二十八、星空の彼方

 いつものごとく、学校が始まると楽になった。それももう終りが近いと思うと寂しいような気がする。クラスの皆は進学、就職と、決めた行く先に向けての追い込みを頑張っていた。


 経営は日々苦しくなってきている。協会が浄化をさせてくれない。当初動物霊を用いた遺物だけだったのが徐々に範囲を広げ、観測機能や攻撃機能を備えたものがほぼ確実に保護対象になるからだった。それが完全に動作するかは無関係で、まともに機能せず、どう見てもただの有害遺物であっても同じだった。

 業界団体の抗議は受け付けられなかった。協会は、貴重な遺物を法によって保護しているだけだと主張し続けている。与党の有力な政治家も文化財保護の観点から協会を支持した。

 一般の世論は盛り上がりに欠けていた。補償法案の成立が決まり、かつ、遡及的に適用されるとなったため、遺物が保護対象になっても不利益を被ることが無くなったためだった。遺物は迷惑だが、一般人にとってはその始末を協会がしようが浄化会社がしようが無関係だった。

 それでも健一のところはまだましだった。父と、驚いたことに姉のつながりで細々ながら仕事の流れが尽きないのでなんとかやりくりできている。

 一方でモリグループのように手を広げたところは大変だった。会社を維持し続けるだけの経費ですらまかなうのが苦しい様子だった。


 そんな中で打ち上げの報道を見せられても喜ぶ気にはなれなかった。ニクソン宇宙センターから光の尾を引いて上昇するロケットは、遠くにあるものが早く動いているという奇妙な感じを抱かせた。

 探査機は打ち上げ当日に低軌道に投入成功し、翌日には高軌道に、さらにその週のうちに月の向こう側への遷移に成功し、深宇宙空間の観測を開始した。

 最近の協会には珍しく、結果は素早く公表された。生のデータもネット上で閲覧可能にされた。


 だから、その観測結果から導き出される結論に気づいたのは協会の専門家だけではなく、相応の知識や経験を持つ研究者なら誰でもだった。

 人々は、協会が強引、かつ、急いで遺物を保護した理由を悟った。かれらは確証が持てるまでずっと情報を隠していたのだと。


 冬が厳しくなり、雪が一日中溶け残るようになった頃、結論が公式の筋から一般に公表された。


 まず、宇宙は魔法に満ちた空間ではあったが、ぎっしり詰まってはいなかった。空洞だらけのチーズのように全く魔法のない領域が存在する。

 次に、その空洞は何かによって形成されたものであること、そして、空洞の領域では霊を含む実体、つまり我々のような生物は存在できないことがかなりの確度を持って推定される。

 では、どんな作用が、もしくは何が空洞を形成したのか。


「……我々協会の魔法学者は、最近保護した遺物に含まれる過去の情報を抽出し、観測結果と突き合わせました。資料は公開しますが、無魔法空間を形成したのはそういった性質を持つ実体であると結論しました。例えて言うならば、チーズを食べながら穴を掘る芋虫のような存在でしょう。ただし、長さ五十から百光年、直径十から三十光年ですが……」

 記者会見の会場では乾いた笑いが起きた。冗談ではないが、冗談で済ませたい。

「……これは冗談ではありません。我々はこの実体を『魔法を貪るもの』として、Magic Devourerと命名しました。MDと略します。現在はっきりと観測できているのは銀河系内の一体のみですが、その詳細な性質や、他にも存在するのかといった点については観測を続けております……」

 記者から、それはすぐにでも害を及ぼす可能性があるのかという当然の質問が出た。

「……それは、すぐ、という言葉の定義にもよります。宇宙の年齢に比べればすぐでしょう、人類の歴史に比べればまだと言えるかも知れません。しかしいずれにせよMDについてもっと知らなければなりません。我々はこれまでの深宇宙空間に対する無関心を反省しています……」


 健一は大変なことになったと思ったが、父はそうでもないようだった。

「だって、天文学者がブラックホールを予想したり見つけたりしたときに騒がなかったしな。これだって似たようなもんだろ。なんでもかんでもこの世の終わりって騒ぎたい奴は放っておけばいい。それよりこっちだ、ちゃんとしないとうちが終わるよ」

 経理のデータを指差して苦笑いする。母も同意し、香織がからかうように言う。

「健ちゃん思ったより子供だね。衝撃的なところばかり切り貼りしたニュース信じるんじゃなくて、記者会見はちゃんと全文読みな」


 発見されたMDは銀河系中心の向こう側、太陽系から六万光年ほど離れていた。ある種の生物と考えていいのか、ただの自然現象なのかはまだ不明だった。それは魔法を吸収して莫大なエネルギーを放出しており、後に恒星を生み残しながら銀河系の回転方向に移動していた。

 MDは他の自然現象の発見と同じく、見つかるまでは誰の目にも触れなかったのに、探し方が分かると続々と発見されるようになった。確認されたのはまだ十体にも満たないが、銀河系内だけでも百体以上は存在するだろうと推定された。宇宙全体では無数とも言えるだろう。それらが魔法を貪って星を生み出している。


「でも、太陽系に一番近いのでも一万光年以上離れてるんでしょ、心配してもしょうがない」

 香織は記事を読みながら言った。MDは他の天文学上の発見と同じく、当初は話題になるが、現実には何の影響も及ぼさないと分かると急激に関心が衰えるという道をたどった。人間は自分の寿命の範囲の年月しか想像できない生き物だった。


 しかし、協会という組織は違った。太陽系もMDも銀河系内を移動している。いずれどれかのMDと遭遇する。どれといつ出会うのか。できるだけ正確に導き出そうとしていた。

 現在のところはMDになんらかの知性や感覚があるという想定はされていなかった。また、光速を超える移動手段があるという可能性も考慮に入れられなかった。つまり、意図して太陽系に向かってくることはなく、そうであったにしても光速を超えていきなりやってくることはないという仮定だった。

 MDには発見された順番にカタログ番号が付けられた。最も近いのはMD-7で一万二千から二万年後の遭遇が予想された。


 では、対応方法は? そんなものはなかった。相手のことがなにも分かっていないのだから対処のしようがない。

 しかし、想定が間違っていない限り時間の余裕はある。研究を重ねて人類の生存を確実なものにしなければならない。

 協会はMD研究チームを作り、他の研究や計画と並行して対応を進めることを決定した。


「チームリーダー、あいつだよ」

 嫌そうな顔で香織が言った。初代リーダーとして会見を開き、記者から質問を受けている。姉はまだこだわっているらしい。健一はそれほどでもなかった。そうだろうなと思っただけだった。


 MD研究チームは仕事熱心だった。迷惑なほどに。遺物の認定まで時間がかかるようになり、保護対象になる割合は更に増えた。少しでも過去の情報を含むようなタイプの遺物は危険度に関わりなく浄化は許されなかった。日本だけでなく、世界中の協会もそれにならった。

 そして、精密に測定すると、大抵の遺物には過去の魔法の変動が波のように刻み込まれていた。

 また、MD観測のための探査機打ち上げに急に予算がまわされたり、別の観測計画に無理やり相乗りしたりすることが増え、他の分野の研究者から控えめに言っても顰蹙を買うことが多くなった。


 経営は苦しい。健一は星辰を用いる浄化方法の文書化を進めている。保護具を用いず、短時間で浄化する方法をきちんとマニュアルにできれば経費節減になる。会社の皆から期待されていた。

 ただし、すべて夜間の仕事になり、天候に左右される上、作業可能な夜が限られるため、依頼先の理解と労働関連の法律のクリアが必要だった。それについては両親に任せた。


 手順書のために星辰を測りながら、健一はこの星空の彼方にMDがいて、魔法を貪っている様子を想像してみた。


 いや、そんなスケールのものは想像しきれなかった。

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