第148話 洞窟の奥
「あっちに、なにかいるような気がするんですが」
「ユウコ。あっちって、あの真っ暗な奥のほうのこと?」
「うん、モナカ。私、あの奥でなにかの気配を感じるの」
とユウコが指さしたほうを見てシャインが言った。
「あちらは行き止まりですよ? でも、エルフは脅威に関してはとても敏感と聞いています。私たちには分からないなにかを感じておられるのでしょうか」
脅威ってなんだよ、怖ぇよ。
「面白そうなノだ。行ってみるノだ」
「お前は気楽か。こんなところ早く出よう」
「でも所長。なにかいるのなら、ここを倉庫にするのは危険ということになります。他の場所を探しますか?」
「そ、それは困ります。せっかく借り手が見つかったのに。すぐに調査に行きましょう。そんな危険なものいるはずがありません。昔は軍が使っていたぐらいなのですから」
じゃ、シャインとモナカで行ってこい、という俺の案は却下された。せめて俺だけを置いて行け、という意見も却下された。全員で行くことになった。俺は最初の部屋で待っていたかったのに。
「お主が行かなくてどうするノだ。ここでは一番の責任者であろう」
「へいへい」
なんで俺が責任者になってんですかね? カイゼンだけやっていたいのに、もう。怖いの嫌い。
「それが本音なノか!?」
「俺は本音以外のこと言ったことないだろ」
「そういえば、そうだったノだ」
俺は真っ先に一番後ろからついて行こうとしたのだが。
「真っ先に、という言葉がおかしい気がするノだ」
「ユウさんは私と行きましょうね」
と言ってユウコが俺の右腕をむぎゅっと抱きかかえるようにして歩き出した。肘がちょっと幸せエリアでぷにぷにした。
「よし、そうしよう」
「たまには本音以外のことも言って良いノだぞ?」
え? どういうこと? という顔をしたのはスクナだった。お前はあと10年ぐらいしたら参加していいぞ。と思っていたら、左腕にスクナが飛びついた。お前はほんの10年が待てないのかよ。
「おわっ。こらスクナ。腕にぶら下がるな!! 重い、重いっての」
「私と行こうよ?」
分かったから。一緒に行くから。ぶら下がるのだけは止めろ! 俺の貧弱な腕がちぎれるだろうが。
ふたりの女性? に腕をつかまれて歩く俺の姿。けっして幸せなハーレムの主などではない。
護送される囚人だ。
一番後ろからこっそりついて行く予定だったのに、先頭に立たされてしまった。シャインはそこでニヤニヤ笑ってんじゃねぇよ。
そうやってユウコがなにかを感じたほうへ、そろりそろりと歩いて行く。
オウミの点灯魔法で灯をつけながら進むと、壁がだんだん狭くなってきた。やがてそれは1本の通路となった。しかし、これ。自然にできたものにしてはキレイ過ぎるような気がする。そして10分ほどで壁にぶつかった。
「壁だな」
「壁ですね」
「壁、かしら?」
いや、どう見たって壁だろうが。なにかいるなんてのは、臆病なユウコの勘違いだ。大丈夫だ、帰ろ帰ろぐぇ。
「ちょっと待って。ユウさん」
「いきなり襟首を引っ張るな! 胴体と首が離れたらどうすんだ」
「足下の岩って、なんかヘンじゃないですか?」
そう言われてしゃがんで、恐る恐る触ってみる。
「別にヘンなことはないと思うが」
泥岩のようにボロボロ崩れる様子はない。かなり硬い岩石だ。
はっきりとは言えないが、おそらくはチャートだろう。放散虫などの大昔の微生物が堆積してできた岩石だ。遙か昔、ここは海の底だったのだ。
「ずいぶんと詳しいノだ?」
「ブラタモリをずっと見てたからな」
しかし壁は白っぽい結晶――石英か長石か――が多く混じっている。おそらく火成岩であろう。溶岩が比較的早い速度で冷やされてできた岩だ。
この洞窟は水の浸食ではなく、火山噴火でできた溶岩洞と呼ばれるものだろう。
溶岩流が冷えてゆく途中で、表面だけが固まったときに内部に溜まったガスが一気に吹き出してできる洞窟だ。
その溶岩の粘度がちょうど良いぐらい(柔らか過ぎず硬すぎず)であったために、高圧ガスを放出したあとにも溶岩は流れて細かい穴は塞いだが、大きな穴だけは残った。それがこの洞窟である。
だからここは水の浸食を受けることがなく、湿度が低く保たれているのだ。
これが一般的な鍾乳洞だったら飽和しそうなほどの高湿度になるはずだ。
「いえ、やっぱりヘンですよ。ここになにかいるような気がしてしかたないのです」
人跡未踏の洞窟の奥になにかいる?
怖っ。
「人がいるはずはありませんが、魔物ならあり得ますね」
「でもモナカ。入り口には鍵がかかっていただろ?」
「いえ、この洞窟で沸いたのかもしれません」
「魔物ってのは突然涌くものなのか」
「魔物の遺伝子はもともと実体がありませんから、なにかのきっかけがあると突然発生するのです」
「どんなきっかけで?」
「例えば、雷が鳴るとか」
「なのです! ノだ」
「それはもういいから止めろ」
「あ、そういえばユウコもそうやって生まれたんだっけ」
「私にはちゃんとご先祖様がありますよ!」
魔人に分類されるエルフは無性生殖である。親と全く同じ遺伝子を持って卵から生まれるのだ。
だからエルフの村人はすべてがよく似た遺伝子を持っている。もちろん、すべてのエルフが同じではない。いつくかの系統があるのだ。遺伝子の系統がいくつあるのかは分からないが、それでも親戚と呼べるほどの違いはない。人間なら2親等ぐらいにしか相当しない多様性のなさである。
だから社会や環境の変動にはとても弱いのだ。経済を発達させた人間社会に適応できずに、生息域をどんどん奪われているのも、そのためと言えなくもない。
エルフがトウホグやホッカイにしか住めなくなっているのも、長命であるエルフの人口が増えないのも、同じ理由である。
長命種でありながら、長命を保つものが少ないのだ。餓死する子供さえいるような種族。それがエルフだ。
ただ、ユウコの住むエルフの里では、ミノウが発電所を作ることによって餓死者は出なくなったという。その程度には社会の流れに乗れたのだろう。しかし、もともとのんきな性質が災いして、豊かな里になっているとはいえない。
そんなエルフ代表のユウコが、ここになにかがいるという。それが確かならば、この火成岩の壁の向こう側ということになる。そんなところに人がいるはずはない。
だがなんでもありの魔物ならあり得る話だ。
「よし。相手が魔物なら退治するのは冒険者の役割だ。俺たちの出番じゃない。じゃ、帰ろぐぇっ」
「もうちょっと、このヘンを触ってみてください」
「だから、襟首を引っ張るな……あれ? これか。なにか彫ってあるような? ちょっとオウミ、ここだけ強めに照らすことはできるか?」
「ほいっとな ノだ」
「こ、これはニホン語だ。ぜんぶひらがなのようだ。暗号かな?」
「なんて書いてあるの?」
「ちょっと待て。彫りが浅くて分かりにくい。モナカ、俺が指で触って1文字ずつ読むからメモしてくれないか。暗号になっていると思う」
「はい、用意しました。どうぞ」
「左上から行くぞ。最初は『ず』だ。次が『ら』。次は『か』かな?」
そうやって2段になっている文字を全部並べると。
『ずらかべるけあらびとのこ』
『すろこらたけあ』
「……誰だよ、暗号とか言ったやつ?」
「「「「お前だーーー!」」」」
ってツッコまれた。なんのこたない。右から書いただけじゃねぇか! 縦書き文化が中途半端に残った結果だ。ぜかましと同じだ。
「!すでのな ノだ」
もうそれもいいから。
「じゃあ、やることはひとつしかないな」
「え? どうするんですか?」
「オウミ、ニホン刀は持ってるな?」
「むほほほほ。まかせるノだ。こんなときのためにこの刀はあるノだ」
「ちょっとちょっと。ユウさんもオウミ様も、あの刀でどうするつもりですか。それってなんでも切れるやつですよね。そんなことしちゃダメですよ。開けるなって書いてあるでしょ!」
「そ、そうだよ。ユウさん。私の婿になる人がこんなとこで死んじゃダメ!!」
その一瞬、空気がピンと張りつめた。
「え? この子なにを言っているの?」
「なによ? ユウコはもうユウさんの愛人にでもなったつもりなの?」
「あんたと違って私はもうなんどもおっぱい揉まれているのよ!」
「わた、わた、私なんか、私なんか、えっと。ユウさんと同じ人間よ? 同じ人種なのよ。あんたなんかエルフでしょ」
どういう自慢合戦? 俺を間に挟んでややこしいこと止めて。それと、俺は死ぬつもりはないから。
「そ、そんなの、関係ないでしょ。愛は種族を越えるのよ!」
「それに、もう私は婚約だってしてるんだからね」
してないしてない。シャインもそこでうんうんと頷かない。誤解されるだろうが。
「もういいから。オウミ。サクッとやっちまえ。俺が許す!」
「おう! ノだ。さくっさくっさくっ」
「あぁぁぁぁ。開けちゃダメって書いてあるのにぃぃぃぃ」
お前は律儀か! いや、こんな外し忘れた貼り紙のような落書きに、素直に従うようなやつはいな……エルフは従うかもしれないけど!
「ユウさん、死んじゃダメぇぇ。開けたら殺すって書いてあるじゃない!!!」
お前も素直か! エルフの血が1/4ぐらい混じってんのか。
「だが心配するな。俺はこの扉を開けるつもりはない」
「ノだ」
「「え? それってどういう?」」
「開けてダメなら、切ってしまえばいいだろ。中に入るなとは書いてない」
「そうくると思ったノだ」
そしてオウミが切り刻んだその扉の向こうは。
「続く、ノだな」
「お前も、分かってきたな」
「長い付き合いなノだ」
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