第4話 真の『恋泥棒』



 鋭い剣の刃がソフィアの首に突きつけられた。


「三秒だ」


 青い目が上からソフィアを睨む。


「三」


 ソフィアの手の力が緩んだ。


「二」


 あたしの口から空気が入っていく。


「一」


 ソフィアが両手を上げた。同時に、あたしは首を押さえて咳込んだ。


「げほっ! げほっ! ごほっ!!」

「どうしてここが?」


 あたしの上に乗ったままのソフィアが剣の主に訊いた。


「ここは、そう簡単に見つかる所ではございませんよ」

「お前、馬鹿だな。テリーを人質に取らなければ、見つからなかったのに」


 ソフィアが数多くの剣の刃に囲まれる。逃げ場は無い。


「苦労はしなかった」

「するはずがない」


 高い声が言った。


「私はテリーの血を飲んでるから、その後を追える。どこに行っても、どこに消えても、テリーの血の匂いが私に染み込んでるから」


 テリーがどこにいたって分かるよ。たとえ魔法で隠された地下に隠されたって。


「私には分かっちゃうの」


 だって、


「私は呪われた吸血鬼だから」

「呪いには呪いを。飴には飴を。無知には鞭を」


 ソフィアの口角が上がる。


「俺は容赦なんてしないよ」


 キッドの青い瞳がろうそくに反射して光る。


「斬る」


 キッドの口角は上がらない。


「久しぶりに腹が立った」

「ブチ切れだよ」

「お前」

「まさか、俺の唯一の希望に手を出すなんて」

「本当に」


 キッドが目を見開いた。


「怖いもの知らずだな!!!!!!」


 剣を振った瞬間、ソフィアがあたしの上から消えた。ソフィアを囲んでいた兵士がはっと周りを見回す。キッドの目が一瞬あたしの目と合う。キッドの目が即座に天井に向けられる。


 高さのある棚の上に、ソフィアが笛を持って立っていた。


「ああ、全く。キッド殿下。乙女の部屋に無断で入るなんて。紳士としてマナー違反では?」

「マナー違反?」


 キッドが笑った。


「犯罪者相手に、マナーがあるのか?」

「化粧前の女の顔を見るなんて、とんだ愚か者です」


 ソフィアが片手で顔の半分を隠すと、キッドがソフィアに剣を向けた。


「それは悪かった。だけど、女だと気付かなかったんだ。だって、男のふりしてテリーを口説いてたからさ」

「そうそう。テリー」


 私は命令されている。


「あの方が、そこのお嬢様を殺せと」


 だけどその前に、邪魔がいる。


「虫けらは排除しないと」


 それからでも遅くない。


「待っててね。テリー」


 ソフィアがいやらしい目で微笑んだ。


「すぐに殺してあげる」


 善は勝つ。


「私は善」


 悪は負ける。


「お前達が悪だ」

「悪を懲らしめないと」

「私が」

「私は選ばれた」

「魔法使い様」

「くすす」

「くすすすすす」

「私が勝つ」


 善は、私だ。


「私こそが、正義の味方」


 だから、殺さないと。


「テリー」


 ソフィアがポケットに手を入れた。


「盗んでみせよう。君の心臓を」


 ソフィアが飴を飲み込んだ。


「っ」


 ソフィアが胸を押さえた。


「くす」


 ソフィアが笑い出す。


「くすすっ」


 笑い声が響く。


「くすすすすっ」


 ソフィアの体から骨が浮かび上がる。


「くすすすすすっ」


 ソフィアの体から、骨が突き出た。


「あはっ!」


 ソフィアの体から血が飛び出る。


「ひひっ!」


 背中から、羽のように飛び出る。


「くすすっ!」


 天使のような骨の翼が生えた。


「くすすすすすすっ」


 ソフィアの体から、骨が、肉から飛び出して、腕から、足から、胸から、頭から、骨が、骨が骨が、骨が、骨が、骨が、出てきて、そのたびに、血が吹き出されて、部屋を、兵士達を、あたしの着ている白いドレスを、キッドを、赤い血が、返り血が、飛んでいき、血が包み、その身についていく。


 くすすすすすす! くすすすすすす! くすすすすすす! くすすすすすす! くすすすすすす! くすすすすすす! くすすすすすす! くすすすすすす! くすすすすすす! くすすすすすす! くすすすすすす!


 楽しそうな笑い声。骨で固定された羽。肌が白く変色する。天使の像のようなソフィア。顔は優しく微笑んで、笑い声が止まない。言葉を喋ることをソフィアが止めた。ソフィアは笑うことにした。正義が悪に勝った時、勝利を笑うものだ。だから笑う。嫌なことはもう思い出さない。言葉を話すくらいなら笑っていよう。楽しそうなソフィアに兵士達がぞっとした顔で剣を構える。リトルルビィがあたしの前に立ち、あたしの盾となる。


 キッドが顔をしかめ、剣を下ろした。


「これはまた、気味の悪い姿だ」


 その姿を睨む。


「ああ、ったく。イライラして仕方ないよ」


 不愉快だ。


「俺は虫が嫌いなんだ」


 とくに害虫はね。


「ひたすらにキモい且気持ち悪い且不気味且不快且嘔吐しそう且不愉快極まりない気色の悪いその姿、そんな汚いものを俺に見せないでくれる?」


 さっきから笑ってる姿も非常に不快だ。


「怪盗パストリル、お縄を頂戴する!!」


 キッドが動き出した。ソフィアの乗る棚の足を斬りつける。棚がバランスを崩せば、ソフィアが華麗に飛び立った。宙に飛び、高い天井のてっぺんまで骨の羽を広げ、また、上から落ちてくるように落下し、地面すれすれの所からまっすぐ飛んできた。


「わっ!」

「ぎゃっ!」


 兵士達が鋭い骨の羽に斬りつけられ、腕や足を押さえた。そのままソフィアが再び天井を飛び、目標を見定め、完璧に、その位置に飛び落ちてくる。


「ぐっ!」


 兵士がまた一人、斬りつけられる。


「怪我人は下がってろ!」


 キッドが中心に走る。


「俺が処理する!」


 キッドがソフィアを見上げた。


「おいで! 害虫! 王子の俺が殺虫しよう!」


 にんまりと笑い、飛び落ちてくるソフィアにキッドが剣を振り上げる。骨と剣が弾く。流すように、刃が流れ、骨が流れ、ソフィアが上に飛んでいく。キッドが見上げる。


「くくっ!」


 笑いながら、剣を構える。


「さてさて、どうしようか」


 ソフィアの動きをその目が追う。


「どうやって殺虫するかな」


 方法は数多く存在する。


「スプレーもある」

「罠もある」

「煙もある」

「叩きもある」


 殺虫に剣は必要ない。


「まあ剣が当たれば虫は死ぬだろうけど」


 小さなコバエ如きに剣を振り回しても避けられて余計にいらつくだけだ。


「どうしようかな」


 小さなゴキブリに剣を突き出しても、余計に動き回るだけだ。


「となると」


 ああ、そうだ。


「ひらめいた!」


 ぴんぽーん! とキッドがひらめきボタンを押す。


「テリー!」


 とても楽しそうに目を輝かせてあたしに向かって走ってくる。あたしとリトルルビィが顔をしかめた。


「ふむふむ。いけるな」


 ひょいとあたしを抱っこした。


「ひゃっ」

「軽いドレスで助かった」


 ただ、


「お前少しダイエットした方がいいぞ」


 くるりと振り向き、キッドが天井をくるくる飛び回るソフィアにあたしを見せた。


「ほらほら、お前が心臓を盗みたい花嫁バージョンテリーだぞ!」


 見せつけるように、高く掲げた。


「高いたかーい!!」

「わあああああ!!!」

「テリーーーーー!!!」


 あたしとリトルルビィが悲鳴の如く叫んだ。


(こいつ何を!!)


 ソフィアの目があたしを見下ろす。キッドがソフィアの目を見た。


「テリーの命を盗みたいんだろ?」


 にんまりと、キッドがにやけた。


「じゃあ、俺を捕まえてごらん!」

「ひゃっ!?」


 あたしを肩に担ぎ、キッドが走りだす。


「捕まえて俺を殺せたら、テリーの命はお前のものだよ! あはははははははははははははははは!」


 狂気じみた笑い声に、あたしの顔がぞっと青ざめる。


(こいつ…!!)



 あ た し を 餌 に し や が っ た !!



「やーい! 捕まえてごらん! あっかんべー!」


 キッドが舌を出し、部屋から走り出した。リトルルビィが両手で両頬を押さえた。


「き、キッド! テリーに何をーーー!」

「助けて! リトルルビィーーーー!!」


 あたしは必死に手を伸ばすが、キッドがとっとと部屋から抜け出し、一本しかない廊下を走り出す。部屋から兵士達の悲鳴が聞こえ、直後、岩で出来てるであろう壁が壊れた。その中からソフィアが姿を現す。風のように、ひゅんと、スピードを上げてあたし達に向かって飛んでくる。キッドが走る。楽しそうに走る。まるで徒競走。あたしは真っ青になる。


「キッド! キッド!! 来る!! 来る来る来る来る!!」


 後ろ向きのあたしがソフィアの驚異的なスピードを見ながらキッドの背中をばんばん叩く。追いつきそうなソフィアに、血の気が一気に下がる。


「てめえ、本当にふざけんなよ!! 人をダシに使いやがって!!」


 大声で怒鳴ると、キッドが走りながらげらげら笑いだす。


「あはははは! 鬼ごっこ! 鬼ごっこ!」

「こんのっ…!」


 ふざけやがって!


「…はっ」


 気付くと、ソフィアが突っ込んできていた。


「いやああああああ!」

「おっと!」


 悲鳴をあげるあたしを抱えたまま、キッドが突っ込むソフィアを避ける。ソフィアがまた上に上り、ぐるんぐるんとあたし達を囲むように回り、今度は上から突っ込んでくる。しかしキッドはそれを見切っているように軽々と避けた。あたしを持つのは継続中。


「やーい! 鬼さん、こっちらー!」


 けらけら笑って、また走り出す。息切れ一つなし。


(嘘でしょう…!? こいつの体力どうなってるの…!?)


「ほらほら、どうしたんだよ。パストリル!」


 ソフィアが骨の羽を動かす。笑いながらあたし達の隙を伺っている。


 くすすすすすす! くすすすすすす! くすすすすすす! くすすすすすす! くすすすすすす! くすすすすすす!


「おや? 何か策があるのか?」


 キッドの声ははつらつと楽しそうだ。


「かかってこい! 泥棒め!」

「ひゃっ」


 キッドが挑発して、あたしを肩から下ろす。見せつけるようにあたしを腕に抱き抱えた。


「ほら、テリーはここにいるぞ! お前、テリーを殺さなくていいのかぁー!?」


 ソフィアの鋭い視線があたしを定めた。一直線に突っ込んでくる。


「ちょっとーーーー!」


 叫ぶと、キッドが軽々と避ける。


「あはは!」


 ソフィアが壁に突っ込んだ。壁が壊れる。すぐに、また天井に飛んでいく。


「おいおい、パストリル。そんなんじゃないだろ? 俺は全然余裕だよ!」


 いいのか? いいのか?


「そんなんじゃ、俺からテリーを奪えないぞ?」


 壁からソフィアが突っ込んでくる。キッドが避ける。


「確かにテリーはお前のことが好きかもしれない」


 上からソフィアが突っ込んでくる。キッドが避ける。


「だけど、勘違いするな?」


 横からソフィアが突っ込んでくる。キッドが避ける。


「一つ、真実を伝えよう。パストリル」


 お前が殺したがってる、お前のことをうっとりした目で見つめていたテリー。


「この子はさ」


 何を隠そう。


「お前よりも、俺のことの方が、だぁーーーい好きな子なんだ」

「は?」


 キッドを見る目が白くなる。


「何言ってるのよ。お前」

「テリー、俺の星座何だっけ?」


 びゅんと、ソフィアが飛んできた。


「ひい!」

「俺、何座だっけ?」


 キッドがひょいと避けた。ソフィアが壁にぶつからず、天井に戻っていく。


「あんた、こんな時に何言ってるの!?」

「言ってみて。俺は何座?」

「山羊座でしょ!」

「俺の血液型」

「O型!」

「俺の年齢」

「数えで17歳! つまりまだ16歳!」

「俺の誕生日」

「12月24日!」

「じゃあ、テリー」


 ソフィアが飛んできた。


「パストリルの星座は?」

「知るかーーーー!!」

「ほらあ!」


 キッドが輝かしい笑顔でソフィアを避けた。ソフィアが壁に突っ込んだ。


「っ」


 ソフィアが壁から抜けなくなる。


「残念だったな。パストリル。テリーはお前の星座、分からないって」


 好きな人の星座が分からないなんて、きっと好きじゃないんだ。


「つまり、テリーはお前のファンってだけ。別に容姿以外は何も興味ないんだ」


 つまり、


「テリーが好きなのは、俺だ」


 つまり、


「お前が死んだって、テリーはすぐに立ち直って大して悲しんだりしない」

「……殺さないでしょ?」


 キッドがあたしを無視した。


「テリーは俺が好きなんだ」


 つまりさ、


「わかるぅー?」


 つまりさ、


「何だかんだ言っててもさ」


 何だかんだ怒っててもさ、


「テリーが好きなのは俺なの」

「お前じゃなくて俺なの」

「分かる?」

「分かるよな?」

「つまり、テリーは俺のものなの」

「テリーの心は、俺のものだ」

「テリーを殺すなら、まずは俺を殺すことから始めないと」

「で? その結果がこの無様な姿か?」


 ソフィアは壁から出られないでいる。


「馬鹿だな。俺のものを人質に取るなんて愚か者のやることだ」


 怖いもの知らずの脳なしめ。


「くくっ。テリー」


 キッドに笑みを向けられて、あたしの目がぴくりと痙攣した。


「お前、とうとう頭やった?」

「俺達は愛し合ってる。そうだよね?」

「ねじはどこに行ったのよ」

「あはは! テリーってば!」


 何を言っているのやら。


「照れ隠しはその辺にしておきな」


 そうだろ?


「テリー、そろそろ素直になって」

「俺が王子であったことに驚いたけど、でもやっぱりお前は俺のことが好きなんだ」

「だったら、受け入れてしまえばいいだけだ」

「テリー、時には素直になることも大切なんだよ」

「ね。分かるだろ?」


 あたしは眉をひそめる。


「全然分からないけど」


 キッドを睨む。


「お前はさっきから何言ってるの?」

「お前の愛の告白はよく伝わったよ」

「あたしがいつお前に告白なんてしたのよ」

「仮面舞踏会で」

「………?」


 あたしの眉間に皺が増える。


「……話が見えないんだけど……」

「もう」


 くくっ。


「お前が言ってたんだよ?」



 一夜だけ、想いを寄せた、って。



「………………………………………………」


 無言の末、重たい口を開けた。


「そんなこと言ってないけど?」


 キッドは、にやついている。


「言ったね。俺は聞いてたよ」

「嘘よ」

「聞こえたんだもん」

「嘘だ」

「俺は聞いたことしか言わない」

「嘘だ!」

「意識はぼんやりしてたんだけどねえ」


 その声だけは、はっきりと聞こえた。


「こうだったっけ?」


 キッドが、すっと息を吸って――――唄った。



 ひと時の夢

 貴方に想いを寄せてみた

 貴方を想うと幸福が

 貴方に触れると幸福が

 淡い想いは報われない

 キッド

 一夜だけ

 想いを寄せた

 キッド

 淡い想いの愛しい名を

 お前が知ることは………



「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」


 あたしは全力で叫んだ。とりあえず叫んだ。これ以上の言葉はあたしの耳に聞かせてはいけない。あたしの反応に、キッドがげらげら笑った。


「いやあ、俺って思ったよりもお前に愛されてたんだ」


 キッドが微笑む。


「テリー」


 その淡い想いの愛しい名。


「俺は知ってるよ」


 あたしの顔を覗き込む。


「答えてみせようか?」


 テリー。




「愛してるよ。テリー」




 ――――ちゅ。




 あたしの頬に、汚らしい嘘つきの唇がくっついた。




(………目が覚めた)


 完全に目が覚めた。魔法のキスで、あたしは覚醒した。


 なんでこんな奴、あたしは好きになったんだろう。

 なんでこんな最低な奴、あたしは好きだと思ったんだろう。


 目が覚めた。

 目が覚めた。

 あたしは幻から解放されたのだ。


 もう二度と、キッドを好きになることはない。


(なぜならば)

(あたしは)

(キッドを)


『恋泥棒』と任命しました!! おめでとう! キッド! 今日からお前は恋泥棒よ!! 拍手をしてあげるわ! ぱちぱちぱちぱち!


(分かってた。最低な奴だとは知っていた)


 良い女は悪い男に惹かれるものだ。弱っている心をつけ入れられて、心を揺さぶられてしまった。あたしは騙された。でもね、もう絶対にそんなことにはならない。あたしは今回の件で、ゴールドでゴージャスな鋼の心を手に入れたのだ。


 ソフィアじゃない。こいつよ。

 こいつこそ、キッドこそ、心を揺さぶる恋泥棒!!


(もう二度と恋なんてするか!)

(キッドに、二度と、恋なんてするか!!!!)


 あたしは真剣に恋をしたのよ!


(お前に真剣に愛を捧げようとしていたのよ!)


 それなのに、王子だと大々的に発表して驚かせて、帰りたいと泣いたあたしを無理矢理閉じ込めようとして。


(嫌い)


 お前なんて大嫌い。


「くたばれ」


 キッドがにやりとした。


「くたばってしまえ」


 もう一回言うと、キッドがくくっと笑った。


「いや、やっぱり」


 愛されてたんだな。


「俺の目に狂いはなかった」


 テリー。


「お前の想いを受け入れよう」

「くたばれくたばれくたばれくたばれくたばれくたばれくたばれくたばれ」

「後で話し合おう。結婚式の日も決めないと」

「くたばれくたばれくたばれくたばれくたばれくたばれくたばれくたばれ」

「そんなに俺が大好きだったなんて」


 全く。しょうがないな。


「あの時、俺から逃げなければ、夜景の綺麗な所で優しいキスをしてあげたのに」


 あとで沢山してあげる。


「楽しみにしていてね。テリー」

「お前だけは許さない…」


 ぎろりと睨む。


「一生をかけて恨んでやる……」

「俺に一生を誓うのか」


 キッドがにやける。


「しょうがないな。受け入れよう」

「誰が誓うか!!」

「また照れ隠し」

「照れてないわ!!」

「テリー、俺もう分かってるから。ね? もういいよ」

「お前、何も分かってないじゃない! この俺様僕様ライオン野郎!」


 あたしはキッドの頬を押す。


「離れて! 誰がお前に一生を誓うか! 誰が誰を好きだってのよ! 誰もあんたなんか好きじゃないわよ! 大嫌いよ!」

「じゃあ、俺とパストリル。どっちが好き?」


 あたしはちらっと見る。ソフィアが壁から抜けた。笑いながらあたし達を睨みつけた。


「あのね、パストリルはお前と違うのよ」


 ソフィアの羽が動き出した。


「彼女は手柄欲しさじゃない。純粋に自分と同じ人を作らないように弱者を助けてただけよ」


 ソフィアが笑い出す。


「キッド」

「うん」

「殺さないで」


 時間の針は動く。


「多分」


 あたしは見つめる。


「まだ間に合う」

「やってみよう」


 キッドがあたしを再び肩に担いだ。


「はぶっ」

「鬼ごっこ再開だ!」


 ソフィアが突っ込んできて、キッドが避けて、反対方向に走り出す。


「どうするの!」

「ま、見惚れてて! 俺、すげえ強いから!」


 俺が死んだら、テリーが殺されてしまう!!


「そうよ! だからさっさと終わらせなさい!」

「早く俺と二人きりになりたいって!? いいねえ! テリー! 夜景が綺麗に見える所に行こうか!」

「ふざけんな! これが終わったら絶交の儀式をするのよ!」


 いいこと!?


「婚約なんて破棄よ! 破棄! 吐き飛ばして解消してやる!」


 そしてあたしは二度とお前の顔なんか見ない!


「目の保養はパストリルだけで十分よ!」

「目の保養は俺だけで十分さ!」


 キッドが足を止めた。


「餌に釣られて虫は飛んでくる」


 ソフィアが飛んできた。


「そこを」


 俺が、


「撃退!」


 キッドが振り向く。ソフィアが突っ込んでくる。そのタイミングを見計らって、キッドが片手で剣を振り下ろす。ソフィアの羽ではなく、ソフィアの腕を斬りつけた。


「くひいいいいい!」


 血が吹き出て、またあたしの白いドレスに返り血がついた。

 ソフィアの腕が落ちた。ソフィアが悲鳴を上げた。しかし、その顔は笑っている。


「くすすすすすすす!」


 ソフィアが笑い、再び遠くまで飛んでいく。天井をぐるんぐるんと回り、見上げれば、ソフィアの腕が再生していた。


「くすすすすすすすすすすすすすす!」

「あいつも再生するのか」


 厄介だと言いたげに、キッドが顔をしかめた。


「でも大丈夫」


 毒は毒なのさ。


「斬れば斬るほど弱まっていく」


 剣の刃が輝く。


「とある呪われた少年は、同じく呪われた妹の血を飲んで亡くなった」


 ということは、


「毒には、毒の効果がある」


 キッドが剣を構える。


「この剣には、リトルルビィの血を塗らせてもらった」


 あたしはキッドの背中を叩いた。


「お前! あたしのルビィになんてことを!!」

「ルビィは喜んで協力してくれた。ありがとうを言うんだよ。テリー!」


 キッドは微笑んでいる。


「もう逃がさないぞ。パストリル」


 キッドの目は笑ってない。


「身柄を確保する!」


 ソフィアが飛んでくる。


「せーの!」


 剣を振った。見事に命中する。ソフィアが悲鳴をあげて怯んだ。その拍子に力が抜け、地面に下りてくる。その隙を逃さない。ソフィアの羽が動き出す前に、キッドが容赦なく斬りこむ。ソフィアが悲鳴をあげた。


「もういっちょ!」


 斬りこむ。ソフィアが悲鳴をあげた。


「よくも!」


 斬りこむ。ソフィアが悲鳴をあげた。


「俺に催眠をかけてくれたな!」


 斬りこむ。ソフィアが悲鳴をあげた。


「許さないよ!」


 おかげで、


「ほっぺたが死ぬほど痛いんだ!」


 すごく痛いんだ!


「虫歯になった気分だ!」


 めちゃくちゃ痛いんだ!


「どんな催眠かけたんだよ!」


 ほっぺたが痛すぎる。


「殴られたみたいに!」


 痛い。


「叩かれたみたいに」


 痛い。


「お前!」


 俺のほっぺたに、


「なんてことしてくれたんだ!」


 俺の可愛い顔に、


「なんてことしてくれたんだ!!」


 目が覚めたら、


「俺の頬が、痛みと手の痕でめっちゃくっちゃになってて!」


 しかもしばらく手の痕が消えなくて、


「許さない!!」


 キッドがぎっと、ソフィアを睨んだ。


「美しい俺の顔によくもーーーーーー!!!!」


(てめえ、さっきから自分のことばっかりじゃないのよ!!!!)


「きゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!」


 ソフィアが悲鳴を上げる。悲鳴をあげて、目を見開く。金の瞳が輝く。


「だから!!」


 キッドが睨んだ。


「もう効かないんだよ!!」


 見なければいい!


「くすすっ!!!」


 ソフィアが笛を持ち上げた。


「させるか!」


 キッドが叫ぶと、その腕に、横からリトルルビィが飛び込み、しがみつく。


「ふふふっ!」


 リトルルビィが笑った。


「呪いには呪いを!」


 リトルルビィが牙を向けた。


「がぶ!!」

「きゃああああああああああああああああああああああ!!!」


 ソフィアが笛を手放した。


「ぺっ!!」


 リトルルビィが血を吐き投げ、笛を拾い、即座にその場から離れる。


「よくも私のテリーを誘拐したな!」


 リトルルビィがむっすりした。


「絶対許さないんだから!!」


 リトルルビィが笛を吹いた。ぴゅううと音が鳴ると、びくりと、ソフィアの体が痙攣した。


「きゃあああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」


 ソフィアの叫び声にかぶさるように、キッドが叫んだ。


「リトルルビィ! 続けろ!」

「任せて!」


 ぴゅううと吹いた。


「きゃあああああああああああああああ!! やああああああああああああ!!」


 ソフィアが耳を塞ぐ。しかし無駄だ。リトルルビィが笛を吹けば、ソフィアの脳に音が響いた。


「くすしししししししししししひひひひっひひひひひひひひひ」


 ソフィアの悲鳴が、笑い声に変わる。リトルルビィが笛を鳴らす。笛を吹く。魔法の音がソフィアに響いていく。ソフィアが悲鳴を上げる。笛が鳴る。ぴゅううと鳴る。ぴゅううううと鳴る。リトルルビィが、曲を吹いた。きらきら光る。星の曲。お空に浮かぶ星の歌。お月様に捧げるように、誰でも吹けるその歌を吹く。


 きらきら光る。夜空の星よ。

 瞬きすれば、皆を見ている星たちよ。

 きらきら光る。夜空の星たち。


 きゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!



















「ソフィア」









 黄金の瞳が動く。





「苦労をさせたね」

「頑張ったわね」


 暖かなぬくもりが二つ。ソフィアを抱きしめた。


「もう大丈夫だよ」

「愛してるわ。ソフィア」


 暖かなぬくもりが二つ。ソフィアの頭を撫でた。


「目を覚ますんだ」

「起きて。ソフィア」


 父の声と母の声。


「さあ、現実を見なさい」

「ソフィア、罪を償うのよ」

「まだ来てはいけない」

「もう少し現実にいなさい」

「ここは幻」

「ここは幻想」

「さあ、いきなさい」

「ソフィア」

「ソフィア」

「愛してるわ。私達の愛しい子」






「……お父さん……」



 一つの雫が足元に落ちる。



「……お母さん……」











 手を伸ばした先には、青い光。




















「殺虫!!」


 あ、違った。


「消毒!!」


 キッドが思いきり、ソフィアの首に注射器を刺した。


「もういっちょ!」


 刺した。


「もう一回!」


 刺した。


「俺の痛みと!」


 刺した。


「ついでに」


 刺した。


「心を盗まれたレディ達の痛み!」


 刺す。


「それと」


 刺す。


「よくも、盗もうとしてくれたな」


 ぎゅっと、あたしを抱える腕に力がこもる。


「人のものは盗んじゃいけないんだぞ」


 そこには、血に溢れた、体を痙攣させ、ぐったりさせ、骨の羽がなくなった、骨が突き出た痕が残る、穴だらけのソフィアが、倒れていた。


 ソフィアの手が、動く。顔が、上げられる。金の瞳を輝かせる。


「…………」


 ソフィアが唸る。


「……………………」


 ソフィアの瞼が下ろされる。


「……………………………………」


 顔が下がる。


「……………テリーは」


 ソフィアが唸った。


「……あなたの……ものでは……」

「残念だったな」


 キッドがにやりと笑った。


「俺のものだ」


 あたしはキッドの頬に平手打ちをした。


「…照れ屋なところが傷だけど」

「……くすす」


 ソフィアが掠れた笑い声を出した。


「目が見えない」


 ソフィアが手を伸ばす。


「何も盗めない」


 ああ。


「ここまでか」


 善が負けた。


 …………いや、


「悪、かな……」


 ソフィアの手が、ぱたりと力尽きて倒れた。

 ぼろぼろの兵士達が歩いてくる。リトルルビィがもう一曲何か吹いている。練習中なのか、音が外れている。上手くなるといいわね。発表会があるなら行くから呼ぶのよ。分かった?


 キッドが各自に指示を出した。


「目隠しして、縄で縛って」


 そんで、


「保護して」


 怪盗パストリルの事件は、これでおしまい。


「はあ」


 キッドがため息をついた。


「こんなに時間がかかるなんて」


 ああ。


「まさか中毒者だったなんて」


 うなだれる。


「疲れたよ」


 鬼ごっこも終わった。


「楽しかったな」


 でも遊びは終わり。


「さて、遊びが終われば秘密会議だ」


 肩にいるあたしを腕に下ろした。


「お待たせ。レディ。話そうか」


 あたしは鋭い目でキッドを睨んだ。




 こうして怪盗パストリルは、100件目の事件で、姿を消したのだった。


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