ラプテウム探求紀

相生薫

ファン・フリベル(Van Gulliver)との出会い

 拙者がこの奇行譚を著することになったいきさつは、八代将軍、吉宗公が南蛮洋書を買い入れるお許しを賜われたためにある。


 洋書の荷受が可能になると、拙者は故郷の大村藩の友人、知人、先生たちに頼んで、欧州の書物を取り寄せてもらった。


 その頃、拙者は、蘭学は若い頃に既に習得しており、蘭文はもとより英吉利文や葡萄牙ポルトガル文を解するようになっていた。


 大量の洋書を購入した中に、「フリベル註1旅行譚」という書物があった。

 拙者の古くからの先生が取り寄せてくれたのだが、その先生は「欧州の御伽草子」だと仰っていたので、学者として出世した拙者としては食指が動かなかった。


 しかし、このフリベルという名には聞き覚えがあった。


 そう、大村藩にある足軽の家に生まれた貧しい拙者を武士註2に出世させてくれ、学者として名を馳せる元々の発端になったあの男の名ではないか。


 その著書の作者名はスイフトと云う英吉利人となっていたが、書を読んでみると、益々あの「ファン・フリベル」と名乗った和蘭オランダ人に間違いない。

 蘭文に訳されていたが、元は英吉利語だそうだ。

 すると、この著書は「フリベル旅行譚」と読むのではなく、「ガリベル旅行譚(Gulliver’s Travels)」と読むのであろう。


 我が師は「御伽草子」などとのたまわれたが、なんのなんの、まるで本当の事実ではないか。


 当時、ファン・フリベルと名乗ったこの男は奇遇に恵まれる男で、この著書に書かれているような奇妙奇天烈な不思議な国に辿り着くのにも無理は無い。そういう宿命を背負っている男なのだ。


 そして、この男のお陰で拙者も人生の岐路を迎えることとなったのだ。



 この男が日本に来たのは、丁度、五代将軍綱吉註3様が亡くなられたばかりだった。

 江戸ばかりでなく、日本中の各藩が騒ぎまくっていた時だった。

 当然、大村藩も出島も港も閉じ、和蘭船の入港を禁止していた。

 その頃、拙者は蘭学を修め、長崎随一の蘭語使いと言われ、出島の和蘭人の通訳と検閲を命じられていた。

 将軍様がお亡くなりになられたというので、藩主たちは江戸に馳せ参ずるか否かと騒いでいた。


 そんなおり、野母崎に和蘭船が投錨したという報せが入った。

 なんとも迷惑なときに来てくれたものだと、拙者は呆れていたが、その中のある人物が徳川家と親しい島国の親書を携えていると言うではないか。

 どこの島国かは知らぬが、将軍家に当てた親書があるというのなら、無辜むこには出来ぬ。

 仕方なく、長崎の港まで招き入れ、危急の時であるからどうか沖合に投錨して待っていてくれと頼み、家宣公の即位が決まってから、上陸を許した。


 親書を持つ男を迎え入れると、どうも怪しげな男で、野母崎の事を「ザモスキ」と言い、拙者が何度正そうとしても、ザモスキ註4、ザモスキと繰り返しておる。

 そればかりか、長崎のことをナンガスク註4、ナンガスクと発音するのだ。


 コヤツはどうやら和蘭人ではないな、と察していたが、何しろ奴さんは親書を持っているので、ないがしろには出来ない。


 しかも、親書の送り主は「ラグナグ」国の王だという。

 しかし拙者も周りの者もそんな国は聞いたこともない。


 取り敢えず、江戸には報せを送ったが、どうせ捨て置かれると誰もが確信していた。


 ところが、家宣公からの命は、その者を江戸まで連れてくるようにとの事だった。


 そこで拙者が通訳として、江戸までそのファン・フリベルと申す者とともに参勤するよう藩主からの命を承ったのだ。

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