第4話 地震の痕跡(2)


 翌日。



 読書の時間に、メニーが目を見開いた。


「お姉ちゃん、ベーコンチーズパン食べたの!?」

「貴族令嬢として、流行りに乗っただけよ」

「私も食べた」


 アメリがうんうんと頷いた。


「この前のデートでクリスに誘われて、仕方なくね。でも、まあ、悪くなかったわ」

「…私も食べたかったのに…」


 メニーが拗ねて頰を膨らませる。それを見たアメリがくすりと笑った。


「この後、買いに行けばいいじゃない。ほら、あのお友達でも誘って」

「リトルルビィ、今日は夜まで働いてるから行けない」

「じゃあ、テリーね」

「なんであたしなのよ」

「あんたどうせ暇でしょう?」

「アメリだって暇じゃない」

「私、クリスにマフラーを編んでるの。だからとっても忙しいのよ」

「はっ」

「可愛い妹がパンを食べたがってるのよ。お姉ちゃんなんだから一緒に行ってあげたらいいじゃない」

「あたし、植物のお世話しないと」

「リーゼがやってくれてるんでしょ?」

「この分からず屋め! 植物ちゃん達のママはあたしなのよ! ママの顔が見れないと、花が悲しむわ!!」

「メニーも悲しむわ。でしょ? メニー」

「…パン食べたい」

「ほら」


 アメリが肩をすくめた。


「いいじゃない。二人で仲良くランチのパン買ってきなさいよ。あんた、買いに行ったってことは、店の場所も分かるんでしょ」

「………分かった」


 メニーの背中をとんとんと叩く。


「忙しいアメリなんか放って、この後行きましょう。メニー」

「お姉ちゃん、ありがとう」


 メニーが満足そうににっこりと笑う。あたしは内心ため息。


(なんであたしがメニーの子守しなくちゃいけないのよ…)


 アメリが本のページを開いた。


「あ、テリー。ついでに、私の分も買ってきて」

「あんた最悪」

「私、忙しいのよ」

「ほざけ」


 あたしがページを開くと、トイレからクロシェ先生が戻ってきて、あたし達は静かに読書を続けた。






 というわけで、




「いざ、ミセス・スノー・ベーカリーへ!」

「うん!」


 厚着をしたあたしとメニーが店の前に下りる。馬車を引くロイがくしゃみをした。


「ロイ! ここで待ってるのよ! お礼に何か買ってきてあげるわ!」

「あ、それならお嬢様、昨日のやつが食べたいです」

「任せなさい!」


 メニーの手を握る。


「行くわよ。メニー」

「うん!」

「混んでるから、この手を離しちゃ駄目よ」

「うん!」


 店の扉を開ける。行列が出来ていた。


「お姉ちゃん、すごい人だよ!」

「行くわよ! メニー! いい!? ここは戦場よ!」


 ベーコンチーズパンが棚に出されていくが、一瞬で無くなる。客がどんどん持っていく。


「メニー! 何としてでもベーコンチーズパンを手に入れるのよ!」

「うん!」

「行くわよ!」

「あいあいさー!」


 あたしとメニーが走り出す。しかし、大勢の客の塊に弾き飛ばされる。


「ぎゃふん!」

「わあ!」


 二人でころんと転がり、すぐに起き上がる。


「何のこれしき! 行くわよ、メニー!」

「あいあいさー!」


 あたしとメニーが走り出す。しかし、大勢の客の塊に弾き飛ばされる。


「ぎゃふん!」

「わあ!」


 二人でころんと転がり、よろよろと起き上がる。


「くう…! 大人気のベーコンチーズパンめ…!」

「お姉ちゃん、時間変えてこない? 今ランチの時間だから…」

「うるせえ! こうなったら何としてでも手に入れてみせるわ! あたしに、妥協という文字はないのよ!」

「でも、人が多すぎて棚まで行けないよ?」

「くそ! 一体どうしたらいいのよ!」


 二人でぴょんぴょんジャンプして道を探していると、後ろから声をかけられる。


「すみません。ひょっとして、ベーコンチーズパンですか?」

「ええ! そうです!」

「作り立てのを出そうとしていたところですから、良かったらどうぞ」


 言われて、あたしが振り向く。メニーが振り向く。


 パンを乗せたトレイを持つ子供の従業員がいた。


(っ)


『彼』が、トレイを持っていた。


「あ」


 目が合って、彼が声をあげる。


「あれ、君…」


 彼がくすっと笑った。


「ふふっ。こんにちは」

「……こんにちは」

「過呼吸はもう大丈夫?」


 あたしは頷く。彼が微笑んだ。


「そう。良かった」


 メニーがあたしに振り向いた。


「お姉ちゃん、知り合い?」

「………ん、ちょっと」

「うん。ちょっと、色々あって」


 彼がトレイをあたし達に差し出した。


「良かったらどうぞ」

「あ…」

「大丈夫。まだ沢山残ってるから」


 彼が微笑む。その笑顔から、目が離せない。


「あ…じゃあ…」


 棚に並べる前のパンをメニーが持ってたトレイに乗せる。


「ありがとう」

「こちらこそ」


 彼がトレイを持って、人の塊の中に入っていった。


「すみませーん! 品を並べるので道を開けてくださ…」

「貰おうか!」

「私も貰うわ!」

「僕も!」

「あたちも!」

「あわわわわ…!」


 彼の持っていたトレイから、あっという間にベーコンチーズパンが無くなった。空になったトレイを見て、彼が苦笑した。


「あはは…。…また持ってこないと…」


 厨房の方へ歩いていく。

 その姿を見て、あたしはメニーに振り向いた。


「メニー、先にお会計してきて」

「え」


 お財布を渡す。


「はい」

「おね…」

「すぐ戻るから」


 メニーの二の腕をぽんと叩いて、大股で歩き出す。厨房からトレイを持って出てきた彼の隣についた。


「ねえ」

「あ、どうも」


 足を揃えて歩く。


「過呼吸、ありがとう」

「どういたしまして」

「本当に助かったわ」

「それは良かった」

「ここで働いてるの?」

「うん」


 彼のトレイから再び高速でベーコンチーズパンが無くなった。彼がため息をついた。


「ごめんね。仕事しないと」

「いつ終わるの?」

「16時」

「今日、暇? この間のお礼をさせてくれない?」

「ああ、えっと…」


 彼が厨房に歩いていく。あたしはついていく。


「ねえ、ぜひ」

「ねえ、君はどこかのお嬢様じゃないの?」

「そうよ」

「じゃあ、僕みたいな貧乏人と話したりしたら、駄目じゃない?」


 彼が厨房に入る。しばらくしてトレイを持って出てくる。あたしは隣を歩く。


「恩人となれば話は別よ。ねえ、お礼させて」

「わかった。明日おいで。11時頃。その時間は店も暇だから、少しくらい話せると思う。あの時の事についても…」

「16時に終わるんじゃないの?」

「新人!」

「はーい!」


 彼が返事をするとトレイからベーコンチーズパンが無くなった。また厨房の方へ歩いていく。


「ごめんね。また明日!」


 彼が急いで厨房の方へ駆けていく。メニーが袋を持って、あたしのコートをつまんだ。


「お姉ちゃん」

「いいわ。行きましょう」


 二人で店に出る。外ではロイが体を震わせて待っていた。メニーがあたしを見てくる。


「お姉ちゃん、あの子、お友達?」

「ううん」

「知り合い?」

「一回会っただけ」

「一回だけ?」

「でも、もういいわ」


 あたしは微笑む。


「明日、約束を取り付けた」


 馬車に向かって歩く。メニーが首を傾げた。


「お姉ちゃん、ああいう子がタイプなの?」

「会う約束をしただけ。あ、あんたはついてきちゃ駄目よ」

「どうして?」

「二人で話したいから」

「イケメンのキッドさんの事はいいの?」

「何よ。あたしが男の子と喋ったらまずいの?」


 それに、あいつはここにいないじゃない。


「ほらほら、気にしない。いいじゃない。パンが買えたんだから」

「テリーお姉ちゃん、もしかして躍起になってる?」

「躍起?」

「アメリお姉様に彼氏が出来たから」

「馬鹿じゃないの?」


 あたしは眉をひそめる。


「あと二ヶ月で別れるわよ」

「そんなことないよ。お姉様達、ラブラブだもん」

「どうだか」


 あたしとメニーが馬車に向かって足を揃えた。





(*'ω'*)





 翌日。


 11時にミセス・スノー・ベーカリーへ行く。

 中に入ると、客は一人もいなくて、従業員も厨房の中でのんびりしていた。売り場には、レジ係しかいない。


「いらっしゃいませ」


 レジカウンターの中にいた彼が顔を上げる。あたしと目が合う。


「あ」

「こんにちは」


 あたしは笑顔で手を振る。レジに近づく。


「お暇?」

「今はね。一時間後には行列が出来てるよ」


 彼が笑みを浮かべてあたしを見る。


「何か欲しいものある?」

「おすすめは?」

「ベーコンチーズパンも美味しいけど、あれは12時にならないと焼き上がらないんだ。だから、他のをおすすめさせてもらうね。動物パンはどう? ほら、あそこに並んでるやつ。可愛いんだ。熊とか、犬とかの形のパン。美味しいよ」

「いただくわ」

「まいど、どうも」


 彼が紙袋を手に取る。カウンターから出てきて、動物の形のパンが置かれる棚に歩いていく。


「どれがいい?」

「これ」


 熊の形を指差す。トングで彼がパンを袋に入れた。


「他は?」

「あれも美味しそう」

「美味しいよ」

「じゃあ、貰う」


 彼がトングでパンを袋に入れた。


「以上でいいわ」

「では、レジまで」


 一緒にカウンターまで行く。彼がレジを打つ。


「お会計、300ワドルです」

「はい」

「ありがとうございます」


 支払うと、彼がレジ機の中にお金を入れ、レシートをあたしに差し出した。


「はい、レシートです」

「ありがとう」


 レシートと袋を受け取って、顔を上げる。


「ねえ、今日は暇?」

「ううん。忙しい」

「忙しいの?」

「用事があるから」

「仕事は何時に終わるの?」

「16時」

「10分でいいわ。ねえ、お話ししない?」


 彼が厨房を見た。他の従業員はパンを作って忙しそうだ。彼が周りを見る。客はあたし以外いない。ようやく視線があたしに戻ってくる。


「今ならいいよ。お客さんが来るまでね」


 彼が優しく微笑む。あたしは彼の言葉に甘えることにした。


「それじゃあ、まず最初に、こんにちは」

「こんにちは」

「助けてくれたお礼がしたいの。ご飯でもどう?」

「子供だけで?」

「ママには許可を貰う。大丈夫。何とかなるから」

「それはありがとう。でもごめんね。僕、一日中忙しいんだ。気持ちだけ受け取っておくよ」

「なら明日は?」

「明日も忙しい」

「明後日は?」

「どうかな。忙しいと思う」

「貴方、随分と忙しい人なのね」

「まあね」

「年齢はいくつ?」

「12歳」

「あら、同い年」

「え?」


 彼が驚きに目を丸くする。


「君も12歳なの?」

「ええ」

「見えない。もっと大人っぽく見える」

「残念。同い年よ」

「そうなんだ。同い年で君みたいに綺麗な子、初めて見た」

「ありがとう」

「食事したいのは山々なんだけど、ごめんね。僕、すごく忙しいから、やっぱり行けないや」

「12歳の子供が、16時以降忙しいの?」

「そうだよ。とってもね」

「遊ぶ時間もないほど?」

「うん」

「どうして?」

「ねえ、お嬢様」


 彼が微笑み、優しくあたしに話しかける。


「君は、お金持ちだね」

「ええ」

「貴族?」

「そうよ」


 頷くと、彼も頷く。


「じゃあ、やっぱりさ、その、…僕みたいな貧乏人と口を利かない方がいいと思うんだ」

「どうして?」

「お金持ちは、皆、そう言うよ。身分が違うから」

「あたしは気にしないわ」

「ね、僕だって、君みたいに優しい子、もっといっぱい話したいよ。でも、貴族って、親が厳しいって聞いたことある。怒られる前に、関わる相手はちゃんと決めた方がいいんじゃないかな?」

「あたしとは関わってくれないの?」

「時代が許してくれない。そういうものだよ」

「そう。残念」


 扉が開いた。店に客が入ってくる。


「いらっしゃいませ」


 彼が客に声を出して、あたしに顔を向ける。


「お喋りはおしまい」

「そうね」


 あたしは『仕掛け』を置いていく。


「パン、ありがとう」

「どういたしまして」

「さようなら」

「さようなら」


 お別れの挨拶をして、仕方なく店から出て行く。『仕掛け』を置いて。


(さて、何秒で気づくかしらね)


 あたしはパンが入った紙袋を抱きしめて、ゆっくりと歩く。


 5、4、3、2、1。


「ねえ、ちょっと! お嬢様!」


 後ろから彼の大きな声が聞こえて、ゆっくりと振り向く。思った通り、『置き忘れた手袋』を持ってきてくれた。


「ああ、ありがとう」


 今気づいたように言うと、彼がおかしそうに笑った。


「ねえ、わざと?」

「何の事?」


 手袋を受け取る。


「道理でいつも以上に手が冷たいと思った」

「ふふっ。絶対わざとだ」

「わざわざ走って来てくれるなんて、優しいのね」

「お客様だからね」

「それ以上にはなれないの?」

「それ以上?」

「友達とか」


 言うと、彼が目を見開いて、きょとんとして、また笑い出した。


「ふふふ! からかってるんでしょ」

「真面目に言ってる」

「友達か。ふふっ。でも、どうかな。僕、貧乏人だし、君は貴族のお嬢様」

「関係ないわ」

「時代が許してくれないよ」

「そんなことない」

「じゃあさ、こうしない? お嬢様。お試し期間」


 彼の提案に、今度はあたしがきょとんとする。


「お試し期間?」

「一週間、ちょっと関わってみよう。でも僕は忙しいから、君がお店に来て」

「11時に?」

「うん。その時間なら、今みたいにちょっとだけ話せる」


 もちろん、他の従業員の目を盗んでね。


「それで、一週間くらい喋ってみて、君が面倒くさいとちょっとでも思ったら、友達は無し。その時点で関わるのはやめよう」

「面白そう」


 あたしは微笑み、頷く。


「いいわ。一週間ね」

「うん」

「明日もお店にいるの?」

「明日も明後日もいるよ」

「あたし、11時に行っていいの?」

「君が良ければね」

「今の言葉忘れないで」

「でも無理はしないで。貴族って、習い事とか、勉強とか、僕にはよくわからないことを色々してるんでしょう?」

「ええ、まあ」


 そういえば、彼はいつもあたしの心配をしていた。


「でも、大丈夫よ」

「本当に?」

「ええ」


 この世界ではありもしない記憶を、微かに思い出す。


「ねえ、一つ教えてほしいんだけど」

「うん?」

「名前、なんて言うの?」



 ―――名前、なんて言うの?

 ―――ニ、



「僕の名前?」

「貴方以外にいるの?」

「貴族のお嬢様に名前を訊かれるなんて、生まれて初めてだから」


 彼がにんまりと口角を上げる。


「ニクス」


 優しく微笑む。


「ニクス・サルジュ・ネージュ」



 ―――ニクスだよ。



「そう。ニクス」


『ニクス』


(そうだ)


 そうだった。


(ようやく思い出した)


 思い出せなかった失くし物が見つかった途端、どこで失くしたのか一気に思い出したような感覚。


(そうだ。彼の名前は)


 ニクス。

 ニクス・サルジュ・ネージュ。


 まるで雪のような子。

 白いのに、積もれば、暖かくて、ふわふわしていて、いつでも厚着で、ぼろぼろの手袋をはめて、いつだって雪だるまのような笑顔を浮かべていた。


(ニクス)


 目の前に、ニクスがいる。


(どうして忘れていたんだろう)


 こんなにも聞き覚えのある名前。聞いたら、当たり前のように思い出したその名前。


「良い名前ね」


 あたしは微笑む。


「雪みたい」

「雪? この名前が?」

「ええ。ほら、服も白いし」

「何言ってるの。服は店の制服」


 ニクスがまたおかしそうに笑った。


「ふふ。変なの」

「何が?」

「君だよ」

「あたし?」

「なんで僕と関わろうとするの? ほら、見て。僕は、ただのパン屋の従業員だよ」


 それに、


「臭いでしょ」


 あたしは首を傾げた。


「そうなの?」

「とぼけちゃって。僕、最近お風呂に入ってないんだ。だからお店の人達に、臭うって今朝からずっと言われてる」

「へえ、そう」


 あたしは首を振る。


「気づかなかった」

「優しいね」


 あ、


「名前、訊いてなかった」


 訊いてもいい?


「君の名前は?」



 ―――テリー。

 ―――花の名前か。いいな。綺麗な名前だね。



「テリーよ」

「テリーの花」


 ニクスが微笑んだ。


「花の名前か。いいな。綺麗な名前だね。お嬢様にはぴったり」


 ニクスが一歩、後ろに下がった。


「それじゃあね、テリー。僕、もう戻らないと」

「ええ。お仕事頑張ってね。ニクス」

「ありがとう!」


 手を振り合って、あたしとニクスが、お互いの道に戻っていった。








(*'ω'*)






「手袋、落としたよ」




 優しい、小鳥の鳴き声のような声に、あたしは振り向いた。その先では、見たことのない子供が、あたしの手袋を持っていた。


「はい」


 差し出された手袋を受け取る。顔を上げて、彼の顔を見る。


「ありがとう」

「どういたしまして」


 あまりにもその肌が白いから、


「あんた、肌白いのね。雪みたい」


 そんなことを言うと、彼が不思議そうな顔で自分の手を見た。


「え、そうかな?」

「雪だるまみたい」

「雪だるまじゃないよ。僕、人間さ」


 でも、知らない子。

 あたしは訊いた。


「ここに住んでるの?」

「うん。お父さんの仕事の手伝いをしてるんだ」


 親の仕事を手伝ってる子供は珍しくない。あたしは頷いた。


「ふーん」

「じゃ、僕、これで」


 あたしは彼のコートの袖をつまんだ。


「待って」

「え?」


 彼が立ち止まったから、あたしは彼から手を離さなかった。


「遊んで」

「え?」

「あたし暇なの。付き合ってあげるから、遊んで」


 気まぐれだった。


 屋敷に戻れば、

 使用人のメニーがいる。

 仲の悪いアメリがいる。

 ぴりぴりしたママがいる。

 12歳のあたしには、その環境が耐えられなかった。


 全部が全部嫌になって、

 全部が全部忘れたくて、

 全部が全部むしゃくしゃして、


 誰でも良かった。


「遊んで」

「あの…」

「あたしと遊んで」


 黒い瞳があたしを見つめる。

 あたしの目が、彼を見つめた。


 そしたら、彼が、静かに、あたしに提案してみた。


「…雪だるまでも、作ってみる?」


 あたしは首を傾げて、彼を見た。


「作れるの?」

「二人でやれば、大きいのが出来ると思うよ」

「あたし、雪だるま作ったことない」

「え?」

「お下品だからやめなさいって、ママが言うから」

「そっか、じゃあ」

「でもいいわ」


 あたしは頷いた。


「作り方教えて」

「うん。いいよ」


 あたしは訊く。


「ねえ、名前なんて言うの?」

「ニクスだよ」

「ニクス」


 あたしはつい、笑ってしまう。


「名前も雪みたい」

「そうかな」

「いいわ。ニクス。気に入った。あんた可愛い顔してるし、あたしが今日一日遊んであげる。感謝してよね」

「訊いてもいい? 君の名前は?」

「テリー」

「テリーの花。花の名前か。いいな。綺麗な名前だね」


 ニクスが微笑んだ。

 あたしに微笑んだ。

 だからあたしはきょとんとした。

 あたしに純粋な笑顔を向ける人なんて、メニーくらいだったから。


「テリー、行こう。暗くならないうちに」

「うん」


 ニクスがあたしの手を握った。


「きゃっ」


 あたしは声を出す。今度はニクスがきょとんとした。


「あ、ごめんね。痛かった?」

「い、痛くない」


 そうじゃなくて、


「手」

「え?」

「あの」

「え?」

「だから」


 手、


「………家族以外の誰かと、繋いだこと、ない、から…」


 別に、


「平気だけど?」


 別に、


「何ともないけど」


 だけど、


「人前で、手を繋ぐなんて、はしたな…」

「何言ってるの」


 ニクスは優しく微笑む。


「いっぱい繋ごうよ」


 そう言って、小さな手袋が、あたしの手袋を握った。


「おいで」


 ニクスがあたしの手を握って、引っ張る。あたしはニクスに引っ張られた。足を滑らせながら、ニクスと走った。


 楽しかった。


 それが、すごく楽しかった。


 笑い合った。


 笑うことができた。


 ニクスは、あたしの友達だった。


 でも、ニクスは消えた。



 あたしとの約束を破って、それから二度と、あたしの前に現れなかった。



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