第5話 美しきお城の庭にて(1)


 星空が広がっている。見惚れてしまうほど。

 きらきら光っている。宝石のように。

 城下町の灯りが綺麗に夜景に彩られている。

 城の灯りが綺麗に夜景に彩られている

 城の噴水が静かに水を流している。

 城の花畑が静かに周りで咲いている。

 花畑。

 庭。


 城の庭。


「キッド!!!!」


(もう天罰が当たるなんて!! あーーーー! もう駄目! あたし、死んじゃう!!)


 顔を青ざめ目を見開き、あたしの手を掴むキッドの手をさらに掴んで、引っ張って、足を止めれば、ズルズル引きずられてあたしとキッドによる綱引きが行われるが、あたしは負けない。今までにないくらい本気で必死で全力でキッドを止めなければいけない。


「お前、ここがどこだと思ってるのよ!!」


 宮殿の庭。


「ここ、入っちゃいけない所よ!!」


 居眠りしてた兵士の目を盗んで素通りしたってことは、ここあかん! って所でしょ!?


「見つかったら怒られるわよ! 泥棒だと思われるかも! 誘拐犯とか、通り魔とか、吸血鬼とか、氷の巨人とか、ひょっとしたらスパイとか! なんかそこらへんで疑われるかも!! 裁判にかけられたらあんたのせいよ!」

「平気だって。今日は無礼講なんだから」


 キッドが涼しい顔であたしを引っ張る。


(こいつ、もう、ば、馬鹿、まじで馬鹿!! こいつ、まじで、馬鹿!! ボディーガードのくせに、何やっちゃってくれてるの!!?)


「キッド、あたし、もう大丈夫! もう平気! ほら、見てごらんなさい! 超元気! あたし今日も最高に可愛くて美人だわ! ああ最高の夜だわ! 戻りましょう! ね? リトルルビィと合流して、メニーと合流して、ね! ほら、キッド、良い子だから! ね! 戻るわよ!!」

「大丈夫。誰かに見つかっても逃げればいいから」

「転んで逃げられなかったらどうするの!? いい!? ここでは作戦Dは通用しないのよ! 捕まったら最後! 牢獄行きよ! 牢屋に入れられて、ずっと十年以上そこで過ごさなきゃいけなくなるのよ!! あんた分かってんの!?」

「ここまで来たからって牢獄には入らないよ。お前さぁ、年々被害妄想の思考が強くなってない?」


 ずっと止まらなかったキッドが噴水の前でようやく止まる。はあはあぜえぜえと肩で呼吸すると、キッドがあたしに振り向いた。


「ほら、座って」

「ど、どこに? 地面に?」

「噴水に」


 キッドが手で差し示す。あたしはちらっと噴水を見て、首をぶぶんと振った。


「で、でも、これ、王様のものでしょう?」

「王様のじゃないよ。皆のもの」

「王族のものなんでしょう?」

「王族のものじゃないよ。皆のもの」

「誰が建てたの?」

「昔の王族」

「ほらごらんなさい!」


 あたしは花畑に座って膝を抱えた。


「あたしに罪をなすりつけて自分は逃げる気なんでしょう! あたし分かってるんだから!」

「テリー、ドレスが汚れるよ」

「仮面舞踏会で名前を言うのはルール違反なのよ!」

「お前、散々呼んでたくせに」


 キッドがあたしを見下ろした。


「ほら、汚いから立って」

「やだ!」


(あたし死刑になっちゃう!)


 ぎゅっとうずくまる。


「あたし死んじゃう!!」

「死なないよ」

「あたし死んじゃう!」

「死なないって」

「死んじゃうもん!」

「ぶふっ」


 キッドが口を押さえ、笑いを堪える。


「なんでそんなにびびってるの…? くくく…! なんか、いつも以上にテリーが可愛く見えるよ…! ぐひひひひ!!」


 震える声で腿をぱんぱん叩くキッドに、あたしの鋭い目がぎらりと光る。


「てめえ、馬鹿! ここは宮殿なのよ! 王様と王妃様と王子様が住んでるの! 国の頭のお家なの! お偉いさんのお家なの! いつも通りにいかないのよ! 今は我慢してあげるけどね! ここから出たらその可愛いお顔ぱーんって叩いてやるからね!! ぱーんって!! 覚えてなさい! ぱーんよ! ぱーん!」

「ああ、そうだね。お前はパンが好きだったね。分かった分かった。後で一緒に食べようね」

「お前が食らうのはあたしのぱーんだけよ!」

「とにかく座って」

「キッド! やめて! 引っ張らないで! あたしここでいいの! お花さん達と戯れたいの! あたしは花の妖精さんになるの!」

「お前はさっきから何言ってるの」

「いいの! あたしに構わないで!」

「俺が良くないから座って」

「やだ!」

「はーーーーー……」


 キッドが深い息を吐き、止めて、あたしの顎を掴んだ。


(あぶっ!)


「テリー」


 キッドの青い瞳が、鋭く、あたしに命令した。


「座れ」

「…………………」


 チッ。


「…なんであんたがあたしに命令するのよ」


 舌打ちしてキッドを睨む。


「嫌だっつってんでしょ」

「もー」


 キッドの目の力が緩んだ。


「しょうがないなあ。わがままなお姫様は」


(ん?)


 キッドがすっと、屈んで、


「よい、しょ」


 あたしを肩に抱え上げる。


「!!!!!!!!!!???????」

「どっこいしょー」


 あたしの尻が噴水の縁に当たった。


「ぎゃっ!」


 あたしは速やかに立つ。キッドがあたしの肩を押さえ、座らせる。


「えい」

「いいいっ!!」


 あたしは速やかに立つ。キッドがあたしの肩を押さえ、座らせる。


「えい」

「ひいいい!」


 あたしは速やかに立とうと力を入れるが、キッドが上からあたしの頭を押さえつけてきた。立てなくなる。あたしは座ったまま両腕をキッドに振るが、届かない。


「やめろ! お前! 何やってるか分かってるの!?」

「体調の悪いレディを介抱している」

「あわわわわ! 王族の、王族の噴水に、あたしのお尻が噴水に…!!」


(死刑になる死刑になる死刑になる死刑になる…!!)


「なんてことないって。ここに座ったくらい」


 キッドがあたしの隣に座り、あたしの腕をぐいと引っ張り、お互い横向きで向かい合わせになる。


「テリー、仮面外そう。リラックスして」


 キッドがあたしの仮面を掴んだ。


(っ)


 仮面舞踏会とは、終わるまで仮面を脱ぐことを禁じられている。つまり、キッドが今行おうとしていることは、『ルール違反』だ。違反をしたらどうなる? そうね。違反をしたら、捕まるのよ。捕まったらどうなる? そうね。



 死刑への道が近くなるのよ。



 あたしは慌てて自分の仮面を掴んだ。


「いやああああああああああああああああああああああ!!! やめてえええええええええ! キッド!! お願い!! やめてえええええええええええええええ!!」

「暴れない」

「ルール違反だわああああああああああああ!!」

「体調悪い人は別」

「あばばばばばばばばばばばばばばば!!!」

「そこまで気にする…?」


 今にも泡を吹いて倒れそうなあたしを見たキッドが眉をひそめる。あたしは顔面蒼白状態でこくこくこくこくと頷く。


「当たり前よ! あんた、代々王族に伝わるルールに破ることになるのよ!?」

「別に、そんな厳しいものでもないって」

「厳しいとか厳しくないとか、そういう話じゃないのよ! 王族は絶対なのよ!! 分かってる!?」

「あー、はいはい。分かった。ほら、俺も外すからさ」


 呆れて溜まった息を吐きながら、キッドが先に仮面を外した。髪にはワックスがつけられ、前髪も上手い具合にセットされていて、顔全体が見えるようになっていた。中性的な、女のような顔が、ちゃんと男の顔に見える。


(あ、ちゃんとセットされてる。ほー。なかなかじゃない? こいつ、顔だけは、かっこいいのよねー。はあー。なるほど。確かに、これは目の保養かもー)


 ついその美しさに目を奪われていると、ひょいと仮面を外された。瞬き三回。視界くっきりはっきり。


(まあ、ここってこんなに素敵なお庭だったのね!)


 ……………。


 さーーーーっと血の気が下がり、すぐにキッドに手を伸ばすが、逸らされる。


「仮面!」

「ん」

「返せ!」

「ん」

「返して!」

「ん」

「見られる!」

「ん」

「見られちゃうから!」

「ん」

「返せ! クソガキ!」

「ほいほい、こっち」

「あっ!」


 ひょい。


「残念。こっちー」

「やああああああああああ!!! 返せつってんだろぉおおおおおおお!!!」

「ぎゃははははははは!!! 猫みたい! 可愛いよ! テリー! さあさあ! 仮面はこっちだ!」

「ふざけんな! お前!」

「猫じゃらしは! こっちだにゃーーー!」

「にゃーーー!!」


 あっちに行けばこっちに。こっちに行けばあっちに。噴水の縁に膝を立て、よじ登りながら何とか手を伸ばすが、キッドがあたしの届かない所に仮面をぶら下げる。どうしようもない焦りと緊張に、ぎろっと、キッドを睨みつけた。


「キッド!!」

「あっはっはっはっはっはっはっ! はっはっはっはっはっはっはっ!!!」


 大爆笑じゃねえ!


「もう! 本当に! 返してよ! 捕まる! ギロチン刑になっちゃう!!」

「ならないよ。もう何言ってんの。ほんとに。変なテリー」


 くすくす笑うキッドがよじ登るあたしの腰を手を添えた。


「落ち着いたら返すよ」

「誰かにバレたらあんたのせいよ!」

「あ、メイクしてる」


 キッドが下からあたしの顔を覗き込んできた。突然ずいっと、誰よりも美しく整った顔が近づけば、あたしでさえも不意を突かれて、息を呑んでしまう。


「………………っ」

「仮面で隠れてたから見えなかった。俺としたことが、婚約者の褒め所を見過ごしたか」


(びっくりした…)


 熱くなる顔の体温なんて気のせいだと思って、キッドから視線を逸らし、噴水の縁から膝を下ろす。


「…隠れるからいいって断ったんだけど、してもらったの。せっかくだからって」

「いや、素敵だよ。海みたいな広大さを持ったドレスと、メイクがよく合ってる。へぇ。いいね。綺麗だよ。テリー」

「当然! 綺麗にしてるんだから!」


 ふんっ、と鼻で笑えば、キッドがクスッと笑い、あたしの顎を指で優しく上に上げる。キッドの顔がさらに近づき、あたしの顔を覗きこんだ。


「へえ? じゃあ、もっとよく見せて」


 ……………………………。


「…そ」


 目を逸らす。


「……そんなに、じろじろ見ないでくれる…?」

「え?」


 あたしの消え入りそうな声に、キッドがきょとんとした。


「……なんで? 見せるためにメイクしてるんだろ?」

「……真っ正面から見られたら、恥ずかしいに決まってるじゃない…」


 言った途端、キッドが目をきらりーん! と輝かせて、にんまりと、意地の悪い笑みを浮かべる。


(あ、嫌な予感がする! 言わなきゃよかった!!)


「へーーーーえ? テリィー? 恥ずかしいんだーーー?」

「なっ!」


 あたしはガンを飛ばす。


「べっっっっつにぃーーー? お前如きにこのあたしが恥ずかしがる? はっ! 自惚れ屋が! この馬鹿ちんが! お前の頭は相変わらずお花畑ね。幸せ者め。でもね、覚えておきなさい。お前みたいに正面からまじまじと見てくる輩がいると、他のレディが恥ずかしいって気持ちになるのよ。あたしはお前にそれを言ってるだけ」

「ってことは、テリーは恥ずかしくないんだ?」

「もちろん」

「じゃあいいじゃん。ほら、こっち見て」

「…っ」


 痛いところを突かれ、何も言えなくなる。しかも今日は月の光のせいか、月が満月のせいか、月が明るいせいか、キッドが月の光に照らされて、綺麗な顔が、もっと、より、綺麗に見える。いつもよりも美しいキッドがあたしを見つめている。


 透き通る青い目とあたしの目が重なれば、


(あ、これ)


 駄目なやつだと悟る。


(わざとやってる)


 そうやって自分の容姿を利用して、乙女のハートを盗もうとしているのね。でも残念。お前の手はもう知り尽くしてるのよ。


(あたしは引っかかったりしない。なめないで)


 ふい、と顔を逸らすと、キッドから不満げな声が漏れる。


「だからさ」


 テリー。


「何度言えばいいの?」

「…何が?」


 今度は少々乱暴に顎を掴まれ、ぐいっと、顔を正面に向かされる。


「俺を見てよ」


 ―――――じっと、睨む。


「何よ。そう言ってあたしのハートを射止めようとしてるんでしょ。あたし分かってるのよ。そうはいかないんだから。このナンパ野郎」

「あははは! 気分の悪そうなお前をここまで連れてきた親切な俺に、そーんな口を利いていいのかー? えー?」

「別に頼んでない」

「えい」


 むに! と頬が両手で挟まれる。


「はぶっ!」

「えい」


 ぐるぐるとキッドの手が回り、あたしの頬がぐちゃぐちゃになる。


「むーー!」

「あはははははは!! こーか! これがいいのか!!」

「やめなひゃい!! ほにゃあ!!」

「ぶっさいくーーーー! テリーがぶっさいく! あはははは!!」

「ほのっ…!」


 両手でキッドの顎を押し込むと、キッドの顔が上を向く。


「うぐっ…!」


 キッドが唸り、あたしの目がぎらり! と光る。


(あたしが何もしてこなかったと思った!? この二年ちょっとで磨かれたキッド対策! 正面が駄目なら下からどーん! どうだ!? えー? キッド! 下を見れまい!? えー!? どーんよ! どーん! どうだこのどーんの威力! えーーー? どうだぁー!?)


「テーーリーー…!」

「なぁあによおぉお…!」


 お互いにぐぐっと押し込み、ぐぐっと押し込み、押し込んで――――キッドが手を離した。


「ひゃっ!」


 押し込んでたあたしが前に倒れる。


「よし、きた」


 キッドがそれを抱き止め、そのままきつく抱き締めてくる。ぎゅーーーーっと締めつけられる。


(ひい! あたし、潰れちゃう!!)


「キッド…! 苦しっ…!」

「くくっ。せっかく褒めてあげたのに」


 耳元で囁かれ、


「テリーさ」


 耳弱いよね?


 そう言われて、ふーっと、耳に息を吹かれる。


「ふゃっ!」


 びくっと体が強張り、肩が揺れた。


「くくっ、やっぱり」


(ぐっ…! こいつ…! 許さない…!!)


 唇を噛んで締めつけから耐えていると、キッドがあたしの頭に手を置いた。そして、ぽんぽんと手を弾ませる。


(うぇっ?)


「気分は?」


 キッドに訊かれる。


(気分…)


 あれ。


「あの…」


 さっきまでの気持ち悪さはない。もう、痛くないし、苦しくない。


「………平気」

「うん。なら、良かった」


 キッドに構って、それどころじゃなかった。


(……目眩も治まった)


「念のため、もう少し落ち着いたら戻ろうよ」

「……ん」


 キッドがあたしを抱きしめたまま、頭を撫でてくる。


(……なんか)


 キッドの手が優しくて、


(………こういうのも、あまり、悪くない、かも……)


 キッドの腕の中で大人しくなる。


(いいわ。気分がいいからちょっとくらいお前に身を委ねてやってもよくってよ。ほら、撫でろ。もっと優しく丁寧に撫でろ)


 ん、と唇を閉じて、じっとして、キッドに撫でられる。大人しくなったあたしの頭をキッドがゆっくりと撫で、くくっ、と笑った。


「本当にお人形さんみたいだね。テリー」

「生きてて残念ね」

「テリーが生きてる人形なら、俺は部屋に飾って大切にするよ」

「お前と二人きりの部屋なんてごめんよ」

「何だよ。大切に抱きしめてあげるよ」

「結構よ。お前の膝の上なんてごめんだわ」


 後ろから噴水が流れる音が静かに響く。キッドの足が揺れて、あたしの足にこつんと当たった。


「あ。そうだ。テリー、高い所好き?」

「景色が綺麗なら好き」

「そう」


 あたしの足がぶらんと動いて、キッドの足にこつんと当たった。キッドがあたしの足に軽く足を当てた。


「何? 今度は城の屋根にでも上ろうって?」

「いいね。行ってみる?」

「お断りよ。怒られるどころじゃ済まなくなる」

「もっと高い所も知ってるよ。一緒に行こうか?」

「行かない」

「じゃあ、…また今度」


 あたしは足をぶらぶらさせる。またキッドの足にこつんと当たる。キッドは抱きしめたままあたしの頭を撫でる。あたしはちらっと見上げる。キッドとまた目が合う。


「……身長、また大きくなった?」

「これはこれは、素晴らしい。鋭い観察力だ。名探偵殿」

「何センチ?」

「173」


 キッドがにやりとする。


「お前は何センチだったっけ?」

「これから大きくなるのよ」

「なるかなあ?」

「なるのよ」

「なると思ってる?」

「なるのよ!!」


 大きくなるもの!


「今以上には伸びるわよ!」


 多分!


「くくっ。高いヒールを使わずに踊れるようになるといいね」

「お黙り! いいじゃない! 高いヒール履いたって! 可愛いじゃない!」

「お前は可愛いだけで高いヒールを履くわけじゃないだろ?」

「お黙り!」


 ぷい、とそっぽを向く。


「あたし、意地悪な人は嫌い!」

「テリーが可愛いからからかっただけだよ」

「そうよ。あたしは可愛いの。そして美しいの。だから大切にしてちょうだい!」

「大切にしてるだろ? うーんと甘やかせてるじゃないか」

「自分がしてるつもりでも、相手が感じないと意味ないのよ」

「感じない?」

「全く感じない」


 キッドから離れる。


「もういい。離れて。暑い」

「なんだよ。照れてるのか?」

「ああ言えばこう言う。恥ずかしくないの?」

「愛しい人に愛の言葉を囁いてどこが恥ずかしいの? 教えていただけるかな?」

「ああ、もういい。面倒くさい」


 足を組んで扇子を扇ぐ。ふう。ぬるい。


「……お母様は?」

「いるよ」

「お父様は?」

「もちろんいるよ。仕事の話ばかりしてる」

「…あんたお父様いるの?」

「いないと俺、生まれてないだろ」


 頭の中でキッドの家族を想像する。


 ―――やあ。素敵なレディ。キッドのパパだよ。

 ―――キッドの母ですー! くくくくっ!

 ―――美しいレディ。キッドの弟さ。薔薇をどうぞ。


(あ、なんか想像出来たからもういいや。すごく面倒くさそう)


 違う話題を振ろう。


「リトルルビィは?」

「いるよ。赤いドレス着て、おめかししてる」

「可愛いんでしょうね。仮面は?」

「兎の仮面」

「ああ、可愛いあの子にぴったりだわ」

「メニーは?」

「鳩の仮面」

「メニーらしいね」

「リトルルビィの髪型は?」

「せっかくの仮面舞踏会だから、まとめてもらったよ」

「へえ、そう」


(リトルルビィが、おめかし…)


 ―――テリー!


「そうよね。せっかくの舞踏会だもの。リトルルビィだっておめかしくらいするわよね。メニーも髪まとめたの。あの子今日はすごく綺麗なのよ。見た? あんたほどじゃないけど、年頃の紳士に一斉に声をかけられてた。リトルルビィも声かけられそうね。あの子踊れるの? 踊れないならあんたがいてあげなきゃ。メニーは踊れなかったからしこたまあたしがレッスンしてあげたのよ。あの子踊れないことずっと黙ってて、前に先生付きでレッスンしたのに、踊り方忘れたって。もう少し貴族として自覚するべきだわ。こういう時に踊れなくて、将来困るのはメニーよ。ぎりぎりまでレッスンして良かった。にしてもあの子どこ行ったのかしら。上から捜してたけど、見つからなかった。リトルルビィと合流してるといいけど。あ、リトルルビィと言えば、なんか最近またお仕事変わったみたいね。あの子この間可愛かったのよ。広場でばったり会ってね、仕事中のくせにテリー、テリーってうるさいの。もう、犬みたいな目で見つめてきて、そんな目で見られたら買うしかないじゃない。あの目は駄目よ。あたし、在庫全部買っちゃったんだから。でもその後にリトルルビィが喜んでくれて、あの子にありがとうって言われたら、もう、使うしかないじゃない。あたしとメニーで本にブックカバーをつけまくったんだから。でも、そうね。本棚がカラフルになって、悪くないって、メイドからも評判が……」

「テリー、ストップ」


 言われて、キッドにきょとんとした。


「ん?」

「お前が妹を大事にしているのはよく分かった。リトルルビィを凄まじく気に入ってることも伝わった。じゃあ、それは横に置いておこう」

「置いておく?」

「あのさ」


 キッドの顔が近づく。


「今、お前の目の前にいるのは俺だよ?」

「何当たり前のこと言ってるの?」

「二人の話をしよう」

「はあ? なんであたしがお前とあたしの話をしなくちゃいけないのよ。お前に関してなんて何も話題が無いわよ」

「冷たいこと言わないで。婚約者だろ」

「はっ」

「いつ結婚しようか?」

「結婚はしないんでしょ?」

「想像力は大事だ」

「事が済んだら破棄するくせに」

「テリー、今はそんなこと考えない。楽しいことを考えよう」

「あんたはそろそろ真面目に将来のことを考えた方がいいわよ。十二月で17歳になるんだから。好きな子と結婚するも良し、勉強するも良し、仕事をするも良し、城下だったら何でも出来るわ」

「じゃあ、テリー、いっそうのこと本当に結婚しちゃおうか? 国で結婚許可が下りるのは、15歳から。テリーが15歳になれば俺は18歳で、結婚の条件は満たしてる。で、結婚して、俺と夫婦になって、子供産んで、一つの家族になろうよ」

「うわ、最悪。まるで悪夢だわ…、生まれてくる子供はキッドに似てれば可愛いにしても、それでもあんたとはごめんよ…。結婚生活に子作り? うわ、うわうわ、絶対嫌だ。うっ、また吐き気が…」

「ねえ、それは酷い。俺傷ついたからね。ぐさってきたからね。ハートにひびが割れたからね」

「何が傷ついたよ。キッド、あんたね、いつまでも四歳年下の子供相手にしてたら駄目なんだから。今に分かるわよ」

「愛に年齢は関係ない。…そもそも、お前は13歳に見えないんだよな。発言が大人すぎて」


(ぎくっ)


「何よ。じゃああたしが31歳にでも見える?」

「ああ。それくらいかもね」

「…………」

「冗談だよ。そうだね。どう見ても13歳だ」


(………………)


 あたしは黙って胸をなでおろす。


「そうか。テリーは13歳か」

「何よ。文句ある?」

「俺さ、13歳を過ぎてから、妄想力が豊かになったんだよね」


 宇宙人が国を戦略してくるかも。

 化学物質によって大きくなった怪獣が現れるかも。

 現れた魔王を倒して勇者になるかも。


「こういう舞踏会では、素敵なレディとひと時の夢が見れるんじゃないかと妄想するわけだ」


 キッドが首を傾げる。


「テリーはそういうの考えたりしないの?」

「キッド、乙女はなぜいつまで経っても乙女だと思う? それはね、妄想を止めないからよ」

「なるほど。……したことあるんだ」

「馬鹿。あたしだって女の子よ。憧れた妄想に胸を焦がすことだってあるわ」

「テリーが?」

「ええ」

「お前が妄想?」

「するわよ。妄想くらい」

「むっつりだ」

「むっつり言うな」


 眉間にしわを寄せると、キッドがまた笑う。


「へえ。お前も考えるんだ」

「何よ。悪い?」

「悪くないよ。逆にテリーもそういうことを考えるんだと思って安心したくらいだ」

「憧れくらいあるわ」

「どんなの?」

「デリカシーがない人は嫌い」

「テリーが考える妄想にとても興味がある。教えて。誰にも言わないから」

「リトルルビィにも?」

「言わない」


 テリーが考える舞踏会でのシチュエーション。


「ねえ、教えて。絶対秘密にするから」


 無邪気な目でわくわくしたようにあたしに訊いてくるその顔は、大人にしてはまだ幼い。


(……子供ね)


 仕方なくキッドを見上げる。


「……誰にも言わないでよ」

「うん」

「肩」

「ん?」

「こういう贅沢なドレスを着て、相手の肩に頭を預けて、すりすりーってするの。で、相手はあたしの頭を撫でる」

「なるほど」


 キッドがあたしを引っ張る。


「これで」


 あたしの体の向きを変え、キッドも横に並ぶ。


「こうして」


 あたしの頭を掴み、肩に引き寄せる。


「こうか!」


 頭を撫でる。


「どう?」


 どやぁ!


 満足そうなキッドにため息を吐く。


「なんで満足げなのよ…」

「テリーの妄想したシチュエーションを叶えてあげたんだよ。ああ、俺ってすっごい良い婚約者」

「はいはい」


 キッドの背中をぽんぽんと叩く。その行動に、そうじゃないと言いたげに、キッドが眉をひそめた。


「なんだよ、これだろ?」

「ええ、そうよ。ああ、月が綺麗だこと」

「違うよ。テリー。こういう時は、胸がどきどきして婚約者のキッドから目を離せないって思うところ」

「はっ! 言ってなさいよ」


 鼻を鳴らすと、キッドもくすっと笑って、


「素直じゃないんだから」


 そのままあたしの頭を撫で続ける。


(……ん。なかなか悪くないわね)


 頭をすりすりしてみる。


(あ)


 結構いい。体格が理想通り。欲しいところに肩があって、胸がある。


「相手がキッドじゃなかったら合格だったわ。はあ。残念」

「よし、その顔を貸せ。お前の頬を餅にしてやるから」


 にやりと黒い笑みを浮かべたキッドがあたしの顔に手を伸ばすのを、その手を叩く。


「やめろ! お前! メイクが落ちるじゃない!」

「どうせ仮面で見えなくなるんだろ? 上等だ。落としてやるよ」

「あたし意地悪な人は嫌い!!」

「さっき聞いた」

「やめろ! これは仲の良いメイドにやってもらったのよ! 触るな! 指一本でも触ったら噛みついてやるから!」


 ―――せっかくですから。ね?


 微笑むサリアの顔を思い出す。キッドの手が止まった。


「へえ。お前、屋敷の使用人と仲いいんだ?」


 初めて聞いた。


「そうよ。うちにね、めちゃくちゃ頭の回転が早いメイドがいるの」


 あ、


「あんた、会ってるわよ。ほら、初めて会った時に」

「あ、俺覚えてるよ。あの頭いいお姉さんか!」

「そうそう。あのお姉さん」

「へえ。仲良いんだ」

「もうラブラブよ。あたしは彼女の雇い主じゃないから、変に気を遣わせないようにしてるの。お陰で大の仲良しなんだから。彼女ね、あたしが困ったらいつも意見をくれるのよ」

「へえ」


 初めて聞いた。


「お前、屋敷でのこととか、俺に言わないから」

「言わないでしょ。普通」

「だから、初めて聞いた」


 新鮮だ。


「俺、そう考えたら、意外と知らないや」


 テリーのこと。


「知られたら困るわよ」

「なんで?」

「からかいのネタにされそう」

「しないよ」

「嘘つき」

「よく分かったな。もちろんするよ」

「馬鹿」

「結構」

「大人げない」

「結構」

「くず」

「お前だけだよ。俺にそんな乱暴な言葉使うのは」

「なんで誰も言わないの? 頭おかしいわよ」

「皆お子様のお前と違って、俺の魅力に気付いてるんだよ」

「言ってなさい」

「ねえ、もっと聞きたい」

「何が?」

「テリーのこと」

「あたしのことを話すの?」

「そうだよ」

「あんたならあたしのこと、調べられるでしょう?」

「調べたことと真実は時に違うこともある」

「それでいいじゃない」

「良くないよ」

「どうして?」

「もっとテリーを知りたい」

「知ってるじゃない」

「知らない」

「嘘つき」

「だって、そのメイドの話も、俺は初めて聞いた」


 テリーがどんな生活をしていて、どんな世界を見ていて、どんな気持ちでいるのか、


「俺には分からないことだ」

「それでいいじゃない」

「いい機会だ。もっと距離を近づこう」

「これ以上近づくの?」

「手始めに、テリーのむっつりなところから知りたい」

「どういうことよ」

「教えて」


 お前の考えるシチュエーション。


「まさか」


 さっきのやつだけ?


「そんなわけないだろ?」


 女の子って妄想が大好きだ。


「何が望み? イケメンの王子様?」


 にんまり笑って、


「俺がやってあげるよ」


 テリーの願いを叶えてあげる。


「だから教えて」


 お前のひと時の幻を。


「……馬鹿ね」


 呟いて、目を逸らす。


「人の妄想ほどつまらないものはないのに」

「なんで? 楽しいじゃん」

「眠くなるだけよ」

「聞くだけならタダだ。言うのもタダ」

「笑っちゃうわよ」

「人は日々ロマンスを求める。だから芸術家は素晴らしいと評価されるんだ。ほら、芸術家。早く教えて」


 芸術家は日々ロマンスを求め、妄想する。


「……誰にも言わないでよ」


 キッドの手を取る。


「あのね」


 見上げる。わくわくしたように微笑むキッドと目が合う。


「手を取ってもらうの」


 目の前に、


「王子様が跪いて」


 手を差し出してきて、


「転んでしまったあたしに」


 大丈夫? 立てますか? って言うの。


「あたしは頷いて」


 その手を取る。


「立ち上がって」


 王子様が言う。


「なんて素敵なお人だ」


 僕と踊って頂けませんか。


「プリンセス」






 ――――――虚しくなって、視線を落とした。




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