位置へと移動している。

 

「すまんが、感傷に浸るのはもう少しあとじゃ」


「……わかっている、俺も戦士だ」


 ドルフの亡骸を、そっと脇へと置くと、彼はわずかに瞑目した。

 彼の魂よ安かれ。

 そのつぶやきを背に、ヒュベルガーは立ち上がった。

 仇は俺が取る。その決意を瞳に漲らせ、ダーの傍らに立つ。 

 

 距離を開いたクラスタボーンは、なかなか攻撃を仕掛けてこない。

 この機に、一頭の人馬が駆け寄り、その背にルカを乗せようとした。しかし、ルカはエクセが先だと言って聞かない。馬上の男は、エクセを見やった。

 

「刻が惜しい。早く」彼は静かに首を振る。

 馬上の男は駆け出した。とりあえずルカだけは、この場を離脱した。

 そのときであった。クラスタボーンは奇怪な動きを見せた。

 両方の鉗脚を、天へ突き上げたのだ。

 その間から、電流のようなものが――


「いかん、逃げいっ!!!」


 ダーが怒鳴った。

 ヒュベルガーが即座に反応し、脇に跳んだ。

 ダーも跳ぼうとして、エクセを見た。

 彼は座り込んでいた。

 秀麗な顔は安らかに微笑んだ。惜別の笑み――。


(そんなことは、許すものか!)


 ダーはエクセへと突進した。

 おどろくエクセを無視して、彼を荷物のようにダーは放り投げた。

 全身の力をこめて、できるだけ遠くへ。

 その直後だった。光の柱が、その位置を通過した。

 

 投げ飛ばされ、土ぼこりにまみれたエクセは顔を上げた。

 ダーが立っていた場所には、誰もいなかった。

 

「ダー、どこです?」


 答えはない。


「いつもの悪い冗談ですよね、ダー?」


 エクセ=リアンの視界には、ちりちりとした光の残滓が舞っている。

 大地には、ダー愛用の戦斧が転がっていた。




――ダー・ヤーケンウッフは、地上から消滅した。

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