第4話
次の日――。
仕事へ出掛ける前に電話でドアの修理を業者に頼み、業者が来てからの対応は、まだ転校の手続きなどが終わっていない彼女にお願いした。
俺の頼みに対し、家に残る彼女はノートパソコンを使ってインターネットで自分と同じ症状の出ている人間を探すついでに頼まれてくれることを了承してくれた。
そして、一日の仕事を終えて、自宅に帰るところから話は始まる。
…
無事にドアノブが回ることを確認した俺はリビングまで行き、ソファーに座る彼女へと話し掛ける。
「ドア、直ってたな」
「ええ。業者がついでに鍵も作ってくれたから、自分用に予備を作らせて勝手に持ったわよ」
「構わないよ」
「あと、余ったお金で買い物もさせて貰ったわ」
「高橋のおばさんの荷物が届いてないから仕方ないな。それも構わないよ」
上着を脱いでネクタイを外すと、いつも掛けているハンガーに皺になる前に掛ける。箪笥から私服を取り出して着替え終えると、彼女が話し掛けてきた。
「無神経な人間って、人前でも平気で着替えられるのね?」
「そうだよ」
彼女は溜息を吐く。
「まず、この家の鍵を渡しておくわ」
そう言って彼女が放り投げた家の鍵をキャッチすると、忘れないようにいつも入れているハンガーに掛かる上着の内側のポケットへとねじ込む。
「今から話をしたいんだけど、いいかしら?」
俺は空腹を感じた腹をさすりながら返す。
「夕飯食べながらでいいかい?」
彼女は台所のテーブルを右手で指差した。
「用意してあるわ」
「助かるね」
「話しながらだと思ったから、全部摘まむ系のもので作ってあるわ」
自分の都合を優先して食事を作るところは、彼女も俺同様に十分に無神経の素質を持っている気がする。そして、それを咎めることもない。今から自炊して料理を作らないだけでもありがたいのだ。
俺は直ぐにでも腹に何かを入れたい衝動に駆られて台所のテーブルまで歩き、彼女が作ったという料理に目を向ける。摘まみながらということで作られたのはパックの刺身を使って作られた海苔巻きだった。さっそく流しで手を洗って椅子に座り、用意されていた付け皿に醤油を垂らして、箸で海苔巻きを摘まんで醤油にチョンと付けて口に放り込む。うん、美味しい。
「まず、貴方の見解を聞かせてくれない? 私がどうして娘の中に入っているか」
「昨日の今日で、俺に聞くのか?」
「どんな意見も、貴重な情報になるはずよ」
俺は海苔巻きを摘まんでいない方の左手を頭に軽く当てながら少し考えて答える。
「まあ、単純に思いつくのは二つかな」
「一つ目は?」
「君自身が娘の別人格であること。娘に入ったというのは思い込みで、娘が勝手に作り出した母親という設定」
「多重人格者というものね」
「ああ。実例もあって、人格が代わると口調や顔つきまで変わるというものもある。中には知らない国の言葉を話し出すなんてのもあるから、先祖のDNAの記憶が蘇ったとか、前世の記憶が人格に現われたなんていう説もあるらしい」
「なるほど。もう一つは?」
「単純に霊が憑依したってヤツだね。死んだ君の霊が娘にとり憑いてしまったというパターンだ」
「なるほど」
海苔巻きを箸で摘まみ、俺は話しを続ける。
「俺の意見に対する君の感想は?」
「ありきたりだけど、私もそのどっちかじゃないかと思っているわ。ただ、前者の多重人格者っていうのはない気がするの」
「理由は?」
ソファーから立ち上がってリビングから台所まで歩いて来た彼女は腰に右手を当て、反対の左手の掌を返す。
「新しく生まれた人格に前世の記憶や先祖の記憶が蘇って大人の話し方になっているなら、その先祖の情報――つまり蘇る私の母親としての記憶に時間的なリミットができると思わない? 例えば前世の記憶が蘇るのなら生まれ変わりが必要だから、娘が生まれる前に私は死んでいないといけない。そうではなく先祖である母親のDNAの記憶が蘇ったというなら、新しい人格に蘇る記憶は母親と繋がっている出産前までが娘に記憶を譲渡できるリミットのはず。でも、私の記憶にはリミットを無視した、出産後の記憶もしっかりあるわ」
「つまり、前者の生まれ変わりもあり得なくて、後者のDNAの記憶の蘇りもあり得ないってこと?」
彼女は頷く。
「そして、もう一つの別人格の形成の特長についてだけど、生まれる多重人格というのは、心的ストレスが反映される傾向が強いらしいの。過度の家庭内暴力を避けるために何も感じない人格を生み出したり、暴力に対抗するために凶暴性の強い人格だったりね。貴方には、私が心的ストレスで出来た人格に見える?」
俺は顎の下に右手を当てて考えながら言う。
「君の行動理念である『娘を守るため』っていう苛烈な行動は、心的ストレスが要因で生まれた人格の特徴に該当すると言えるんじゃないのか?」
「私は、そんな苛烈な性格を――」
と、ここで言葉を切り、彼女は何かを思い出しているようだった。大方、昨日まで住処を探すために起こしてきた数々の問題行動を思い返しているんだろう。
彼女は苦々しく続けた。
「――しているわね……」
ここで『ない』と言い切ったら突っ込みを入れるところだったが、彼女は俺に会うまでに親戚にしてきたことをちゃんと自覚しているようだった。
俺は海苔巻きを食べるのに使っていた箸を置く。
「多重人格者説はなしかな?」
「確定ではないけどね」
俺達は多重人格者説は、ほぼないと結論付けた。
「そうなると、死んでしまった君の魂と呼べるものが君の娘に入ったという説になる」
「……そうね。だけど、霊がとり憑いたなんて、こっちの方が眉唾物の気がするのよね」
肩を竦めて首を振りながら溜息を吐いた彼女を見て、俺は確かにその通りだと思った。
理由は簡単で、霊がとり憑くという話よりも多重人格になったという方が説明には困らないからだ。何故なら多重人格というのは脳の異常動作であり、医学というもので専門医の判断を仰げば、それなりの診断が出来るからである。
それに対し、『霊がとり憑きました』というのをどうやって証明すればいい? 科学や医学というのは学問を突き詰めていった結果に証明ということが出来るのに、幽霊という存在するかどうかも分からないものを突き詰めることなど出来るわけがない。仮に存在があったとしても、突き詰めるための実例が少な過ぎれば成り立ちもしない。
「ちなみに事故を起こした時に、娘は一緒だったのか?」
「何故、そんなことを聞くの?」
「一緒に事故に巻き込まれたんなら病院に行っているだろう? その時に精密検査をするから、検査で脳に異常があれば、今の状態の原因を解明する一つになるんじゃないか? 医師という専門家の意見は、俺達なんかよりずっと信頼できる情報だ」
「なるほどね。だけど、あいにく娘は家でお留守番の最中だったわ」
「それは多重人格者説の完全な除外の判断材料になりそうだね」
「え?」
彼女が俺に視線を向けた。
「娘の中に入ったのは事故直後? それとも、事故の知らせを聞いてから?」
彼女は真剣な顔になり、しっかりと思い出すと言い切った。
「事故直後だったわ」
「だとすると、娘が両親の死という心的ストレスを認識して人格を作り出すタイミングが合わないと思わないか?」
彼女はハッとしたあと、納得したように顎の下に右手を当てた。
「その通りだわ。私の死を知りようもない娘に心的ストレスは発生しない」
可能性の一つを排除できた彼女は穏やかな顔を見せて言う。
「人とは話してみるものね。自分ひとりで考えるよりも、違う視点で答えが返ってくるわ。自分ひとりだと、どうしても凝り固まった考えになってしまう」
「役に立てて何よりだ」
「そうなると、残るのは憑依説ね」
「そうなるんだけど……」
「何よ? 歯切れが悪いわね?」
機嫌を良くしたばかりの彼女にはっきり言っていいのか迷いながら、俺は伝える。
「その、憑依って悪霊の使うスキルって感じがしないか? イメージ的に」
「…………」
彼女は暫く沈黙すると、頭を抱えて蹲った。
「確かに……。娘にとり憑いて体の所有権を奪うなんて、そのものズバリじゃない……」
今頃、気付いたのか……。
「どうすんだ?」
彼女は苦悶に満ちた顔でうんうん唸ると、やがて座った目で呟く。
「私を除霊して貰うしかないかと……」
何か、変な方向に話が変わってきた。娘を守るために奮闘している母親の霊を悪霊として除霊することになるらしい。いいのか?
彼女は座った目のまま、俺に問い掛ける。
「霊媒師って、本当に本物なのかしら?」
「俺からすれば、君の存在そのものが既に疑わしい存在なのだが」
彼女は額に右手を当てる。
「そうよねぇ……。まず、私が本当に幽霊かどうかも分からないのよねぇ……」
自分が幽霊であることを証明する方法なんてあるのだろうか?
俺は箸を取り、残りの海苔巻きを摘まみながら彼女の答えを待つ。
「とりあえず、有名どころの霊媒師に私を見て貰わない?」
「君の存在が、よく分からないから?」
「ええ。幽霊かどうか判断して貰いたいし、幽霊なら幽霊で解決方法を知りたいし」
何か変な話が、更に妙な話になってきた気がする。
この後も色々と話し合ったが、結局、お互いに良い案は出ず、とりあえず行動だけは起こそうということになった。
今度の休みは霊媒師探しをする予定である。
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