第17話 10月12日(2)


 しかし、店から出ようとした二人が、前から来た客を見て、通り過ぎようとして――はっとして、一歩下がった。


「おっと、これは!」

「これはこれは!」


 ヘンゼとグレタが慌てたような声をあげた。


「お疲れ様です!」

「ご苦労様です!」

「馬鹿! グレタ! 目上の人にはお疲れ様だって言ってるだろ!」

「兄さん! 人に馬鹿って言っちゃいけないんだぞ!!」

「馬鹿! こんな時に何言ってるんだ! お前は馬鹿だよ!!」

「兄さん! 馬鹿の意味を知っているか! 裏返せば天才なんだぞ!!」

「馬鹿! お前は馬鹿だよ!! 天才だよ! 馬鹿の天才だよお前は!!」

「兄さん! それは誉め言葉として受け取るぞ!」

「馬鹿! 本物だ! お前がちで本物の馬鹿だ!!」

「兄さん! 馬鹿は馬鹿の馬鹿で馬鹿は馬鹿なんだぞ!!」

「すみません。通してくださるかしら?」


 女性が困ったような声を出す。それを聞いたヘンゼとグレタがまた慌てた声を出した。


「どうぞどうぞ!」

「お入りください!」

「どうもありがとう」


 女性のお礼を言う声が聞こえて、店内に入ってくる気配がした。洋菓子の棚を弄ってたリトルルビィが声を出した。


「いらっしゃいませー!」


 つられてアリスも声を出す。


「いらっしゃいませー!」


 あたしも声を出す。


「イラッシャ……」


 あたしは黙った。その親子が棚越しから見えて黙りこくる。


「……」


 頭にスカーフを巻いてサングラスをして杖を持ち、花柄のドレスを着た女性と、その隣に、大きな丸眼鏡をかけ、マフラーで口元を覆い、実に温かそうな黒いコートを着た身長の高い青髪の青年が立っていた。


「……」


 あたしは一歩離れた。そっと離れた。棚に隠れた。まるでどこかのスパイのように、ふ、ふ、ふ、と残像を作っては離れていく。洋菓子コーナーにいたリトルルビィを見かけた女性が、青年と共に、リトルルビィに近づく。


「あの、すみません」

「はい! なんでしょ……」


 リトルルビィが振り向き、目を見開いて、ぴたりと固まる。


「っ」


 思わず、義手の手で自分の口を押さえた。


「っ」

「お菓子を買いたいの」


 聞き覚えのある声が、女性から聞こえる。


「このお店、初めてだから案内してくださる? 赤ずきんちゃん」

「……あーーーー……はい……」


 裏返ってしまう声で、リトルルビィがゆっくりと頷いた。


「え、えっとー……。……何を、お求めですか?」

「そうね……」


 女性が青年に振り向く。


「何がいい? 我が子よ」

「そうだな」


 聞き覚えのある声が、青年から出された。


「俺は赤い髪の女の子を求めるよ。ママ」

「そうね。赤い髪の女の子に会いたいわ。リトルレッドガール」

「えっと……ええっと……」


 リトルルビィの額から大量の汗が出てくる。


「えーーーーーーっと……」


 あたしは即座にレジカウンターに向かう。


「アリス」

「ん? 何?」

「しっ! 声をひそめて!」

「え? どうしたの?」

「うっ!」

「え?」

「古傷が!」

「え!?」

「アリス、なんだか、頭も痛くなったわ」

「えっ!」

「ズキズキするの。ああ、意識が無くなりそう」

「ええっ!?」

「生理のせいかもしれない」

「だ、大丈夫…!? ニコラ!」

「あたしは十分間、外で休憩するわ。いい? これは決してストライキじゃない。そうしなければいけない女の深い事情があるのよ!」

「分かったわ……! 行きなさい! ニコラ! ここは私に任せておいて! 帰ってきたら……一緒に故郷に帰るんだからね……!」

「分かってる……!」


 深く頷き、あたしは猛ダッシュで店の扉を開けて、外へ出た――途端、


「「ちょっと待った! ニコラ!」」

「!!!!!!」


 ヘンゼルとグレーテルがあたしを止めた。あたしは顔を青ざめて双子を見上げ、全力で双子に怒鳴った。


「何よ! あたしは気分が悪いのよ! お退き!!」

「こうなると思っていたよ。マドモワゼル。見張ってて正解だった」

「そうだな。兄さん」


 ヘンゼとグレタが腕を組んだ。


「悪いがニコラ、ここを通すわけにはいかない」


 ヘンゼが笑いながら壁になる。


「どうやら、俺達に緊急任務がきてしまったようだ。ニコラ」


 グレタが怖い顔で壁になる。


「お黙り! 野蛮でおかしでとんちんかんな双子ふぜいが! 退いて! 吐くわよ!」


 あたしが青い顔で怒鳴ると、二人が表情を強張らせて、びくっと肩を揺らした。


「え! 吐く!?」

「え! 吐くだと!?」

「そうよ! 早く退いて! 早く!! あんた達の制服に、あたしの嘔吐物が付着するわよ!! それでもいいの!?」


 また怒鳴ると、ヘンゼとグレタが慌てて一歩下がった。


「俺の美しい制服が汚れるのは嫌だ!!」

「俺のいかした制服が汚れるのは嫌だ!!」

「よし! きた! よくやったわ! あたし!」


 双子が一歩下がれば二人の間に狭い隙間が出来た。無理矢理その隙間をくぐり抜けようと足を一歩踏みこんだ――その瞬間、


「うわー。とっても接客が上手そうな子がいるー」


 肩を強く掴まれて、足が止まる。息が止まる。


「っ」

「ねえ、俺達初めて来たんだ。良かったら案内してよ。……店員さん?」


 耳元で囁かれて、血の気がさーーーーーーっと下がっていく。


「はば」


 あたしの全身が震えた。


「はばばばばばばばばばばばばばば」

「ママ、すごく礼儀正しい店員さんを見つけたよ。この子にお菓子を選んでもらおう」

「あら、素敵な子。いいわね。よくやったわ。我が子よ」

「ヘンゼ! グレタ!! グルか! てめぇらグルか! 畜生! 絶対許さない!! この恨み晴らさないでおけようか!!」


 肩を掴んだ招かれざる客によって、あたしはせっかく飛び出た店に引きずられていく。壁になった二人は扉の外で、笑顔であたしに手を振る。


「てめえら覚えてろよ!! 絶対覚えてろよ!! あたしがベックス家を継いだらてめえらなんて一溜まりもねえんだからな!! その同じ顔の頬ぱーんって叩いてやっからな! 分かってるの! ぱーんよ! ぱーん!! 覚えてろよ!! 覚えてろよ!! とんちんかんな双子め!! 覚えてろよ!! あたしは覚えてるからな!! ちっくしょぉがぁぁぁあああああ!!」

「あははー。ママ、この店員さん面白いこと言うよ。接客が上手な証拠だね」

「そうね。我が子よ」

「ごめん……。テリー……ごめん……。……ごめん……」


 リトルルビィが青い顔を押さえて、ぼそぼそと呟いている。アリスが眉をへこませてあたしに微笑む。


 ――休憩する前にお客さんに捕まっちゃったのね。それ終わったら休んでいいわよ。ふぁいと!


 ぐっ! とアリス親指を立てられて、ウインクをされる。


(ぐううううう! 畜生がああああ! 友達のアリスの前では何も出来ないいいいいい!!)


 血走る眼でぶるぶると体を震わせて、拳を握る。


(なんでいるのよ! なんで来たのよ! なんで親子揃って来てるのよ! てめえらよくも来てくれたわね! 叫んでやろうか! ああ、それがいいかも!! 叫んでやろうかしら!)


 きゃー! 『キッド様』だわーーーー!


(……大騒ぎになるんでしょうね)


 結局何もせず、うんざりしながら振り向く。丸眼鏡のキッドと目が合う。ふっ、と、キッドが微笑む。


「今日、城下にある家に帰るんです」

「……はあ。そうですか」

「そこに、愛しく想っている、何よりもかけがえのない、大切な人が俺を待っているんです」

「はあ。待っているんですか」

「ええ。待っているんです」

「そうですか」

「その子は、何を食べたいと思いますか?」

「何も食べたくないと思います」

「何を食べたいと思いますか?」

「何もいらないと思います」

「何を食べたいと思いますか?」

「貴方が家に帰らなければ、その子は喜ぶと思います」


 キッドが少し背中をのけ反る。そして、勢いよく前に頭を突き出し、ごつん!!!!! とあたしの額に、自分の額をぶつけた。あたしは声にならない悲鳴をあげる。


「っ」

「なーにーをーたーべーたーいーとーおーもーいーまーすーかぁーーーーあ?」


 キッドが血走る眼で額をくっつけたままあたしの目を睨む。あたしもぐぐっと歯を噛んで充血する目でキッドの目を睨む。ばちばちばちばちと睨んで、睨んで、睨んで――あたしが折れる。


「強いて言うならチョコレート……」

「そうですか」


 キッドがあたしの額から離れる。


「じゃあこうしましょう。大きな袋のチョコレートと、……苺ケーキって無い?」

「ありません」

「苺味の何かない?」

「クッキーならあります」

「ならクッキーの箱を買いましょう。案内をお願いします」

「二階です。ご自由にどうぞ」

「案内をお願いします」

「二階です。ご自由にどうぞ」

「案内をお願いします」

「二階です。ご自由にどうぞ」

「案内をお願いします」

「二階です。ご自由にど……」


 キッドが笑顔でまた背中をのけ反らせる。あたしはきりっと目を光らせる。


「ご案内します! どうぞ!」

「素晴らしい接客態度ね。我が子よ」

「そうだね。ママ」

「段差お気をつけください!」

「素晴らしい気遣いね。我が子よ」

「そうだね。ママ」


 二階に上がり、ため息を出す。


(なんでこういう時に限って、二階に一人もお客さんいないのよ……)


「ふふっ」


 ふいに、スノウ様が笑った。


「誰もいないから喋っても問題ないわよね? 我が子よ」

「問題ないと思うよ。ママ」

「テリー、ちゃんと働けてて偉いわぁ! うふふっ! お洋服着てくれて嬉しい!」


 一番近いチョコレートの棚に案内して、青い顔で二人に振り向き、スノウ様を見上げる。


「今夜帰ってくるんですか……?」

「ええ! テリー、何が食べたい? お菓子いっぱい買ってあげる!」


(……言わないと大量に買うパターンだ……)


 掠れる声で呟く。


「……チョコレート、買ってください……」

「何がいい? テリー」


 キッドが訊いてくる。


「どれか気になってるのある?」

「……あまりお菓子って食べないのよね。体に悪いってママに言われてきたから」

「じゃあ丁度いいな。食べたいの選んで」


 いつも並べている棚を見て、指を差す。


「これ」

「うん。いいよ。他は?」

「これだけでいい」

「他のチョコレートも買ってあげるよ。どれがいい?」

「そんなに食べれないわよ。これでいい」

「食べたくなったらどうするの。第二候補は?」

「んん……」


 眉をひそめて眺める。


「……これかな。最近紹介所と契約した会社のお菓子なのよ」

「ふーん。自分の会社と繋がった会社が作ったお菓子を食べるなんて、研究家だね」

「気になるだけよ」

「クッキーは?」

「こっち」


 案内して、苺味を差す。


「それ」

「わーい」


 キッドが喜んで手に取る。


「苺ケーキはまた違う店で買うよ。テリー、どこかいい店知らない?」

「ちょっと歩いた所にケーキ屋さんあるわよ。あそこの苺、大きくて味も濃いの使ってるって店長さんが胸張ってたから、美味しいかも」

「ああ、あそこ一回行ったな。味は覚えてないけど」

「買ってみたら?」

「うん。お前に教えてもらったから、そうする」


 キッドがふわりと微笑み、あたしの頭にぽんと手を置く。


「ありがとう。お前に接客してもらえて嬉しかったよ」

「……さっさとレジ行ったら?」

「今夜、帰るからね」


 キッドが顔を近づかせる。


「良い子で待ってて」


 唇が、あたしの頬に近づく。


(あ)


 またキッドから、キス、される。


(あ)


 その顔がどこか、


(あれ)


 瞼を下ろしたリオンに似ていた。


「っ」


 思わず息を吸って、一歩、下がった。キスを回避する。キッドのキスが空振る。


「んっ」


 きょとんと、キッドが目を見開く。あたしは目を見開いて、そんなキッドを見た。


「……」


(レオじゃない。キッドよ)


 キスは、キッドの悪戯よ。


(ああ、びっくりした。いつものことなのに)


 レオにキスされそうになった感覚。


(……)


 レオに、キス。


(……)


 リオンに、キス。



 ――リオン様、愛してます。

 ――あたしには、貴方様だけです。

 ――どうか、あたしの初めてのキスは、貴方様が。


 貴方様に、捧げます。



「……」


 青い目が、あたしを見つめる。

 青い目を、あたしが見つめる。

 あたしはキッドに、微笑んだ。


「お会計は」


 手で、階段の方向を差す。


「あちらです」


 にっこりと微笑む。

 キッドと目が合う。キッドがあたしを見る。キッドに微笑む。キッドが、じっとあたしを見た。その間に、スノウ様が入り込んできた。


「レジの場所を教えてくださるなんて、なんて接客態度の素敵な店員さんなのかしら。案内してもらえて良かったわね。我が子よ」

「……そうだね。ママ」


 スノウ様とキッドが顔を見合わせて、頷く。


「レジに行くわよ。我が子よ」

「そうだね。ママ」


 微笑むあたしを置いて、スノウ様とキッドが階段に向かって歩いていく。


「このお菓子を食べるあの子の顔が楽しみだわ。我が子よ」

「そうだね。ママ」


 ふと、キッドがあたしに振り向く。目が合う。


「楽しみで仕方ないよ」


 口角を下げたキッドが、前に振り向く。互いの視線が外れる。あたしも視線を外し、穴の開いた棚がないか、ちらっと見た。


「いらっしゃいませー!」


 アリスの声が聞こえる。


「お会計が2000ワドルです!」


 アリスの声を聞きながら、あたしが棚の前を通る。


「お品物です! ありがとうございます!」


 扉が開いて、閉まる音が聞こえて、あたしは立ち止まる。


(……嫌なこと思い出した)


 ヘンゼが変なことを言うから。キッドがここに来るから。キッドがレオに似てるから。


 今日もレオに会いに行くから。


(……嫌なこと思い出した)


 純粋にリオンとの結婚を夢見ていた小さな自分を思い出した。


(忘れてしまえ)


 そんなありもしない夢など。


(忘れてしまえ)


 リオンがあたしに与えるのは愛じゃない。




 恐怖だ。




 ゆっくり歩いて下に戻る。リトルルビィが棚に隠れてGPSのボタンををぽちぽち触っていた。アリスがレジからじっと扉を見つめていて、階段を下りたあたしに振り向く。


「……ねえ、ニコラ」

「ん?」


 アリスが言った。


「今の親子って」


 どっきーーーーん!!


「え!?」

「え!?」


 あたしとリトルルビィが体を硬直させて、アリスを見る。


「変だったわね」


 アリスが眉をひそませて、腕を組んだ。


「また変なこと言われるかもって思ってひやひやしてたの。ああいう変な人達、来なきゃいいのに」


(……アリス。今の、キッドとスノウ様よ)


「息子の方見た? ママだって。マザコンっぽかったわ。気持ち悪い」


(アリス、それキッドよ)


「奥さんの方、杖持ってたわね。目が見えないのかしら? だとしたらもっと支えてあげるべきだわ。でもあの奥さんも変だった。自分の息子を、我が子って呼んでたの。それに息子が、うんママ、って返事してた。何あの人達。気持ち悪い」


(アリス、それキッドとスノウ様よ)


「見かけない顔だったわ。最近引っ越してきたのかしら。それとも見かけなかっただけかしら。ああ、気持ち悪い。二度と来なければいいのに。気持ち悪い」


(アリス、それキッドとスノウ様よ)


「ニコラ、体調は大丈夫?お客さんもいないし、ちょっとだけ休憩してくれば?」

「……いや」


 あたしは微笑む。


「もう平気。ありがとう」


 心にあるのは恨み。

 心にあるのは憎しみ。

 心にあるのは妬み。

 心にあるのは虚無感。

 心にあるのは不快感。


 解放される日なんて来ない。


(リオンは)


 あたしに恐怖を植え付けた。忘れることのない記憶を埋め込んだ。


(兄弟の仲直りなんて知らない。本人たちがやればいいわ)


 お願い。


(あたしを巻き込まないで)


 もう、痛い目に遭いたくないのよ。


 あたしが持ち場に戻るために足を動かすと、がちゃりと、お菓子を買いに来たホレおばさんが、いつもの通り、入ってきた。


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