「強欲」のリッジ

(ふふっ、ティナちゃん可愛かったなぁ) 


 一方その頃の天界では、女神ソフィアが満足気な笑みをその顔に浮かべて街中を歩いていた。

 普段ならば一人の時は基本的に妖精姿なのだが、今は仕事という名目でフォークロアーに来ている為に女神姿になっている。

 ちなみに仕事、というのは試練の迷宮で勇者の案内役を終えたという報告だ。

 本来なら完了後すぐにこちらへ来るべきだったのだが、ソフィアも多忙の身なのでそうもいかなかったらしい。


 天界の地面は、街中などの精霊たちが住まう基本的な場所では土で、ゼウスの住まう創世の神殿フォークロアー支部などの重要な施設近辺などは石で出来ている。

 空も陽が昇りそれが沈むと月が顔を出すようになっていて、天候も季節も存在していた。

 当然これらも例に漏れず下界の人間たちと生活の感覚を合わせる為のものだ。


 現在は昼頃で、ソフィアの頭上を燦燦と太陽に似たものが照りつけている。

 軽快な足取りで創世の神殿内部へと差し掛かったソフィアの手にはやや多めに中身の入ったクッキーの袋が握られていた。

 ゼウスへの、ティナと会う機会を与えてくれたことに対する礼のようだ。


 内容的にどちらにしろいずれかの神がやらなけれはならない仕事とはいえ、試練の迷宮でのあれは雑用に近く本来ならばソフィアがやるようなものではない。

 ソフィアは仮にも神々の中で戦闘力、権限共に二番手に位置しており、いくつかの平行世界も管理している大物女神だからだ。


 試練の迷宮での案内役は、噂を聞いてどんなものかとティナを見てみたら一目で気に入ってしまったソフィアが自ら申し出て、半ば強引にやらせてもらった形なのである。


 さて、神殿内にはそこそこの数の精霊がいた。

 各精霊部隊のローテーションによる警備兵の他、正直に言って暇つぶしに訪れているものたちがそのほとんどだ。

 彼らはソフィアを見かけると慌てて道を開けて敬礼をする。


 精霊の敬礼の仕方はいくつかあるが、主なものは各精霊部隊で共通の顎に手を当てるポーズだ。これはもちろんゼウスの髭を表している。


 ソフィアはこれに会釈をして応じながら歩いていくと、やがて目的の部屋である執務室にたどり着く。

 扉を叩き返事が来たのを確認して中に入ると、ゼウスは執務机に向かっていた。 執務机は入り口に向かうように部屋の中央奥に置いてあるので、顔をあげたゼウスとソフィアの視線がぶつかる。

 そこでソフィアよりも先にゼウスが口を開いた。


「試練の迷宮での仕事が終わったかの?」

「ご明察です。存分にティナちゃんを堪能させていただきました、ささやかながらお礼も持ってきています」


 そう言ってソフィアは持って来たやや大きめのクッキー袋を取り出すと、自身の目の前に掲げてゼウスに見せた。

 すると、ゼウスは表情を変えずに尋ねる。


「そんなものはいら……なんでクッキーなんじゃ」

「おいしいじゃないですかクッキー。あれ、甘いものはお嫌いでしたっけ」

「いや別にまあまあ好きじゃしあれば普通に食べるが……そう言えばお主は知らなんだかの」

「?」


 ゼウスが何を言っているのか全く理解出来ずに首を傾げるソフィア。


「まあいい。とにかくここではクッキー……というかおやつというものは非常に危険な代物ということじゃよ」

「いえ、余計にわからなくなったのですが」

「それよりもじゃ。ちいとお主に相談したいことがあるのじゃが」


 そう言うと、ゼウスは執務机から立ち上がって移動を始めた。


「相談、ですか? あなたが私になんて珍しいですね」


 そこでゼウスは部屋の中央にあるテーブルの上の空間に手のひらを向けた。

 すると、やや大きめの鏡がソフィアの方を向いた形でそこに現れる。ゼウスは、その鏡の横に並んでから口を開いた。


「まずはこれを観て欲しいのじゃ」


 鏡に映されたのはその正面に立つソフィアの姿ではなく、どこかの山のような場所を魔王軍の幹部たちがぞろぞろと楽しそうに練り歩いている姿だった。


「……これは?」


 ソフィアはあえてそう問いかける。もちろん何が映っているかということはわかっていて、ゼウスが自分に何を相談したいのかを問う為だ。


「オブザーバーズの隊員から報告があっての。この通り、魔王が幹部たちを一斉にムコウノ山に向かわせた。一人一人じゃジンには敵わんから一度に大量に……という発想のようじゃ」

「まあ、正論ではありますね。なりふり構っていなさすぎだとは思いますが」


 ゼウスは顎にたくわえられた髭を触りながら一つうなずいた。それで何が言いたいのかと、ソフィアは視線だけで続きを促す。


「とはいえ、ティナちゃんたちと一緒ではジンは本気を出すわけにはいかん。さてどうしたもんかと思うての」

「どうしたもの……ですか。それこそモンスターテイマーズの皆さんのお仕事ではないのですか」

「魔王軍の幹部がこれだけ揃っておるとなると、いくら戦闘部隊であるモンスターテイマーズの隊員でも一人や二人寄越した程度では撃退は出来んじゃろう。かといって大人数でいけば、下界のものたちの目につかんよう速やかに……というのはちと難しかろう」


 そこで徐々にゼウスの言いたい事が見え始めたソフィアは、眉をひそめて口を開いた。


「……モンスターテイマーズの隊長さんに頼むというのは? 私はお会いしたことはありませんが」

「それは無理じゃ。状況が状況じゃからな」


 言葉の途中でわかるじゃろ、とばかりに割って入ってきたゼウスを見て、ソフィアは一つため息をついてから自らの考えを口にする。


「隊長さんのことはよくわかりませんが、つまりあなたは私に魔王への説得を頼もうという魂胆なのですね?」

「…………」


 ゼウスは無言のままソフィアの前に移動してそのまま跪くと、手を組んで祈りのポーズを取りつつ喋り出した。


「お願いじゃソフィア、いやソフィア様。今あなたの、あなたさまのお力が必要なのじゃ。あなたさまの仰ることなら魔王も素直に聞き入れるはずじゃからの」


 ソフィアは額に手を当ててため息をつくと、いかにも迷惑そうに顔をしかめて口を開く。


「ゼウス、あなたはただでさえ私に借りがあるということを覚えていますか?」

「もちろんでございますじゃ。じゃから本来は試練の迷宮の件もお礼を要求するつもりはなかったのでございますですじゃ」

「無理がありますからその喋り方をやめてください。まあ、お礼は私の気持ちのようなものですからいいのです。それよりも、もうそこまでするくらいならシナリオ通りに下界の時間を進めるのをやめればいいではありませんか。どうして……」


 そこまでソフィアが言いかけたところでその背後から扉を叩く音が響いた。

 ソフィアと目線を合わせると、次にゼウスは扉の方を見ながら口を開く。


「誰じゃ? 今取り込み中なのじゃが」

「リッジです。失礼します」


 返事を聞いた途端、ゼウスは血相を変えてソフィアに言葉を飛ばした。


「いかん! ソフィア、早くそれを隠すんじゃ!」

「それ?」


 突然のことに戸惑うソフィアの手に握られているクッキーの袋を指差しながら、なおもゼウスは叫んだ。


「それ! クッキーじゃよ!」

「???」


 わけがわからずソフィアが首を傾げたまま固まっている間に扉は開き、リッジと名乗った男は部屋の中に足を踏み入れた。そして、クッキーを発見した次の瞬間にその姿はソフィアの側へと移動している。

 

 全体的に細身だがしっかりとした身体つきの青年だ。ミディアムの長さの青髪が同じ色をした双眸と相まって爽やかさを印象付けている。

 そのせいか、左右の腰に差された二本ずつの片手剣は非常に物々しく映ってしまっていた。

 男はその場で仰々しく一礼をしてから丁寧に断りを入れた。


「ソフィア様、失礼いたします」

「えっ」

「いかん!」


 ゼウスが先にクッキーを取り上げようと動き出す頃にはそれはすでにリッジの手に渡っていて、リッジの手に渡ったことを悟る頃にはそれはすでにリッジの口の中へと運ばれていた。

 次の瞬間、リッジは身体を開いて両拳を握り、踏ん張るような体勢で天を仰ぎながら叫ぶ。


「おやつうめええええぇぇぇぇ!!!!」


 ゼウスは額に手を当ててため息をつくと、ソフィアからの無言の眼差しに応えて説明を始めた。


「こやつはモンスターテイマーズ隊長『強欲』のリッジ。おやつに目が無く、それが例え神というかわしの食べているものでも無理やり横取りして食べることから戒めの意味もあってそう二つ名を付けたのじゃが、見ての通り効果はない」

「あなたも大変なのですね」


 戸惑いや動揺といった普段なら見せない表情を先程から見せているソフィアが、これまた珍しくゼウスに同情する姿勢を見せた。

 ゼウスはちらりとソフィアを見やりながらつぶやく。


「普段なら神聖魔法でも使って止めるのじゃが、まあ時が悪かったの」

「なんかすみません」


 神聖魔法というのは変幻自在な神専用の創作魔法であり、これが戦闘において神とそれ以外を分ける決定的な要素となっている。ただ、これは別の神が近くにいると発動出来ないという制限もあった。

 ちなみに神聖魔法とは別に、神の他には天使という存在にだけ使うことを許された極大魔法というものもある。


 一方でおやつを味わい終えたリッジは、ソフィアの方に向き直って再度一礼をしてから口を開いた。


「突然の無礼をお許しください。どうにもおやつのことになると自制が利かなくなってしまうものでして」


 ソフィアはぱたぱたと手を振りながら返答する。


「いえいいのです。私も迂闊にクッキーなど持ち込むべきではありませんでした」

「それで、お二方は何をしておられたので……」


 そう言いながらリッジは何となく目の前の鏡に視線をやった。

 するとそこには、楽しそうにムコウノ山で座り込み食事をする魔王軍幹部たちの姿がある。そしてその輪の中心には大量のおやつ。


「おいっ……!」

「おやつううううぅぅぅぅ!!!!」


 リッジはすでに執務室を飛び出すところだった。

 ゼウスもすかさず飛び出すと、近くにいた警備の兵を捕まえて叫ぶ。


「緊急じゃ! モンスターテイマーズ所属のセイラとノエルを急ぎここへ!」


 執務室には、何事かを思案する表情のソフィアだけが残されていた。

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