Episode 2.「放課後アンダンテ」

 


 ――世界が滅んだからといって、人間が絶滅したわけではない。




 それは私たちがこうして生きていることから当然だとも言えるのだけれど、流石というべきか、人類はこの不足も不足、予想外の角度から打ちのめされるような事態にも備えていた。


 生活圏を追われた人々は、とある大国が建設を進めていた、ある建物に身を寄せることになった。元々は核戦争を想定して建てられていたその施設は、唯一、終末期にあっても崩壊することがなかったのだ。


 コロニー。


 面積にして1200平方キロメートルにもなる、巨大な建造物。


 外から見たことはないけども、学校の教科書には真ん中が膨らんだパンケーキみたいな形をしてると書いてあった。


 三層からなる特殊な防壁と、内部を一定のコンディションに保つことができる調整システムにより、人間が生活するのに適した環境が保たれている。


 西暦が終わりを告げたあの絶滅期。私たちが生まれるずっと前のことだけど、あれによって、地球上に人が生きていける場所はほとんど無くなってしまったらしい。


 絶滅にひんした人類の、最後の砦とでも言うべきだろうか。


 ここはそんなコロニーのひとつ、【スクールヤード】。太平洋上のどこかに位置するという、虚飾もなく誇張もなく形容とすらもいえない、正真正銘"学生の街"だ。



「……私はね、納得いかないんだよ」



 私はぼやきながら、パフェのてっぺんにスプーンを突き立てた。ざくり、と音はしなかったけれど、黒いチョコソースがかかったソフトクリームの一部が深くえぐれた。


 帰り道。ちょっと寄り道でもしていこう、と声をかけてきたのは、友人のサクラだった。


 あのあと、居眠りをしたことで結局本日二発目の拳骨を食らうことになった私は、その言葉に乗っかって、学校のそばにある喫茶店に立ち寄っていた。


 まだ終業から間もないからだろうか。店内は閑散としていて、私たち以外に二、三組がいるだけだった。だからというか、自然、こぼれる愚痴の声量も大きくなってしまう。


「あんなこと言うけど、先生だって私たちと三つしか離れてないでしょ。なのに、二言目には『お前の将来が』って!」


 ざくざく、ざくざく。指先は無意識のうちにパフェの掘削作業を進めていく。イライラしているときには糖分だ。甘いものは何にでも効くって偉い人が言っていた……気がする。


 一心不乱にスプーンを動かす私を前に、サクラは微笑みながらブレンドコーヒーを啜っている。長い、綺麗な黒髪。くっきりとした目鼻立ちは十二分に美人の部類に入るだろう。


 彼女はいつもこうだ。私に嫌なことがあると、こうして帰りに誘ってくれる。そしてやけ食いする私を見つめながら、のんびりとコーヒーを味わうのだ。



「まあ、仕方ないんじゃない? 先生だって実習でやってるわけなんだし。先生らしくするのに精一杯なんでしょ」


「でもさ、言い方ってものがあるよ。あんな子供をなだめるみたいなさ……」


「あはは、たぶんシオンになら私もおんなじ言い方するなぁ」


「……それ、どういう意味なの」



 ケラケラと笑うサクラをよそに、私はクリームを掘る作業に戻った。なんだかからかわれているような気もしたが、それこそいつものことなので、気にしていたらラチが開かない。


 それに、彼女の言うことも正しいのだ。先生だってあの歳で先生らしく振る舞うのは大変なのだろうが、仕方のないことだ、少なくともこの街では。


「まあ、あんまり気にしなくていいって。みんなわかってやってるんだからさ」


 と、不意にサクラが右手を挙げた。何事かと思ったのも束の間、私の背後から歩いてきたエプロン姿のウエイトレスが彼女の元に近寄っていく。ブレンドのおかわりを頼むのだろう。


 私はなんとなく、ぼんやりと店員の姿を見つめていた。肩口で切り揃えたショートヘアー。その端から覗く横顔は、私よりいくぶん幼いように見える。


 中学生くらいだろうか。「ありがとうございまーす」と間延びした礼を残してカップを受け取ったウエイトレスは、そのままカウンターの奥に消えていく。それから五秒としないうちにポットを持って現れ、お湯を注いでいるのが見えた。


「……"学生の街"だもんね」


私の口から自然に言葉が漏れる。


 "学生の街"。さっきも言ったかもしれないが、その表現には虚飾も誇張も存在しない。この街のあらゆる活動の大半を、学生たちが担っているのだ。


 美容室や飲食店には美容師や調理師の専門学生。出版社には文学部や社会学部の学生。そして学校には――教育学部の学生が。


 中学生、具体的には13歳からアルバイトも認められており、学生省からの給付金だけでは足りないという子供たちは、皆その頃から働いている。大半は小遣いほしさだろうけど。


 そもそも、コロニー内人口の99%が学生、10代かそれ以下の子供たちなのだから、そうなるのは自然とも言えるのかもしれない。ただ、そうなると余計に納得がいかないのだ。



「……先生だって学生なのに、どうして大人のフリなんかするのかな」


「リンドウ先生は今年でもう20歳でしょ? ってことは一応、大人なんじゃない?」


「違うよ、だって、考えてみてよ」



 私はスプーンから手を離した。半分ほどが空になったグラスの中に、涼しげな音を起てて落ちていく。


「私たちと3つ、3つだけしか離れてないんだよ。3年後に自分がもう大人になってるなんて、信じられないと思うんだよ」


 指を三本立てて前のめりになった私に、まあ、それはそうだけど。とサクラは困ったようににごした。


 私にはわからない。どうせ何年か先の私も、大人になんてなれていないのだ。わがままで、自分勝手で、遅刻ばっかりの私が、それっぽっちの時間で変われるはずがない。


 もちろん、来年には私も進路を決めなきゃいけない。【スクールヤード】には進学以外の選択肢がほとんど存在していないのだ。だから、何かにはならなければいけないんだろうけど。


 そんな"何か"の像が、私にはイマイチ想像できないのだ。


 私は大きく仰け反って、天を仰いだ。恐らく何かの花をモデルにしたであろうお洒落なライトと、木目調の天井が私を馬鹿にしたように見つめ返している。


「あー、もう。本当にさぁ。私はずっと子供でいたいよ。なんで大人にならなきゃいけないんだろう」


 だから私には、大人になろうとしている、リンドウ先生や、他の子供たちがどうしても理解できない。このまま時間が止まってしまえばいいのに、なんて、本気で考えることもある。


 そんなことは、"私たち"でも無理なんだろうけど。


 コトリ。固い音が私の思考を遮った。向き直ると、丁度さっきのウエイトレスがカップを運んできていた。


 失礼します、と行儀よく一礼した彼女は、今度は店の入り口へと歩いていった。他の客が来たのか、それとも店先でも掃きに行くのだろうか。どちらにせよ、私より年下だろうによく働くものだ。



「まあ、シオンは子供っぽすぎると思うけどね。もう少し大人になっても、いいと思うな」


「やーだよ、大人になんてなるもんか!」



 舌を出した私に、サクラはため息をひとつ返した。もうそれは哀れみのようですらあった。


 そして、湯気の立ち上るカップに手を伸ばす。私もパフェの採掘作業に戻ることにした。あともう少しで、底が見えてきそうだ。


 話題の切れ目は、少しだけ悲しい。だから、私はそれを引き伸ばすために、何気なく適当な話を振ろうとしたところで。


「――あ、見つけた。おーい、サクラ先輩!」


 不意に、横合いから声が響いてきた。


 駆けてきたのは、黄金色の髪を二つ結びにした小柄な少女だ。サクラのことを先輩と呼んでいたことから、恐らくは下級生なのだろう。


 彼女は私たちの目の前で立ち止まると、息を整えながら、ゆっくりと顔を上げる。



「カレン? どうしたの、そんなに急いで。何か――」


「どうしたもこうしたもないっすよ、何度も連絡したのに、出ないじゃないっすか!」



 カレンと呼ばれた少女は、苛立ちを隠さずに鼻を鳴らした。そんな様も、どこか可愛らしく見える。


「風紀委員連合からの召集命令っす。また、【全身鎧】が出たって」


 それを聞くと同時に、サクラの視線が鋭くなる。


 風紀委員連合、というのはコロニー内における警察のようなもので、各校から選出された風紀委員たちが、コロニー内や学校の治安を守るために結成した組織だ。


 そして、サクラはそのメンバーの一人。【全身鎧】というのに聞き覚えはなかったが、恐らくは、何か治安を乱す存在なのだろうということは、聞かずともわかった。



「――そう、わかったわ。シオン、ごめんなさい、私……」


「いいのいいの。お仕事でしょ、ほら、後輩ちゃん待たせたら悪いよ」


 申し訳なさそうに目を伏せる彼女が、言い切るよりも先に遮ってから、私はわざとらしく手をひらひらと振った。


 そうして、去っていく二人を見送る。席に掛けたまま、立ち上がらないまま。


「……私も、帰ろうかな」


 口にした後も、私はしばらくの間、空を眺めていた。コロニーの天井に投影された、偽物の空は、胸にぽっかりと空いた穴を埋めてくれない。



 ――これが、私。シオン=ヴィオレットの日常。



 誰にも言えない痛みを隠すこともできないまま、私のなんてことのない日々の一幕は、日没とともに焦げ付いていくのだった。

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