夜、歩く
春嵐
夜、歩く
夜。
自分は、なぜ歩いているのだろう。自分は、なぜここにいるのだろう。
歩く。人通りのない夜の道。街灯。コンビニ。
「あっ」
せっかくだから、何か買っていこうかな。
「えへへ」
お菓子。
手で持ち歩けるぐらいに買った。
まず、お茶を開けて飲みながら、歩く。
自分は、特殊だった。生まれたときから、自我がある。意思表示もできる。他人とは違った。記憶もそこそこに
人ではなかったんじゃないかと、思う。歩く。ヒールじゃなくてスニーカー。ちょっと高めのやつだから、かかとは痛くならない。
それ以外は、普通だった。体力も、学力も、鍛錬すれば身に付いたけど、鍛錬しなければ身に付かない。
両親が旅好きだったので、幼稚園や学校はよく転校した。協調性は、そのときに身に付けている。
それでも、こころは、なにひとつとして協調できなかった。
「私の、こころだけ」
そう。
こころだけが、他と違う。
でも、それを知る人はいない。
私だけが、私を人ではないと思っている。
「じゃあ、私は誰」
いや違う。
「私は何」
自分は、なぜここにいるのだろう。
昔話のように、悪いことをしたから地上に落とされたのだろうか。それとも逆で、良い事をしたから人になれたのだろうか。
歩けるようになってからずっと、この疑問を持て余したときは、夜の道を歩いた。それは、場所が変わっても、変わらない。三十を越えた今になっても。
歩く。
優しい灯り。ときどき通る車のライト。
「あ、仮奈さん」
向こう。
仕事の上司がいた。
三十五歳、妻子持ち。イケメン。やせ型。身長の低さがコンプレックス。中央への栄転を蹴って、地方に残った有能社員。蹴った理由は不明。
「どうしたの、こんな夜中に」
「仮奈さんこそ、危ないですよ」
危ないことは何一つない。二人とも、夜間警備保障の会社に在籍している。この区域は昼夜問わずとにかく平和なことも、知っている。昼間だとおじちゃんとおばちゃんが野菜を渡してくるような道。
歩く。
「そのお菓子の袋」
「あ、たべる?」
「じゃあ」
お茶取って飲みやがった。そこはお菓子とかだろう普通。飲めなくなってしまった。
「いつも、こうやって歩いてるんですか」
いつもではない。
気分が優れないというか、なにか、ふわふわした気持ちになったときに、歩く。
「どうでしょうか」
歩く。
「もしかして、怒ってます?」
何を。
訊き返そうとして、やめた。怒ってないと言ったところで、それで会話が終わるだけ。こちらから出てくる情報などないのだから、意味がない。
そもそも、歩いている理由が、私にも分からない。
歩く。
「あの」
「ねえ」
また、喋ろうとしているのを、遮った。
いま、会話をする理由が、ない。
「なんでいまここにいるの?」
上司。
ちょっと困った顔。
すこしだけ、たたみかけたくなった。
「妻子はどうしたのよ」
「妻子?」
「妻と子供よ。妻と、子供」
急に、笑いだす上司。
「あれ、まだ言ってませんでしたっけ」
「なにを?」
「私、結婚してないですよ」
「え」
初耳。
「中央に引き抜かれそうになったとき、苦し紛れで妻子持ちって経歴を偽証したんです」
「でもそんなのは」
すぐにばれる。警備保障会社だし。
「ええ。ばれました。でもなんか理由話したら大丈夫になっちゃって」
大丈夫って、いったい何が大丈夫になったのか。
「まあとにかく、私は独身ですよ」
なぜか、自慢げな顔。三十五とは思えないぐらい、若くて張りのある顔。
「理由って、何」
自慢気な顔が、そのまま固まった。
また、ちょっとだけ、たたみかけたくなった。
「なんで中央に行かなかったの」
あ、その前に。
「なんでこんな夜にひとりで歩いてるの」
質問攻めした。
これでしばらく喋らないだろう。
歩く。
上司が、お茶を飲む。
それは私のお茶だった。
私のお茶だったのに。
「えっとですね」
「えっ」
「えっ」
喋るのか。
「いやごめん、続けて」
理由があるのなら、お茶代として面白いことでも喋ってみろ。
「私ですね、ちょっと特殊というか」
上司。並んで歩いてたのが、ちょっと前に出る。
上司の背中。
小さい。
「その、生まれたときから、意識があるんですよ」
驚いて、ちょっと立ち止まってしまった。
上司が振り返る。
「あっごめんなさい。最初からわけわかんないですよね」
「いや、大丈夫。続けて」
心臓の鼓動が気になりだした。
「えっと、なんというか、その、覚えてるんですよ。生まれてから今までのことを。いや勿論忘れるところは忘れてるんですけど」
同じ。
私と同じだ。
「で、ずっとそれが、どうしてなんだろうって。どうして私だけ他の人と違うんだろうって。なんで私だけ、生まれたころからの記憶があるのかなって。もしかして自分は宇宙人なのかなって」
宇宙人という発想は、新鮮だった。罪の意識とか、そういうのにしか気が行かなくて、宇宙人の可能性を捨てていた。
「で、子供の頃はそればっかり考えてて、夜とか眠れなくて」
同じ。
私と同じものを抱えている人間が、いま、目の前を歩いている。
「そんなときに、窓の外の小道を見てたら、ちっちゃい女の子が歩いてて」
私の足が、止まった。
「いや、ちっちゃいといっても、私よりも大きかったかな。その頃私はまだ足が立たなくて。でもその子は自分の足で歩いてたし、たぶん年上ですね。どうでもいいか、そんなことは」
どうでもよくなかった。
上司。
振り返らず歩いている。
ふたりの距離。
伸びていく。
「その、夜を歩いてる子供の、なんというか、自由でふわふわした感じが、印象に残っちゃって」
上司が歩く。
私は、歩き出せない。
「自分の足で立てるようになってからすぐに夜歩いてみたんですけど、その子には会えなくて」
私だ。
上司が見たのは、間違いなく、私。
きっと、転校しているどこかで、上司は私を見た。
「それで、その子供に会いたいなと思って、この職業に就いたんです」
上司が立ち止まった。
声が聞こえる、ぎりぎりの距離だけを保持して。
「そして、夜を歩いてて、見つけたんです。あなたを」
上司が振り返る。
すぐに、私は背を向けた。
顔が見れない。
心臓が、ちょっとどきどきしてきた。
「中央に引き抜かれるってことになったとき、あなたのそばにいたくて、妻子持ちとか偽証したんだけどダメで、私がこの職業に就いた理由を喋りました。あなたをみつけたことも、一緒に」
上司の靴音。
やめて。
近付かないで。
「そしたら、なんて言われたと思います?」
上司の靴音が、止まる。
やめないで。
もっと、近くに来て。もっと近くに。
「妻子持ち設定のままにしておくから、がんばれよって言われました」
抱きしめられるかもしれない。
ちょっと、心臓が破裂しそう。
「それで」
背中に、なにか、硬いものが当たる。
「いま、ちょうど歩いててあなたに会ったんです」
だきしめ、られない。
背中に当たる硬いものはなんだ。
「はい、お茶。ありがとうございました」
お茶か。
「うん」
振り返って。
お茶を。
取ろうとして。
抱きしめられた。
「ずっと好きでした」
心臓が、たぶん、破裂した。
「ばかでしょ、あなた」
世界に、自分と同じ存在がいた。
生まれたころからの記憶を持ち、それに関して悩んだ人間が。
私と、同じ悩みを持つ人間が。
それだけでも、うれしかったのに。
いま。
抱きしめられている。
「いいの?」
ちょっと押しのけて、上司の顔を見た。
「なにがですか?」
「わたし、三十六だよ。あなたより年上」
現実問題、けっこう厳しい。
「ああ、大丈夫ですよ。私二十九ですし」
くそが。
それじゃ問題が解決してねぇじゃねぇか。三十五歳も偽証なのか。
「まあ、いいか」
もういちど、今度は、こちらから、抱きしめた。
いま。この瞬間。わかった。
なぜ自分が歩いていたのか。なぜ自分がここにいるのか。
夜。
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