十一、怒濤
休日だが、むしろいつもより早起きした。木島の情報を確認するため、健一と香織はもう一度あの現場に行く。
「気をつけて。甲のつもりで」
母が道具の積み込みを手伝いながら言った。香織は記録用の機器を調整しながら聞き返した。
「父さんは?」
「ちょっと風邪気味だって。さっき測ったら六度八分。薬のんだ」
現場につくまでふたりとも黙っていた。健一は例の情報を何度も繰り返し再生したり読み返したりしていたが、あまり集中できなかった。香織は運転しながら他の車や歩行者にぶつぶつ文句を言っている。
遺物の付近であたりを見回してみたが、車などは止まっておらず、人気はなかった。普通の工事現場のような柵が巡らせてあるだけだった。
その柵の隙間から中を覗き、撮影する。木島の情報の通り、遺物の周囲に機器が並べられている。
「反応なし」
コンパスを見ながら健一がつぶやいた。マントの温度も上がらない。
「とにかく、記録しよ」
それぞれ柵を逆方向に一周しながら記録を始めた。しかし、魔法は検出されなかった。ただ、気のせいか、機器の配列が変わり、力の方向がずれているように感じられたが、ちょっとはっきりしない。後で記録を分析しよう。
「どういうこと?」
一旦車まで戻り、お互いの記録を会社に送信しながら検討した。
「そもそも、この機器は何?」
健一は疑問ばかり口にする。
「やっぱり、増幅目的なのは間違いない。その力を一方向に発信してたのも。今はちょっと方向変わってる」
画面をなぞりながら香織が言った。
「何をしているのですか。ここは工事中です。危険ですよ」
いつの間にか、男がひとり立っていた。十メートルほど離れた木に寄りかかっている。ひと目で魔法使いと分かったが、町中でジョギングでもしているような格好だった。
「いえ、ここで作業をしたのでその後の確認です」
香織が取ってつけたような返事をし、健一には小さな手振りで黙っているように指示した。
「ここは保護対象になったはずですが。早乙女さんですよね」
「ええ、それでも放置するのは無責任ですから。うちの方針なんです」
「そうですか。でも、さっき申し上げたように、ここは工事中で危険なんです」
送信エラーが表示された。健一はそっと再送信をかけたがまたエラーとなった。
「ここらへんは電波が弱くて困りますよね。何が起きても連絡が取れない」
魔法使いは足元の枯れ葉を発火させ、一瞬で消した。
「お父様のお風邪の具合はいかがですか」
香織が健一を制した。黙ってろ、と再度手振りを繰り返す。健一は無駄と思いながら送信指示を繰り返した。
「魔法使いは覗きもするのですか」
「お互い様でしょう」
「ことを荒立てるつもりはありません」
「それは我々もです」
「なら、今行おうとしていることはやめて、これまでどおり穏やかにするというのはどうです」
「魔法使い相手に交渉するのですか。ただの人間が」
「歴史を繰り返したくはないでしょう」
「無駄話はしたくありません。記録データをそこに出しなさい」
「そのような権利はないはずです」
「おっしゃる通りです。しかし、そのような態度は我々に対する敵対ととられますよ。さっき穏やかにしようと言ったのは嘘ですか」
姉の首筋を汗が流れていくのを見ながら、健一は自分が何の助けにもならないのを悔しく思っていた。
香織はデータカードを抜いて二、三メートル先に放り投げた。
「全部です。後ろの弟さんのデータも、それから、今の会話を録音したのもです。それと、本体のは消して下さい」
ふたりはためらったが、結局言う通りにした。魔法使いはカードを燃やすと、ジョギングのように走って森の中へ消えた。
十分ほどすると、通信がつながった。すぐに家に連絡し、今の出来事を話した。両親はなんともなく、父の熱も下がっており、仕事をしていた。かえってふたりの方が心配され、すぐ帰ってくるよう言われた。
「その男に見覚えは?」
父の質問に香織も健一も首を振る。記憶を頼りに絵にしてみたが、前に訪問した男女のどちらとも明らかに違うようだった。
「しかし、魔法使いにしては荒っぽいやり方だな」
腕を組む父に母が同意する。
「そうね、なにか焦ってる感じ」
「『我々』って言ったんだな」
確認され、ふたりは頷いた。
「それから、こっちは監視されてる、と。この会話だって聞かれてるかもしれないんだな」
「あら、面白そうね」
母が父をからかった。
「うん、久しぶりに真っ向から挑戦してくる奴がでてきた。それも魔法使いだしな」
健一は驚いた。父のこういう側面はみたことがない。
「もう一度、どんな話をしたか教えてくれ、覚えている通りでいいから、言葉を言い換えたりせずに、相手が言った通りに。こっちの返事もそのままで」
短い会話だったが、きちんと思い出し、細かい様子まで再現すると結構時間がかかった。それから文字に起こし、必要なところでは図を描いたのでもっと時間がかかった。
「こんな話してていいの? 聞かれてるんでしょ」
不審げな顔の香織に母が答える。
「聞かせてるのよ。こっちは馬鹿じゃないってね。それに盗聴器は後で業者呼んで取り除くし、機器そのものは証拠になる。それも相手の焦り具合を示してるわね」
「魔法で盗聴してるんじゃないの。あっ、そっか。どうしちゃったんだろ、あたし」
普通の家ならともかく、ここにはコンパスがある。
「香織、どんなときにも焦っちゃだめ。頭をくもらせちゃだめよ。健一もよ。戦いは力も大事だけど、目と頭が鈍ったほうが負けるものなの。覚えときなさい」
「そう。だから相手の焦りはこっちの勝機になる。魔法使いだからってひるむな」
机をこつこつと叩きながら父が言った。だが、言葉の最後に咳が混じった。
「大丈夫? それに、穏やかに済ませるんじゃなかったの」
「大丈夫。それと、穏やかに済ませるって方針は変わらない。でもな、健一、お前たちを脅した代金は払わせる。それが俺のやり方だ」
「木島さんに連絡していい?」
「いいが、何にせよもう遅い。どんな結果でもお前のせいじゃないからな」
健一は今日あったことを教えた。木島は特に変わったことをされたり言われたりは無いと返事してきた。
「そうか。ま、盗聴してたんなら今更娘に何しても意味はないって分かるだろうしな。でも、木島の娘さんの『何もない』だって信用出来ないけど」
父は気になる言い方をした。だが、健一はそれは自分が確かめなくてはと思い、それ以上何も言わなかった。
盗聴器はすぐに取り除かれた。事務所の音だけを拾っていたようだったが、素人が通信販売で入手するようなもので、性能は良くなかった。普通の話し声ですら時々不明瞭になる。
父は業者のすすめを断り、警察には届けず、作業報告書をつけたまま保管した。いつ頃から仕掛けられていたのかははっきりしなかったが、誰かを絞りこめるほど最近でないのだけは確かだった。母は今後業者に定期的に掃除に来てもらう契約をした。
「この可能性も考えるべきだったな。魔法ばかりじゃなく」
父は後悔するようにつぶやいた。
季節は完全に夏に移った。毎日朝から暑い。車や建物の金属部分からの照り返しは炙られるようだった。日陰に入っても空気が含んでいる熱と湿気でまったく涼しくならない。
仕事は通常通りだった。担当区域の引き直しのせいで例年より少なくなったが、これは想定の範囲内だった。協会とのやり取りも普段と変わらず、あれ以来魔法使いは干渉してこない。健一には拍子抜けだった。両親も、姉も普段のままだった。
だから、もうすぐ夏休みという日、父が協会に行くと行った時には、また役に立たなかったと自分に失望した。水面下での動きにまったく参加できなかった。
「これでけりがつく?」
「まだだな。でも、相手の手か足を食いちぎってくる」
父はそう言い、母とともに出かけた。帰りは遅くなるから夕飯は適当に済ませなさいと言った。
「まったく、子ども扱いなんだから」
車を見送りながらつぶやいた。
「子どもでしょ。あのふたりから見たら、あたしたちなんて」
香織が答えた。とにかく暑い日だった。
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