第16話『人魚を見る者は何者ぞ』一
森の中を街道沿いに歩いていると……前方から眩しい程に輝く、巨大な湖が見えてきた。
それは湖が発光しているという訳ではなく、澄みきった湖面に朝陽が反射したものに見える。先頭からはリュポフが大声で叫んでいるのが聞こえてきた。
「人魚の湖の水沿いを歩く事になるが! 決して、湖に異物を投げ込まないように!! 彼女らは基本温厚で、人に協力的だが! 一度怒らせれば手が付けられないと聞く!! 湖周辺はあまり魔物が入ってこないので、そこで一時間……いや、二時間の休憩を取る!! いいか! 決して!! 人魚を怒らせないよう、注意してくれ!!」
それを聞いた俺は人魚、という言葉に想像と期待に胸を膨らませる。人魚、上は裸なのか、ビキニなのか、はたまた貝なのか。
……魚顔の人魚だったら嫌だな……と思いながら、俺は泉の方を見ていた。
そこから少し歩くと集団は湖の入り口に差し掛かる。先頭からは人魚の縄張りを通り、少しの間休息を取る旨を、湖に向かって叫んでいるリュポフのが聞こえてきた。
再び集団は移動を開始し、湖を通る街道の中程でゆっくりと停止。……休憩だ。
「朝食用の水を汲んでくる。体も拭きたいだろ?」
「あ……まぁいっか。ん、ボクは料理の準備をしてるね」
皮水筒二つがほぼ満タンである事を確認し、鍋だけを持って湖の水を汲まんと湖に近づいた。その時――。
――チャポン。
「ダメ、ここの水は汲まないで」
湖から顔を出してきたのは、水色髪の成人女性。美人と言う他ないのだが、完全な無表情。
人魚は冷たい水色の瞳をしつおり、俺をジッと見つめてきた。
顔だけを出している美女の姿は湖の水が透明に見えるにも関わらず、胸元までしか見えていない。そして見える範囲では、衣類の類は見当たらなかった。
上半身裸説の期待が高まる。
「……あ、あぁ。俺はここ辺のルールが分からなくてな、悪かった」
「……そう。ここの水は人間には毒だから、気をつけて」
「何? こんなに澄み切ってるのにか?」
「……そう。……この水は、人魚以外には毒にしかならない。……落ちたら……諦めて」
そう言った後にきょろきょろと辺りを見回したかと思えば、小さく水音を立て、人魚は暗い湖の中へと姿を消してしまった。
仕方なく手ぶらで戻ってみると……焚火の世話をしているニコラが不思議そうな顔をして見てくる。
「あれ? 水は?」
「人魚がな、人魚以外には毒だから汲んじゃ駄目だってさ」
俺はそう言いながら……ニコラが用意したのか、丸太が輪切りにされているだけの椅子に座った。
「毒? 人魚特有の魔術でも泉に施されてるのかな……でもそうなると、水の補給は出来ないね……」
「ああ、確か……ライゼリックの海底都市の周りにも人魚が居たよな」
「居たねー、マーメイドオーシャン。水の攻撃がやたらと痛かったよね」
「……そうだな……」
俺は反復クエストで数え切れない程の戦闘をし、何度か囲まれてデスペナを貰ったのを思い出した。
「……人魚NPCは居なかったよな? 話せる人魚もインスタントダンジョンのボス、キングクイーンオーシャンだけだったし」
「やっぱり異世界だね。ボクからしたら人魚は唯の敵だからさ、キミと一緒に行って突然目の前に人魚が出てきたら、反射的に剣を抜いちゃってたかも。……キミ、えっちな事考えながら行ったね……?」
「…………」
ジト目で唸るニコラに、なにも言えず黙ってしまう。……が、すぐさま切り替えたニコラは「ま、仕方ないね」と干し肉を軽く炙り俺へと渡してきた。
俺がアイテム袋からドラゴンの肉を取り出すと、すぐさま焼き始めてくれる。
「焼いてるだけの筈なのに、すごく美味しそうですね」
何時の間にやって来たのか、全身鎧の兜だけを外したリュポフが立っていた。
「一本食べるか?」
「……いえ、魅力的なお誘いですが止めておきます」
軽く、他の村人らに気づかれない程度に視線を向けながら言ったリュポフ。その顔は、心底残念そうであった。
……自分だけ良い物を受け取って食べるのは悪い、と思ったのかもしれない。と思いつつ、俺は軽く炙った干し肉を素早く食べ終える。
食べ終わるのを見たニコラがドラゴンの串焼き肉をさりげなく俺に渡し、それも手早く食べてしまおうとしていた所で……リュポフが小声で話し掛けて来た。
「……気づいていますか?」
「……なんだ?」
俺は食べようとしていた串焼肉から口を離し、小声で返す。
「――いつの間にか……かなりの数の人魚が混じっています」
「…………」
慎重に辺りを見渡し、気づく。見れば、あちこちで見目の麗しい女たちが談笑していた。
その格好はぶかぶかの上着を一枚着ただけの格好であり、目のやり場に困る。
その美女、美少女は村人や冒険者に見た事の無い魚を渡していたりと行動は様々であるが、パッと見ただけでかなりの数がいる事が分かる。
腕自慢の戦士に至ってはその艶かしい足に目が釘付けで、術師風の女に杖で頭を叩かれていた。
「……何故、こんなになるまで気づけなかった……」
「湖に施されている魔術が影響しているのかと。人魚らは女性のみの種族なので、他の生物から子種を貰って子を成すそうです。やり口としては集団に自然と混ざり、何時の間にか親密に……ほら、あっちの二人なんて森の影の方に歩いていきましたよ」
「早いな……流石に違和感を感じるぞ……」
「微弱な魅了です。ただし人魚にも好みがある上に、本当に嫌がる相手には近づきもしないと聞きました。……村人にはここでストレスを発散して貰いたい……という思惑もあるので、少し長めに休憩を取っています」
難しい顔をしてそう言ったリュポフ。
「成る程。……で、人魚は魚だろ? 子供が出来るのか?」
「ええ、出来ますよ。ただし、出産まで人型を維持し続けなければならないそうです。……例えるなら、オークやゴブリンの知性が高い、美女版ですね」
最後の一言だけをとびきりの小声、俺とニコラが本当にギリギリ聞こえる程度の声量でそう言ったリュポフ。それに俺は苦笑いで答えた。
「美人は得だな」
その言葉に同じく苦笑いを浮かべたリュポフ。
――と、そんな話をしていたその時。
「……ねえ、水汲みの人間」
なんだ? と思いつつも俺が声の方を見てみれば……そこには少女と、見覚えのある顔の女が立っていた。その後ろには少し距離を空けて、また別の美女が三人も立っている。
表情からは読み取れないが、声を発したのは見覚えのある方だと俺は見当を付けた。
一匹は、俺が湖に水を取りに行った際に見た顔だ。僅かに体に力を入れ、一歩間合いを空ける。
そして、何時でも剣を抜ける心構えを作った。
ニコラに至っては、反射的にクレイモアを抜き放ちそうになったのを反対の手で押さえている。見覚えのある水色髪の人魚が一つ溜息を吐き、ジト目で口を開いた。
「構えを解いて」
「…………」
「私達は人間を襲わない。人間という種族と敵対するのは、種を滅ぼすから。……その証拠に、誰も武器を持ってない」
「……それでも幾らかは怖い。少なくとも俺は、人魚をよく知らないからな」
「――そう。……人間はみんな臆病だけど、貴方は特に臆病ね」
「かもな。……俺は怖がりだ。だが、敵と確信出来る相手は怖くない。……一番怖いのはな、敵なのか味方なのか確信できない奴らだ」
そう言いつつも俺が構えを解除した為、水色髪の人魚の方も僅かに硬くしていた体から力を抜く。
物欲しそうな目で少女の人魚がドラゴンの串焼肉を見ていたので少し近づき、黙って口の前にもっていってやると……パクリ、とそれに喰らい付いた。
ふと腕自慢のパーティーの方を見てみれば、術師風の女だけが不満気な顔で残っている。状況を察した俺は、水色髪の人魚達へと視線を戻す。
「で、何の用件だ?」
「貴方たち、湖の魔力の魅了が殆ど効いてないみたいだから……直球に。――貴方たちの子種が、欲しい」
「……やっぱりそれか……」
その人魚の答えは俺の想定していた答えであり、正直かなり魅力的な嬉しい誘いであった。……それこそ、俺が一人であったのなら即答で答えた程に。
チラリ……とニコラの方を見れば悲しそうな顔をしつつも、反対しようという意思は無いように感じられた。
「ボクは……キミの好きにすれば良いと思うよ……。キミには色々と我慢させちゃってるし……」
「そんなこの世の終わりみたいな顔で言われて、俺が頷くと思ったか?」
「ごめん、正直ずるいと理解してやっちゃってる……」
「それに、ここまで我慢したんだ。あと数年くらいは我慢してみせるさ」
――ニコラが居るのに行く訳無いだろ、と内心で呟きつつ……俺は顔に笑みを浮かべ、人魚の方へと視線を戻した。
「と言うわけだ。悪いが、リュポフさんだけで許してくれ」
「……その人間を欲しがってるのは、後ろの三人。私は……あな…………キミが欲しい」
的確に俺の好みを突いてきた人魚の姿勢に、思わずたじろいでしまう。……が、何とか耐えきった。
それを見た水髪の人魚は不満そうな顔となったが……それとは逆に、満面の笑みとなった後ろの三人の人魚。当然、そうなってくると黙っていられなくなるのはリュポフ。
「ちょ!? 勝手に私を売らないでください!! そもそもお二人の所には、人魚の乱交に混ざらないために逃げてきたのですよ!? 私にはですね、今向かっているアークレリックに妻と娘が居ます! その二人を裏切る行動は…………うっ、謹んでお断りさせて頂きます!」
と言いながらも、リュポフの視線は人魚に釘付けだ。
「俺とニコラが、護衛を放棄して逃げるって言ってもか?」
「ん、ボクは元々この護衛に乗り気じゃないし、何時でも降りて良いよ」
「そんな!? 冗談でしょう!?!?」
驚愕の表情で、後が無いという表情になったリュポフ。俺とニコラはその言葉を待っていた、と言わんばかりに同時に口を開く。
「「冗談」」と。
ガクリ……と力が抜けたリュポフは、「本気で考える所でした……止めてくださいよ……」と良いながらもどこか安心した風となった。しかしニコラが小声で「……ボクは余り冗談じゃなかったけどね」と呟いたので、リュポフの表情は苦笑いへと変化する。
「――あ」
不意に冷たくも柔らかな感触に包まれたリュポフが思わず、という風に言葉を漏らした。何時の間に移動していたのか、三匹の人魚達が艶っぽい表情でリュポフに抱きついている。
ゆっくりと運ばれていくリュポフ。
離れていくリュポフからは「わ、私には妻と娘が!! ヨウ殿! レディ、ニコラ! 助けてください!!」という声が聞こえてくる。……が、薄着の美女三人に抱きつかれるというのは想像以上のものであったのか、その表情は緩い。
「まあ頑張ってこい」
「そんなー」
出荷待ちの豚の様に運ばれていくリュポフ。力を入れて逃げようとしているが、その力も人魚達の方が圧倒的に高いのか、殆ど動かない。
更には体に触れる柔らかな肌の感触のせいなのか、森の茂みに消える頃にはリュポフは完全に大人しくなっていた。
「ヨウ? ……キミも……行く? 私は、強い人間のが欲しい。後ろの人間が男だったら……もっと良かった」
「俺は行かんぞ。ニコラも居るからな」
小さく何度も俺のフード付きマントを引く水色髪の人魚――と少女の人魚。
かなり目の保養――いや、毒となっている。水色髪の人魚の太ももから目を逸らすべく、少女の人魚に目を向けた。
その生足には思わず、人魚である事を隠す気はあるのか? と内心で思ってしまう程度に鱗が付いていた。
「どうした、串焼肉がもっと欲しいのか?」
「ううん、お腹はいっぱい。でも、おま…………キミのカルピスで、もっといっぱいにして欲しい。お前は優しいから、好き」
「殆ど下ネタだな、おい!?」
カルピスって何だよ!? 異世界の言語翻訳どんな翻訳してやがる!! と内心で叫びながらもなんとか自身を押さえ込む。
最後の『優しいから好き』という一言に墜ちて震えそうになるのを誤魔化す為に、おお声で突っ込みを入れたのだ。
水色髪の人魚は確かに美人ではあるが、俺のストライクゾーンからはやや外れている。しかし少女の方は鱗が多く残っているにしてもその容姿は俺の好みであった為、内心で更に動揺してしまう。
当然、ニコラのジト目が俺に突き刺さる。
「そういう、作戦だったんだ?」
「ち、違うぞ? リュ、リュポフ! 帰ってきてくれ!!」
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