第5話 紅蓮の魔導士ルヴィ

 俺は小屋に入ると、ミノムシ装備を脱ぎすて、「ふうっ」と、大きく息をついた。とにもかくにも今日も生きて帰ってきたんだ。

「まずはごくろう。首尾はどうじゃな?」

「ま、まあまあです」

「まあまあ?」

 ユーリクの目がギョロッと光る。

「まさか打ち漏らしたりはせんじゃろうのう?」

「うち漏らし? やだなー、漏らしてなんかいませんよ」

「もし一匹でも残っておったら大変なことになるぞ?」

 うん、俺は全部狩った。狩り尽くした。最後に何かがいたような気がするがあれは気のせいだろう。忘れてしまおう。

「それより明日誰かが来るんですよね?」

「ふむ。そのことについて、お前さんに言っておくことがある」

 ユーリクは神妙な面持ちで言った。

「万が一にも、そそうがあってはならんからな」

「そんな偉い人なんですか?」

 ユーリクは頷いて、

「聞いて驚くなよ。なんと! ボルゴダ帝国の国定魔導士にして17ヶ国同盟防衛研究所の副所長でもあられる魔導士様じゃ」

「ふーん」

「なんじゃ、反応が薄いのう」

「ほら俺、異世界人ですし。ちょっと情報量が多すぎて。そもそもボルゴダ帝国が分かりませんもん」

「仕方ないのう。ボルゴダ帝国は東の大陸にある文明の進んだ大国じゃ。魔道の研究では世界一、科学も発達しておる」

「なるほど、その国のお偉いさんなんですね? それで17ヶ国同盟ってのは?」

「ボルゴダを中心とした世界の平和と安定を目的とした国際同盟じゃ」

 俺の知識の中で推測するに、国連みたいなものだろうな。

「防衛研究所というのはその17ヶ国同盟が、魔王軍と戦う為に設立した機関じゃ」

(魔王!)

 ついにこの言葉が出てきたか。俺が勇者になるにはこいつを倒せばいいわけだ。今の俺はスライムつついているだけだが、これから強くなるはずだし、覚醒して特殊な能力が身についたりするかも知れないし……多分。

「防衛研究所の副所長ともなれば、魔王軍と戦う最前線にある人間じゃ。強力な魔導士じゃぞ。二つ名を紅蓮の魔導士」

 紅蓮の魔導士……火だな。火属性に違いない。相当強そうなカッコいい二つ名だ。

「なるほど分かりました。それはたしかに偉い人ですね」

「ようやく分かったか」

「そんなお偉い人がなんでこんな寂れた田舎に来るんですか?」

「明日、その方が魔道を用いてこの森を消滅させる」

「この森を消滅~っ?」

「お前さんにスライムを掃除してもらったのは、実はその下準備というわけじゃ」

 おいおい、序盤に出会うべき魔法ってのは、小さな炎で敵を焼くとか、冷たい風を吹かせて凍らせるとか、或いは、昨日ジジイがやったように傷を回復するとか、そういう可愛らしくも便利なやつだろ? 森を丸ごと消滅させるなんぞ、すでに究極魔法じゃないか! その下準備とは知らないうちにとんでもないことに加担させられていたようだ。 

「そういうわけじゃから、くれぐれも失礼のないようにな。もっともお前さんとは言葉は通じんが」

「はいはい、分りました。明日はせいぜい邪魔にならないように気をつけますよ」


     ◆


 ボルゴダ帝国の国定魔導士にして防衛研究所の副所長、ルヴィ様は今まさに俺の前に立っている。そして俺には分からない言葉でユーリクと話している。

「めちゃくちゃ綺麗な人だな」

 ルヴィ様は年若い女性だった。燃えるような紅い髪を一つに束ね、少し太めの眉の下には切れ長の瞳。引き締まった唇と輪郭の美しい顎。いかにも意志が強そうでありながら、品の良い眼鏡が知的さをも醸し出している。ともすれば冷たい印象になりそうなのを、少しのそばかすというアクセントがバランスをとり、雰囲気を和らげている。ある意味これは黄金比だ。背は俺と同じくらいだから、170センチメートル前後だろう。皮の上着に紅の胸当て、赤錆色のマントというカッコイイいで立ちをしていらっしゃる。

 年齢は20代だと思われるが、威厳があるというか落ち着いていらっしゃるので前半なのか後半なのかは分からない。

(ちょっと近寄りがたいな)

 そう思わないでもないが、俺にとって母ちゃん以外の女性は全て近寄りがたいわけで、特に不都合があるわけではない。

「は、初めまして、ゲンゴです」 

 ほどなく俺は、ルヴィ様の前に引き出され、ユーリクを通訳に自己紹介をさせられた。彼女の俺を見る目は事務的でいかなる感情も読み取ることは出来ない。

 彼女がおもむろに眼鏡を外した。そして俺の方に俺に近づいてくる。近づいてくる。更に近づいてくる。いやいや、近いって!

 今や彼女の顔と俺の顔は息がかかるほどの距離だ。彼女の指先が俺の頬に触れた。

「な、何をするんですかっ?」

と、聞くのは野暮だ。ここは流れに身を任せるのみ。彼女の指先はしっとりとして、心地よい。額にコツンとした感触。どうやら彼女の額が触れたらしい。

「無礼をする」

「え?」

 彼女の柔らかく確かな声が俺の脳裏に響いた。どういう具合か、彼女の言葉が理解できる。

(そうか!)

 あれだ、言葉が通じなくても、意志を交換することが出来るっていうテレパシー的なやつだ。これも術理とか、魔道とかいうものなのだろう。

「ゲンゴ、と言ったな。いくつか質問させてもらう」

 はいはい、いくらでも答えますよ、俺に分かることなら。

「お前はショウヘイという男を知っているか? 」

「い、いえ、聞いたこともない名前です」

(いや、どこかで聞いたような……)

「そうか。ユーリクが言うには、お前は彼と同じ世界の、同じ国からやってきたということだが?」

 確かに、昌平だか、翔平か分からないが日本人の名前には聞こえる。それにユーリクが日本語を使えるのに関係があるのかも知れない。

「そうですね、名前を聞く限りはそう思います。そのショウヘイという人はいったい何者なんですか?」

「10年ほど前に、この地に突然降り立ち、戦争を終わらせた男だ」

「つまり勇者ってことですか?」

「勇者? まあ、そういうことになるかな。この島で何百年も続いてきた戦争を終わらせ、人々を救ったのだから」

「魔王と闘って世界を救った……ということではないのですか?」

「戦争を終わらせた後、彼はそうしようとした。七賢者の全員に会うことに成功し、国々の力を結集させ、まさに魔王に戦いを挑もうとした矢先、彼は突然消えたのだ」

(ちょ、ちょっと待て。さらに話がややこしくなってきたぞ)

 果たして俺の頭で理解できるのか。

「七賢者とは、なんですか?」

「この世界の調定者であり、偉大なる魔導師達だ。深淵なる知識をもって、数多の術理公式を解き明かし、絶大な魔力を持っている」

「もしかして、あなたもその一人なんですか?」

「ふふふ。残念なら違う。彼らはめったなことでは人前に姿を現さないし、素性も明かさない。私はボルゴダの魔道術理高等学校というところで、魔道と術理を学んだに過ぎない。もっとも今現在は七賢者の一人、火を司る熾盛(しじょう)のハーンに師事しているが」

「魔道術理高等学校? 熾盛のハーン?」

「ははは、いっぺんに理解するのは難しいだろう。長くなった。また後で話を聞かせてもらおう」

 ルヴィ様はぴったりとくっつけていた額を離した。彼女の声に包まれる幸福な感覚は無常にも消え去り、目を開けると、俺は相変わらず薄汚い小屋にいた。夢から覚めるとはまさにこのことだ。額にうっすらと残る熱だけが、彼女との邂逅のあかしだった。

(惚れた)

 美人とおでこをこっつんこなんて童貞を殺すに余り余ってさらに余る。俺はルヴィ様に惚れた。

「ゲンゴ、時間じゃ。準備を始めるから外に出ろ」

 ユーリクが俺を急かす。

「何を始めるんです?」

「バカもん、昨日説明したじゃろう? この森を消滅させるんじゃよ」

「そ、そうでしたっ!」

「別にこの小屋に残ってもいいが、お前さん……」

 ユーリクは意地悪く笑った。

「森と一緒に消えるぞ?」

「出ます、出ます! 今、外に出ます!」

 それから数分後、俺たちは森の真ん中あたりの少し開けた場所にいた。ユーリクとルヴィ様はあちこち歩いて、地面を覗き込みながら熱心に話している。もちろん俺には話の内容はさっぱり分からない。ユーリクが皮袋をルヴィ様に渡すと、彼女は一つ頷き、開けた場所の中央に立った。

「いよいよじゃ。面白いものが見られるぞ!」

 ユーリクは少し高揚しているようだ。言われなくても一つの森を消滅させるというスペクタクルを見逃すつもりはない。俺は目を皿のようにして、ルヴィ様を見つめた。

(わくわく。これからすごい魔法が見られるんだ)

 彼女は皮袋の紐を解くと、小さく傾けた。青白く光る粉がサラサラと地面に零れ落ちる。

「あれは何ですか?」

「ヒカリシダの種子を乾燥させ、粉にしたものじゃ」

 ルヴィ様は、その粉で地面に何かを描いているようだ。

「文字?」

 実際、ここは異世界だが人間の営みや文化というのはそう変わらない。古代エジプトの象形文字がそうであるように、たとえ初めて見たものだとしても、それが文字だというくらいは分かる。それに加えて数字らしきものや記号などが羅列されているところを見ると、数式なども組み合わさっているようだ。

「あれは文字ですよね? 地面に文字を書いてどうするんです?」

「……」

 はいはい、教えてくれる気はないんですよね。

「……術理公式じゃ。彼女は術理公式を描いておる」

「ジュツリコウシキ?」

「うむ、これには少し時間がかかるぞ。彼女も初めて使う術理公式だから空中固定は難しい。そもそも術理公式とは―」

 意外にもユーリクが俺に説明をしてくれるらしい。ジジイの気まぐれなのか、手持無沙汰なのか、どちらにしろ俺にはありがたい話だ。

「術理公式とは、元素やその組成を表した分子式、運動の原理を表した物理公式などを組み合わせたものじゃ。全ての魔導はこの術理公式から導き出される現象なのじゃ」

「化学や物理の計算式みたいなものか」

「ふむ。お前さんの世界でも同じようなものじゃろう。計算式を用いて様々なものを生み出すのは」

 言われてみればそうだな。高層ビルを作るにも設計図が必要だし、素材の強度や重量の負荷などを計算しなければならない。兵器だってそうだ。化学反応を利用して爆発させるんだから、化学式は必須だろう。物理学、生物科学、航空力学、天文学、みんなみんな、計算式によって成り立っている。 

 そう考えると、高度な文明っていうのは全て計算式によって成り立っているようにも思える。

「この世界では、『式』そのものに力が宿っておるのじゃ。じゃが、『式』の存在だけでは何も起こらん。絵に描いた餅と同じじゃ。そこから力を引き出してやるものが必要じゃ」

「それが魔導士ですね?」

「うむ。術理公式を深く理解し、その力をあますことなく引き出すには、膨大な知識と、精神力、体力を必要とするのじゃ」

  どうやらこの世界の「魔道」とは、呪文を唱えると精神力を消費して魔法が発動する、といった単純なものじゃないらしい。学識と体力と精神力が必要なのだ。

(なるほどね。これは地道な努力が必要だ)

 つまりだ、魔導士になるには、一所懸命勉強し、体を鍛え、心を強くすることが必要なわけで……あれ? これって、健康に楽しく人生を過ごすためには、普通に必要な話じゃないか?

(面倒臭い……!)

 俺は、勉強は嫌いだし、スポーツは苦手だし、メンタルは玉子豆腐以下だ。どうやらこの世界でも、いろんなものをすっとばして覚醒し、絶大な力を得るとかそういう都合のいい話はなさそうだ。

 いやいやそういうものから逃げてきたから今の俺があるわけであって、そしてなんだか攻略不可能そうな異世界に飛ばされている。いずれ真正面から取り組まなければならないときが来るかも知れない。

「ところでユーリク、何故、あなたは日本語や俺の世界のことを知ってるんですか?」

「ショウヘイという男から学んだ」

 ルヴィ様が俺に尋ねた人の名前だ。

「あやつは10年ほど前、突如この地に現れた」

 ユーリクは遠い目をしたが、ジジイにしては珍しく感傷的な仕草だ。

「仕方ない。この世界のことを少し話してやるかの」

 俺が元いた世界から剥がれ落ちたところ、それはコオローン自治区という、存在があいまいな国だ。ここまではユーリクから聞いた。

「このコオローン自治区は、ジワ島という島の中央に位置しておる。西にヤツギ王国、東にダゾン王国という二つの国に挟まれる形でな」

 ところが、このヤツギとダゾンの仲が悪い。過去、数百年ににわたって戦争を続けている。もっとも本格的な全面戦争に発展するのはまれで、だらだらと紛争を続けているといった具合だ。

「その紛争地域が、この不幸なコオローンなのじゃ。田畑は荒廃し、絶望のみが支配する土地じゃった」

「迷惑な話ですね。でも、それならこんなところ出て行って、よそで暮らせばいいのに」

「ばかもん!」

 俺はごく素朴な意見を言ったつもりだったが、これはユーリクの怒りを買った。

「お前には分からんのか? 人間というものはな、そう簡単に生まれ育った土地を捨てることは出来んのじゃ」

 そういや俺は元いた世界にさほど未練はないな。もしかするとそういう愛着や、執着はあっちに残った俺の本体(本体と言って適当なのか分からないが)が全部持って行ったのかもしれない。

「どうした、ゲンゴ? 難しいかの?」

「い、いえ。それで、ヤツギとダゾンはどうして戦争を続けるんですか?」

「根が深いのじゃ」

 このジワ島は大海のど真ん中にあり、東西にはそれぞれ大陸がある。

「西の大陸にはアデルセン共和国、東の大陸には、―ここにはボルゴダ帝国もあるのじゃが―、ガナハ王国という大国があっての、この両国が糸を引いておる」

「えーっと……」

「まだ分からんのか。ヤツギの裏にはアデルセン、ダゾンの裏にはガナハがおるんじゃ。それぞれこのジワ島を我がものにせんと野望を抱いておる」

 この両大国がジワ島に領土的野心を抱いているというのは、この世界の誰もが知っていることらしい。

「なんでそんな大きな国が、この島を欲しがるんですか?」

「このジワ島は航海上の要衝なのじゃ。近海を世界各国の商船や軍艦が航行しておる、分かるじゃろ?」

「な、なんとなく」

 おいおい、複雑すぎるぞ。魔王を倒せば世界が平和になるとか、そんな簡単な世界ではないみたいだ。

 ―簡単? 

 いやいやいや、魔王を倒すのだって至難の業だろう。

「ショウヘイは、そこに楔(クサビ)を打ち込んだのじゃ」 

「おお! ようやく勇者の登場というわけですね」

「そうじゃな……、あの男はまさに勇者じゃった」

 ショウヘイの話になると、ユーリクは妙にしんみりする。二人の間には、なんらかのつながりがあったことが伺われる。

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