序章・切っ掛けの少年  8

 翌朝――。

 ティーナとの朝の修練を行うため、イオルクは二階の自分の部屋で兄達よりも早く家を出る準備をしていた。皮鎧を身に付け、重りの入った手甲と具足を装着し、両手両足の可動域を確認する。

「うん、問題なし。昨日の手合わせでの調整でいいみたいだ」

 自分の部屋を出ると階段を下りて玄関へ向かう。

 その途中で、イオルクは昨日の城での仕事を思い出す。初日の仕事をこなして思ったのが、圧倒的な練習時間の短さだった。ティーナに貰った重りを装備して筋力の低下は防止できるかもしれないが、武器を扱う時間は見習いの時よりも確実に減っている。そうなると、今後の鍛錬は量より質で何とかするしかない。早朝の女騎士との修練に加え、帰宅後の父と兄との手合わせは欠かせない。

(しっかし、豪華な修練だよな。銀の鎧以上の騎士と手合わせしまくるっていうのは)

 家族との修練もそうだが、二人しか居ないが故の銀の鎧との手合わせは得難い経験に違いない。しかも、ティーナは実戦形式をメインとしており、これは強い騎士になりたいイオルクにとっては大きなステップアップになるだろう。

(相手が堅物じゃなければ、もっと良かったけど……)

 たった一日で刷り込まれた苦手意識だが、それはティーナも同じかもしれない。……いや、同じではない。ティーナには仕事に関係ない突っ込みスキルも刻まれてしまっている。

そんな昨日の出来事を思い返して歩いていると、イオルクは家の門まで来ていた。

そして、門に手を掛けて開こうとした時、イオルクは呼び止められた。

「少し待ちなさい」

「ん?」

 玄関から走って来たのであろうランバートが布に巻かれた何かを持って、息を弾ませていた。

「大声で呼んでくれれば良かったのに」

「まだ朝早いからな。ご近所に迷惑は掛けられんよ」

「それもそうか。ここ、庭と違って大通りに近いもんね」

 息を整えたランバートが頷き、イオルクと話をしやすいように一歩近づく。

「随分と早いな。もう、出掛けるのか?」

「隊長命令でね」

 肩を竦ませて答えたイオルクに、ランバートは何も言わず手に持っていた布に包まれたものを差し出す。

「これは?」

 ランバートが巻いてある布を取って正体を明かす。

 そこにあったのは、まるっきり同じ姿の二つの武器。長年仕舞われていたらしく、取った布には埃が付いていた。しかし、大事に仕舞われていたものでもあるらしく、革の巻かれた柄と同じく革製の鞘には経年劣化の様子は見えない。

 ランバートが二つの武器を差し出す。

「鉄の鎧になったのだろう。武器を携帯しなければな」

 気を利かして用意してくれたものだろうが、差し出された武器にイオルクは戸惑いを見せる。

「父さん……。俺、まだ――」

 イオルクは言葉を詰まらせた。

 ブラドナーの使命に従い、武器を選んで特化させなければいけないのは分かっていたが、武器は自分で選びたいと思っていた。だから、ランバートから差し出される武器を、イオルクは素直に受け取れなかった。

 そのイオルクの気持ちを、昨日の手合わせを見てランバートは知っている。戸惑う理由も知っている。

 理解した上で、ランバートは優しく声を掛けた。

「武器を決め兼ねているのは分かっている。焦らなくていいから、じっくり考えて答えを出しなさい」

「うん……」

「これは、私なりに考えてのものだ。色んな武器の特性を持ち合わせていると思う」

 イオルクはランバートから武器を受け取り、鞘に包まれている片方のそれを抜く。

 そこにあったのは……。

「ロングダガー……?」

 ロングダガーとはダガー特有の厚みを持ちながら、名前の通りダガーよりも長目に造られた武器だ。短剣よりも長いため、短剣と同じスピードで振るのは難しく、剣よりも短いため、対等の間合いで戦うには一歩踏み込まなければならい。

「ナイフとしても剣としても扱うには難しい武器だ。そして、このロングダガーは二対一組みだ。二本あるということは両手で一本ずつということだ」

 イオルクは視線を上げ、武器からランバートへと視線を変える。

「お前なら扱えるはずだ。大型の武器としては扱えないが、色んな武器の特性を併せ持つこれなら、武器を選ぶ手助けになるだろう」

「はは……」

 ランバートの意図を理解し、イオルクは両手に一本ずつロングダガーを握る。

(確かに、これなら使い手の使い方次第で扱い方が変わる。俺の目指すものを見定めることが出来るかもしれない)

 ランバートに笑みを向け、イオルクは鞘の外れた片方のロングダガーを鞘に納める。

「大事にするよ」

 イオルクはロングダガーの鞘をベルトに通し、左右の腰にしっかりと一本ずつ固定した。

 軽く抜き差しして戦闘になっても素早く抜けることを確認すると、イオルクはランバートにお礼を言う。

「ありがとう。使う武器を決め兼ねている俺には、最高の贈り物だよ」

「ああ、今日からそれを持って頑張りなさい」

 イオルクは、もう一度、ランバートに笑みを向けた。

 その顔を見たランバートも、満足そうな笑みを浮かべた。

「いってきます」

 騎士の家らしい無骨な贈り物……。

 イオルクは、いつもより新鮮な気持ちで家を出た。


 …


 昨日同様の時間に城の城門を訪れ、衛兵に許可証を見せるとイオルクは城の中へと入る。

 修練場へと向かう途中でも、誰とも会うことがない。当たり前だが、朝早い城内は閑散としている。

(早過ぎなのかな? でも、朝の修練時間を考えると、これぐらい早くないと手合わせの時間が短すぎるしな)

 そんなことを考えつつ、辿り着いた石造りの立派な修練場にティーナの姿を見つける。

イオルクは片手をあげながら、挨拶をする。

「隊長、おはよう」

 しかし、返って来たのは朝の挨拶の言葉ではない。

 ティーナのグーが、イオルクに炸裂した。

「な、何故……」

 出会った瞬間の不意打ちも相まって、受け身を取り損ねたイオルクは突っ伏した状態で訊ねるのだった。

「何故だと? こっちが聞きたい! 何故、皮の鎧なのだ!」

「昨日、隊長が好きにしろって……」

 突っ伏したままの状態で会話しているイオルクに、ティーナが苛立ち交じりに叫ぶ。

「さっさと立ち上がれ! いつまでその体勢で話す気だ!」

 ノロノロと緩慢な動作で両腕が床に付けられ、ゆっくりと体が持ち上がる。イオルクの額には赤い跡が付いていたが、本人は特に気にすることもなく頭を掻いている。

「騎士の階級を分けている意味がないだろう!」

「はあ……。でも、この鎧は特注なんですよ」

「何故、皮の鎧が特注なのだ! 鉄の鎧とどっちが高価なんて、比べるまでもないだろう!」

 イオルクがパタパタと手を振る。

「いやいや嘘じゃないです。いいですか? 見ててくださいよ」

 イオルクは皮鎧の背中に手を回すと、皮の鎧の一部がパチンという音と共に外れた。更に丸く外れたそれをひっくり返し、内側に仕込まれた鎖を引くと皮がピンと張った。

 皮鎧の一部が、小さな盾になったのである。

「どうです?」

 イオルクがティーナに小型の盾を差し出す。

「……凄いな。どうなっているのだ?」

 さっきまでの怒りはどこへやら……。ティーナは皮の盾を受け取ると強い好奇心が湧いて、鎧のことを一瞬にして忘れてしまったようだった。

「俺が造ったんです」

 盾を撫でさすり、指で叩いて感触を確かめながらティーナは質問する。

「それで、機能は?」

「は?」

「これは、ただの盾ではないだろう」

「ええ、まあ……」

「それで、機能は?」

 イオルクはチョコチョコとを頬を掻き、一歩後ずさる。

「きょ、興味津々ですね」

「続きを!」

(変な人だな……)

 ティーナの意外な一面を見て妙な親近感がわく中、このまま放っておくのも後が面倒そうだとイオルクは説明をすることに決めた。

 一つ咳ばらいを入れて、イオルクが右手の人差し指を立てる。

「鎖帷子って知ってます? 鎖で編んだ服みたいの?」

「当然だ」

「あれって体にフィットさせるから、自由に動くでしょう?」

「うむ」

「アレを応用して、普段は皮に鎖を緩めに巻いておいて、使う時に引っ張ると皮の内側の板が合わさって盾になるんです」

「なるほど。いい工夫だな」

「皮の上に鎖を巻いてあるから、普通の皮の盾より守備力は高いです」

「いいな」

「いいでしょう」

 皮の盾の鎖を左手に絡ませ『ほう、こう固定するのか』と呟いて感心していたティーナだったが、徐々に首が傾むいていく。

「……何故、盾の話に?」

 両手で皮の盾を握りながら、眉間に皺をよせてティーナは少し前の記憶を遡る。

「そうだ! 鎧だ!」

「これ、お気に入りなんだよなぁ」

 ワザとらしく皮の鎧を擦りながら、一方ではティーナの持つ皮の盾にイオルクは目を向ける。

 ティーナは皮の盾に目を落とし、『うぐ……』と先ほどまでの自分の醜態を思い出す。

 そして、大げさに咳ばらいをすると、ティーナは言葉を漏らす。

「……まあ、いいか。好きにしろと言ったのは……私だしな」

 どうやら目の前の女騎士は、盾に細工された機能に対する好奇心に負けたらしい。

「問題なしですね」

「ああ。――ところで」

「何か?」

「他に……機能はないのか?」

(どんだけ喰いつくんだ、この人?)

 イオルクは溜息交じりに付け加える。

「あとは、盾の下に外套が収納してあるだけですよ」

「外套?」

「布であれば、何でもいいんです。盾に使っている板が背中に食い込まないようにするだけですから。あと、外套というのは切れば包帯になるし、寒ければ体を覆るんで、戦場では利便性が高いんです」

「もっと、凄い仕掛けが見たいのだが――」

「そんな要望には応えられません」

「そうか……」

 ティーナは皮の盾を見ながら俯いた。

(そんな残念そうな顔をしないで下さい。ついでに、そんな変なところに乙女の顔を覗かせないでください)

 イオルクは皮の盾を返して貰うと鎧に再固定し、倉庫を指差す。

「今日も、やるんでしょう?」

「当然だ」

 ティーナの表情が切り替わる。今まで手合わせする相手の居なかったティーナにとっても、この修練の時間は貴重なのだ。

 二人は倉庫に向かうと修練に使う武器を選び、手に取った。

「今日は、槍で行きます」

「ああ、構わない」

「というか、毎日、武器を替えます」

 練習用のレイピアを振り、ティーナが腰に手を当てる。

「好きにしろ。小手先で私のレイピアを掻い潜れると思うなよ」

 早朝の修練による模擬戦は直ぐに開始され、レイピアと槍がぶつかる音が響き出した。しかし、本日は重りに慣れないイオルクが、防戦する場面が延々と続くことになった。


 …


朝の修練が終わり、ティーナを先頭にユニスの部屋へと向かう。今日は昨日の失敗を考慮し、修練は時間厳守で終了している。

 そのせいか、走っていた昨日とは違い、周りの様子がよく見える。他の部隊に所属する騎士達が城へと出向き始め、ザワザワと声が響いて騒がしくなっている。

 その途中、すれ違う騎士達の噂話がイオルクの耳に入る。

『アイツが、次の犠牲者だ』

『あの手足のヤツ。間違いないな』

『今度は、いつ辞めるんだ?』

『見習いからの転属だからな。五日持たないとみた』

 耳に入った噂に、イオルクは軽い眩暈を覚える。

「あの、隊長――」

「気にするな。いつものことだ」

(いつもなのか……)

 イオルクは溜息を吐く。

(兄さん達は、こういう噂が立ってたのを知らないのかな? 知らないんだろうなぁ……。夕飯の時、何も言ってなかったから)

 噂話を無視して、足早にティーナは先を歩く。その後ろをイオルクが肩を落としながら同じ速度で歩く。

 そんなおかしな隊長と部下は、やがてユニスの部屋へと到着し、ノックのあと、返事を確認して入室する。

「おはようございます」

「おはよう、ユニス様」

「二人とも、おはよう」

「…………」

 何気ない朝の挨拶だが、ティーナは納得していない。イオルクは、また『ございます』をつけていなかった。

 ティーナは拳で言い聞かせようかと思ったが、やめることにした。

(姫様を呼び捨てにした昨日よりはマシだ……。炸裂させた拳の成果は出ている……。まだ許容範囲内だ……)

 深呼吸して自分を落ち着かせると、ティーナは今日の予定を読み上げるべく一歩前に出た。

「昨日の謁見以来、今のところノース・ドラゴンヘッドを訪れる要人の予定はありません。授業の方は、午前中のダンスだけになります」

 それを聞いたイオルクが、ユニスに顔を向ける。

「今日は少ないね?」

「昨日が特別に多かったのよ。貴方、わたしを過労死させる気?」

「別に、俺がやれって言ってないよ」

 両手をあげて『ハハハ』と笑うイオルクの姿は、まるで男友達と会話しているようであった。

 そのイオルクが、ティーナに質問する。

「ところで……。隊長は、いつ予定を調べてるんですか?」

 最初から我慢などしなければ良かったと、ティーナの手が固く握り込まれた。

(やっぱり、ダメだ……)

 次の瞬間、ティーナのグーが、イオルクに炸裂した。

「何で、タメ口なのだ!」

 殴られた頭を擦りながら、イオルクは言う。

「まだ完璧じゃありませんが、言葉遣いは気をつけてますよ? 隊長に変なこと言いました?」

「私ではない! 姫様にだ! おかしいだろう!」

 イオルクはユニスを見て、ハッとする。

「ユニス様の方が隊長より身分が上だ!」

「この大馬鹿が!」

 ティーナが再びイオルクにグーを炸裂させると、ユニスは可笑しそうに笑う。

「いいわよ、タメ口で。ティーナも」

「そんなこと出来ません!」

「ユニス様の方が、心が広いよな」

 我慢していた反動か。早々にティーナの中で何かが切れた。

 イオルクの首を締めあげて、ティーナは顔を近づける。

「常識を持って話せ! お前は!」

「ほ、本気で締まってる……! お、怒ってばっかで、いいんですか? 時間、遅れますよ! 遅刻し・ちゃ・う……ってば!」

「くっ!」

 ティーナは締めていた手を忌々し気に開放し、振り返る。

「姫様、御支度の準備を」

 笑いを堪えながら、ユニスは手に抱えているものを見せる。

「もう、終わっているわよ」

「さすが」

 イオルクの感嘆の声が聞こえると、ユニスは体を傾けてティーナの横から小さな顔をイオルクに向ける。

「イオルク」

「なに――」

 ティーナの視線が突き刺さると、イオルクは無理に言葉遣いを修正する。

「――ですか?」

 もっと可笑しくなってしまった言葉遣いに、ユニスは笑いながら小指を立てる。

「終わったら、トランプね」

「はい。今日は、違うゲームをしましょう」

 イオルクが一歩進んで腰をかがめ、ユニスの小さな小指に絡めて約束する。

「では、参りましょう」

 ティーナがユニスを促すと、ユニスは落ち着いた足取りで前に進み、ユニスとティーナは部屋を後にする。

(これから、これが俺の日常になっていくんだな)

 見習いの時とは違う、戦場に駆り出されることのない日常。

 それを少し先の未来まで思いをはせらせながら、イオルクは小さく微笑んでユニス達に続いて部屋を出た。

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