第9話 10月4日(2)
「ただいま!」
「お帰り、アリス」
リトルルビィがアリスを見上げ、首を傾げる。
「アリス、大きめの箱か何かないかな?」
「うん? 何々? どういう状況?」
「あのね、お花が結構出来たから、一度役員の人達に渡してこようかと思って」
「貰ったバスケットだと小さいのよ」
「ああ! ちょっと待ってて!」
アリスが走る。遠くで別の作業をやってる人の元へ行き、大きめのバスケットを貰ってあたし達の元へ戻ってきた。手に持ってるバスケットを差し出す。
「さあ! これに入れるのよ!」
「ありがとう、アリス!」
リトルルビィがお礼を言うと、アリスが微笑んでバスケットを置き、あたしが作り物の花をぽいぽい入れていく。その花達を見て、アリスの目が丸くなる。
「私がいない間にこんなに出来ていたのね!」
「そうよ。二人で頑張ったんだから」
「えへへ!」
「でもね、ニコラ、私も皆に媚を売ってたのよ! 今のうちに出来るだけ良い顔しておいて、困った時に助けてもらうんだから!」
言葉を聞いたリトルルビィが、アリスに眉をひそめた。
「アリス、お腹黒い!」
「はっはっはっはっ! アリスちゃんは黒くない! 真っ白よ! 純粋なのよ!」
アリスがニカッと笑って、花でいっぱいになったバスケットを持った。
「これ、役員さんのところに持っていくね」
「いいの?」
あたしが訊くと、アリスが頷く。
「どうせまた手伝いに走らなきゃいけないんだ。これはそのついで」
「無理しない程度にね」
「何よ? ニコラってば心配してくれてるの? うふふ! 優しいわねー!」
そう言って笑い、またアリスが走っていく。花の入ったバスケットを持つアリスは、まるで花屋の少女のようだ。
(疲れたって言ってた割には元気いいわね)
見ていて、うんざりするほど微笑ましい。
(あれだけ笑えてるんだから、腹黒いなんて思えない)
……純粋で羨ましい。
そう思って見ていると、リトルルビィがあたしの顔を覗き込んだ。
「さ、ニコラ! 私達は私達で作業を続けよう!」
「ええ」
リトルルビィに頷き、また素材に手を伸ばすと、急に、突風が吹く。リトルルビィとあたしが悲鳴をあげる。
「きゃっ!」
「わっ」
花の素材が風によって飛ばされる。
(しまった……)
リトルルビィが振り向き、飛ばされた花の素材を見る。そしてアリスも悲鳴をあげる。
「ぎゃあああああああ! 花がーーーー!」
バスケットの花も思いきり飛ばされていた。アリスの悲鳴に周りの人々が笑う。リトルルビィもくすくす笑った。
(秋風の悪戯ね)
「はっはっはっ! しょうがねえな! アリスのために花を拾ってやるか!」
「ふふふ! 誰か手伝ってあげて!」
見てた人々がしゃがみこみ、笑いながら花を拾い出す。アリスがむうっとして、唇を尖らせた。
「何よ……。皆、笑っちゃってさ……。ニコラー! 手伝ってー!」
(あたしもかい)
「……しょうがないわね……」
やれやれと思いながらも立ち上がる。だって、「友達のアリス」が困ってるのよ。「友達」は助け合うものでしょう? あたしはアリスの「友達」で、アリスはあたしの「友達」だもの。助け合わないと。
あたしはアリスを助けないと。
(だって、あたしは、アリスの友達だもん!!)
「はあ、全く。本当に世話がかかるんだから」
ため息交じりに立ち上がり、きらりんとあたしの目は輝いて、堂々と胸を張って花を拾おうとした瞬間―――上から、叫び声が聞こえた。
「危ない!!」
「えっ」
あたしが見上げる。リトルルビィも見上げる。見上げて、はっとしたリトルルビィが気づいて、叫んだ。
「アリス! 走って!」
「え?」
アリスがきょとんとする。あたしもその叫びで気づく。
巨大な木製の看板が、上から落ちてきたのだ。アリスに向かって。
(なっ……!)
「え?」
アリスがリトルルビィに振り向く。
「何? リトルルビィ?」
「アリス! 早くこっちに!」
周りの人々も気付き、アリスに手を伸ばした。
「へ?」
アリスが見上げる。看板の影がアリスに近づく。アリスがぽかんと固まる。リトルルビィが立ち上がり、アリスに向かおうと地面を蹴った。叫ぶ。
「アリ……」
どーーーーんっ!
看板が大きな音を立てて落下した。リトルルビィの声と音が重なる。
砂埃が立つ。
アリスの影が無い。
人々が息を呑んだ。
誰かが悲鳴をあげた。
あたしは固まった。
リトルルビィも固まった。
ぴたりと空気が凍った。
目を見開く。
呆然とする。
皆、固まる。
直後、
真っ二つに割れた看板が、吹っ飛んできた。
「おわっ!」
「きゃあ!」
皆が悲鳴をあげて看板を避ける。砂埃が舞う。秋風が吹いた。砂埃を飛ばしていく。砂埃が真っ二つに斬られた。よって、より早く砂埃が消えていった。
砂埃の中から現れたのは、アリスの肩を大事に抱えた人物。
「……へ」
アリスがきょとんと、瞬きした。
「あ」
リトルルビィがきょとんと、見つめた。
「あぁ……!」
周りの人々が、息を呑んだ。
(はっ!!!?????)
あたしはそいつを見て、顔を青ざめた。
「!!!!??????」
アリスの目が見開かれた。
看板を真っ二つに斬り飛ばし、自分の肩を抱き寄せ、かばってくれたその人物を見上げて、アリスが、口を震わせ、顔を真っ赤にさせ、体を震わせる。
「申し訳ない。か弱いレディを傷つけようとするから、つい斬ってしまった」
後で弁償しよう。本当にすまない。
青い瞳がアリスを見下ろす。
「……怪我はない?」
「……は、はい……」
「そう」
青い瞳が微笑んだ。
「良かった」
直後、周りから、その場にいた女性陣が悲鳴に近い声を、男性陣が歓声に近い声を張りあげた。
「キッド様あああああああああああああ!!!」
「きゃあああああああああああああああ!!!」
「うおああああああああああああああああ!!」
「麗しいいいいいいいいいいいい!!!」
「美しいいいいいいいいいいいい!!」
「キッド様が帰ってきたぞおおおおおおお!!」
(ぎぃやあああああああああああああああ!!!!!!!)
王子の姿のキッドに、大して離れていない距離の先に現れたことに、頭の中で悲鳴をあげて、あたしは慌てて目の前の店の看板裏に滑り込んで身を隠す。
(な、なな、なんで、なんであいつがいるのよ!?)
震える体でもう一度、アリス達の様子を覗き見た。アリスが目を見開いて、変な汗を流しながらキッドを見上げている。キッドが叫びに叫ぶ商店街の人々に笑顔で手を振り、一瞬リトルルビィと視線を合わせて、またアリスに顔を向けた。
「痛いところはない? 美しいレディ」
「ははっは、はい! な、何とも、ありません!」
「ふふっ。君のような可愛い子に怪我なんかさせられないからね。祭の準備はいいけど、無理はしないように」
ちゅ。
(あっ)
キッドがアリスの手を取って、アリスの手の甲にキスをした。
(相変わらず気持ちの悪いことを……。……うっ……吐き気が……)
あたしが吐き気を催した途端、アリスがキッドの目の前でばたりと倒れた。
(え!?)
キッドは涼しい顔。
(あいつ!! あたしの友達のアリスに、何したのよ!)
ぎりっと目を鋭くさせ、遠くから目を凝らしてよく見ると、アリスの目がハートになっていた。
(ん?)
「ふぁあ……!」
アリスが、ピンク色の悲鳴をあげた。
「キッド様に……! キッド様にキスしてもらっちゃったああああん!! もうこの手は洗わない!!」
(は?)
「ちょっと! 何よ、あの子!」
(は?)
「キッド様にキスしてもらえるなんて、ずるい!」
(は?)
見てたレディたちが騒ぎ出す。
「キッド様、どうか私にもキスを!」
「ああ、眩暈がしてきたわ!」
「看板を! 誰か看板を落としてよ!」
(はぁぁぁあああああ!?)
唖然としていると、キッドがくすっと笑った。
「駄目だよ。看板なんかで可愛い君達が怪我しちゃったら、俺、悲しいよ」
切なげに微笑むキッドの顔に、あたしの額に青筋が、ビキッ! と立った。
(相変わらず、イラッとするわね……!)
しかし、キッドの微笑みを見たレディと紳士が、一斉にその場に倒れた。
(えーーーーーーーーー!?)
皆、目がハートになっている。胸を押さえて、ふわふわと夢の世界に旅立った者達を見下ろし、リトルルビィがため息をついた。
「連絡してって言ったのに」
そう呟き、てくてくと歩き、倒れた人達を避けながら、キッドの前に歩いていく。その場で立ち止まり、リトルルビィがキッドに微笑んだ。
「キッド殿下、お帰りなさい!」
「ただいま。リトルルビィ」
キッドがリトルルビィに優しく微笑んだ。リトルルビィの赤い目がキッドに向けられ、可愛らしく首を傾げる。
「いつ帰ってきたの?」
「ついさっき。せっかくだから城下をぐるっとしてから城に帰ろうと思ってたんだけど、偶然見かけてね」
真っ二つになった看板を見て、キッドがいやらしく微笑む。
「また手柄を取ってしまった。くくっ。片づけは頼める?」
「うん。やっておく」
「お前は仕事中?」
「ふふっ! ハロウィン祭の準備!」
「ああ、そうだった。父さんがハロウィンに祭を開くとか言ってたな。どう? 順調?」
「看板さえなければね」
リトルルビィが吹っ飛ばされた看板をちらっと見て、キッドに微笑んだ。
「その子、一緒に働いてる子なの。助けてくれてありがとう。キッド」
「可愛いレディも、大事な国民も、俺は放っておけないのさ。国の第一王子だからね」
「……第一王子、ね」
リトルルビィが呆れたように復唱すると、向こうからキッドの部下達が走ってきた。
「キッド様!」
「おっと」
キッドが振り向く。
「そろそろ戻らないと」
キッドがリトルルビィを見た。
「ルビィ、仕事が終わってから来てくれる?」
「御意!」
「うん。いい返事」
涼しい笑顔のキッドに皆メロメロになって、どんどん人が倒れていく。あたしは看板の裏から体を震わせ続ける。
(くっ! キッドの奴……! まさか、このタイミングで帰ってくるなんて……!)
歯をくいしばりながら、少しだけ顔を出して、キッドの背中を睨む。
(畜生! 早くどっかに行ってくれないかしらね! あの木偶の坊!! ここから出られないじゃない!)
あたしの可愛いルビィと世間話なんかしやがって! 早く! どっかに行っちまえ!! しっ! しっ!
(あんたにだけは、商店街で働いてるなんて、話したくも見られたくも知られたくもないのよ!!)
あいつの嘲笑ってくる姿は、簡単に想像できる。唇を噛みながら鋭くキッドを睨んでいると――あたしの横から、懐かしい鳴き声が聞こえた。
「ちゅー」
「はっ!」
思わずその声に反応して振り向くと、あたしの横で、ちょこんと、鼻をすんすん動かしている鼠がいた。
(……鼠……)
途端に、あたしの目が輝く。
(……鼠……!)
ぱああああっと、あたしの目が輝く。
(鼠!!!)
体を愛しい鼠に向け、しゃがんでた体をもっと屈ませ、野生の鼠にひそりと声をかける。
「ちゅーちゅーちゅー! ちゅーちゅー! ちゅー! ちゅー!」
(どうしたんだ? お前、道に迷ったのか? お腹空いたのか?)
「ちゅー! ちゅーちゅー! ちゅー!」
(可愛い! 可愛い! 鼠可愛い! 久しぶりにこんな近くで鼠なんて見たわ! こんな所にいるなんて! 可愛い! ほらほらおいで! 怖くないわよ!)
「ちゅーちゅー! ちゅーちゅーちゅー!」
(毛がふわふわしてる! 野生なのにちょっと綺麗。あ、そっか、あんた綺麗好きなのね! 鼠のくせに綺麗好きなんて変わった子なのね! そういう鼠も悪くないわよ!)
「ちゅー! ちゅー! ちゅーーーー!」
(あたし、テリーって言うの! よろしくね!!)
あたしがひそひそと声を出すと、鼠がじっとあたしを見つめる。なんでそんなに自分達の鳴き声を出せるんだと驚いているように、あたしを見つめている。
その瞳に、あたしはキッドなんかよりもうっとりして、両手を握った。
(ああ、可愛い。つぶらな瞳……! 牢屋の中で何度鼠に癒され救われたか! 鼠……! 鼠ちゃん可愛い! 撫でたら駄目かしら……。変な病気持ってるかしら……? でも牢屋の時は触っても平気だったし……ああ、でも触ると逃げちゃうか……鼠って臆病だから……繊細だから……水晶のガラス玉だから……ああ、可愛い……)
ぽおおおっと見惚れていると、あたしの足が何かを踏む。
「んっ?」
ぽきっ。小枝を踏んだようだ。
「げっ」
思わず声をあげると、
「ん?」
キッドがあたしが隠れた看板に振り向いた。
(ひっ!!)
あたしがその場でぴたっと固まると、鼠があたしの横から飛び出した。逃げるように駆けていき、建物の下に入っていく。キッドがそれを見送る。
「キッド様、何か?」
キッドの部下の人が声をかける。キッドが黙り、不思議そうに顔をしかめて、首を傾げた。
「いや、なんか聞いたことある声が聞こえたと思ったんだけど、……鼠だった」
「お疲れですか?」
「かもね」
「馬車を用意します」
「そうだね。町をぐるっと回ってから乗るよ」
「御意」
(ひいいい……! あぶねえ……!)
頭を抱えて、体ががたがたと震える。
(あいつに見つかるのだけは嫌だ……! 死んでも嫌だ!!)
「ほら、アリス、立って! アリス!」
リトルルビィが一生懸命アリスを起こそうとしているのが声だけで分かる。しかし、アリスの声がしない。
「……うん。怪我人もいないようだし。大丈夫そうだね」
キッドがまだ意識の残ってる人々に顔を向けた。
「皆さん、引き続き怪我のないように、どうぞ、お気をつけて」
キッドが微笑むと、街のレディ達が目をハートにさせて倒れ、街の紳士達が胸を押さえて倒れ、ご老人達が一瞬の心臓発作で倒れた音が聞こえた。
再び看板から顔を覗かせれば、キッドの背中が見える。後ろから部下達がつき、キッドを先頭に進んでいく。キッド達が完全に見えなくなると、あたしもようやく溜まった息を吐き、立ち上がった。
(はあ。……酷い目にあった……)
そして、
「これも酷い状況ね……」
腕を組んで、道端に倒れる大勢の人々を眺める。唯一リトルルビィが道に立ち尽くし、看板から出てきたあたしを見つけて、はっと目を見開いた。
「ニコラ! ……ずっと、そこにいたの?」
ぽかんとするリトルルビィに頷く。
「当然でしょ! あいつに笑顔でこんにちはなんて言うわけないじゃない!」
「テリー、どうどう」
リトルルビィが困ったように眉をへこませて、両手を上下に揺らし、あたしをなだめた。あたしはぐっと歯をくいしばり、親指の爪を噛む。
「畜生! あいつ、こんな時に帰ってくるなんて……!」
「それよりも、この状況どうしよう……」
周りを見れば、あたしとリトルルビィ以外、メロメロにやられて倒れている。老若男女関係なく、倒れて気絶している惨劇。
「……どうしようたって……」
あたしが呟くと、丁度サガンが作業場所に戻ってきた。
「おい、お前らそろそろ休憩……」
目をハートにさせた大勢が道端に倒れている光景を見て、絶句した。
「おい! 何があったんだ!?」
「き……キッド様ぁあん……」
アリスがデレデレな声で、呟いた。
(*'ω'*)
14時。
家への道を歩いていると、果樹園の前の切り株ではなく、手作りされたベンチでくつろぐじいじが見えた。向こうも、この時間に帰ってきたあたしを見て、目を丸くする。
「おや、ニコラや、お帰り。今日は早いのう」
「……た、た、たた、ただ、い、ただ、いま……」
あたしの口が吃る姿に、じいじがきょとんとする。
「ニコラ?」
「じ、じいじ……」
あたしは目をキョロキョロさせる。
「あいつは、いないのね?」
「うん? どうした? 顔色が良くないのう」
「じいじ、それが、あの……大変……。大変なのよ……」
がたがた体を震わすあたしに、じいじの目が鋭くなる。
「何があった?」
「ど、どうしよう……」
「どうした?」
じいじが真剣な眼差しで、あたしを見る。
「落ち着いて話してみなさい」
「で、でも……! じいじ……!」
「どうしたんだい?」
「あ、あたし……、どうしたらいいのか……!」
「一体、何があったんじゃ?」
「ああ、もう終わりだわ……!」
「落ち着きなさい。さあ、話してごらん」
「あのね……、……じいじ……、……あのね……」
ああ! 恐ろしい!
「言葉に出来ないわ!」
「大丈夫。ゆっくりでいい」
「ああ、なんて恐ろしいの! 恐怖だわ! 人生で一番の恐怖なのよ!」
「どうしたんだい? ニコラや。落ち着いて。ゆっくり話しなさい。深呼吸して」
あたしは固唾を呑みこむ。じいじは真剣にあたしを見つめる。あたしは静かに、呼吸し、言葉を吐いた。
「……帰ってきたのよ……」
「うん?」
「帰ってきやがったのよ……!」
「帰ってきた……?」
眉をひそめるじいじに、精神を追い詰められたあたしが、この世の終わりだと叫んだ。
「帰ってきやがったのよ!!! キッドが!!!!」
じいじの眉が八の字に下がった。
あたしは青い顔で両頬を押さえ、絶望に満ちた表情で、冷や汗を大量に流しながら、じいじの前でしゃがみこむ。
「大変よ……! これは大事件だわ……! じいじ、今すぐに荷物をまとめて、あたしは出ていく! あいつから逃げるのよ! とても耐えられないわ!」
「ニコラ、とりあえず、ここにおいで。そうじゃ。紅茶でも淹れてやろう」
「じいじってば、何言っているの!? なんでそんなに冷静なの!? 紅茶なんて飲んでいる場合じゃないわよ!!」
ベンチでまたくつろぎ始めたじいじに顔を上げた。
「あいつ、今夜帰ってくるの!? ねえ、帰ってくるの!? ひい! あたし嫌よ! 本気で嫌よ! どうしよう! ねえ! ロープを持ってない!? ロープで縛って荷物をまとめて夜逃げするから! ロープは素晴らしいのよ! 窓から逃げる道具にもなるの! 首を絞める道具にもなるの! ロープは偉大なのよ! だからロープを出して! あたしにロープを恵んでください!!」
「そんなことにロープを使うんじゃない。ああ、そうだ。ニコラや、今日の水筒は飲んだかい?」
「いいえ! じいじ! それどころじゃないわ! あいつとんでもないことを仕出かしたのよ! もう終わりよ! あたしの人生も終わりよ! あれもこれもそれもこれもこれとそれとあれとこれがもう終わりなのよ! はあああああ!! あああああああ!!! ……短い人生だった」
白目を剥いて力尽き、その場でばたりと倒れると、じいじが上からあたしに声をかけてくる。
「そんな所で寝たら風邪をひくぞ。水筒の紅茶を飲みなさい。レモンティーが入っておる。ここにおいで」
「……はい……」
生気の抜けた返事を返して、ふらふらと立ち上がり、リュックを下ろして、じいじの隣に座る。リュックから水筒を取り出し、蓋を開けて、ぐいと飲んだ。言われた通り、中にはレモンティーがほどよい熱を持ったまま保温されていた。
あたしの喉を通過し、口の中がレモンティーで満たされる。
「……はあ」
息を吐くと、じいじがあたしに微笑む。
「落ち着いたかい?」
「ええ」
「キッドが帰ってきたのかい」
あたしはぞっとして、顔を青くさせて、体を震わせた。
「あたしの白昼夢でなければ、あれはキッドだったわ。お昼に商店街で大暴れしてくれたのよ」
「その様子じゃ、感動の再会ではなかったようじゃな」
「感動の再会? そんなのするもんですか」
けっ、と喉を鳴らした。
「あたしは気づかれる前に、早々に隠れたわ。ほら、見て」
近くの木に、指を差す。
「たったこの距離よ。あの木がキッド。あたしここにいて、慌てて近くの看板に隠れたの」
「声をかけてやれば良かったのに」
「嫌よ。あんな奴に」
「何を言っておる。お前の婚約者じゃないか」
「じいじ、あたし貴方に言ったじゃない! キッドとの関係!」
好き同士で、婚約者をやっているわけではない。これは契約だと。あたしが去年、じいじに話をした。
チッ、と舌打ちして、親指の爪を噛む。
「じいじ、ここだけの話よ。いい? 貴方だから言うのよ。言ってあげるわ。正直に話してあげるわよ。あたしはね、キッドが国に帰ってくるなんて思ってなかったの。スノウ様は待ってるみたいだったから何も言わなかったけど、あたしはそのまま隣国のお姫様とでも婚約してくれたらいいのになってずっと願っていたのよ。今だって願ってるわ。帰ってきたあいつがどこかで素敵なレディを捕まえてそのまま10月いっぱい、ここに戻ってこなければいいって願ってる!」
「ほう、それは何故だい?」
「なぜか?」
当然でしょ。
「あいつが嫌いだからよ!!!!」
あたしの中で、キッドは嫌い登録書に登録されております。ちゃらりーん。
「あの笑みを見るだけでね! 寒気がするのよ! 悪寒が走るのよ! 気分が悪くなのよ! ぞくぞくするのよ! ぞわぞわするのよ! 吐き気がする! 気持ち悪い! はあ! 一瞬でインフルエンザになったかも! さっきから体の震えが止まらないの! 畜生! キッドの奴め! きっとあいつ、キッド菌をばらまいたんだわ! キッド菌があたしの中で大暴れしてるのよ! くそ! なんでこんな時に帰ってくるのよ! あたしが屋敷から追い出されてるこんな時に! キッドが、帰ってくるなんて! キッドめ、絶対に許さないわ! キッド! キッドがキッドでキッドのキッド!! はっ! 嫌だ! キッドって言ってたらあたしの口までキッドになっちゃう! あばばばばばば!! じいじ、どうしよう! あたし死んじゃう! 今度こそ死んじゃう!! あいつに遊び殺されるのよ!! はぁぁぁぁぁぁああああああああああ!!!!」
「落ち着きなさい。レモンティーを飲むんじゃ」
ごくり。はあ。
「……。……ねえ……、今夜、あいつ、帰ってくるの……?」
俯きながら静かに訊くと、じいじが膝を掻きながら首を振った。
「いや、帰ってくるとは聞いておらん。まだ仕事も残っとるだろうし、今夜は城で過ごすんじゃないかのう?」
その一言に、あたしの目に希望の光が戻っていく。ゆっくりとじいじを見上げる。
「ねえ、それ本当……? あいつ、帰ってこない?」
「今の時点では聞いてない。それに久しぶりの我が家だ。家族と過ごすのではないか?」
「そ、そうよね! ああ! 良かった!!」
あたしは立ち上がり、両手を握る。
「女神アメリアヌ様! ありがとうございます!!」
(あたしが良い子でいたから、ご褒美をくれたんだわ!!)
ベンチに座り、じいじに頭を下げる。
「じいじ、お願い……。あたしのこと言わないで……。あいつ、言ったら絶対面白がってここに戻ってくるわ。仕事が残ってる間は、とりあえず、宮殿にいてもらって……」
「しばらくは宮殿生活だろうな。ここに戻ってくる時は、早めに連絡があるはずじゃ。安心しなさい」
「うううううう……! 畜生……! なんであたしが、あいつに翻弄されなきゃいけないのよ……。うううう……!」
だんだんだんだん! と片足を貧乏揺すりさせ、また俯くと、じいじが微笑む。
「商店街で何かあったのかい?」
「チッ」
あたしは一瞬で目を鋭くさせて、頷く。
「今日ね、ハロウィン祭の飾りつけをするからって、朝から外でその作業やってたんだけど、突風が吹いたの。その影響か、どこかの店の看板が外れて、それがアリスに落下してきたのよ」
それをキッドが剣で斬って、アリスをかばったんだけど。
「そこからよ。キッドの作られたあのむかつく笑顔が、作業要員ほぼ全員を意識不明の重体にさせて、作業が出来なくなったの。落ちてきた看板の片づけとか、道の掃除とか、なんか違うところで時間をくっちゃって、解散になって、疲れただろうから今日はもう帰りなさいって、奥さんが気を使ってくれたのよ。あいつのせいで作業が出来なくなったってのに……! キッドめ! 許さない! 次、城下で見つけたら串刺しにしてやるわ!」
「串刺しにするのかい?」
「……また看板に隠れるわ」
うなだれて、ふと、思い出す。
「……じいじ、あのね」
「ふむ」
「アリスが、もうあたし達は友達だって」
「……ほう」
「あたし、アリスと友達になったの」
「ほう。そうかい」
「でもね、じいじ、キッドがアリスを助けた際に、アリスの手にキスをしたのよ。キスよ。キス。あたしの友達のアリスの手の甲に、キスよ? キスって、もっと大事なものでしょう?」
「そうじゃのう」
「涼しい顔してキスしまくるあいつが信じられない……」
あたしの友達のアリスの手の甲にキスしやがって。商店街の皆に気持ち悪い笑顔を振りまきやがって。
(絶対許さない……!)
「なんで皆あいつのあのキザな行動に興奮するわけ? 街のレディ達は日に日におかしくなっていく……。……いかれてる……」
「城下の者達は、あの方の本性を知らないからのう」
くつくつと、じいじが笑った。
「知ってるのはお前くらいじゃ。テリー」
じいじがあたしをテリーと呼んだ。
「お前以外に、あの方は本性を見せることはなかった。おそらく、嫌われてもいいと思っていたのだろう。『婚約者』には」
下手に恋をされたら困る。自分は女の子に恋をすることも愛することも出来ない。愛はやがて憎しみに変わる。だったら、最初から嫌われよう。
「けれど、何がきっかけだったか、キッドはテリーを気にいったようだ」
「ええ。自分のペット扱いね」
「はて。本当にそうだろうか?」
テリーはキッドを認めていた。
「あの方の欠けた部分や、本質、本性、お前だけは認めていた」
皆が好きだと言っていたキッドを、テリーが唯一嫌いだと主張した。キッドを知ったから。
「だからだろう。だからこそ、本気で恋をしたのだろう」
婚約を無理矢理でも繋ぎ止めて。
「馬鹿な奴じゃ」
「とんだ阿呆よ」
じいじを見る。
「じいじ、一つ訂正しておくわ。キッドのあたしに対する想いは恋じゃないわ。自分に懐かないペットを懐かせたいって思うのと同じ想いなのよ。それを恋だと勘違いしてるだけ。ふん。そんな奴に、誰が笑顔なんて浮かべるものですか。だから嫌いなのよ」
「そう思うかい?」
「ええ。あたしがこういう状況になってるって知ったら、なんて言うかも想定済みよ」
「ほう? なんて言うんだい?」
あたしは立ち上がり、じいじの正面に移動して、顔を上げる。目を輝かせて、わざとらしく胸を押さえ、眉をへこませた。
「ええ!? テリーってば仕事してるの!? どこで? どこの市場? どこの店? ねえ、俺、毎日通ってもいい? 毎週毎日毎分毎秒テリーの接客を受けていたいよ。だって、テリーが俺に笑顔で接客してくれるんだよ? こんな面白そうなことある? ねえ、テリー、場所教えて? 俺は忙しくたって、俺のプリンセスが頑張っているのであれば、いつだってどんな時だって何があったってすっ飛んで行ってあげるよ!」
最後にウインク。すると、じいじが笑い、あたしに拍手した。
「ふぉふぉふぉ! なかなか似とるのう。すごいぞ」
「あたし、キッドのモノマネ大会があれば、優秀賞くらいはいけると思うのよ……」
ため息を混じりに呟き、またじいじの隣に座った。
「絶対嫌。あいつに接客するなんて、絶対に嫌よ」
「ふふっ。名前を変えといて良かったな。キッド対策にもなるぞ」
「本当ね。後はあいつに見つからないことを祈るのみよ」
あたしはもう一度レモンティーを飲み、じいじは髭を撫でた。
「テリーがキッドに会って、何年経ったかのう?」
「……三年ちょっと、かな」
「三年。そうか」
「ええ」
「ほう」
じいじが微笑んだ。
「早いのう。三年か」
「……三年前、ずっと無視しておくべきだったわ。あいつと関わってから、ろくなことがないんだもの」
「なんじゃ、そんなにキッドが嫌いか? 王妃の生活も悪くないぞ?」
「あたしには合わない」
リュックをぎゅっと抱きしめた。
「キッドを好きな子は沢山いるんだから、その中から選べばいいじゃない。キッドの我儘に付き合ってくれる優しい子ならいくらだっているわ」
例えば、
「メニーとか」
「テリーや」
じいじがあたしに視線を向けた。
「キッドはのう、人を見る目だけはあるんじゃ」
そのキッドが、
「テリーを選んでいる」
ということは、
「何かあるんじゃろ」
じいじが微笑んだ。
「この一ヶ月で、私もそれが見てみたい」
「何よ。何もないわよ」
あたしは、ただのお金持ちの家に生まれたお嬢様。
「今は、ただのお菓子屋のアルバイト」
それ以外何もない。そんなつまらない女を、なんであいつがそこまで執着するのか、意味が分からない。
……キッドの考えていることは、いつだって、誰にも分からない。
「あ、」
キッドで思い出した。
「ねえ、じいじ」
「ん?」
あたしは、リュックからキッドのぬいぐるみストラップを取り出し、じいじに見せた。
「これ、いる?」
「……ほーお。可愛いの。お前くらいの年頃の女の子が好きそうじゃ」
「そう。妙に可愛く出来てるのよ」
このケーキに埋もれてるキッドのぬいぐるみ。
「アリスから……」
そう言って、言い直す。
「……あたしの友達のアリスから貰ったんだけど……。それは良かったんだけど……これは、心の底からいらない」
「使ってあげたらどうじゃ。テリーが使ってると知ると、本人は相当喜ぶぞ」
「調子に乗るだけよ。あー……どうしよう。このぬいぐるみの顔見るだけでストレスが溜まってくる……。この微妙に可愛く出来てるのが余計に腹立つ……。……帰ってきてるし……」
「どれ、リュックにでもつけるといい」
「リュックは嫌……」
じっ、とリュックを見て、うーん、と考えて、ふと、ひらめいた。
「……鍵につけようかしら。分かりやすい」
「ほう。それはいい」
ポーチから鍵を取り出して、キッドのぬいぐるみストラップを鍵に繋いだ。ケーキに埋もれたキッドが、鍵にくっついてる。それをじいじに見せた。
「どう? キッドの家の鍵って、すぐ分かるわ」
「嫌でも分かるのう」
「……じいじ、本当にいらない? あげるわよ」
「鍵は無くさんでな」
「……はあ」
あたしはため息をついた。
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