第86話

「よし、魔力を解放するぞ」

馬車が街を出て、周囲に誰もいないことを確認すると、俺とギルリルはペン型の杖のスイッチをオフにして魔力を解放した。

この先は戦闘地域になる。実力を隠して進む意味はない。

「宿には何も言ってこなかったけど、大丈夫でしょうか」

アリスがそう言えば思い出したんだけど、といった感じで質問をする。

「あと2泊、俺たちはあの部屋を使う権利がある。それだけのことだ」

そもそも俺達は商人(のふりをしている)である。

商談があればどこにでも行くし、無事に帰れるとは限らない。

そんなのは言うまでもないことだし、宿としても高価な部屋代の返金を求められるより宿泊者の意思で戻らなかっただけの方が都合がいいだろう。

宿には宿泊者を捜索する義務などないのだから。

「おっとそうだ。アリス、後ろへ行け。獣人を警戒しろ」

「はい、お父様」

獣人と言ってもロザリッテしか行動サンプルがないが、少なくとも運動能力は獣寄りのようである。馬車の斜め後方等の死角を衝いて襲撃を掛けてくる可能性がある。あくまでも可能性だが、獣人が魔法の杖を持っていたら目視範囲に近付かなければ発見できない。

もし獣人に通商破壊の概念があれば、単独行の馬車などいいカモである。

「ギルリル」

「はいです」

「転移の準備をする。この魔法を使っている最中、俺は無防備になる。しっかり守ってくれ」

「はいです!」

ギルリルがぎゅっと抱き着いてくる。

そういう意味ではないのだが、まあいいか。

『ウマ君も、いきなり転移するからな、驚かんでくれよ』

『慣れてまっさ』

まずは探索魔法を放つ

・・・・・・・・

まだまだミケの足元にも及ばないが、それでも半径10キロの地形と人間等の存在が瞬時にわかる。

進行方向の道路沿いで周囲に人影がない場所を選び、意識をいったん上空に飛ばす。

上空から目視で付近に誰もいないことと、馬車を転移させても問題のない地形であることを確認し、地面にぐっと意識を近づけると同時に馬車全体をイメージする。

シミュレーションゲームなどで配置したい物を選ぶと半透明なアイコンが現れてクリックすると配置される、あの感覚そのもので道路上に馬車の姿を念じて魔力を乗せる。

「わおっ!」

ギルリルの声が響き、ギルリルがしがみ付いた身体に感覚が戻った。

「どうだ」

今度は俺がギルリルにどや顔をする番だ。

「すごいのです! 一瞬にして飛んできたのです」

「だろ。この要領で何回か飛んで、今日中には近くまで行こう」

「はいです」

タコに伝言を託してはいるが、最初から信用はしていない。

ただ、あの連中が実質この戦争を牛耳っているのだとすれば、こちらを利用しようとする筈だ。

鍛造が出来る者達が配置される前線の司令官に俺が会いに行く意図を、武器の野戦修理のための鉱石販売と踏んだはずだ。

そうなると前線での鍛造道具をはじめ、各種補給品を売り込むために俺の到着に合わせて場を取り仕切り、俺に鉱石以外の販売は動くだろう。

獣人側にとっては戦局のバランスを人間側に傾けることになるので、これは看過できないだろう。

「攻撃するな」という伝言を「取引できる可能性がある」と読める獣人がいるかどうかは未知数である。

「まあ、いずれにしろ相手の見積もり通りに動いてやる義理はないしな」


多数の人間の反応がある集結地手前2km

下りの山道で道路が左カーブになったところに展望の良い広場があったので、そこで宿営することにした。

距離的に、いつ外哨線に接触してもおかしくない。

もう日は落ちて暗くなるだけの薄暮状態なので、魔力ダダ洩れの存在が不用意に近付くと警告なしの攻撃を受ける可能性がある。

そう思いながら集結地方向を眺めていたら、ギルリルが薪を拾い集めて戻って来た。

「ギルリル、周囲にエルフの結界を張れ」

「はいです」

ギルリルに命じたエルフの結界とは、エリカが普及している音の遮断結界を指す。

夜間の音と光は驚くほど遠くまで自分の存在を暴露する。

光の方はギルリルの結界にミケから習った結界を重ね掛けするだけでよい。

こちらは分かりやすく言うと光学迷彩のようなものだ。

「では、火を点けるです」

「ああ」

結界を張り終わったギルリルはマグネシウムマッチを使って手早く薪に点火した。

アリスが追加の薪をどんどん運んでくる。

彼女は視覚によらずとも魔力で俺達の場所がわかるので、視覚及び聴覚を遮断する結界を張っても行動に支障ないのである。

逆に言えば敵に魔法使いが居た場合、魔力でこちらを探知できるので、警戒のためウマ君(馬に化けた魔物)が周囲を見張っている。

「ちょっと待ってくださいね」

焚火が起きてから暫くは俺の隣にちょこんと座っていたギルリルが、何かを思い出したかのように馬車の位置へ行き、食糧袋を抱えて戻って来た。

「ああ、夕食か」

「はいです」

ギルリルは袋から魔獣の干肉を取り出した。

「知ってましたか? これは火であぶると柔らかくなるですよ」

「ほう」

もともとエルフに肉食文化はなかったが、辺境伯との戦争の時、遊撃隊に矢に魔力を乗せて撃つ練習をさせる為、タマが魔獣を大量に進呈したのが始まりである。

残念ながら魔力による矢の威力の強化は全員まで練成し切れなかったが、せっかく倒した魔獣なので食べてみたら美味だったというわけだ。

人間には筋が固いとか文句を言われがちな魔獣の肉は、エルフが古来山野草の調理で行う「煮立たせないよう低温で長時間」煮込む方法で調理するとトロトロに柔らかくなる。

また、燻煙くんえんさせて作った干肉は軽く長期携行するのに向いていたので、遊撃隊の標準的な携行食になった。

ギルリルは遊撃隊の子たちと親交があるので、美味しく食べる方法を色々と聞いていたのだろう。

「もう少し待ってくださいね」

そう言うとギルリルは干肉を千切って口に入れ、しばらく無言で咀嚼そしゃくしていた。

アリスが薪を一本追加しに来たのを合図としたかのようにギルリルは抱き着いてきた。

そして唇を合わせると、ゆっくりと少しずつ、口の中のものを移してくる。

(美味い・・・この味、コンビーフだな・・・)

魔獣の肉の赤身と脂、そしてギルリルの唾液が絶妙に絡んで、肉の繊維質の食感は細かく残しつつも噛まずにするりと飲み込んで行ける。

「ぷはっ」

ギルリルが唇を離して息継ぎをした。

どうやら口移しに夢中で息をするのを忘れていたようだ。

「いっぱいあるですから、たくさん食べてくださいね」

「ああ、口が疲れたらいつでも代わるからな」

噛み続けるのも結構大変だろう。

「きゃふっ」

このきゃふは喜びの表現のようだ。

「で、ですね」

「ん?」

「もしよかったらなんですけど・・・」

そこでギルリルは言葉を濁してもじっとした。

微かに愛液の香りがする。

「ああ、後でゆっくりもらうよ」

この場合、ギルリルが言っているのは性交したいという事ではない。

エルフの愛液は飲料水として美味しく飲めるのだ。

まあ、それを体験的に知っているのは俺と壮太くらいだろうが。











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