第49話 アリアの到来Ⅲ


 愛しの息子の生活がうまくいっていることを知ったアリアは満足げに頷くと、その隣に座る炎理に視線を向けた。


「火野君だっけ?」

「はい!そうです!お姉さん!」


 アリアに声をかけられた炎理は勢い荒んで返事を返す。


 頬は緩み、瞳は垂れさがり、鼻の下を伸ばしただらしのない表情。炎理は本来の強面な顔をこれでもかと崩しに崩し、デレデレとした情けない姿を見せていた。


 下心十割と言われても納得できるほど違和感のないその顔。


「ふふっ……ありがとね火野君。祢音と友達になってくれて。この子のお母さんとして嬉しく思うわ」


 にもかかわらず、アリアはそれでも喜ばしそうに微笑を零し、炎理に感謝を示した。その彼女の一点の曇りもない笑みを向けられ、炎理はさらに頬を緩ませ表情を崩しかける。


「……そ、そんな!僕こそ祢音のお母さんと知り合えて――」


 が、彼女の言葉の中に聞き捨てならない単語を捉えて、それまでの気色悪い顔から一転、目を点にした。


「――って、え?……お、お母さん?」


 アリアの口から放たれた言葉が信じられないとばかりに目をこれでもかと見開く炎理。初めてその美貌を目の当たりにした時のように、カチンと動きを止める。


「あれ?……あ!私としたことが、そういえば自己紹介がまだだったね!」


 その炎理の戸惑いに気が付いたのか、アリアは今思い出したかのように、たははと苦笑いを漏らすと、


「祢音の義母ははの無道アリアです!よろしくね、火野君!」


 可憐な笑みを浮かべ、少し遅い名乗りを上げた。


 アリアの自己紹介を聞いた炎理は錆びついたロボットのようにギギギと首を横に向ける。事の次第を確かめたいがために張本人に意見を求めたかった。


「……マジ?」


 ただ一言の事実確認。


「……一応本当だ」


 祢音も神妙に頷く。


 重なる二人の視線。片方は嘘だろとでも言いたげに驚愕を強く瞳に宿し、片方はまぁそうなるよなとでも言いたげに友人への共感を瞳に宿していた。


 なにせアリアの見た目はどう見繕っても二十代前半の美女にしか見えない(正確な年齢は不明)。それが十五歳ほどの息子がいると言われて誰が信じようか。まだお姉さんの方が納得できた。


 少しの間、祢音とアリアを行き来するように眺める炎理。


 笑みを浮かべて眼前に座る超俗的なまでの美貌を誇る絶世の美女を鼻の下を伸ばして見たかと思うと、次に横に座る端正な顔立ちをした友人の呆れ顔に真顔で視線を移す。


 そうすることしばし。


 考えるように俯いた炎理は顔を上げたかと思うと、


「これから息子と呼んでも?」


 思考を彼方に吹っ飛ばし、何をトチ狂ったのか、真面目な顔つきで祢音にそう宣った。


「ハッ倒すぞ」


 にべもなく、祢音は炎理の言葉を斬り捨てる。あまりにもアホらしい妄言過ぎて考える余地すらなかった。タイムラグゼロの切り返しだ。


 けれど、炎理の方もそれで諦めた様子はなく、まるで催眠にでもかかったかのように興奮して、論を捲し立て始めた。


「大丈夫!些細な年齢差など俺は気にしない!愛があれば何でもできるんだから!そう愛愛だ!この世は愛で始まり愛で終わる!ラブイズオーバー!きっと同級生が父親でもいい関係が築けるさ!親友の俺達ならなおさらだ!だから祢音!……いや、マイ息子サン父親ファーザーと呼んでくれていい――ぶへっ!?」


 その瞬間、まだ言葉の途中だった。炎理は糸が切れたように床に倒れこんだ。


 若干のイライラとモヤモヤ、さらには億劫さを内心に抱えた祢音の神速の拳が炎理の顎を打ち抜いたのだ。宣言通りハッ倒した形ということになる。


 いつも以上に回る口とアホな頭だったな、と祢音は呆れた目で目を回して倒れ伏す炎理を見下ろす。そして、強く、それはもう強く嘆息した。


「悪い、アリア」

「あはは、大丈夫だよ……それにしてもずいぶんと面白い子と友達になったわね、祢音」

「ただの女好きなだけで、悪い奴ではないんだけど……まさかここまで興奮するとはな」

「ふふふ、それだけ私が魅力的ってことなのね!どう、祢音?見直した?それともお母さんがモテモテで嫉妬しちゃった?でも大丈夫よ!お母さんはいつまでも祢音一筋だからね!愛してる!」


 アリアは炎理の暴走を特段気にした様子もなく、むしろ祢音に自慢げな視線を向けると、あからさまなまでのドヤァとした得意顔を浮かべる。


 まさに鼻高々といった表情。


 ここまでの経緯を思い出して、彼女のしたり顔がムカつかないでもなかった祢音だが、それを必死に押し殺し、どうにか脱線していた話題に話を戻した。


「はいはい、嬉しい嬉しい。ありがとよ……で、そんなことよりだ。そろそろなんで俺に会いに来たのか教えてくれ」

「むぅ!義母ははの愛をそんなこととはなにさ!少し離れてから私に対する扱いがぞんざいだよ!うぅ……こんな子じゃなかったはずなのに……はっ!もしかして祢音は都会のナウな環境に染まっている女を作ったから私のことなんてどうでもよくなってしまったのね!?くぅ!こんなことなら学校になんて行かせるべきでなかったわ!いっそ祢音を変えてしまったこの島を滅ぼして――」

「は・や・く・せ・つ・め・い・し・ろっ!」

「うきゃぁ!――もう、わかったわよぉ。だから、そんなイライラしないの」

「誰のせいだっ!まったく……」


 祢音の反応に不満そうな仕草を見せて、どこか渋った様子だったアリアも、祢音の痺れを切らした本気の催促に彼女は今度こそきちんとした理由を話始めるのだった。



 

 ♦




「じゃあ、何か?ただ俺がずっと連絡しなかったから寂しかったと?」

「うん」

「だから、唐突に武蔵にまで来て、会いに来たと?」

「えへへ!そうだよ!」

「しかもわざわざ気配を見つけたからあんな突飛な現れ方をしたと?」

「ふふ、サプライズだったでしょ?」


 祢音が一つ一つ質問をしていくごとにアリアは誰もが見惚れる笑みを浮かべてそれを肯定する。


 いきなり自分に会いに来たのだから、何か重要な用事でもあるのかと思ったら実はただ単に寂しかったからという感情論。しかも姿を見かけたからという理由だけであのような前時代的な大衆文庫本に出てくるヒロインのような現れ方をしたと言う。


「……はぁぁぁ。まさかそんな下らない理由であんな目立つようなことしたのかよ」


 それを聞いて祢音は呆れる気持ちを隠さずにはいられなかった。そんな息子の言葉にアリアはぷりぷりと怒り顔を浮かべ、苦言を呈する。


「下らないとは何さ!だいたい連絡を返さなかった祢音が悪いんだからね!」

「連絡って……そもそもさっきまでこれの用途なんかまるでわからなかったんだから仕方ないだろ?」


 そう言って、ゴトっと祢音はポケットから自分の携帯情報端末を取り出し机の上に置く。


 アリアはそれを聞いて、不思議そうに首を傾げた。


「あれ?機械音痴の祢音にも懇切丁寧にわかりやすく教えなかったけ?」

「教えてもらってねーよ。てか出立前にいきなり渡されたし、説明を頼んでもアリアはずっと俺に抱きついて離れなかっただろ。それで時間も無くなってそのままだよ。……あと事実だが、機械音痴は余計だ」

「あれ?そうだっけ?――……たしか渡した後に、しばらく会えないと思ったから祢音成分を補充しなきゃと思って、ハグに夢中になってて、あー……てへっ?」


 話していく内にその当時の状況を思い出したのか、アリアは冷や汗を掻きながら、誤魔化す様に舌を出しておどけてみせる。


 その仕草は確かに様になって可愛らしいし、一目見たならば誰もが簡単に許してしまいそうな破壊力があったが、付き合いの長い祢音には意味をなさなかった。


「そんなんで誤魔化されねぇからな?はぁ……やっぱアリアの度忘れのせいじゃねぇか」

「むぅ!私一人のせいにするのはどうなのさ!祢音の機械音痴なせいもあるじゃん!不公平だぞ!」

「不公平って……」

「毎日電話もメールも欠かさず、来る日も来る日も連絡してたのに!そのすべてに反応がなくて……ずっと無視するなんてひどいよ!祢音の声が一日も聞けない日がどんなにつらかったか……」


 しくしくと顔を背けて悲しみを露わにするアリア。先ほどの演技のような雰囲気は一切感じられず、彼女のその言葉からは本気で寂しかったという気持ちが窺えた。

 

 天真爛漫を絵に描いたごとく、まるで太陽のような性格をしたアリアがそんな感情を抱いていたのだ。


 少しばかり罪悪感が祢音の心を刺激する。


 脳裏に過ったのは再会時にも取り乱したように自分を求めてくるアリアの姿。それを思い出して、祢音は自分の態度を反省する。そして、素直に非を認めると、アリアに頭を下げた。

 

「……まぁ、確かに使い方がわからなかったとはいえ、俺もこの端末に興味を示さずに放置して、連絡しなかったのは悪かったよ。ごめん」

「……本当に悪いと思ってる?」

「ああ、本当だ」

「……じゃあ、何か一つ言うことを聞いて」

「……わかった。それでアリアの気が済むのなら」


 その瞬間、顔を俯けていたアリアの口元が弧を描いた。正面に座る祢音からはそれが見えなかったが、もし気が付いたならばすぐに自分が謀られたことを察して悔しがっただろう。


 まぁ、どちらにしろ早いか遅いかの問題でしかないのだが……。


 寂しげな雰囲気はどこへやら。アリアはにこぱっと輝かんばかりの笑みを浮かべると、


「うんうん!素直でよろし!――それじゃあ、今日から一週間ほど私もここに住むことにするからよろしくね!祢音っ!」

「ああ、了解し……って、はぁ!?」


 今日一の絶叫が祢音の部屋に轟いた。



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