死、生、愛、そして、生と死

亀野あゆみ

第1話 墓地での出会い

 2017年8月15日、午後2時25分、葛西真一は、東京郊外の古寺の境内で立ちすくんでいた。亡き父の墓参に来たが、駐車場でタクシーを降り、境内に続く長い石段を登ったら、疲れと暑さで、身動きとれなくなったのだ。


 寺が指定する7月の旧盆なら、もう少し涼しかったのだが、葛西の中では、8月15日の終戦記念日とお盆がセットになっている。

 オヤジの墓を掃除しながら、あの無茶苦茶な戦争で命を落とした300万の日本人と、アジアを中心に、日本人の数倍に及ぶはずの各国の犠牲者を供養する。それが、葛西の夏の恒例行事なのだ。


 「行くしかない」葛西は腹をくくって、本堂裏手の山を登り始めた。正面から強烈な陽が差して、たちまち全身からジリジリと汗がしみ出す。


 見渡す限り、墓、墓、墓で埋められた山の斜面を中腹まで登って父の墓にたどり着いて、驚いた。膝の高さまで茂った雑草が墓前を覆い尽くしているではないか。他の墓の前は草を刈ってあるのに。


 「しまった」と、葛西は、ふた月前に寺から届いたハガキを思い出した。ハガキには、今後、墓前の草刈りは各檀家でお願いしますと書いてあった。毎年納めている維持費は何のためだとあれほどムカついたのに、それをスッカリ忘れて、今まで通り手入れされた墓地を期待して来てしまった。

 草刈り鎌など用意していないから、手で引き抜くしかないが、軍手がない。抜いた草を全部納めるだけのゴミ袋も用意していない。


 ぐらぐらの葛西を支えていた最後の柱が音を立てて折れた。ダメだ。今日は、もう、無理。 

 戦争で亡くなった人々の慰霊だけなら、今朝、黙祷してきた。親は、待ってくれる。ひと月もすれば彼岸が来る。その頃には雑草の勢いも弱っているだろう。それまでに鎌も買う。「オヤジ殿、すまない」。


 墓に一礼して引き揚げようとしたとき、目の前に、ふいと、人影が現れた。キャップを目深にかぶった、中背で引き締まった身体つきの女性だ。


 「これを忘れた?」女性が右手で草刈り鎌を振って見せた。男性的で素っ気ない物言いに、聞き覚えがある気がする。いや、そんなことはあり得ない。

 まさかと思いつつ、額に手を当て、逆光になっている女性の顔を見る。やや浅黒く、面高で鼻筋のとおった精悍な顔。きつめの目が、葛西を真っ向から見つめている。山科葵。かつての職場の仲間だ。といっても、年齢は葵が、葛西よりだいぶ若かったと思う。


「あんた、こんな所で何してる?」

「墓参りに決まってるでしょ。終わって帰ろうとしたら、墓の前でボーッとしてるオッサンが目に入った。それも、見覚えのある感じ。止めときゃいいのに、近づいてみてみたら、あなただった。父が亡くなって墓を作ったら、あなたと同じ寺に作っちゃったなんて、最悪」

 葵は愛想のないぶっとした顔をしていたが、キャップのひさしの奥で、奥二重のきつい目に、からかうような笑みが浮かんでいた。山科葵が、機嫌が良い時の表情だ。


 「ほら、使ってない軍手もあるわ」と、山科葵が左手で純白の軍手を差し出してきた。

「刈った草を入れる袋がない」

「私の袋に一緒に入れて捨てといて」

葵が汚れたウォーキング・シューズで足元のビニール袋を蹴って寄越した。袋は刈った草でいっぱいだが、詰めれば、まだ、押し込めそうではあった。

「君はどうするんだ?」

「帰るに決まってるでしょ。もう、汗びっしょりだわ」

確かに、脇の下と浅い胸の谷間に汗染みができていた。


 「鎌は、住職さんに預けておいて」そう言うと、葵は葛西に背を向けてキビキビした足取りで山道を下って行った。


 午後遅く、アパートに帰り着いた葛西は、居間の冷房と扇風機をつけ、汗でドロドロの身体をイグサのマットに投げ出した。


 山科葵が立ち去った後、思いがけない再会で浮かれそうになる自分を抑えようと、葛西はひたすら墓掃除に打ち込んだ。


 草を丁寧に刈り取り、墓石の文字を彫り込んだ溝から歯ブラシで泥とチリをかき出し、墓石を水拭きし乾拭きし、それを3セット繰り返した。頭の中が熱と疲れで真っ白になるまで頑張ってから、身体を引きずるようにして引き揚げてきたのだ。


 シャワーで汗を流したかったが、一度マットに投げ出した身体は、左右に転がるばかりで、縦になろうとしなかった。

 転がっているうちに、施設にいる母に、墓掃除の証拠写真をメールしていないことに気づいた。そもそも写真を撮るのを忘れていた。「仕方ない。今日はそれどころでなかったのだ」と自分に言い聞かせているうちに睡魔がおそってきた。


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