スケベジジイ vs おっさん女神 前編

 一柱の老神と一人の女性が、延々と下に伸び続ける階段を言葉もなく一段一段、沈黙を味わうかのようにゆっくりと下っていく。

 視界は一面白で覆われていて、そこに温度や動きと言ったものは感じられない。

 足音も得体の知れない素材で出来た壁や床にそのほとんどを吸収されて、わずかばかりが鼓膜を揺らすほどに返って来る程度だ。


 照明は老神が手に灯した魔法による小さな灯りのみだが、この狭い階段状の通路はそれによって満たされてしまっている。

 互いに無言のまま足だけを進めていると、やがて一つの部屋に行きついた。


 半球状になっている部屋で、かなり広く天井も高い。先ほどの階段状の通路に続いて、ここも一面に無機質な白が広がっていた。

 そしてその中心には大時計を更に巨大化させたような何かがそびえ立っている。

 

 いわゆるホールクロックというものが形状としては最も近い。

 木製の大きな四角い柱の頭付近に時計が埋め込まれているが、その下の前面にのみガラスを張った空洞部分に振り子がぶら下がっている。

 足元はその自重を支えるためか直方体になっているが、その部分の高さだけでもゼウスの背丈ほどはあるようだ。


 そのゼウスは真上を見上げて何とか大時計の先端を視界に入れながら、後ろにいる眼鏡をかけた褐色肌の女性に聞こえる声量で語り始めた。


「もうすぐ、もうすぐわしの悲願が叶おうとしておる……ここまで短ったような気もするし、長かったような気もするわい。のう、ミカエル」

「いえ、そう仰いましても私はあれには興味がありませんので」


 ミカエルが微動だにせず答えると、ゼウスも特に表情を変えないままつぶやく。


「そうか……」

「私はただあなた様のご命令に従うまで。そして、次の神の枠に空きが出た際に強く推薦していただくのです」

「わかっておるわい。まあ、いつのことになるかはわからんがの」


 天使というのは神の卵であるが、その数は神よりも圧倒的に少ない。

 何故かと言えば神が基本的に長寿だからだ。

 神が存在できる数というのは決まっていて、天使は神が死んだ際に補充されるような形でそれに昇格する。そうなると、滅多に寿命を迎えることのない神の予備軍もそんなに数は必要がないということになるのであった。


 そして、神が死んだ際にどの天使を昇格させるかというのは「幹部会」の会議で決定される。このため、天使は日頃から「幹部会」に所属するいずれかの神に仕えて自分を推薦してもらうために必死になるのだ。


 一瞬の沈黙ののち、大時計を見上げたままでゼウスは話題を切り替えた。


「して、あっちの仕事はどうかの? 『傲慢』のミカエルや」

「次にその二つ名で呼んだらはっ倒しますけれどもよろしいですか?」

「冗談じゃ。それで、どうかの」


 ミカエルは、考えを整理するかのように眼鏡を押し上げてから口を開く。


「何といいますか、問題しかありません。先日リッジがムコウノ山で起こした騒動によって魔王軍幹部たちはかなりのダメージを受けました。それで身体的な傷は回復したのですが、精神的なショックでやる気を失ってしまい、それぞれが故郷での長期休暇に入ったようです」


 ゼウスはあご髭を触りながら渋面を作り、唸り声をあげる。


「むむう、幹部がいなければクエストが遂行されないではないか……して、何か対策はとってくれとるのかの?」


 振り返ったゼウスの問いを受けてミカエルが答えた。


「はい、魔王がどうにも動かない様子ですので、こちらからローズ様に助力をいただけるよう依頼をしておきました」

「そうか……して、ローズとは一体誰かの?」


 首を傾げるゼウスに、ミカエルはため息をつく。


「いい加減名前くらい覚えて差し上げては。あの世界でひと騒動を起こした下級の女神様ですよ」

「あの世界……ああ、ソフィアを怒らせて散々な目にあったあやつか」

「はい。あの方なら名誉挽回の為に仕事を探しておられると思いましたので。本当にすぐさまこちらに来て話を聞いてくださったことには驚きましたが」


 神々にも「神格」と呼ばれるレベルとか等級のようなものが存在する。

 下級、中級、上級と上がっていき、上級神の中から「幹部会」役員が選ばれ、更にその中から最高神を決定する。という五段階だ。

 そして上級以上の神には全平行世界共通で神として崇められている名前が付与されることになっていた。

 逆を言えば、下級や中級の神には一度聞いてすぐに神とわかるような名前は付与されない。下級神であるローズもそういった神の一柱なのだ。


 神格を高めるには神としての仕事をこなして地道に功績を積んでいく必要があるのだが、ローズという神はとある平行世界での騒動によって自らの評価を著しく貶めてしまったため、他の神にもまして必死に働く必要があるのであった。


 ゼウスは再び大時計の方を向いてから口を開いた。


「まあ、グランドクエストが無事に完遂出来るのならなんでもよい。最初ジンが下界に降りてもうた時にはどうなることかと冷や冷やしたが……結果的にいいサポート役になってくれたわい」

「というか、初期のクエスト等はジンがいなければ達成出来なかったのでは、という難易度のような気もしましたが……」


 そこでこの部屋に来てから今まで微動だにしなかったミカエルが歩いてゼウスの横へと並び、同じく大時計を見上げてから続ける。


「まさか『これ』はジンがそういった行動に出ることすらも予想していたというのでしょうか。それとも、ジンとティナは『これ』によって巡り合わされた……」


 ゼウスは俯いて瞑目し、首を横に振った。


「今となってはそれは誰にもわからん。たしかにわしの神聖魔法すらも超える強大な力を持つ『これ』ならそういった芸当も出来るのかもしれんがの」


「その話、詳しく聞かせていただきましょうか」


 背後からの突き刺さるような声音にゼウスがゆっくりと、ミカエルが慌てて振り向くと、そこにはいつになく険しい表情をしたソフィアが立っていた。

 その左腕には何故かぐったりと気を失った様子のミザリーが抱えられている。


「あなた様は……」

「ソフィア、やはり来おったか」


 ミカエルがその表情に動揺の色をにじませているのとは対照的に、ゼウスは全てを見通していたかのように落ち着いている。

 ソフィアは二人に一歩近付いてから視線を大時計に移す。


「ゼウス、これは何ですか? 他にもあなたには色々と聞きたいことがあります。まずは一度神界へと戻っていただきましょう」

「それは出来ん。ミカエル」


 ゼウスが流し目を送ると、ミカエルは手のひらをソフィアに向けた。


「『ホーリー・サンダーボルト』!」

「『ホーリー・ウォール』」


 ソフィアも身体の前に手をかざして魔法を発動する。

 ミカエルの手から苛烈な稲妻がほとばしり、ソフィアの展開した防壁魔法と衝突した。

 しかし次の瞬間、ミカエルが目を見開く。


 ソフィアも防壁も、まるで何事もなかったかのように健在であったからだ。


「なっ……同じ極大魔法のはずなのにここまで差が!? 『切り札』モードすら発動しておられないというのに!」

「当然です。神ですらないあなたが、極大魔法が使えるからといって私をどうにか出来るとでも思ったのですか?」


 ミカエルの頬を冷や汗が伝う。神相手では悔しいといった感情は沸かないのか、舌打ちや歯噛みをしている様子はない。

 ソフィアは、お返しとばかりに手のひらをミカエルに向ける。


「『ホーリー・スリープ』」

「くっ……!」


 ミカエルは頭を抱えながら数歩後ろによろめき、仰向けに倒れてしまった。

 『睡眠』状態に陥ったミカエルからゼウスへと視線を移したソフィアが語気を強めて言う。


「さあゼウス、まさかミカエルを隣においただけではないでしょう。他にも私に対抗する策があるのなら、面倒ですし全部出してはどうですか?」


 ゼウスとソフィアの視線が交錯し、沈黙が場を支配する。

 しかし次の瞬間に無表情なゼウスの顔から大量の汗が噴出した。

 さすがに何事かと思ったソフィアが、眉をひそめて呼び掛ける。


「……ゼウス?」

「いや、正直こうもあっさりミカエルがやられるとは思ってなかったでの。うわ~めっちゃやばいわ~どうしよ助けて~と思っておるところじゃ」

「そ、そうですか……」


 あっさりと降参宣言をされてしまい困惑気味のソフィア。

 気を取り直すように一つせき払いをして凛とした表情を取り戻すと、ゼウスに問いかけた。


「ならば教えていただきましょうか。一体あなたが何を隠しているのか。このフォークロアーという世界で何をしようとしているのかを」

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