第16話 10月30日(1)


 とても気持ちがいい。

 毛布も、傍にあるぬくもりも。

 ふわふわと頭に眠気が浮かび上がる。


(……気持ちいい……)


 ふわふわと浮かんでいく。


(気持ちいい……)


 このまま眠っていられる。


(気持ちいい……)


 とんとん、と肩を叩かれる。


「起きなさい。ニコラや」

「……うー……」


 あたしは返事をして、再び眠る。また優しく肩を叩かれる。


「ニコラ」

「うー……」

「ルビィや」

「むー……」

「……」


 ふわふわ気持ちいい空気が充満する。

 このまま、眠っていられると思ったら――耳元で、音。


 ゴオオオオオオン!!


「ぎゃあああああああ!」

「きゃーーー!」


 あたしとリトルルビィが飛び起きる。抱きしめ合って、音の方向を見る。


(え?)


 じいじがフライパンを叩いたようだった。


(あれ?)


 目覚まし時計がない。


(あ?)


 吹っ飛ばされてるあのがらくたは何?


「……は?」


 目覚まし時計が、ベッドと反対の壁にぶつかって壊れている。


「あ、いけない!」


 リトルルビィが目を開いた。


「私、やっちゃった!」


 てへぺろ!


「いつも知らないうちに目覚まし時計を投げて壊しちゃうの……。ごめんね。テリー」

「……」

「えへへ! おはよう。テリー……」


 リトルルビィが抱きしめるあたしにすりすりする。


「目が覚めたら横にテリーがいるなんて、なんて素晴らしい朝なの……」

「朝ご飯も出来てる。支度なさい」


 じいじが慣れているように言って、部屋から出ていく。あたしはリトルルビィを見下ろす。リトルルビィはあたしを見る。にっこりと、微笑む。


「支度しないと!」

「そうね」


 一緒にベッドから抜ける。


「リトルルビィ、服は?」

「乾いてるかな?」

「キッドのシャツ着ていけば?」


 リトルルビィに着せてみる。だぼんとしている。


(……これじゃあ、ワンピースね)


「とりあえず、上はこれでいいや」


 リトルルビィが微笑む。


「どうせ汚れるし」


(そうよ。キッドのお下がりシャツなんてね、汚してなんぼよ)


「あたしのパンツ穿いていけば?」

「え! テリーの穿いてるやつ!?」

「ええ。少し大きいけど、それだけだと動けないでしょ」


 シャツをインしてパンツをどーん。鏡の前で、リトルルビィがくるんくるんと回る。


「テリーだー! テリーのお下がりだー!」

「似合ってる似合ってる」


 あたしは適当に言って、寝巻を脱ぐ。すると、リトルルビィが悲鳴をあげた。


「きゃあ!」

「え?」


 振り向く。リトルルビィがサッと顔を手で隠した。


「テ、テリーってば! なんて大胆なの!!」


 服を脱いだあたしにリトルルビィが恥ずかしそうにしている姿に、呆れた目を向ける。


「……女同士でしょ。気にしないの」

「駄目! 気になる!」

「じゃあ向こう向いてて」

「分かった!」


 リトルルビィがあたしに背中を向ける。あたしはクローゼットを覗き込む。


(今日は動くだろうから……)


 汚れてもいい、動きやすい服装。


(これでいいや)


 キッドのお下がりのシャツを着て、スノウ様に買っていただいたパンツを穿き、動きやすい靴下と靴を履いて、髪の毛を二つのおさげに結ぶ。小指に指輪。


「……」


 もう無いんだった。


「……」


 何も嵌めずにニクスのピアスを光らせて、また小指を見る。


(気に入ってたのにな)


「リトルルビィ、下りるわよ」

「うん!」


 振り向くと、リトルルビィが既にあたしに顔を向けていた。


「……テ、テリー……」


 ぼそりと呟く。


「赤のブラジャー……可愛い……」


(……見てたのね)


 ジャケットとミックスマックスのストラップと帽子が揺れるリュックを持って、部屋から出る。

 リビングに下りていくとあたし達をじいじが見上げた。


「顔をお洗い」

「はい」

「はい!」


 あたしとリトルルビィが返事をした後、洗面所で顔を洗う。


(冷たい)


 ばしゃばしゃやるリトルルビィを横目に、先に顔を拭く。リトルルビィにもタオルを渡す。リトルルビィが顔を拭いて、タオルを棚に置き、リビングに戻る。

 朝食は既に用意されている。テーブルに温かいご飯が並び、あたしは牛乳、リトルルビィは赤黒い飲み物が出されていた。


(……ワイン?)


「あれ、なんであるの?」


 リトルルビィがきょとんとすると、じいじが微笑んだ。


「保管してあるんだよ。いつでもお前が来ていいように」

「わーい! ありがとう! お爺ちゃん!」


 リトルルビィが飲み物を飲み込んだ。


「ごくり」


 一気に飲み込んだ。


「お爺ちゃん! おかわり!」

「ああ」


 じいじがグラスを持ち、キッチン台に置いてあるボトルから赤黒い飲み物を注いだ。リトルルビィが満足そうに口を拭う。


「はあ」


 まるで血のようだ。


「……」


 あ。


「なるほど。これね」


 いつも飲んでる血の代用品。


「そうよ! すっごく美味しいの! これ飲んだら、血を飲んだ気がして元気百倍!」


 リトルルビィがあたしを見つめる。


「あ、でも、もちろん……テリーの血の方が美味しいよ……?」

「はいはい」

「おかわりだよ」


 じいじがグラスを置く。椅子に座る。リトルルビィが微笑み、手を握り締めた。


「我らが母の祈りに感謝して、いただきます!」

「いただきます」


 手を離し、朝食を口に運ぶ。


(……ん。今日も美味しい)


 もぐもぐサラダを食べて、オムレツを食べる。パンも食べて、ソーセージも食べる。リトルルビィがじいじを見た。


「お爺ちゃん!」

「うん?」

「美味しい!」

「そうかい」


 じいじが微笑む。


「ゆっくり食べるんだよ」

「うん!」

「ニコラや、今夜も遅くなりそうかい?」


 あたしは眉をひそめる。


「どうかな」


 リトルルビィを見る。


「どう思う?」

「遅くなると思う」


 リトルルビィが頷く。


「まだ撤去作業もしなきゃいけないし、今日は忙しいと思う。兵士も警察も他の被害地を見回らないといけないから、動ける人が限られてる。子供も大人も、動ける人は皆動いて、どうにか明日に間に合わせるようにしないと」

「だって」

「そうかい」


 じいじが頷く。


「だったら、また迎えに行こう」

「別にいいわよ。一人で帰れる」

「日が暮れた中を、レディ一人で歩かせるわけにはいかん。迎えに行くよ。その時に、ルビィの服も持っていこう」

「お爺ちゃん、ありがとう!」


 リトルルビィが血の代用品を飲む。


「ふふっ! 美味しい!」


 リトルルビィがまたあたしを見た。


「テリー、明日楽しみにしててね!」

「ん?」

「仮装!」


 リトルルビィがパンを頬張った。


「すっごいの着ていくから!」


 テリーも着てきてね!


「明日、仮装着て楽しむために、今日はその倍働かないと」


 リトルルビィがパンを噛んだ。


「がんふぁろうへ!」

「リトルルビィ、食べてから話しなさい」

「ふぁい!」


 もぐもぐ食べるリトルルビィを見て、じいじが微笑み、パンを食べる。あたしもパンを食べる。もぐもぐと食べる音がリビング中に響き渡った。


「ご馳走様」

「ご馳走様でした!」


 あたしとリトルルビィが声を揃える。皿を運ぶ。洗面台に置き、あたしの手を引っ張る。


「歯磨こう!」

「ん」


 頷いて、洗面所へ行く。未使用の歯ブラシをリトルルビィに渡し、一緒に歯を磨く。リトルルビィの口の中が泡だらけになる。すごく一生懸命磨いている。


 二人で順番にぺっ、と吐きだす。今日もお互いの歯が綺麗だ。リビングに戻り、あたしはジャケットを着て、リトルルビィは赤いマントを着て、リュックを持って、鞄を持って、じいじを見る。


「じいじ、行ってきます」

「行ってきまーす!」

「馬車に気を付けての」


 じいじに見守られ、二人で家から出る。今日はとてもいい天気だ。


(久しぶりに晴れた朝の空を見たかもしれない)


「青空ね!」


 吸血鬼のリトルルビィが晴れ渡る空の下を歩き出す。


「行こう! テリー!」

「ええ」


 二人で広場に向かうため足を動かす。木が立ち並ぶ道を進み、森のような道を進み、畑を通り、道を抜け、建物が見えてきて、入って、建物を進み、人が歩いていて、道を進み、人とすれ違い、広場に入って、ひびの割れた道を見て、ひびの割れた噴水の前に行く。時計台を見上げる。時計の針は12時で止まっている。時計台には大きな穴が開き、昨日の今日ではとても修復は出来ないだろう。


 あたし達はそのまま商店街へ向かう。

 荷物を持つ大人達が横を通る。


「よお。ニコラ、ルビィ」

「おはようございます」

「おはようございます!」


 あたしとリトルルビィが挨拶をする。他の人々も声をかけてくる。


「おはよう。二人とも!」

「おはようございます」

「おはようございます!」

「ニコラちゃん!おはよう!」

「おはよう。ベッキー」

「おはよう!」

「……おはようございます」

「あー! エミリちゃんだ! おはよう!」

「おはよう。リトルルビィ」

「おはようございます!」

「おはようニコラ」

「おはようございます」

「やっべー! 忘れ物したー!」

「俺もー!」

「スティーブ! ブライアン! 転ぶなよ!」

「今日は大丈夫さ!」

「スティーブ! ベルトが外れてズボンが!」

「うわあ! やっべー!」

「フィオナ、エミリ、おはよう」

「おはようございます!」

「……おはようございます」

「エリサ! 前を見ろ!」

「え? きゃあー!」

「うわ、ごめん!」

「ちょっと、男子! 危ないでしょ! エミリもいるのよ!!」


 あたしとリトルルビィが人の波から抜けて、ドリーム・キャンディに辿り着く。テントの中に杖を持つ奥さんがいた。あたしははっとする。リトルルビィも見る。奥さんがあたし達を見て、微笑んだ。


「おはよう。二人とも」

「奥さん!」


 リトルルビィが駆け寄る。


「足、大丈夫なんですか?」

「しばらく杖持ち生活だけどね。でも大丈夫」


 奥さんがニッ、と変わらない笑みを浮かべる。


「悪いけど、手作業しか出来ない。二人とも、今日も元気に働いてくれるかい?」

「はい!」

「……はい」

「そう! よかった!」


 奥さんがテントの中の棚に指を差す。


「今日はそこに荷物を置きな。建物の中はまだ安全か分からないし、私が見てるから大丈夫」

「はい!」

「……はい」


 リトルルビィとあたしも頷き、今日は荷物をテントの中の棚に置く。


「でね、今日はアリスがお休みなんだ」


 奥さんが、少し声量を落とす。


「……事情もあるから、出て来いって言えなくてさ」


 だから、


「二人とも、アリスの分まで頑張るんだよ」


 奥さんが微笑む。リトルルビィは頷き、あたしも頷く。


(アリス、休みなのね)


 昨日も早めに抜けて、帰っていった。


(……大丈夫かしら)


 あの子を受け止める人は、あの家にいるだろうか。


「……」

「そういえば、サガンさんが呼んでたよ」


 奥さんが向こうの道を指差す。


「行って指示をもらっておいで!」


 さあさあ、


「忙しくなるよ!」


 奥さんは元気に笑う。足を怪我してもなお笑う。

 社長が店の中から出てきた。工具箱を持っている。

 あたしとリトルルビィが目を合わせる。


「行こう! ニコラ!」

「ん」


 あたしは歩く。リトルルビィも歩く。


「頑張ろうね! ニコラ!」


 ハロウィン祭はもう目の前だ。やるしかない。




(*'ω'*)




 10時。商店街通り。



 役員のサガンがメガホンを持って、三月の兎喫茶の屋根の上から、下にいる人々に指示を出していた。


『……右』

「サガン、右ってどっちだ!?」

『そこ』

「ここか!」


 飾り付ける。


『……左』

「サガンさん! 左ってどっち!?」

『そこ』

「ここね!」


 飾り付ける。


『それはそこ』

「サガン! そこってどこだ!」

『あれはそっち』

「サガンさん! そっちってどっちだい!?」

『お前はあっちだ』

「あっちだな!」


 人々が指示で動き出す。

 あたしはカボチャをくりぬいていく。持ち上げて、カボチャの顔を見てみる。


(……なんか変)


 ちらっと、隣で作業するリトルルビィを見る。


(……あたしのより可愛い)


 ちらっと、隣で作業するエミリを見る。


「え」


 上手いだと!?


(8歳とは思えない高クオリティのパンプキン!)


 ジャック・オー・ランタン。


「上手!」


 リトルルビィがエミリのカボチャを見て、自分のを見せた。


「私、こういうの苦手なの! エミリ、すごい!」

「……お母さんと、やってたから……」

「お母さんとやってたのね! すごい!」


 お姉ちゃんのようにリトルルビィが振舞う。リトルルビィはにこにことエミリに微笑むが、リトルルビィには母親はいない。父親も、兄も、既に他界している。だが、エミリには関係ない。リトルルビィは元気に微笑む。エミリもふにゃりと微笑む。


(……)


「あんた」


 奥さんがカボチャの中身が入ったボウルを社長に渡した。


「これでカボチャのお菓子でも作れないかい?」

「……ん」


 社長が奥さんを見下ろし、頷く。


「必ず作って見せよう」

「はっはっはっはっ! あんた、そんな顔してると子供達に泣かれるよ!」

「……」


 社長が黙り、新しいボウルを置いて、中身の入ったものを腕に抱え、店の中へ入っていく。奥さんも足が痛いはずなのに笑う。


(……)


 皆、笑っている。

 こんなにぼろぼろになった商店街の中で笑っている。


「……」


 笑っているだけで、心では、どう思っているのだろう。


(ずっと幸せそうだと思ってた)


 街がこんなになって、幸せだとは思えない。


(それでも笑う)


 それが人だ。


(不幸な顔なんて出来ない)


 ジャックがまた悪夢を見せに来るだろうから、笑って吹き飛ばす。


(あたしも笑えるかしら)


 口角を上げてみる。


(ああ、駄目だ。疲れた)


 口角を下げる。


(あたしはいいや)


 また、カボチャの中身を取り出していく。


(笑いたい時に笑えばいい)


 きっと、その時は来るだろうから。


「おはようございます!」


 商店街の人々が振り向く。

 だぼっとした作業服を着たリオンが笑顔で立っていた。レディと紳士達が叫ぶ。


「きゃああああああああああああ!!」

「リオン様だーーーー!!」

「わあああああああああああ!!」

「ふっ!」


 ヘンゼが横に立つ。


「ふぬ!」


 グレタが横に立つ。


「お兄さんもいるよ」

「俺もいるぞ!!」

「朝早くからご苦労様です! 僕も少しですがお手伝いします! サガン殿! 指示をお願いします!」


 屋根の上から、サガンがメガホンを口に当てる。


『おはようございます。リオン様。ありがとうございます』

「さあ! 何をすればいいですか! 力仕事でも何でも任せてください!」

「言ったな! 王子様!」


 精肉屋の社長と八百屋の社長が、リオンの肩をがしっと掴んだ。


「よし、こっちだ!」

「王子様だからって容赦しないぜ!」

「……」


 リオンがにこっと笑って、声を張り上げる。


「望むところです!!」


 そして、ばちっと、あたしと目が合う。リオンの目があたしを見る。その目が、あたしに訴える。


 ――良かった! ニコラ、君がいたんだな! よし、お兄ちゃんを助けて!!!!


「王子様ってすごいわね」


 あたしは無視してかぼちゃをくり抜く。エミリがぼうっとリオンを見つめている。


(……ん?)


「……かっこいい……」


 ぼそりと呟く。リトルルビィが微笑み、エミリに言った。


「第二王子様のリオン様よ。会ったことない?」

「……ない」

「じゃあ、あとで一緒に挨拶に行こう? 私も挨拶したいの」

「……うん!」


 エミリがどこか嬉しそうに頷く。リトルルビィが微笑む。まるで姉妹のようだ。


(……この場合、リトルルビィがお姉ちゃんね)


 薄く口角が上がる。


(……大きくなったわね。リトルルビィ)


 あたしはカボチャをくり抜く。


「グレタさん! こちらを!」

「うむ! 任せろ!!」

「キュートなすももの蕾ちゃん達! お兄さんは何をするかな!?」

「お前はこっちだ」

「兵士だろ」

「あ、いや! あの、お兄さんは、マドモワゼル達のために!」

「兵士の腕前を見せてもらおうか」

「あ、いや、だから、あの……!」


 グレタが進み、反対方向にヘンゼが連れていかれる。躊躇するヘンゼを見て、レディ達がくすくす笑う。


 飾りを壁に貼り付け、イルミネーションの代わりの飾りを建物と建物の窓からぶら下げる。出店のテントは並ぶ。人々が飾り付けをし、人々が瓦礫の撤去をし、時間の針が進んでいく。



 12時。



 商店街の出入り口からとてとてと走ってくる影が見える。緑の猫が走ってくる。


「にゃあ!」

「猫ちゃんだ!」


 レディ達がドロシーを囲んだ。


「可愛い!」

「どこの猫かしら?」

「緑の猫なんて、珍しいわね」

「素敵な色!」

「触っていいかな?」

「いいよ」


 メニーが返事をする。ドロシーに触ろうとしていた少女がメニーを見た。メニーが微笑む。


「ドロシーっていうの。触ってあげて」

「……」


 少女がメニーの美しさに呆然とする。少女達がメニーに見惚れて固まる。ドロシーがメニーの足元に歩いていく。メニーがドロシーを抱き上げた。少女にドロシーを向ける。


「はい。頭なでてあげて」

「……」


 少女がそっと、ドロシーの頭を撫でた。


「にゃあ」

「ふふっ! 喜んでる」


 メニーがドロシーを下ろした。


「じゃあね」


 少女にそう言って、お姫様のように美しいメニーが走り出す。少女達はメニーの背中を見つめ、呆然と顔を赤くさせていた。太陽に当たるメニーは一段と輝いている。


 メニーがきょろきょろと辺りを見渡し、少年がメニーを見て、持っていた木材を落とした。

 メニーがきょろきょろと辺りを見渡し、少年がメニーを見て、持っていた果物を落とした。

 メニーがきょろきょろと辺りを見渡し、少年がメニーを見て、持っていた瓦礫の一部を落とした。


「いて!」

「こら、よそ見するな!」


 メニーがあたしの作業場所に駆け寄ってくる。


「お姉ちゃん!」


 あたしの目の前に座る。


「ランチにしようよ!」


 ドレスのまま直に地面に座ってバスケットを開ける。大量のサンドウィッチと、リンゴ、梨、飲み物が入っていた。


「リトルルビィにも作ってきたの」

「わぁい!」


 リトルルビィが直に地面に座り、バスケットに手を伸ばした。メニーに手を叩かれる。


「きゃっ!」

「リトルルビィ、駄目だよ」

「え?」

「お人形遊びした時にもやったでしょう? おしぼりで、手拭いて」


 バスケットからメニーがおしぼりを出す。リトルルビィが手を拭く。メニーがあたしにもおしぼりを渡した。


「はい! お姉ちゃん」


(あ)


 その時に見えた。首に、クローバーのついたチョーカーをしている。あたしは目を逸らし、チョーカーについて何を言わず、おしぼりを受け取る。


「……ありがとう」

「どういたしまして!」


 三人でバスケットを囲む。作業もひと段落した。一旦休憩だ。おしぼりで土だらけの手を拭き、サンドウィッチを掴んで食べる前に、じっとサンドウィッチを見る。


「……」

「……ん、何? お姉ちゃん」

「……メニー」


 あたしは訊く。


「これ、キノコとか入ってないでしょうね」

「え? キノコ?」


 メニーが首を振った。


「入ってないよ?」

「そう」

「……入れた方が良かった?」

「いや、いい」


 あたしは心の底から安心してサンドウィッチに噛みついた。


(……まあまあね)


 初日よりは美味しくなったかも。


(……むかつくから言わないけど)


「美味しい!」


 リトルルビィがサンドウィッチを頬張って、メニーに微笑む。


「メニー、すっごく美味しい!」

「本当? よかった!」

「にゃあ」


 ドロシーがリンゴの周りをうろうろとする。メニーがそれに気づく。


「ドロシー、リンゴ食べる?」

「にゃあ!」

「ふふっ!」


 メニーが折り畳み式のナイフでリンゴを切っていく。ゆっくりだが、慎重に皮を剥く。バスケットに入ってた木材の皿にリンゴを乗せる。


「これでどう?」

「にゃあ」


 ドロシーが食べていく。


「ふふっ!」

「ドロシーも美味しいって。良かったね。メニー」

「でも、まだ聞いてないから」


 メニーがあたしを見る。あたしはもぐもぐ食べて、視線を感じて、目を逸らす。


「お姉ちゃん」


(あたしは言わないわよ)


 もぐもぐ食べる。


「どう?」


 もぐもぐ食べる。


「お姉ちゃん」


 もぐもぐ食べる。


「テリーお姉ちゃん」


 飲み込む。


「どうですか?」


 あたしは再び噛みつく。


「お姉ちゃん」


 メニーの声が低くなる。


「……お母様に居場所教えた方がいい?」

「っ」


 あたしはびくっと、肩を揺らす。

 メニーがじっとあたしを見つめる。

 あたしは視線をそらしたまま、ため息を吐き、ぼそりと呟く。


「……初日よりはマシになったんじゃない?」

「美味しい?」

「マシになった」

「……」


 メニーがむくれる。あたしは食べる。リトルルビィがメニーに耳打ちする。


「メニー」


 あのね、


「テリーが文句言わないで食べてるってことは、美味しいってことよ」

「……」


 メニーがくすっと笑った。


「そうだね」


 リトルルビィに微笑む。


「お姉ちゃん、素直じゃないから」

「うん!」

「美味しい? リトルルビィ」

「すっごく美味しい! 今度、私の家で一緒に作って!」

「あ、それ素敵! 材料買って作ろう?」


 メニーとリトルルビィがきゃっきゃっと楽しそうに笑い合う。


(けっ!)


 あたしはサンドウィッチを食べ続ける。


(何言ってるんだか。ただ食べてるだけじゃない)


 働いて動いて、お腹空いたのよ。


(だから食べてるだけよ)


 手が止まらないだけよ。


(くそったれのメニーめ。調子に乗らないでよね)


 ふん、と鼻を鳴らして、やっぱり食べる。もぐもぐ食べていると、遠くから声。


「やるじゃねえか! 王子様!」

「少し休憩させてやれや」

「そうだな!」

「ほれ、礼だ! 持っていきな!」

「はは……! どうも……!」


 リオンが炭酸水を貰って、ふらふらと歩いている。


(……この数時間で何してたんだろ……)


 リオンがレディ達に囲まれる。リオンがぎょっと、顔を引き攣らせた。


「リオン様! こちらのパンをどうぞ!」

「あー……、……どうもありがとう!」

「リオン様! 一緒にランチを!」

「あははは……」

「リオン様! どうかこの俺にキスをさせてくれ!!」

「あはははは! 全く冗談がクールだなあ! 素晴らしい! あははははは!」

「リオン様!」

「……はは……」

「リオン様!!」

「あー、……すみませんねえ。僕、先に約束をしてまして……」


 ぺこぺこ頭を下げながら人の中をくぐり、あたし達の方へ歩いてくる。


(ん?)


「やあ! 僕の大親友のニコラ!」


 リオンが大声で言って、あたしの横に座った。


「約束してただろ!? 一緒にランチを食べるって!」


 あたしはじっとリオンを見る。


「約束通り、一緒に食べよう!」

「そんな約束知らない」

「はははは! またまた、こいつめ!」


 ぷにぷにぷにぷに、と頬を突かれる。あたしはぎろりと睨む。リオンがぼそりと耳打ち。


「頼むよ。無理だって。この後も他の商店街に行かなきゃいけないんだよ。ここで精神的体力を使いたくない」

「ここでもレディに囲まれてるわよ。ほら、どんどん精神的体力が下がってるんじゃない?」

「いいんだよ。三人は知り合いだから」


 リオンがちらっとリトルルビィを見て、眉をへこませて顔を向ける。


「なあ、ルビィ。いいだろ? ランチを一緒にしても」

「私は大丈夫ですけど……」


 リトルルビィが横目でメニーを見る。メニーがじいっと、リオンを見て、ぺこりと頭を下げた。


「……こんにちは。リオン様」

「やあ。メニー。久しぶりだね」


 リトルルビィがきょとんとした。


「あれ? ……あの、リオン様、メニーを知ってるんですか?」

「ああ」


 リオンが頷く。


「病院でも会ったし、その前にも会ってるんだ。ね?」

「……その節は、すみませんでした」

「ああ、別に構わないさ」


 リオンが貰ったパンを頬張った。


「元気?」

「はい」


 メニーが微笑む。


「貴方は?」

「元気だよ」

「そうですか」


 メニーが微笑む。リオンも微笑む。

 メニーがリオンを見た。リオンがメニーを見た。

 メニーがあたしを見た。


「お姉ちゃん、梨、食べる?」

「……ん」

「待ってて」


 メニーがナイフで梨を切っていく。リトルルビィがその様子を見ている。ドロシーがリオンに鳴いた。


「にゃあ」

「やあ、ドロシー」


 頭を撫でる。


「ランチ中に失礼するよ」

「んにゃあ」


 リオンがあたしを見た。


「この後はエメラルド通りだ。はあ、忙しい」

「商店街中を回る気? 王子様は大変ね」

「ニコラ、兄さんは僕の倍動いてるよ」


 リオンがむすっとして、呟く。


「あの人、昔歩き回ってたから、どこに行っても必ず知り合いがいるんだ」


 ――よお、キッド! 覚えてるか?

 ――よお、クリス! 立派になったな!

 ――キッド! この薄情者!

 ――だはは! エメット! やめろって!

 ――キッド!

 ――アイリーン! 懐かしいな。元気だった?

 ――キッド、……覚えてる?

 ――もちろん覚えてるよ。ジャスミン。いつ見ても君は綺麗だね。


「歩き回って、声をかけて、皆を励ましてる」


 キッドの今までの手柄が反映されている。


「僕も負けられない」


 リオンが微笑む。


「今日は運が良いことに気分が良いんだ。これを食べたらすぐ行くよ」

「そう」

「はい」


 メニーが皿に梨を入れて、あたしに渡した。


「お姉ちゃん、梨」

「ん。ありがとう」


 あたしは受け取る。リオンをちらっと見る。リオンと目が合う。


「……食べる?」

「いただきたい」


 リオンがメニーに微笑む。


「いいかい? メニー」


 メニーが微笑む。途端にリオンが硬直した。


(ん?)


 メニーがリオンを見る。リオンが目を逸らした。


(……?)


 あたしはリオンに皿を渡した。


「はい」

「……やっぱり、いいかな」

「は?」


 あたしは梨を手に持つ。


「食べないの?」

「いや、だって、……ほら」


 リオンがあたしに手を見せた。


「僕、手を拭いてないから!」

「水で洗ってたでしょ」

「……ああ、ちょろっとね! でも、あまり綺麗じゃないかも」

「口開けて」


 あたしは梨を向ける。


「手が使えないなら入れてあげるから」

「え」


 リオンが声を出した。


「え?」


 リトルルビィが声を漏らした。


「えっ」


 メニーがぽかんと、声を出した。


「あたしは妹なんでしょ?」


 あたしはリオンに梨を向けた。


「ほら、口お開け。面倒くさい」

「……あ、えっと、じゃあ……」


 リオンが口を開ける。そのまま勢いよく梨を押し付ける。


「むが!」


 リオンが梨を手に掴み、口から抜いた。


「ニコラ!」


 あたしは無視して梨を食べる。


「乱暴だぞ! もっと優しくするべきだ!」

「何言ってるのよ。水で洗ったなら、手は綺麗じゃない。汚いかもしれないなんて、ご貴族様は大変ね」

「……君も貴族じゃないか……」


 あたしはもぐもぐ梨を食べる。隣でリオンももぐもぐ食べる。


「……うん。美味いな」


 リオンがもぐもぐ口を動かす。


「この時期の梨は非常に美味い。ニコラもそう思うだろ?」

「……まあ、悪くないわね」

「お姉ちゃん、お茶飲む?」


 メニーが水筒を取り出した。あたしは頷く。


「飲む」

「ちょっと待ってね」


 メニーが紙コップに注いで、手渡す。


「はい」

「ありが……」


 メニーがコップを離した。あたしの手が受け取れなかった。メニーが目を見開く。


「あ」


(あ)


 あたしの隣にいたリオンにかかる。


「っ!」


 リオンの膝元が濡れた。


「あ……!」


 あたしは目を見開き、手を泳がせる。リオンが濡れた膝元を見て、メニーをちらっと見た。


「ごめんなさい。レオ」

「あー……。……いいよ。これくらい」


 リオンが軽く流した。あたしがハンカチを取り出すと、リオンがあたしにストップを出した。


「いいよ。持ってる」


 リオンがハンカチを取り出した。


(あ)


 前に、あたしが渡したやつ。


「せっかく洗って綺麗にしたんだけど」


 リオンがハンカチを膝にぽんぽんと押し付けた。


「また洗って、綺麗にしたら返すよ」

「……いいわ。もう持ってて」

「レディが使うようなハンカチは持参出来ない。女々しい趣味の王子様って思われるからね」


 リオンがメニーに微笑む。


「メニーはかからなかった?」

「はい」


 メニーが眉をへこませて、申し訳なさそうな顔をする。


「すみません。リオン様」

「もういいよ」


 リオンが目を逸らす。


「……よく分かったから」


 リオンがあたしに微笑む。


「ニコラ、もう一つ、梨をくれないか?」

「ん」


 手渡す。


「ありがとう。君は出来た妹だ」


 リオンが受け取った。


「ああ、いいな。晴れ模様の下で、こうやってランチをするのは」


 濡れた膝を撫でながら、リオンが微笑む。


「清々しい気分だ」


 そう言って、また梨を食べた。

 リトルルビィがちらっと、あたしを見た。


「……テリー」

「誰それ」

「ニコラ」


 言い直して、リトルルビィがあたしに言う。


「あのね、私も梨食べたい」

「ん」


 皿を渡すと、リトルルビィが俯いた。


「私! サンドウィッチ食べすぎて、手が汚れちゃったかも!」

「メニーがやってくれるって」

「メニーはドロシーと遊ばないと駄目だから、ニコラしかいないかも!」

「リトルルビィ、あんたの手は汚くないから自分で食べなさい」


(甘えん坊は変わらないわね)


 皿を差し出す。


「ほら、自分で取りなさい」

「むーーーう!」

「……なんでむくれるのよ」


 今日も妖怪風船ほっぺは現役だ。


「美味しいわよ。食べないの?」

「むん! むーう! ぶう!!」

「子供か」

「子供だもん!」

「ほら、食べて」

「むーう!」

「はあ……」


 あたしがため息をつく。リトルルビィはなぜかむくれる。


(意味分かんない……)


 ドロシーが呑気に欠伸をした。






 メニーがリオンを見る。じっと見る。リオンは目を逸らす。濡れた膝を撫で、自分に突き刺さるような視線から逃げるように、梨をもぐもぐと食べた。




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