第107話 瑠奈side



『···本当に消すのか』



泪の精神世界に存在する、防衛規制を消すと決断した瑠奈に対して。泪の精神世界に佇む、瑠奈に語りかけるルシオラの声は複雑そうだ。


「その前にルシオラさん。他者の価値観を内部から変えたら、どうなるんです」


これだけは絶対に、聞いておかなければいけない。泪の深層心理の部分に踏み込んでいるからこそ、内部から他者の価値観を変えるとどうなるのか。


『······防衛規制を消す事とは、その者が現在持っている価値観を、根本から覆す行為だ。自分の価値観を覆され、ありのままの現実と向き合う事になる泪にとって、同時に受け入れがたい現実でもある。そして泪自身がその現実と向き合う、絶対的な支えが必要になる。それ以上に······。現状、自身の身に危機が迫っている状況でもない赤石泪にとって、君の行う行為はありがた迷惑でしかない事。彼の防衛規制を消す事そのものが、君自身の自己満足になる事を覚悟しておく事だ』


防衛規制を消す事は、相手の価値観を根本から変える事。今行う行為こそ、今の泪にとってありがた迷惑である事。そして他者の価値観を変える行為そのものが、瑠奈自身の自己満足だと。


『···そして。例え防衛規制の破壊に成功しても、泪は元の日常へ戻れない。泪が自身が置かれている現実を受け入れ、本来の価値観を取り戻したとしても、既に己の手が血塗れだと知っている泪は、必ず君の元を離れるだろう』


防衛規制を消さなければ、何もしなくても泪は死ぬまで、宇都宮と異能力の呪縛に苦しみ続ける。防衛規制の排除に成功しても、既に自らの手を汚している事を知っている泪は、二度と自分達の元へ戻る事はない。例えそれが、瑠奈が今持っているもの全てを奪う事になってしまっても。


能力者である事は理解しているが、異能力者間の迫害や争いとは、ほとんど縁もなく暮らしてきた瑠奈を、ルシオラは心配してくれているのだろう。



「自己満足でもエゴでも構わないよ。私はお兄ちゃんの笑顔が見たい」

『そうか···』



複雑そうに語るルシオラの声は、半分諦めにも似た声だった。


「···ありがとう」



―···。



瑠奈は再び『防衛規制の泪』が立っていた場所を訪れる。その寂れた場所に変わらず立っていたのは、宇都宮小夜と防衛規制。一度はこの場を立ち去った真宮瑠奈が、再び現れた事で二人は一瞬怪訝な顔をするが、すぐに元の余裕綽々の表情に戻る。



「どうしたの? また私達の絶対的な愛を、見せつけられて唇を噛み締めに来たの」



相変わらず瑠奈を、見下したように挑発する宇都宮小夜。彼女が本来の宇都宮小夜でないとわかった以上、いちいち彼女の挑発に乗る必要はない。


「私がここに来た理由は一つ。あんたの隣にいる防衛規制を消しに来た」


瑠奈の答えはもう決まっている。瑠奈のあっさりとした返答を聞いた防衛規制は、鼻で笑ったと同時にあらかさまに歪んだ嘲笑を瑠奈へ向ける。


「···何をふざけた事を? あなたに僕は殺せませんよ。あなたは生まれてから一度も、人を殺した事がないでしょう? 人殺しすら出来ないあなたに、この僕を消す事など不可能ですよ」


防衛規制の泪は、瑠奈がまだ『汚れてない』事を見抜いているのだ。瑠奈が一度たりとも血に塗れていない、『普通の人間』である事を。


「お兄ちゃんはもう。元の日常へ戻れないんでしょう」


既に『人間』として越えてはいけない、一線を越えてしまっている泪は、もう元の日常へ戻れない。凄惨な現実を受け入れる事が出来ても、瑠奈達のいる日常へ泪が戻る事は二度とない。


「人を殺した事もない奴が···。綺麗事ばかりの偽善者の癖に、他人を傷付ける事も出来ない癖に···」


防衛規制は瑠奈へ向かって、忌々しげに悪態を吐くが、瑠奈は無言で前方に光輪(エンゼルハイロゥ)を展開する。攻撃系の異能力を持たないなら、せめて念動力を鍛え上げるしかない。これまで念動力の制御の練習をして、始めての光輪の具現化が、泪の防衛規制の排除になってしまうとは皮肉なものだ。



「お兄ちゃん···私も【異能力者】だよ。······一緒に付き合ってあげる」



瑠奈は寂しく微笑むと同時に、泪の姿をした防衛規制へ光輪を向け、見えない思念の塊を光輪を介し、防衛規制へ向かって一気に放った。



「!? 瑠奈······っ」


「う、嘘よ!! こんなの嘘だわっ!!」



泪の姿をした防衛規制は、光輪から放たれた思念の塊を、何故か何の防御も行わず、ただ呆然とした表情で、瑠奈が放った思念波を浴びる。思念波の衝撃を一片の抵抗もせず、直撃で喰らった防衛規制は、衝撃の波と共に光の塵となってサラサラと消滅していく。身体が砂のように崩れながら消えていく泪の隣では、防衛規制が消滅した事により激しく狼狽える小夜の姿。



『泪の防衛規制は消滅した。すぐに泪の所へ行け!』



防衛規制の消滅を確認したルシオラが瑠奈へ語りかける。今、外がどうなっているのか表の瑠奈自身は、確認出来ないが泪の精神世界に滞在して、かなり時間が経っているだろう。ぐずぐずしている暇はない。


「まっ! 待ちなさい!! あなたは···こ、こんな愚かな事を···。泪の絶対的支配者でもある、私の前でやって良いと思っているの!? あなたのやった事は私に―」

「あんたに構ってる暇はない」


防衛規制の消えた跡と瑠奈を交互に見ながら、ヒステリックに叫ぶ宇都宮小夜を無視して、瑠奈は泪の元へ走り出した。



―···―···防衛機制······とうとう消しちゃったのね···。



瑠奈の頭の中で誰かの声が聞こえたが、今は気にしている時間はなかった。


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