第42話 授業


「おらぁ!」


 裂帛の気合とともに、兵吾の鋭い踵落としが祢音に炸裂する。


 祢音はそれを左腕を掲げることで防ぎ、お返しとばかりに右手に持つアノリエーレンを下から切り上げた。


 兵吾はその切り上げを手に持つ大蛇の側面で綺麗に逸らすと、祢音を蹴り飛ばし、同時に先に仕掛けといた魔法を詠唱破棄で発動させた。


断罪の水刃ドミナ・フェルム!」


 第五位階の水の中級魔法、『断罪の水刃ドミナ・フェルム』。吹き飛んで未だ滞空している祢音を四方八方から挟み込むようにして、水の刃がギロチンのように高速で迫る。


 蹴り飛ばした位置や先に仕掛けていたところを見ると、兵吾は計算して誘い込んだようだ。野生のような戦い方の中で時折見せる知略はなかなかにやりづらいと祢音は思った。


 蹴り飛ばしをアノリエーレンの峰で防いだ祢音は兵吾の魔法に対処するため、自身の心想因子オドをアノリエーレンに少しだけ流し込む。そして、閃光のような速度で振るった。


 空中に光の筋を描いて、煌めくアノリエーレンが周囲を囲む水刃を同時に切り裂き、霧散させる。


 だが、その瞬間。


「!?」


 霧散させた水刃の裏、完全に死角になる位置から予期していなかったニ陣目の水刃が祢音に向かって降りそそいだ。祢音は意表を突かれた形で大量の水刃の中に消える。


 その様子を眺めていた兵吾は確かな手ごたえを感じつつも、警戒を怠らないでじっと祢音がいる場所を見つめ、大蛇を構えた。


(無道の虚無ニールは確かに対魔法師には無敵の力かもしれないが、けれど弱点がないわけでもない。虚無ニールは魔法を無効化するために必ず自分の心想因子オドを魔法にぶつける必要がある。だったらあいつの心想因子オドに触れずに魔法を当てればいい。だから今のように虚を突いた魔法とかは防げない。でも――)


 兵吾が脳裏に祢音を仕留めるための算段を思考している途中。


 バシャっと水を辺りに吹き飛ばして、降りそそぐ水刃の中から祢音が勢いよく飛び出してきた。着ているトレーニングウェアは汚れ、水刃で所々薄く切り裂かれているが、大した怪我は一つもない。


「――まぁ、この程度でやられるはずないよな!」


 兵吾はそれを見て、楽し気に、嬉し気に、そして獰猛に笑う。


 祢音が目にも止まらぬ速さで飛び込んでくる。それも滞空している状態から、まるで空中に足場があるように、立体的な動きを見せ祢音は空気を踏みつけ、兵吾に向かって加速した。


「曲芸師かよッ!?」


 兵吾は驚愕して、おかしそうに笑いながら、しかし、難なく祢音の強襲に対応して見せた。


駆空かっくうという技だ。まんま字の通りの意味さ」


 空を駆けると書いて駆空かっくう。これもアリアから教わった祢音が持つ身体強化を主とした戦闘技術の一つ。理屈は単純で、ただ単に圧縮した心想因子オドを足裏で解放させて、推進力を生み出しているだけだ。


 けれど、言うは易し、行うは難し。


 体を身体強化で守っているとはいえ、万が一圧縮した心想因子オドの解放を少しでもミスすれば、反動はかなり大きい。


 ましてや祢音の心想因子オド量は魔法師の平均を大きく逸脱している。失敗すれば、自分だけでなく周囲にも甚大な傷跡を残すことは容易に想像できた。


 刀と銃の鍔迫り合いも一瞬。


 祢音はサッと兵吾から離れると、彼を翻弄するように、空中で三次元的な動きを見せて、ヒットアンドアウェイの戦法に切り替えた。


 均一に足裏で圧縮した心想因子オドを解放させ、祢音は空を舞う。


 まるで踊っているようにも見えるその姿からは、祢音が心想因子オドを自由自在に操り、完璧に制御下に置いていることがわかる。学生どころか通常の魔法師よりはるかに卓越した心想因子オドの操作技術を持っていることが伺えた。


 兵吾は祢音の攻撃を防ぎながら、対抗するように無詠唱で水光線アクアレイを発動して、狙い撃ちする。が、当たる気配はない。


「チッ!」


 段々と苛立ってきたのか、兵吾は鬱陶しそうに舌打ちをした。


 兵吾がこのようにちまちまとした攻撃の繰り返しをあまり好まないことを、何度かの手合わせで祢音は理解していた。更には苛立ち始めると攻撃が単調になったり、派手になったりすることも。


 その為、駆空を使って、空から翻弄するような戦い方にシフトしたのだ。


「あぁ!めんどくせぇ!一気に終わらせてやるよ!」


 案の定、次第に軽快に動き回る祢音に業を煮やし始めた兵吾は、攻撃が荒くなり、ついには逃げ場を無くすほどの大魔法を発動させようと、心想因子オドを活性化させ始めた。


 それを見た祢音は待ってました!と言わんばかりに、魔法に集中し、隙を見せた兵吾に向かって、上から急降下して突撃を敢行した。


 しかし、


「かかったな?」

「ッ!?」


 ニヤリと口元に笑みを刻んだそれは兵吾が仕掛けた罠。


 先に勝負に出てくるのを待っていたのは兵吾の方だったのだ。


 兵吾は自分が短気だということも理解しているし、小味のような戦いが続くと大雑把になるという弱点も把握している。前にそれで負けたのも忘れてはいない。


 けれど、同じミスをするほど馬鹿ではなかった。


 活性化していたはずの兵吾の心想因子オドが瞬時に霧散し、祢音の視線の先、いつのまにか狙い定めるように向けられた大蛇の銃口には渦のように絡まり合う心想因子オド現象粒子マナが存在しており、すでに魔法の発動準備が完了していた。


 あえて大きな隙を作るために放出した膨大な心想因子オドは祢音を誘うための陽動。戦いながら、手元に待機させていた魔法こそが兵吾の真の一撃。


 まんまと引っかかるように接近してしまった祢音。


 急ブレーキを掛けるように、駆空で方向転換をかけようとするも、まるで引っ張られるような感触を腕と足に感じた。


 視線を転じれば、いつのまにか右手と右足には水でできた蛇のようにうねる縄が巻き付いていた。


 それは兵吾が仕掛けた袮音を捕らえるための魔法。


「やばっ!」

「今回はもらったぜぇ!無道!」


 完全に逃げられないようにした現状。更には利き手である右腕を封じており、今なら袮音が虚無を発動するより先に当てられる。


(決めるッ!)


 兵吾は脳裏に決着を夢想した。


 そして獰猛な笑みを浮かべ、魔法を放とうとして、



 ――ちょうどスピーカーから三限目の授業の終了を知らせる振鈴が鳴った。



「……クッソ!あと少しだったか!」


 兵吾はそのチャイムに反応して、愚痴をこぼしながら、祢音を捉えていた魔法と発動しかけていた魔法を霧散させる。模擬戦のタイムアップだ。


 それを見て、祢音は床に降り立ち、一つため息を吐いてから兵吾に話しかけた。


「ふぅ……危なかった。今までの模擬戦の中で一番ヒヤッとしたよ、先生」

「ケッ!その割には涼しい顔しやがって……まったくお前みたいな存在がいるとか嫌になるぜ」

「そんなこと言って、先生もその割にはずいぶんと嬉しそうだけど?」

「ハッ!当たり前だろ?今まで退屈だった教職がこんなに楽しいんだからな!」


 祢音の言葉に兵吾は顔は生き生きと輝かせる。生気に溢れたその表情は普段の態度とはえらい違いだ。


 現在は三限目が終了し、四限目へ続く小休憩の時間。


 一年Ⅴ組の月曜日の時間割は一限目に数学、二限目に国語、三限目と四限目に基礎魔法修練、五限目に選択科目である魔法系統学か魔法工学、六限目に魔法史というスケジュールになっている。


 兵吾は基礎魔法修練の時間になると、祢音を模擬戦によく誘う。たまにきちんと授業の監督をすることもあるのだが、それは基本緑が手伝えない場合の時だけ。ほとんどの時間は祢音との模擬戦を優先していた。


 普通は教師としての優先順位が逆なのだが……そこは兵吾なので今更だろう。


 今回で都合十回目の模擬戦。


 身体強化だけの格闘形式もあれば、MAWを使った武器形式、さらにはそれらに魔法を含めたすべてありの実戦形式も行ってきた。


 魔法を抜いた場合の模擬戦だと祢音の方が今のところは勝ち越している。だが、魔法が加わると二人の決着は今回のようになかなかつかなかった。


 そして終わった後は決まって休み時間を使って、二人は終わった模擬戦を振り返る。


「最後の一撃はほんと焦ったよ、先生。前みたいに苛立った隙を狙おうと思ったのに、まさか誘いだったとは思わなかった」

「フン!俺だって二度も同じ失敗はしねぇよ!まぁ、結局タイムアップで放てなかったけどな」

「あれが放たれていたら、負け星が増えたかもしれないな」

「よく言う……俺に勝ち越してるだけでも自分が異常だと理解してほしいもんだぜ。一応これでも世界的な称号を持った一人だってのによ」


 袮音の言葉に兵吾はおかしそうに苦笑を浮かべた。


 全天ウラノメトリアである自分と対等に戦える学生がいるだけでも十分に驚きだというのに、さらには勝ち越している人物が目の前にいるというのだから絶句ものである。しかも、その人物はそれが当たり前であるかのように話すから、どこかズレていた。

 

 兵吾が呆れるたような苦笑いを浮かべるのも仕方なかった。


 そんなこんなで二人の反省会は続く。休憩時間一杯を使い、戦闘で使った魔法や技術の話を繰り返すうち、気が付くと短い休憩時間はすぐに過ぎていき――

 

 ――四限目開始の予鈴が鳴った。


「よっしゃ!もう一戦するか!」

「ああ」


 また二人の熾烈な模擬戦が再開する。



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