第17話 ハロウィン祭(3)


 12時。商店街通り。



 ニクスと歩き回る。


「ニクス! あそこのお店の美味しいのよ!」

「本当だ。美味しそう!」


 二人でクレープを買って食べる。


「ニクス! あれもおすすめなの!」

「本当だ。美味しそう!」


 二人で串に刺さった肉を買って食べる。


「ニクス、あれは食べたことある?」

「何だろう?」


 二人でチョコレートをトッピングし、串で刺されたバナナを買って食べる。


「ニクス、アイスは?」

「ふふっ。待って。テリー」

「ね、あたしのお金なんだから、好きなものを買うわ。ニクス、チョコレート?」

「あたし、バニラかな」

「ニクス、あたしもバニラがいい」

「ふふっ! じゃあ、お揃いにしようか!」


 二人でアイスクリームを買って食べる。


「あ、そうだ」


 ポケットに手を突っ込む。


「あのね」


 ぼそりと呟く。


「……これ、あげる……」


 チョコレートのキャンディを二つ、ニクスに渡す。一つは自分の分に取っておく。


「いいの?」

「……ん」

「ありがとう」

「……」

「……一緒に舐めようか」

「ニクスが舐めたいなら、あたしも舐めてあげる。しょうがないわね」


 二人で一緒にキャンディを口に入れる。口の中でころころと転がる。なんだか友達同士みたい。ニクスもそう思うでしょう? 混雑する商店街を一緒に歩く。あたしはニクスを見る。ニクスもあたしを見る。


「テリー」

「ん?」

「最初に言っておくね」

「何が?」

「ごめん」


 ニクスが突然、謝った。


「約束、破っちゃった」

「……約束?」


 きょとんとすると、ニクスが苦笑した。


「電話で言ってたでしょ。気になる人がいて、ダンスパーティーに誘ってみるって」

「……あー」


 思い出した。ニクスの恋愛話。


「あれ、どうなったの?」

「彼、もう彼女がいたんだよ」

「え?」

「いたから、誘えなかった」


 ニクスが息を吐いて、肩を落とした。


「あたしね、思った以上にショックで、しばらく落ち込んじゃったんだ」


 そんな時に、やってきた。


「ジャックの悪夢」


 余計に落ち込んだ。それはそれは落ち込んだ。


「元気づけようとしてくれたおじさんとおばさんが、切符をプレゼント」


 ――ニクス、城下町に行っておいで。ハロウィン祭が開かれるそうだよ。


「泊まりは無し。今日中で帰らなきゃいけない短い旅だけど」


 ニクスがあたしの手を握って、微笑む。


「テリーに会えたから、もう十分。何も悲しくないし、寂しくない」

「……ニクスを選ばないなんて、そいつは本当に馬鹿な男よ。そんな奴、付き合わなくて正解だわ」


 あたしとニクスが足を揃える。


「ニクス、そんなこと言ったら、あたしだって約束は守れなかった」

「……なんだっけ?」

「一日一回、お客様からありがとうを言ってもらう」

「え? 無理だったの?」

「一日中品出しだった時もあるもの。そうなると、ありがとうなんて、なかなか言ってもらえないもの」

「そこもカウントするの?」

「する」

「あはは! 細かいなぁ!」

「これで二人とも約束を破ったわ。約束の件は無しよ」

「ふふっ! それは有り難いな」


 人の波について歩き、テントの出店を眺める。


「ニクス、お土産に何か買ってあげるわ。ね、それで元気になって」

「大丈夫。あたしね、テリーに会えたから、すっごく元気になっちゃった」

「遠慮することないわ。欲しいものがあったらあたしが……」

「あ」


 ニクスがあたしの耳に気付いた。


「それ……」


 ニクスが驚いたように、じっと見て、目を丸くさせた。


「つけて、くれてたの……?」

「……ん、これ?」


 あたしは横髪を退けて、ピアスをする耳を見せる。


「あー、そういえばニクスから貰ったものだったわね。別にこれが気に入って毎日つけてるわけじゃないのよ。ただ、今日つけてたのが偶然これだったのよ。そうだったわね。確かにニクスから貰ったものだったわね。消毒してきちんと洗って整えて錆びないように大切に保管なんかしてるわけじゃないけど、そうね。まー、今日がたまたまこのピアスをしたい気分だったのよ」

「……テリー、……ありがとう。お母さんもきっと喜んでるよ。でも、……たまには違うピアスもしてね。君は綺麗なんだからもったいないよ。それと……」


 ニクスが苦く笑う。


「……渡した頃よりも綺麗になってない?」

「さーあ? どうだったかしら? 過去のことなんて忘れたわ」


(ちゃんと毎日消毒して磨いて綺麗にしてるもの)


 ニクスのお母様の形見のピアスはキラキラ光っている。


(指輪は失くしても、これは失くしちゃいけない。もっと大切にしなきゃ)


 これからはピアスの保管箱を鍵付きにしよう。そうしましょう。

 ニクスがため息をついた。


「あたし、テリーにお土産を持って来れば良かったな。会えるか分からなかったら持ってこなかったんだけど……」

「いらない」

「テリーがいらなくても、あたしがあげたかったの」

「いらない」


 手をぎゅっと握り締める。


「……ニクスがいてくれたら、……何もいらない……」

「……。お嬢様、どこでそんな口説き文句覚えたの?」


 ニクスがふふっと笑った。


「あたしだって一緒だよ。テリーがいてくれたら、おもてなしなんてどうでもいい」


 ニクスもあたしの手を握る力を強めた。


「……会えて良かった」

「……城下町に来るって、電話した時に言ってくれたら良かったのに」

「だって、驚かせたかったんだもん。サプライズ大成功」

「キッドもニクスに会いたがってた」

「ああ、そうそう。その話も聞きたかったんだ」


 ニクスがにんまりと口角を上げて、あたしの耳に口元を近づかせ、声をひそめて話し出す。


「ね、聞かせて? どこまでしたの?」

「……何もしてないけど」

「キスは?」

「さあてね?」

「気になる。ねえ、教えて。誰にも言わないから」

「誰にも言えないでしょ」

「ふふふ!」

「あたし、何度も婚約解消してって言ってるのに、あいつしてくれないのよ」

「テリーのことが好きなんだよ」

「どうかしらね」

「だって、……これ言ったかな?」


 あたしが引っ越す前、キッドさんの家にお世話になってた時、


「よく、テリーの話をしてたんだよ」


 あたしもキッドさんも、共通の話題がテリーだけだったから。


「色んな話をしたの」

「テリーの好きなところとか」

「テリーの苦手なところとか」

「あ、スケート、上手くなった?」

「キッドさん、すごく楽しそうに話してた」

「だから思ってたんだ」

「ああ、この人、テリーのことすごく気に入ってるんだって」

「キッドさんは、テリーの親戚ですか? って訊いたら」


 秘密だよ。ニクス。俺は――、


「テリーの婚約者なんだ」


 ふふっと、ニクスが笑い出す。あたしはむすっとして、視線を逸らす。


「……あたしが教える前から事情を知ってたの、そういうことだったのね」

「言ったでしょ。キッドさんに教えてもらったって」

「なんで言うかな……」

「多分」


 ニクスが微笑んだまま、首を傾げる。


「取られたくなかったんじゃない?」

「取られるって?」

「テリーを、あたしに」


 ……。


「どういうこと?」

「だから、つまり、キッドさんね、テリーのことすごく気に入ってるの」


 だから、


「友達にも、知り合いにも、婚約者以上の存在はいないよって、言われてる気がした」


 今考えれば、


「脅し?」


 無意識に、婚約者だよと言うことで、テリーの隣に一番いなければいけないのは自分だと、主張しているように見えたと、今なら思う。


 あたしは眉をひそめ、むうっとする。


「ニクス、嫌なら嫌って言っていいのよ。あたしは、あいつのそういうところが嫌いなのよ」

「ねえ、婚約破棄しちゃうの? 相手は王子様だよ? テリー、言ってたでしょ。プリンセスになるんだって」

「過去は忘れた」

「あたしのささやかな、落書きの夢も?」

「……それは覚えてる」

「ふふっ。覚えてるじゃない」

「でも、キッドはやだ」

「またまた、テリーってば」

「何よ」

「満更でもなかったりして!」

「冗談!」


 あたしは鼻を鳴らす。


「たとえ王子様でも、相手はキッドよ? あいつとするくらいなら、あたしはニクスと結婚する!」

「ふふ! 嬉しい。じゃあ結婚しちゃおうか!」


 二人の手が固く握られる。あたしから誓いの言葉を捧げる。


「ニクス、汝、テリーを愛することを誓うか?」


 ニクスが笑いながらあたしに続く。


「テリー、汝、ニクスを愛することを誓うか?」


 お互いの手を握り合う。


「誓うわ」

「誓います」

「はい。結婚成立」

「指輪交換」

「誓いのキスは?」

「テリーからは遠慮しておく」

「してほしいの? んー」

「ちょっと、人前でやめてよ! うふふふ!」


 ニクスがケタケタ笑う姿を見て、あたしの頬は緩んでしまう。いつまでも繋がれる手は、お互いにゆらゆらと揺らす。ニクスが商店街の建物を見上げる。


「それにしても、テリー。ここの商店街、本当にすごいね。とても事件があったとは思えない」

「……29日のこと?」

「うん。新聞見たよ。……爆発事件が起きたって」

「……そうね。……本当にボロボロだった。町全体が動いて、ここまで立て直したのよ」

「怪我しなかった?」

「擦り傷なら」

「擦り傷? どこ?」

「おでこに」


 ニクスが見つけて、はっとした。


「あ、本当だ。……可哀想に……」


 ニクスの手が、優しくあたしの頭を撫でた。


「痛いの痛いの、どっかに飛んでけ」

「10月になってからジャックの痣といい、怪我だらけよ」

「テリーに怪我をさせるなんて、許せない。全く、酷いことするんだから」

「中毒者よ」


 ニクスがきょとんとする。あたしは頷く。ニクスが視線を落とした。


「……ジャックは、解決したんだよね?」

「ええ。でも、その後、別に現れた」

「……魔法使いさんは……まだ配ってるんだ」


 呪いの飴。


「弱みにつけこんで、渡してるんだ」


 ニクスが、どこかを見つめている。


「ねえ、ニクス」


 一つ、訊きたいの。


「ニクスに飴を渡した魔法使いって、紫色の魔法使い?」

「……」


 ニクスが一瞬瞬きしてから、こくりと頷いた。


「そうだよ」


 ――オズ。


「そう」


 リオンの話を思い出す。


「……まさか、会ったの?」

「……あたしは会ってない。ただ、……共通して一致するのが紫の魔法使いなの」

「……その人の仕業なんだろうね」


 お父さんを殺した犯人。


「魔法使いさんは、隙がある人間に近付く。自分の心が酷く落ち着かなくて、困ってて、どうしようもない、救いのない時に現れる」


 弱った人は救いを求める。紫の魔法使いは救う。呪いの飴を渡す。呪われる。


 また悲劇が繰り返される。


「……お父さんはいない」


 でもね、テリー。


「あたしね」


 ニクスが微笑む。


「今、とっても幸せなの」


 秋風で揺れるお化けのバルーンが笑っている。


「おじさんもおばさんも、すごく私を大切にしてくれるんだ。本当の娘のように、怒ってくれて、泣いてくれて、笑って、……愛してるって、言ってくれるの」

「……そう」

「このリボンもおばさんが買ってくれたんだよ」


 お店で見つけたの。


「テリーの髪の色に似てるから、ずっと見てたら」


 ――ニクス、一本だけなら。


「優しいおばさんで良かったわね」

「うん」


 ニクスが自分の髪の毛を持ち上げた。


「ねえ、……ポニーテールどうかな?」

「……すごく似合ってる」

「テリーの真似してるの。前に見た時、テリーの髪型がポニーテールだったから」

「ニクス、今度こっちに来る時は連絡して。あたしのリボンあげる」

「ああ、そうだ。言ってたよね」

「覚えてる?」

「もちろん、覚えてるよ。テリーのこと、忘れられないもの」

「髪の毛伸ばしたのね」

「テリーのリボンを貰いたかったからね」

「可愛い」

「ふふっ。ありがとう。嬉しい」

「あたしはどう?」

「可愛いよ。おさげも似合うね」

「ニクスもやる?」

「あたし、三つ編み出来ないの。難しくない?」

「じゃあ、今度教えてあげる」

「教えて。お揃いにしよう?」

「お揃い?」

「そうだよ。テリーとあたしでお揃いの髪型で歩くの」

「何それ。気持ち悪い」

「……本当にそう思ってる?」

「……ニクスとなら、……してあげなくもなくってよ……」

「よし、じゃあ、しよっか。お揃い」


 繋いだ手が揺れる。


「次、城下町に来る時は、泊まれる場所を決めておくよ」

「……ニクス、キッドの家使ったら?」

「ええ?」

「ビリーに言えば、きっと使わせてくれるわ」

「どうかな……? だってあの時と違って、もうキッドさんは王子様なんだよ?」

「大丈夫よ」


 キッドは何も変わってない。言えば、いつもの笑顔で、呆気なく許可してくれるだろう。


「ニクス、連絡して。あたしが頼んでみるから」

「じゃあ、その時はお願いしようかな」

「いつ来る?」

「さあ、いつになるかな?」

「また近いうちに」

「そうだね。テリーともっとゆっくり遊びたいもの」

「あたしも、ニクスと遊びたい」

「……これから、お墓参りに行くんだ」

「……これから」

「ハロウィンだからね」

「……」

「まだある?」

「……毎年、雪祭の会場になってる」

「……トンネルは?」

「……工事は再開されてない」

「……うん。その方がいいよ。あそこは危険だもの」

「……ニクス」


 ニクスの手を引っ張る。


「他に食べたいものない?」

「もう結構食べたよ」

「お土産は?」

「この後でいいよ」

「あれ食べない?」

「テリー」


 ニクスが近くの店に指を差した。時計が置かれている。


 12時50分。


「……」

「……もう、戻った方がいいよね」

「……ん……」

「こら。駄目だよ、テリー。ちゃんと働かないと」

「……分かってる……」

「……じゃー、……戻るまで、リンゴ飴が食べたいな」

「……ん」

「一緒に食べよう?」

「……ん」


 あたしはリンゴ飴を二つ購入する。ニクスと一緒に食べる。


「メニーは元気?」

「……ん」

「誘拐事件も大変だったね」

「……全くよ」

「……仲直り出来たの?」

「とっくの昔に、優しいあたしはメニーの過ちを許したわ」

「ふふ! そう。良かった!」

「……あたしだって、別に喧嘩するつもりなかったもん……」

「喧嘩するほど仲が良いって言うでしょ? 良かったじゃない」

「……何も良くない」

「あたしとも喧嘩する?」

「……ニクスとは……したくない……」

「それは良かった。あたしも同意見」


 リンゴ飴を食べ終える頃、ドリーム・キャンディに戻ってくる。人はさっきより引いている。ニクスがテントの中を覗き、あたしを見る。


「何がおすすめ?」

「詰め合わせが良い?」

「うん。お土産用……三箱くらい」

「待ってて」


 あたしはテントの中に入る。奥さんがあたしに振り向く。


「お帰り、ニコラ」

「戻りました」


 棚から色んなお菓子を詰め合わせた箱を三つ取り、紙袋に入れる。また外に出て、待ってたニクスに歩いて、手渡す。


「はい」

「ありがとう。お会計は?」

「いらない」


 あたしはニッと微笑んで言った。


「あのね、あたしの奢り!」

「駄目」


 ニクスが冷ややかにあたしを見る。あたしはきょとんとする。ニクスが首を振る。あたしは眉をへこませる。


「……奢る……」

「駄目」


 あたしは首を振る。


「……やだ。……奢る……」

「駄目」

「……」


 あたしはニクスを睨む。ニクスが眉をひそめて、ため息をついた。


「そんな目で見ても、これは駄目」

「……お黙り……貧乏人のくせに……調子にのりやがって……」

「テリーって前もそうだった。駄目だよ。こういうのは自分で支払うから友達に胸張って、お土産買ってきたよ、貰いたければ敬意を払え、って言えるんだから」

「……」

「そんな目で見ても駄目」

「……」

「駄目だよ。いくら睨んでも、あたしには効かないよ」

「……」

「ほら、お会計は?」


 あたしはぼそりと言う。


「……1000ワドル」

「1000ワドル?」


 ぶふっと、ニクスが吹き出した。


「それ、あたしが作ったパンを、テリーが買った額じゃない!」


 ニクスがケタケタ笑い出す。あたしはきょとんとする。

 ニクスが笑う。あたしも口元が緩んで、くすくす笑い出す。

 ニクスが笑う。あたしが笑う。

 ニクスとあたしが声を揃えて笑い、ニクスがお腹を撫でながら、財布を取り出した。


「ああ、駄目駄目。お腹痛い!」


 1000ワドル、ちょうど渡される。


「……まいど」

「ありがとう」

「こちらこそ」

「じゃあ、テリー。……もう行くね」

「……ん」

「大丈夫。また会えるから」


 ニクスが積もった雪のように温かく笑う。

 あたしも薄く微笑んで頷く。


「……待ってる」

「うん」

「待ってるわ」

「必ずまた来るよ」

「ニクス」

「テリー、会えて良かった」

「ニクス」

「また会おうね」

「うん。……ニクス」


 あたしは腕を伸ばす。ニクスを抱きしめる。大切に、ぎゅっと抱きしめる。


「……ニクス……」

「もう……」


 ニクスがあたしを大切に抱きしめた。


「テリー」

「手紙書くわ」

「あたしも」

「いっぱい書く」

「あたしもいっぱい書くよ」

「……じゃあね。ニクス」

「テリー、この後もお仕事頑張ってね」


 ニクスとあたしが離れる。ぬくもりが消える。けれど、温かい思い出は頭に残る。

 ニクスがコートのポケットをぽんぽんと叩いた。


「キャンディ、ありがとう。テリーには悪戯しないでおくね」


 微笑んで、手を振る。


「またね! テリー!」


 ニクスが人混みの中に入っていく。見送る。すぐにニクスが見えなくなる。


「……」


 前のように、汽車を追いかけることはしない。


(また会える)


 ニクスは生きている。いつでも会える。


(ニクス)


 初めて見た。背の伸びたニクス。成長した姿。この目に焼き付けた。それだけで、


(あたしも十分満足よ。ニクス)


 上がった口角は、しばらく下がらない。にやにやしながらテントの中に戻り、リトルルビィの肩を叩いた。


「ただいま。休憩行ってきなさい」

「うん!」


 リトルルビィが返事をして、


「……?」


 あたしの顔を見る。あたしはきょとんとする。


「……何?」

「ニコラ……、……何か変なものでも食べたの?」

「ルビィ」

「あ、やっぱりニコラだ」


 むすっとすれば、リトルルビィが安心したように安堵の息を吐いた。リトルルビィが鞄を持つ。


「……どこで休もうかな……」

「ルビィちゃん」


 ジョージが指を差す。


「店の中使っていいよ。事務室でもカウンターでも無礼講さ!」

「わーい!」


 リトルルビィが休憩に行く。あたしはリュックを置き、席に戻る。


(あれ?)


 アリスがいない。


(……休憩かしら?)


 店番を始めるため、前を向いて、声を出す。


「トリック・オア・トリート」


 お菓子くれないと、悪戯するぞ。



 13時。



 アリスが青い顔で三月の兎喫茶から出てきた。


「あー! やっと戻れたー!」


 席に戻ってるあたしを見て、微笑んだ。


「あら、ニコラ、お帰り!」

「珈琲飲んでたの?」

「違う違う。サガンさんのお店手伝ってたの」

「その格好で?」

「汚さないようにするの大変だったわ……」


 アリスが溜めた息を思いきり吐いた。


「さっき一緒にいた子って、ニコラのお友達?」

「……引っ越しちゃった友達なの」

「あら、そうだったの!」

「あのね、……久しぶりに城下町に来れたらしいの。……住んでる所が遠いから」

「楽しい話出来た?」

「……ん」

「良かったわね!」

「……ん」


 あたしが頷くと、アリスの前に客がやってくる。


「お姉ちゃん! チョコレート下さい!」

「はーい!」


 客が来る。


「猫のお姉ちゃん!」

「ハイ」


 客は雪崩れ込むように、再びやってくる。


「すみませーん!」

「はぁい! お伺いしますぅ!」

「リタ、これお裾分け」

「お! 梅酒だ! ありがとう!」

「ニコラちゃん!」

「あ、ベッキー」

「すみません。それを」

「はい! いらっしゃいませ!」

「200ワドルデス」

「ニコラちゃんの噂の棒読み、初めて聞いた……!」

「すみません。それ下さい」

「はぁい!」

「お姫様! 飴玉下さい!」

「合言葉は?」

「えっとね、えっとね、切り裂きジャックを知ってるかい!」

「残念! それじゃないわ!」

「トリック・オア・トリート!」

「お菓子買ってくれないとぉ、悪戯しちゃうわよぉ!」

「奥さん、クッキー追加しときます!」

「ありがとう。ジョージ」

「さあさあ! お菓子はいかがかなー!? お猿さんも大好きなお菓子はどうだーい!?」

「ジョージちゃん!」

「あ、どうもです」

「イラッシャイマセ」

「パンプキンマフィン下さい!」

「はい! 200ワドルよ!」

「お姉さんありがとう!」

「あっはっはっはっ! この子はいい子だね! ありがとう!」

「すみません」

「ハイ」


 見上げると、二人組の恋人と目が合う。


「あ」

「おや」

「あら!」


 ハロルドとエスメラルダが、あたしに驚きながら微笑んだ。


「やあ! ニコラちゃん!」

「お久しぶりね!」

「……どうも」


 頭をぺこりと下げると、ハロルドがテントを眺めた。


「ここで働いてるの?」

「はい。今日までですけど」

「その年で働くなんて偉いわね」

「レオ君は?」


 ハロルドがきょろりと見回す。あたしは適当に誤魔化す。


「……お兄ちゃんは、遊んでると思います」

「はははは! 年頃の男の子ってそういうものだよな!」


 ハロルドが肩を揺らして笑った。


「じゃあ、レオ君にも伝えておいてくれるかい?」

「ん、何をですか?」


 訊くと、エスメラルダがあたしに手を差し出した。指輪が光っている。


(……)


 あたしは指輪を見て、エスメラルダを見上げる。エスメラルダは嬉しそうに微笑んでいる。


「そうよ。彼と結婚するの」


 エスメラルダがハロルドに腕を組んだ。ハロルドも嬉しそうに微笑んでいる。


「エスメラルダと再会出来たのは、君達のお陰だ」

「ニコラちゃん、この人ね、ずっとお礼を言いたいと言っていたのよ」

「それに、レオ君に頼まれていたサインをまだ渡してないんだ。良かったら、今度二人でラジオ局に遊びにおいで。その時にいくらでも書くと、お兄ちゃんに伝えてくれるかい?」

「分かりました」


 頷いて、付け足す。


「……二人のこと知ったら、喜ぶと思います」

「そうかな。ふふっ! ありがとう」


 ハロルドとエスメラルダが微笑み、テントの棚を眺める。


「何がお勧めだい?」

「パンプキン系のお菓子、皆、社長の手作りなので、美味しいです」

「ほう。パンプキンか」

「詰め合わせもあります」

「それじゃあ、頼もうかな」

「はい」


 あたしはパンプキン系のお菓子が入った詰め合わせの箱を棚から取り、袋に入れる。そして再び席に戻る。


「500ワドルデス」

「はい」


 ハロルドから500ワドルを受け取る。


「アリガトウゴザイマス」

「ニコラちゃん、このお店のこと、ラジオで話してもいいかい? ハロウィン祭の出来事を話そうと思っていてね」

「……どうだろう。多分大丈夫だと思いますけど……。……あそこにいるのが社長の奥さんなので、あの人から許可を」

「ありがとう。許可をもらって、宣伝にも繋がる素敵な話をしてみせるよ」


 ぱちんとウインクして、足を動かす。


「それじゃ、レオ君にもよろしく伝えてくれ」

「それじゃあね、ニコラちゃん」


 ハロルドとエスメラルダが奥さんに向かって歩いていく。奥さんが話を聞いて、笑い出す。ええ、どうぞどうぞ! こんな古臭い店でよければ!


(……結婚するのね。あの二人)


 レオの行動による一つの結果。


(……事件を仕掛けたのもあいつだけど……)


 それがこうして形となって現れたのであれば、


(それも、悪くはなかったのかも)


「すみません」

「ハイ。オ伺イシマス」


 棒読み対応は継続。


「トリック・オア・トリート!」

「いらっしゃいませー!」

「さぁさぁ! どうぞ! ハロウィンのお菓子はいかがかねー!」

「ジャックもびっくり! 美味しいですよー!」

「ハイ。オ伺イシマス」

「パンプキンマフィンを」

「はぁい。200ワドルですぅ」

「ママ、あのお姫様可愛い!」

「うふふふ! もっと褒めてくれていいのよ!」

「カァカァ!」


(ん!?)


 烏が三羽、テントの上を飛んでいる。奥さんが見上げる。


「おや、なんだい?」

「カァカァ!」

「カァカァ!」

「カァカァ!」

「こらこら、お前達! 楽しいからってそんな所を飛ぶんじゃない! 戻っておいで!」

「「カー」」


 三羽が一人の男の元へ戻っていく。肩と頭と肩に着地し、男の腕には巨大な白蛇が巻きついている。あたしの片目が、ぴくりと痙攣した。


「……」

「はっはっはっ! お前達、お菓子が欲しいのかい?」

「「カー!」」

「ふしゅー!」

「そうかい! そうかい! 分かったよ! でもそこは人間が食べる用のお菓子屋さんなんだ! 仕方ない。動物が食べれる用のお菓子屋さんがあるか、探してみようじゃないか!」


(いや、出店は無いわよ。流石に)


 白蛇騒動の主人が、笑いながら人の波に乗って歩いていく。アリスがぽかんとして、その背中を見ていた。


「ニコラ、今の見た? 頭と肩に烏を乗せて、腕には蛇がいたわ。……変な人……」

「アリスちゃん、そぉいうこと言っちゃ駄目よぉ」

「だって、変だったんですもん!」

「……」


 あたし達が働く間も人は歩き続ける。出店を眺め、笑い、合言葉を唱える。


 トリック・オア・トリート!


 子供達が歌う。


 ジャック、ジャック、切り裂きジャック! 切り裂きジャックを知ってるかい!


 楽しそうに奏で、楽しそうに歩き、商店街は今まで以上ににぎわう。


「ああ、こんなににぎわっていると、人に酔ってしまいそう」


 ベリーダンスの民族衣装を身に纏う露出狂女が、くすすと笑った。アリスとカリンが目を見開き、口を押さえる。


「「きゃあああああ!!」」

「ソフィアさぁん!!」

「コートニーさん!!!」

「「なんて美しいの!!」」

「くすす。すみません、お水を一杯いただけますか?」

「持ってきます!」


 アリスが立ち上がり、全速力で走っていく。ソフィアがあたしににこりと微笑む。あたしの片目が再び痙攣される。


「……司書さん、ご気分が悪いなら、店の中に入ればどうですか。リトルルビィが休憩中なので、相手してくれますよ」

「ニコラちゃん」


 ソフィアがしゃがみこみ、うっとりと、あたしを眺めた。


「可愛い。何もかも可愛い。思った通りだ。私は君にその衣装を与えて正解だった。ああ、可愛い。カメラを持ってくるべきだった。小屋で待ってる猫みたい。可愛い。可愛い。本当に可愛い」

「ねえ、その揺れるおっぱいは見せるためのものなの? 口元をひらひらのスカーフで隠しやがって。透明なのがエロいのよ。この露出狂。痴女。恥を知れ」

「ねえ、テリー、にゃーって鳴いてみて。ソフィア来てくれて嬉しいにゃんって言ってみて」

「くたばれ」

「コートニーさん!」


 アリスが水を持ってくる。


「どうぞ!」

「ありがとう」


 ソフィアの微笑みで、アリスがくらりと目眩を起こす。カリンがうっとりする。奥さんは美しさに感心している。ソフィアが水を飲む。周りの客だった男達が顔を赤らめてソフィアに見惚れる。周りの人々が水を飲むソフィアに釘付けになる。


(むかつく!!!!)


 顔だけ女のくせに!!!


「ふう」


 ソフィアが口元を拭った。


「ご馳走様」


 その一言で、見てた男達が胸を押さえて倒れた。ジョージがテントの裏で倒れた音がした。


「はい。コップ返すよ。アリス、ありがとう」

「はっ! 私のお名前を……!」

「カリンさん、ミイラの貴女も素敵ですね」

「きゃぁ! そんなそんなぁ!」

「こんにちは、リタさん」

「たまげたねぇ! ソフィアちゃん! やっぱりあんた、美人だねぇ!」

「くすす! ありがとうございます」


 ソフィアがあたしの前に戻ってくる。


「ねえ、ニコラちゃん」

「何でしょう」

「トリック・オア・トリート」


(あ?)


 睨むと、ソフィアが顔を近づけ、


「お菓子くれないと」


 人差し指で、あたしの顎をくいと、上に上げる。


「いけないこと……しちゃうよ?」


 アリスが胸を押さえて倒れた。カリンが巻き込まれた。奥さんが呆れて二人を見下ろした。見てた周りの男達が股間を押さえてぶっ倒れた。テントの裏で立ったはずのジョージが倒れた音が聞こえた。


 あたしはこめかみに青筋を立て、引き攣る笑みを浮かべた。


「司書さん、あたしお菓子屋さんなんです。お菓子を売るのが仕事なんです。あたしからじゃなくて、お金を払って買ってください」

「くすす。そうだね。じゃあ君という甘いお菓子をいただこうかな?」

「おい、お前本当にふざけるなよ。ニコラだからって反論しないと思ったら大間違いよ。たわけ。たわけたわけたわけ!」

「くすすすす! そんな大声出してもいいの? ニコラちゃん?」


 ぐぅうううう! 何なのよ、こいつ!!!


(お前、明日以降覚えてろ……!!)


 にやにやしているソフィアを睨み、拳を握り、必死に笑みを浮かべる。


「で、何にします?」

「んー……」


 ソフィアが眺める。指を差す。


「チェスナットのクッキー」

「300ワドル」

「はい」


 300ワドル受け取る。箱にぽいと入れて、うっとりするアリスを跨って、棚に置いてあるクッキーを紙袋に入れて、また戻ってくる。ソフィアに手渡す。


「ん」

「ニコラちゃん、私、お客様」

「……」


 あたしは接客用語を使う。


「アリガトウゴザイマス」

「ぶっははははは!!」


 ソフィアがゲラゲラ笑い出す。


「本当だ! テリー! 棒読み! 噂通り! 本当に棒読みだ!! 棒読みテリー! あっはははははは!! ははははははははは!!!」


 あたしはとうとう立ち上がる。しゃがむソフィアを思いきり睨みつけた。


「っるさいわね! さっさとどっか行ってよ!」

「くすす……! すすす……! ああ、面白い。これだからたまらない……!」


 笑いをこらえて体を震わせるソフィアが立ち上がり、受け取った袋を開けて、クッキーを手に取る。そして、あたしの口元に押し当てた。


「はい、ニコラちゃん、あーんして」

「……」

「あーんは?」

「……」


(お前、今度、まじで覚えてろ)


 口を開ける。はむ、とクッキーを咥える。むぐむぐと噛んでいく。ソフィアがうっとりして見つめる。もぐもぐ食べていく。ソフィアが見つめる。ごくりと飲み込む。ソフィアが微笑んだ。


「ああ、癒された」


 上から、ぽんぽんとあたしの頭を撫でた。


「じゃあね。ニコラちゃん、この後も頑張って」

「チッ」

「くすすす!」


 ソフィアが愉快そうに微笑みながら歩いていく。男達がソフィアに見惚れる。ソフィアが歩く。男達がそそくさと、後ろからソフィアについていく。


(ナンパはやめておいた方がいいわよ……)


 黄金の目を光らせて、からかいのネタにされるだけよ。


(ああ、性欲とは実に残酷なり……)


 隣で倒れるアリスとカリンを見て、ため息をついた。



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