4章 失うもの⑥
「…………」
俺は目の前で行われたすべてが信じられず、どうにかして納得のいく答えを探していた。
彼女は事故を起こして屋上から落ちたとか、実はこれはすべてドッキリだとか、現実逃避も甚だしい考えばかりが浮かんでくる。
しばらく突っ立った後で、ようやく自分で折り合いをつける。
いいや違う……彼女は間違いなく自分の意思で飛び降りたのだ。
「なんで、そんな……。そんなことを……」
足が沼にはまったようにまったく動かない。まだ彼女の能力を受けているのかと錯覚しそうだった。
「どうしてこうなるんだよ……!」
居ても立っても居られなくなった俺は駆け出した。
学校の外に飛び出して真っ先に目に留まったのは、地面にしゃがみこむ伊吹の姿だった。
「あっ、吉祥君! 大変なの! 女の子が上から落ちてきて……」
「なんでお前がここに……」
伊吹は屋上から飛び降りた少女を気にかけていたようだった。
「私もよくわからなくて……。二階を歩いていたら、窓の外に女の子の落ちていく姿が見えたの」
少女の肢体からは、大量の血が湧き水のように溢れ続けていた。
夜の暗闇がなければ直視することはできなかっただろう。
「何があったの? 吉祥君がここに来たってことは、この子に何かがあったんだよね?」
「それは……」
そうは言うが、さすがに屋上での出来事を教えるわけにもいかなかった。
伊吹の疑問のまなざしを無視して、自己流で少女の腕に触れてみる。
俺を殺そうとしたのは事実だけど、見殺しにするのは俺の求めている結末じゃない。
ぎこちないやり方で脈を確認すると、微かに生命のようなものを感じた。
「しっかりしろ! 意識をしっかり持つんだ!」
「……はは、アンタバカじゃないの」
俺の言葉が耳に届いたのか、少女は消え入るような声を出す。
まだ息があるとはいえ、このままでは死を避けられないのは確実だった。
「待ってろ! すぐに救急車を呼んでやるからな」
スマホを取り出し、急いで番号を入力しようとする。
「しっかりして! 今助かるからね!」
「……」
伊吹は少女が気を失わないように、懸命に声をかけていた。
頼む……早く出てくれ……!
最悪の事態が起きたのは、コール音が数回鳴ったときだった。
「……うっ」
後ろで人の倒れる音がする。
「……どうした、伊吹? しっかりしろ!」
さっきまで元気そうにしていた伊吹は、目はしっかりと開かれているのに、まるで死んだような表情をしていた。
「しっかりしろよ! 伊吹、俺の声が聞こえないのか!?」
体を揺さぶってもまったく言葉を返してくれない。
伊吹の瞳は黒一色に染まっていた。夜の闇にまみれていても、その異常な瞳をたしかに感じることができる。
傍にいるだけで心が休まるような、俺の知っている伊吹はそこにはいなかった。
「…………」
真っ黒な瞳がただひたすらに俺を射抜いてくる。
俺はその常人じゃない目つきに、段々と恐怖を感じるようになっていた。
「アンタにとって、その人は大切な人……?」
空を仰ぎ見たままの少女が、吐血で苦しそうにしながら言う。
少女を早く治療しようなどという考えはすでに蚊帳の外だった。
「伊吹が俺の大切な人だって……? 急に何を言ってるんだ?」
「その動揺の仕方……。はは、やっぱりそうなんだ……」
『やっぱりそうなんだ』ってなんだ? それはどういう意味なんだ?
意味深な発言。すぐに仮説は立った。
「……お前! もしかして伊吹をこんな風にしたのはお前か!?」
「ほら、怒ってる。自分の大切な人がそんな風になって、あたしに対して怒りを覚えたんだよ」
「そんなこと聞いてるんじゃない! お前がやったのかって聞いてるんだ!」
「だったらどうするっていうのよ……」
俺が焦っているというのに、こいつの薄ら笑いがどうも気に入らない。
「すぐに戻せ! 元の状態に戻すんだ!」
間違いない。きっと俺が背中を向けていたとき、この女が伊吹に何かをしたんだ。
この女の、〝影の中を移動する能力〟で。
「ははは……。〝その子の意識は闇の中に溶けた〟……。今そこにあるのは、肉体と生きようとする本能だけ……。哲学的ゾンビって知ってる? その子はもう死んだんだよ……」
「何を訳わかんねぇこと言ってんだよ! いいから早く元に戻せ! 伊吹を、俺の知っている伊吹に戻せ!」
胸倉を掴んでいくら叫んでも、女は小さく笑うだけだった。
そして、その声は徐々に燃え尽きるロウソクのように、
「アンタも……大切な人を失えば……あたしの気持ちが……わか――」
最後まで言い切らずに喋らなくなった。
なんて言おうとしたのかは、ある程度の予想がつく。
しかし予想がついたからこそ、思うこともあった。
「なんで、よりにもよって、伊吹がこうならなきゃなんねーんだよ……!」
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