Phase5 「さよならの日に」

Episode 53.「開戦前」

 望むと望まざると、時間は流れていく。


 よく、川に例えたりするけれど、最初に、時間を"流れる"と形容したのは、一体誰なのだろうか?


 言い得て妙、的を射ているとは思うけれど、その渦中にいる私たちからすると、流れを肌で感じることもできないほどに、それは緩やかで、それでいて、確かなものだった。


「……みんな、揃っているな」


 眼前に立つ先生――純白の甲冑を纏った【全身鎧】が、凛とした声で、周囲に呼びかける。


 あれから、数日。私たちは作戦の決行に備えて、日々を過ごした。


 体調を整えたり、侵入経路を確認したり――何より、怪しまれぬよう、普段通りに暮らすのが、大切なことだった。


 そして、迎えた決行当日。私たちが集まっていたのは、第四演算炉の直ぐ側にある、倉庫のような場所だった。


 ここも、【トリカブト】の拠点の一つであるらしい。うちの体育館の四分の一もない広さの建物だったが、メンバーが集まるのには十分だった。


「……にしても」私は、辺りを見渡しながら、小さく呟く。


 集まった【トリカブト】の構成員は、先生の見立て通り、30人弱だった。皆、流石に甲冑とまではいかないが、"創造"した仮面のようなもので顔を隠している。


 上は、恐らく先生と同じ大学生から、中学生程度の背格好の子もいた。どうやら、幅広い層から、メンバーを集めているようだった――。


 ――と、視線を巡らせていれば、不意に、赤い瞳と目が合った。


 私と同じ、もう一人だけ仮面をしていない彼――ソーヤは、ヒラヒラと手を振って、微笑みかけてくる。


 これから自分を殺すための作戦に参加するというのに、その表情は、どこか晴れやかですらあった。


「それじゃ、作戦を説明するっすよ。みんな、こっちに注目してほしいっす!」


 不意に、聞き覚えのある甲高い声が響く。見れば、猫のような意匠の被り物をした少女――多分、カレンだろう――が、倉庫の壁に、映像のようなものを映し出しているところだった。


 見れば、そこに映されていたのは、ワイヤーフレームの3Dグラフィック。恐らくは、演算炉の立体地図と思しきものだった。


「まず、アタシたち陽動部隊は、正面から演算炉を襲撃するっす。少しでも時間を稼いで、派手に暴れてもらって――そこで生まれた隙を突く感じで、潜入部隊に潜り込んでもらうことになるっすね」


 ぐりん、と、立体地図が動く。恐らくは正面入口を映しているのであろう、その傍らには、"170"と数字が表示されていた。


 それを指しながら、さらに先生が続ける。



「先ほど、偵察に向かった際、確認できた風紀委員の数は現状170人。予想よりも僅かに少ないが、まあ、誤差というところだろう」


「見たところ、一級相当の能力者はいなさそうっす。個人の戦力では負けてないっすから、取り敢えず、こっちは奇襲してガンガン、敵をぶちのめしていくしかないっすね」



 やはり、というべきか。集まった面々の反応は、芳しくないようだった。


 仮面に隠れていてわからないが、渋面を浮かべている者もいる。やはり、戦力差は否めない。ソーヤの参戦によって、全戦力を正面に投入できるようにはなったが、それでも、不利なことに変わりはないのだ。


「……風紀委員を真っ向から叩き伏せるのは、無理だ。故に、あくまで俺たちは時間稼ぎに徹する。潜入部隊が、事を成すまでのな」


 そこで、先生の瞳が、こちらに向けられる。



「――ヴィオレット。わかってるな?」


「う、うん……勿論、だけど……」



 事を成す。


 それはつまり、私が演算炉を停止させることができるかどうか――そこに懸かっているのだ。この場に集まった、全員の命運が。


 重責が足を震わせる、が、私はそれをどうにか飲み込もうとした。覚悟は決めてきたのだ。あとは、もう、やるしか――。


「――ひとつ、質問いいですか?」


 と、そこで、ピンと指先まで立てて手を挙げる者がいた。


 まさか、とは思ったが、やはりソーヤだった。流石というか、視線が集まっても動じる様子は、微塵もない。



「……なんだ、手短に頼むぞ」


「はい。ちょっと気になってて。この計画、上手く行った後は――どうするんですか?」



 どうする?

 私は口の中で繰り返しながら、ハッとした。


 そういえば、考えていなかった。演算炉を止めた後、私たちはどこに出しても恥ずかしくないお尋ね者になる。


 つまり、コロニーの庇護から外れた、逃亡者になるのだ。勿論、みんな、それを恐れて顔を隠しているのだろうが――。



「――大丈夫だ」意外にも、先生は冷静に答える。

「その後には一つ、"備え"をしてある。それが上手く行けば、俺たちは無事に、この場を切り抜けることができるはずだ」


「……その"備え"っていうの、僕らに教えてはくれないんですか?」


「ああ。ここに裏切り者がいるとは思えんが、念には念だ。ちなみに、カレンにすら教えていないぞ」



 教えられてないっす、と、おどけるようにポーズを取ったカレンをよそに、ソーヤはしばらくの間、【全身鎧】を睨みつけていた。


 先生は、用心深い。もしかすると、私たちに知らせていないことは、他にもあるのかもしれない。


 しかし、そうしていても、彼が私たちに胸の内を話すことはないだろう。無益だと悟ったのか。おずおずと、手を下ろす。


「……ふむ、それで、他に質問のあるものは?」


 その言葉に、反応するものは一人もいなかった。今回、やることは至極シンプルなのだ。わざわざ訊かなければならないようなことも、ないのだろう。


 それを確認して、先生は大きく頷いた。鎧を着込んでいるのを加味してなのか、大仰な動きが、少しだけコミカルですらある。


 けれど、緊張感はそのままで、続けて、大きく声を張る。


「なら、決行は30分後、午前9時丁度からにするぞ。各々、最後の用意を整えておけ」


 その言葉と共に、皆、散り散りになって、戦闘準備を始めるのが見えた。


 武器のようなものを"創造"する者、演算炉の立体地図とにらめっこする者、不安げに視線を彷徨わせる者――それぞれが、一世一代の勝負に向けて、悔いのないように備えている。


「シオン先輩、何やってるんすか」


 不意に、声をかけられる。見れば、すぐそばにカレンが立っていた。



「顔、隠さなきゃ。何かお面みたいなもの、"創造"できるっすか?」


「あ、うん……わかった、そうだよね」



 とはいえ、面なんて創ったことがない。どんな物がいいか、わからない。


 別に、お洒落するようなものでもないし、ここは適当に――と、そう考えたのと、ほとんど同時に。


「……シオンには、これが似合うと思うよ」


 後ろから、何かを被せられる。慌てて取り外してみれば、それは、何やら花の意匠が施された、顔の半分を覆うような形の面だった。


 淡い紫色の、細い花弁。その中心に咲く、鮮やかな黄色。一体これは、何の花だったか――。


 私の背後に立っている彼――ソーヤは、それを見てニコリと笑う。



「ほら、やっぱり、よく似合ってる」


「うん……ありがと」



 改めて、仮面を被り直す。よかった、と少しだけ安堵していたのは、これなら、私の表情も隠せるから。


 きっと、この後に流してしまう涙を――隠せるから。

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