さととえる 旅と日常の記録

ツリチヨ

旅のこと。 どこにもない、ここだけ

#1 常若のくに - 帰省中にお伊勢参りした話

1.旅のエモが2割増しくらいになるねえ - 宇治山田駅

 18年過ごした地元を離れて東京で暮らして、気が付けば1年半が過ぎていた。長期休暇のたびの帰省も、これで6回目。

 あの店が閉店したとか、近所の道路が補修されて綺麗になったとか、住んでいたときには変化とすら認識しなかった変化にも敏感に気づくようになった。

 それでも変わらないものもたくさんあって、今どきLEDじゃなくて方向幕を表示する電車も、高校時代毎日のように利用した近鉄四日市駅も、まだ懐かしくなくて少し安心する。行き交う人々の喧騒は東京のそれとの差異を見つけるほうが難しいけれど、それすらなんだか愛すべきものだと感じた。


 この街で暮らして歳をとって死ぬまで笑って生きていたい。そんな歌詞が思い浮かんで、小声で口ずさんでみる。

 ホームには特急電車がやってきた。行き先は鳥羽。子どものころからいやというほど目にした橙色。最近は塗装が変更されて、少し高級感が増した気がする。でも前のほうが好きだな。


 チケットレスで購入した指定席の番号をスマホで確認して、5号車に乗り込んだ。

 近鉄特急はどの車両も全席指定でそれが当たり前だと思っていたから、世の中には指定席のない通勤車両が特急という種別を与えられて走っている鉄道もあると知ったときには少し驚いた。

 液晶に表示された席の隣には、すでに先客がいた。私と同い年なのに30センチ近い身長差があって、陽の光を受けてきらめくさらさらの長い金髪が目を惹く女の子。


「えるは顔がよすぎるな……」


 思わずそんなことを口走ってしまうほどあまりによくできた造形の顔の持ち主、“える”ことエルフィンストーン・玄乃くろのは、眉根を寄せながらこちらを見た。


「さと、あなた出会い頭になに口走ってるの」


 こうして会うのは1か月ぶりくらいだろうか。呆れられているというのに、つい口元が緩んでしまう。そんな私の頬を、えるのスマートフォンの角が小突く。わざわざスマホを使うのは身長差のぶんのリーチを稼ぐため。


「へへへ、旅テンションでつい」


“さと”こと私、渡井わたらい紗鳥さとりは、帰省の最中に旅行の予定をねじ込んでいる。

 家族とならともかく、東京の友達と一緒の旅行をするにはどうかというタイミングだけれど、お互いの予定に折り合いをつけたり、旅費の節約を目論んだりしたらこういう結論に落ち着いたのだ。

 目的地は、日本人なら一生に一度は行きたいところ、伊勢。

 私は年に1回くらいは伊勢を訪れているけれど、えると一緒の今年はひと味違う旅になりそう。


          *


 電車は伊勢市駅を出ると、ゆっくりと高架上を走って1分ほどで宇治山田駅に到着した。伊勢へと向かう路線はここが終着で、この先の線路は鳥羽や志摩へと続いていく。いつかえると一緒に行く機会があればいいな。


 実を言うと、伊勢神宮の参拝には外宮げくうまで歩いて行ける伊勢市駅のほうが便利だ。それでもあえて宇治山田駅で降りることを選んだのは、私がこの駅そのものに見る価値があると思っているから。

 宇治山田駅は1931年建設。クリーム色のテラコッタタイルやスペイン煉瓦で装飾された優美な外観と、広々とした吹き抜けのコンコースが特徴だ。日本近代建築の姿を今に伝える駅舎として、国の登録有形文化財に登録されている。


「駅のデザインがエモいと、旅のエモが2割増しくらいになるねえ」

「こういう近代建築が今も残っているのは素敵なことね。エモは知らんけど」


 えるはスマホで駅の写真を撮った。この写真はインスタに上げるのかな。旅が終わってからのお楽しみ。


「あら、度会わたらい府庁跡だって」


 バス乗り場のそばに立つ碑の前でえるは立ち止まった。

 度会府は新政府によって設置された府で、1年で県に改称されている。現在の三重県南部にあたる地域で、のちに北部の安濃津あのつ県と合併して三重県になった。……というようなことが案内板に書かれていた。


「渡会県は今年復活したんだよ」

「復活? なにそれ」

「そういう地域活性化をやってるって話」


 地域に繋がりや関心のある人を「渡会県民」として募集し、地域に関わるプロジェクトや交流イベントをやるそうだ。


「ふうん。関係人口を増やしたいのね」

「……うん、そうそう」


 私が視線を逸らすと、えるは視線を刺してきた。


「住民でも観光客でもないけど地域と多様に関わる人のことよ」

「為になるなあ……」 


 ちなみに、地名の度会と私の苗字の渡井との間に特別な由縁があったりはしない……と思う。両親は愛知出身だし、そもそもこの苗字は静岡に多いらしいから。


          *


「あの高架下のあたりに商店街があるんだけどさ」


 バスの車内から、私は左手側を指さした。「あーうん」とえるはあやふやな返事をした。どのあたりのさしているのかよくわかっていないみたいだけれど、別にわからなくてもいいかと思って話を続ける。


「ぶっちゃけシャッター街なんだけど、そこにまんぷく食堂って店があるの。半月はんつきって知ってるかな。『半分の月がのぼる空』」

橋本はしもとつむぐ? ハードカバー版だけ読んだ」

「電撃文庫版もいいよ。――で、まんぷく食堂はその聖地なの。作中にはまんぷく亭って名前で登場するんだけど」


 まんぷく食堂の目玉メニューといえば、地元民なら知らない人はいないB級グルメのからあげ丼。コショウの効いたからあげが卵とじになっていて、スパイシーさがたまらなく癖になる。大盛りでで680円のコスパは食欲旺盛な学生の味方だ。

 今日も食べに行きたいところだけれど、残念ながらそういうわけにもいかない。


「でも、今日は行けなそうね」

「だねえ」


 今日は日帰り旅行。えるが夕方には帰っちゃう関係でスケジュールはちょっとタイトだから、あまり寄り道はできない。


 バスに乗って向かうのは、内宮ないくう前おかげ横丁のそばにある神宮会館。木々に囲まれた伊勢街道を行くと見えてくる大きな建物がそれだ。

 神宮会館は神宮崇敬会という伊勢神宮の奉賛者の団体が運営している旅館。相撲場や弓道場が併設されていたり、早朝参拝のサービスを行っていたりする。

 もちろん今日は泊まるわけじゃない。それならなにが目当てなのかといえば、売店の御朱印帳だ。


 御朱印帳は内宮や外宮の神楽殿でも授かることができるけれど、ここで手に入れられる御朱印帳はちょっと特別。西陣織や蒔絵、あるいは神宮林のヒノキを用いたものがある。


「どれにしよう。奮発してヒノキ行っちゃおうか。でも蒔絵も綺麗だし西陣もかわいいんだよなあ」


 並べられた数々の御朱印帳は色鮮やかに私を誘う。御朱印帳がお気に入りなら、いただく御朱印もそれだけ鮮やかになるはずだ。だから後悔のない選択をしなくちゃ……なんて言っても、とどのつまりは優柔不断。

 私は今回の神宮参拝を機に、御朱印集めを始めるつもりだ。御朱印のために日本中の神社を巡礼するような本格的なものじゃなくて、旅の目的を増やして足跡を残す程度のささいなものだけれど。


「わたし西陣にする。さとはお揃いの色違いにしましょうよ」


 私が悩むさまを横で見ていたえるは、ふいに桜色の西陣織の御朱印帳を手に取った。


「へ、じゃあ私はこれにする」


 えると色違い、水色の御朱印帳を手に取る。そのときの私の頬はだらしなく緩んでいたかもしれない。

 一緒に御朱印集めしてくれるなんて!


「わたしも興味あったからね。別に、つきあいでやるわけじゃないわよ」


 釘を刺すようにじと目が私をにらむ。

 えるは人に合わせて物事を決めるような子じゃない。でも、だからこそ嬉しいんだよ。思わず「へへへ」と笑い声が漏れた。


「だらしない顔してんなよ」


 スマートフォンがまた私の頬を小突いた。

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