ロイド・スチュワード四世

北大路 夜明

第1話 ロイド・スチュワード四世

 20XX年。


「ピーマンなんて食べたくない!」


 また始まられた。お嬢様のおたわむれが。このあとに続く台詞や行動をこれまでのデータから予測するのは朝飯前だ。と言っても私は朝食どころか食べ物を口にしない。なぜなら――。


「山田太郎」


「なんでしょうか、お嬢様」


「学校に遅れるわ。ピーマンを処分してちょうだい」


「かしこまりました」


 私はうやうやしく頭を下げ、皿の隅へ追いやられ、寂寥せきりょう感漂うピーマンの細切りを、あらかじめ準備していたフードプロセッサーに掛けた。粉末になったピーマンをお嬢様の今召し上がっているスープへ振り掛ける。もちろん、非難を浴びるのは覚悟の上。お嬢様は色白の肌を熟れたトマトのように真っ赤にされて、「山田太郎!」と力いっぱい叫ばれた。


 反抗期に入られたお嬢様は近頃私をそう呼んでいる。


 私の思考回路プログラムを管理している本社ホストコンピューターに問い合わせたところ、「山田」は日本人に多い名字のひとつで、「太郎」は日本男児につけられる大変男性らしく古風な名前という返答だった。なるほどとても光栄な名だと私は満足している。


「どうしてスープにピーマンを入れるのよ! ご主人様の命令は絶対なのよ」


「私のご主人様はお嬢様のお母様、つまり奥様でございます。私は奥様からお嬢様にはできる限りお野菜のお料理を召し上がっていただくよう言いつけられております。さあ、スープをお召し上がりください」


 お嬢様は私を怨みがましい目で睨まれた。


「スチュワード・ドールのくせに」


 そう。私はスチュワード・ドール、つまり人工知能搭載人型ロボット執事タイプであり、アンドロイドだ。商品名はロイド・スチュワード四世。スチュワード・ドールの第四作目。


 どんな方が私をご覧になっても好感を持っていただけるよう、私の顔はある程度イケメンに設計されているのだが、お嬢様は例外だった。アンドロイド専門店でロイド・スチュワード四世が規則正しく陳列しているさまをご覧になり「キモイ」と仰ったのを、私はしっかり脳内メモリー記憶インプットし、すぐさま、本社ホストコンピューターに「イケメンは量産されすぎるとキモイ」という新しく有益な情報を送信したものだ。


 スープを飲み干したお嬢様は世界の終わりと言わんばかりの表情で下唇をつきだした。ここは一つお褒めの言葉を掛けなければ。人間というものは褒められて成長する生物とデータにある。


「お嬢様は非常に味わい深く、個性的なお顔をしていらっしゃいますね」


「ブスだって言いたいの?」


「何を仰いますか。私、ロイド四世がこのお屋敷に来て、初めていただいたお仕事はお嬢様の靴下を履くお手伝いをすることでした。あの頃と何一つお変わりなく可愛らしい」


「ふん。十年前と変わらないんじゃいつまでもお子さまのままじゃない」


 お嬢様はプイッと顔を逸らされた。どうやら私は言葉の選択を誤ったようだった私たちアンドロイドは人間という生物の心の機微きびうとい。


 本社ホストコンピューターにまた「褒め言葉も選択を誤れば、機嫌を著しく損ねる」という新しい情報を送らなければならない。


 私が反省しているとお嬢様は「今日が何の日か知っている?」と訊ねられた。私は汚名返上と張り切って応える。


「本日は水曜日ですから、お嬢様の学校給食のメニューは、主食はご飯、メインは鳥の竜田揚げ、副菜は海藻サラダ、スープは豆腐とワカメのお味噌汁でございます。さらにデザートは――」


「もういい!」


 お嬢様はテーブルに両手をつき、椅子を跳ね上げ、風を食らうようにリビングを飛び出した。自室へ戻られたかと思うとすぐに玄関へ向かわれた。さすが好物に対する情熱は熱いお嬢様。メインの鳥の竜田揚げが楽しみのあまり、もうご登校されるようだ。


「山田太郎! 忘れ物をしたの。数学の教科書を持ってきて」


「かしこまりました」


 タブレットがあるのに未だに教科書のような紙の媒体が存在している。私たちアンドロイドからすると、一ページ一ページと本を読み進める作業は、時にカタツムリの移動のようにじれったく非効率的に見えるが、私は人間という生物の一見無駄と思えるもどかしく慎ましい習慣が好きだ。プロセスを大切に、一秒一秒に思いを込める。そんな緩やかな時間が愛おしい。


 私はお嬢様の整頓された机の上から数学の教科書を手に取った。すると一枚の紙切れがひらりと落ちた。拾い上げるとそこには目を疑いたくなるような文字が並んでいる。


「○月△日、十年ぶりの新作スチュワード・ドール発売! ロイド・スチュワード五世、前作四世のウィークポイントが改良され、スムーズな意志疎通が可能」


 チラシには本日の日付。


 雷に打たれたような衝撃が全身に走った。


 もしや、お嬢様が近頃、どこかよそよそしいのは私が無能だからではないか。


 私は無能の旧作――。


 そんな言葉が脳内メモリーに焼きつく。


 五世の出現に思考回路プログラムがかき乱され、足が動かない。すっかりもうろくフリーズしてしまっている。これは明らかなバグだ。新作の発売でいずれ四世はアップデートされなくなり、製造が終了され、五世が世間に浸透する。


 私たちアンドロイドがなぜ本社ホストコンピューターに情報を提供するようプログラムされているのか。


 それは私たちから集めた情報が次のアンドロイド開発のために生かされるからだ。


 脆弱ぜいじゃくな部分を時間をかけて改良し、進化させ、より完璧なものにする。それは私が好きな人間という生物のプロセスを大切にする習慣。


「今日が何の日か知ってる?」


 今日はこのお屋敷にロイド・スチュワード五世がやってくる日だ。

 



 ガチャリ。


 おずおずと玄関が開けられた。お嬢様がご帰宅されたのだ。


 お嬢様が下校されるまでの間、私はまさしく上の空で、バルコニーから雲の流れをぼんやり観察することに夢中になるあまり、任された仕事を一切終えていないというスチュワード・ロイドにあるまじき醜態だった。さぞかし呆れられるだろう。いや、すでに呆れられているからこそのロイド・スチュワード五世なのだ。未消化の仕事は後任の彼に任せようと覚悟したが、ご帰宅されたのはお嬢様お一人だけ。


「なによ、その変な顔は」


 お嬢様が毒づかれた。


「あ、あのロイド・スチュワード五世もご一緒では?」


「いるわけないじゃない」


「ですが、お嬢様のお部屋に彼のチラシが」


 そこでお嬢様は何かよからぬことをたくらむようなお顔で、私を見上げられた。


「ははん。さてはあなた捨てられると思ったのね。安心しなさい、チラシなんて古風な広告が珍しくて、街頭で配られていたのを思わず受け取ってしまっただけ。我が家にはロイド・スチュワード四世がいれば充分なのよ。ところで今日が何の日か覚えてる?」


 お嬢様は今朝と同じ質問をされた。私が質問の意図をはかりかね首を傾げると、お嬢様は後ろ手に組んでいた両手を私の鼻先へと突き出された。


「この本、あなたにあげるわ、前に欲しいと言っていたじゃない?」


 確かに目の前にあるのは百七十八日前に私が欲しいと漏らした今では絶版になった料理の本。


「これは一体」


「今日はあなたが我が家に来て十年目の記念日よ。いつも迷惑ばかりかけているから一応お礼のつもり」


 書店の数が減り続けている今日こんにちでは本を手に入れることすら骨が折れるはずなのに。


「本を欲しがるアンドロイドなんて変り者ね。読書なんて面倒くさいだけじゃない」


 執事の教養として必要とされる世界中の書物は記憶ダウンロードしているが、私は人間という生物のもどかしく慎ましいプロセスを大切にする習慣が好きだ。


「ありがとうございます、生涯大切に致します」


 私が恭しくお礼を申し上げると、お嬢様は頬に色を灯された。


 人間という生物はわずかな心の動きで表情が様々な色に変化する。アンドロイドは機械であるから、顔色こそ変わることはないが、もし、自由にパレットから好きな色を選択できるのだとすれば、私は今のお嬢様のように薄紅の花びらを散らしたようなやわらかい色がいい。


「これからもよろしくね、ロイド・スチュワード」


「かしこまりました、お嬢様」


「ついでに言っておくけど、これから料理にはピーマンは入れないでね」


「それは残念ながら、却下でございます」


「ふん、山田太郎のくせに」


 毒づくお嬢様に私は可能な限りのやわらかい薄紅色を想像して微笑んだ。




 ※ロイド・スチュワード五世のご購入をご検討されているお客様へ※


 平素より弊社の製品をご利用くださいまして誠にありがとうございます。

 さて、ロイド・スチュワード五世の発売におかれまして、前作ロイド・スチュワード四世の中には稀に心を持つ個体もございましたが、新作ロイド・スチュワード五世は心を持たないようプログラムを強化しておりますので、安心してご利用いただけます。

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