第196話 滑り落ちる魔人たち

「ユウさん、なんか私すっごい不安なのですけど」

「ユウコもそうか。気が合うな。俺もだよ」


 足下はぬかるんでいる。道は下り坂。そしてその傾斜は徐々に急になる。そして狭くなるばかりの通路。その結果がもたらすものはなんだろうか。


「今さら引き返すことはできそうにないな」

「このヌルヌルな足下で登るなんて、いままでの何倍も苦労しそうです。それならこのまま降りていったほうがマシです。でもこの先になにがあるのでしょう?」


「ハルミが降りていったのなら、どこかには着くだろう」

「ハルミさん、ほんとにここを降りたのでしょうか」

「それは考えちゃいけない。しかし壁を手でつかんでおかないと、今にも転んでしまいそうなぐらい傾斜がきつくなってきたな」


「だ、ダメですよ、絶対。いま転んだらあっという間にハルミさんですよ」

「お前もハルミが落ちたのを確信しているじゃないか」


 最初はぬかるんでいただけだった道は、だんだんと水流を感じるようになってきた。それにつれて傾斜もさらにきつくなる。


 道が「押すぞー押すぞー」と言っているようなものだ。この時点で、俺はもう諦めていた。

 むしろ落ちた方が早い。今度はミノウがついている。落下速度を緩めるぐらいのことはしてくれるだろう。そしてとうとう、その道が終わるときがきた。


「あ、あの。ユウさん。前方に灯が見えました!」

「そうか。そこまで行けそうか?」

「なんとかなると思います。がんばりましょう」

「俺、もう手が疲れてきたんだけど」


 落ちないように壁に両手を当てて、その摩擦係数で落下から我が身を守っている状態だ。その両手から力が抜けたら。


「ちょっと、ダメですよ、こんなところで」

「うん、だけど、そろそろ限界のようだ」

「落ちるならひとりで落ちてくださいよ!」


「ちょっおま。俺のボディガードとしての矜持はないのか! 俺を支えるぐらいのことは普通するだろ」

「そ、そんなこと言われても無理ですよ。私だって、私だって、もう限界が近いんですから」

「自分を犠牲にしても俺を助けるのがボディガードの仕事だ」

「だってしょせんはエルフの心意気ですよ?」


「なんの話だ! そんな心意気捨ててしまえっ!!」

「あ、あぁ、もうちょっとです。もうちょっとで先端につきます。それまでがんばって。私に迷惑をかけないで」


「もう、いっそユウコを道連れにして落ちてやりたい」

「止めくださいってば。この体勢では、避けようがないんですから」

「俺が落ちても受け止めるだけの覚悟をしておけよ」


「時間の問題という気がするのだヨ」

「ミノウと気が合うのは珍しいな。もう腕がぷるぷるしてる」

「私なんかお肌がぷるぷるよ?」


「やかましいよ。ここでなんの自慢だよ」

「あ、なんか先端部分に着きました!」

「そうか、良かった。それで、どうなってる?」

「よく見えません。だけど向う側は雪が積もっているようで真っ白です。洞窟の外に出ちゃったのではないでしょうか。もうちょっと前に出てみます」


 なんと、俺たちは外への出口を見つけてしまったようだ。ユウコは身体を伸ばして外をのぞき込む。


「下はそこそこの斜面です。でも、雪があるからずるずるって落ちて行けそうな気が」


 と、そこまでユウコが言ったときであった。


 俺たちは落ちなかった。押すなよ、押すなよ! というフラグにも負けず欲望にも負けず、がんばったのだ。


 だが、そんな努力を嘲笑うような行動をするやつがいた。


 落ちてきたのだ。ハルミが。下をのぞき込んでいたユウコの上に。


「「もげっ!!!」」


 というふたつの悲鳴を発して、その衝突事件は起こった。


 後ろにいた俺から見ると、悪魔に体当たりをくらったユウコが、そいつと一緒に下に滑り落ちていったようにしか見えなかった。ユウコはほとんどヘッドスライディングの体勢であった。


 そのときユウコが手に持っていたミノウ(と小枝は)は、ぶつかった衝撃で投げ飛ばされ、雪に刺さっていた。


「きゅぅきゅぅきゅぅぅぅぅ」


 自分でなんとかしやがれ。


 落ちてきたのが悪魔ではなく斬鉄魔人・ハルミであることに気がついたのは、もう少し後のことであった。


 俺はユウコがどうなったのかを知ろうとして、どこかの阿佐ヶ谷姉妹のように望遠鏡をのぞき込んだ、きゃーー。


 ……肉眼で下をのぞき込んだのだ。だが、もともと乳酸が許容値を超えて溜まっていた俺の手足は、自分の身体を支えるだけの力は残っていなかった。


 その結果。その斜面を、ユウコを追うようにヘッドスライディングで滑り落ちていくことになったのである。ずざさささささぁぁ。


 痛い痛い冷た痛い冷たっ。雪が顔に当たって痛い痛いぺぺぺぺぺ、口の中に入りやがった。まずくはないけどうまくもない、ただの冷たい雪がそこはかとなく俺の口に入ってくるぺぺぺぺ。あぁ、首の中にまで入ってきた。冷た寒い痛い寒い冷たもういい加減にしやがれ!!


 幸い斜面はそれほど長くはなく、俺の落下速度は徐々に弱まり、やがて、ひつとの物体に当たって止まった。


「ごっちん。痛いっ!! ああぁ、ユウじゃないか、痛いではないか」

「がっつん! 痛い痛い痛。ハルミかよ! なんでわざわざカチカチのお前なんだよ。せめてユウコに当てさせろ!」


「えぇ? 私はここですよー。ハルミさんの下敷きでーす」

「なんでユウコが上にいないんだ。お前ならもうちょっとソフトランディングできたのに!!」


「固くて悪かったな! どうせ私は鉄の女だよ。だけど、なんでユウがここにいるんだ?」

「お前がまた行方不明になったというから、探しに来たんだよ」

「え? 私が行方不明? どうして?」


「急にいなくなれば、行方不明だろうが!」

「私はここにいるだろうが!!」

「なんでこんなとこにいるんだよ!!!」

「落ちたからに決まってるだろう!!!!」

「お前は何回落ちれば気が済むんだよ!!!!!」

「好きで落ちたわけじゃないだろ!!!!!!」


「ちょっとちょっと、ふたりとも。!をどんどん増やすのは止めてください。それと夫婦げんかも止めて」


「「誰が夫婦だ!!」」 ばこっ、ぼすっ!


「痛いぃぃぃ。どうしてふたりしてぶつんですかぁ涙目」

「いや、ちょっと勢いで。す、すまんかった」

「俺の秘書なら、そのぐらい我慢しろ」


「ユウさん、酷いですぐす」

「それより、なんでハルミはこんなとこを落ちて……あぁぁ。いま気づいたが、また俺の腕があらぬ方に曲がっているわぁぁぁぁ。俺は痛みのあまりまた気絶するからな、あとはよろしく頼むぞ、くてっ」


「ちょ、ちょっと!! ユウさん! 所長! 気を失ってる場合じゃないですよ!!」

「おいおい! 勝手なことを言い放って自分だけ気絶するな、ユウ! おいっ」


「きゅぅぅ?」

「「ミ、ミノウ様?!」」

「我も助けてほしいのだヨ」

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