第78話 短い?!

「ミヨシ、その包丁を貸してよ。それよく切れるんでしょ」


 さすがのミヨシも少し警戒の色を出し、専用の鞘に収まっているオウミヨシを抱きかかえる。


「これはダメよ。私の専用だから」

「えぇ、いいじゃないの、たかが包丁を専用って」

「ダーメ。ウエモンにはこっちにあるダマク・ラカスを貸してあげるわ。これを使いなさい」

「えぇぇ、やだ、そんなキモい模様の包丁なんか。その黒いのがいい」


 とそこまで言ったときだった。バシッ!! という爽やかな音を立てて、一陣の風のような平手打ちがウエモンの頬を直撃した。横で見ていた俺がビビるほどの快音であった。


「ここはわがままの通る孤児院じゃないの。職場なのよ。あなたのわがままに付き合う理由は誰にもないのよ」


 えっと。さっきは俺に大人げないとか言っていたようでしたが。


 突然のことに呆然として、頬を抑えたままでなにも答えられないウエモンにミヨシは続ける。


「自分のやりたいことと、やらなければならないことは違うの。自分勝手は許されないのよ。ここはみんなで分担してお仕事をする場なの。分かった?」


 自分の包丁がかかっていると、言うことが違いますな。てかそれ、論点がズレズレですけど。


「ううぅぅ。わぁぁぁぁぁぁぁん」


 泣き出したウエモンをミヨシがぎゅっと抱きしめる。ハグ効果である。怒って慰めて殴って抱きしめてという、まるで危ない宗教法人のような所業である。


 これでミヨシはウエモンに対してマウントをとったことになる。いやはやたいした女である。立派な調教師になることであろう。俺もフォローしておこうかな?


「お前がキモいと言ったダマク・ラカス包丁はな、1本7万もする超高級品なんだぞ。黙って使ってみろ。その切れ味にビックリするぞ」


「な、なな、7万円?! そんなの包丁の値段じゃない。ほんとなのミヨシ?」


 模様はキモいと言ったくせに、値段には食いつきやがった。


 ウエモンはミヨシを見上げる。いつもそういう表情をしていれば可愛いのにな。

 だけどなんでミヨシに確認するんだよ。俺の言うことが信用できないのか、こんちくしお。


「その通りよ。うちの技術でしか作れない特別な包丁なの。これだってものすごくよく切れるから、安心して使いなさい」

「う、うん。そうね。分かった。ありがとう」


 ミヨシにお礼を言った?! 俺には?


 よく切れる包丁なんかを子供に持たせて危険じゃないのか、という人がいる。アホじゃないかと思う。切れない包丁こそ危険なのだ。


 切れなければ必要以上に力を入れてしまう。そしてその力が、ほんの少しだけ横滑りに向かったときに事故は起こるのだ。


 包丁は常によく切れる状態にしておかなければならないのだ。豆知識な。


「その通り。私みたいに毎晩抱いて寝るぐらいでちょうどいいのよ」


 それはやりすぎです。死人がでそうなので止めてください。


「ちなみに、その包丁を作ったのはヤッサンっていううちの職人さんなのよ」

「あぁ聞いたことがある。あの有名な一級さんよね?」


 とんちの坊さんみたいに言うな。ヤッサンって有名なのか。


「その一級刀工技術者のヤッサンが、ものすごい手間暇をかけて1本1本作った包丁なのよ。だから高いの」

「そうなのかぁ。よく見ると気品が感じられるね。なんか好きになってきた」


 さっきはキモいとか言ってましたけど。


「あなたが来るというので、特別に用意してもらった1本なのよ」


 開発品でいろいろな評価や試験に使ったので、販売するのがためらわれていた1本ですよね?


「そうかぁ。あとでヤッサンにも会わせてね。お礼を言わなきゃ」

「ちなみに、その包丁を開発したのは俺だからな」

「ふぅん」


 なにその気のない反応! 俺もひっぱたかないといけないのか。頭をごっつんしてもダメなのか。開発することがどれほど難しいことか、このあと3時間くらいかけてこんこんと。


「ユウ!! できたぞ!! できたんだ! 私のニホン刀がっ!!!」


 あー、はいはい。そろそろだとは思ってたけど、自分で取りに行ったのね。どんだけ待ち遠しかったんだよ。


「おぉそうか。どんな感じなのか見せてくれよ」


 話を合わせて見せろと言うと、にまにま顔が止まらないハルミ。すでに専用の鞘もできているようだ。


 待ってましたとばかりに、ハルミは意気揚々と刀を鞘から引き抜いて皆に見せた。ジャッキーン。


 ……はい?


「な、かなかいい刀じゃないの、ハるみ姉さん」


 ミヨシ、名前が微妙にひらがなってる。


「そう、そうだな、これは、その、なんていうか素晴らしい? かたかたかなではないか」


 お前はひらがなってるのか、カタカナってるのかどっちだ、ソウ。


「おおう、よい、良いものができたじゃないかははは」


 じじい、髭がひきつってるぞ。


 幾分ひきつりながらではあるが、絶賛の嵐である。だがそこに、ただひとり空気を読まないやつがいた。


「ちっさ」


 ウエモンである。それを言ったらダメだろがぁぁぁ、と誰もが心でツッコんだ。


 だが、ウエモンは誰よりも正直に言ったにすぎない。こんな子供に腹芸を見せろと言っても無理な話ではある。


 そのぐらいこのニホン刀にはインパクトがあったのだ。鞘は充分な長さがあるのに、中身はほぼ短刀だったからだ。


 売りさばいたニホン刀の長さはだいたい1mであった。鞘もそれが収められるサイズだ。


 それがこれは30cm程度しかない。これでは短剣である。ニホン刀的に言うなら脇差しというべきだが、それにしても短い。ほとんど刺身包丁である。


 これでは剣技を見せるなんてできそうにもないが、マグロの解体ショーには向くかもしれない。……来年はハルミにそれをやらせるか? あ、ちょっと良いかもしれないって思えてきた。


 色はきらめくような普通の銀色である。オウミヨシのように黒くなっていない。なにもかもがあのときと違う。とすれば犯人はこいつら以外にはいない。


「ちょっと、ミノウとオウミ、こっち来い」

「な、な、なん、なんなのだヨ。わ、我のせいではない。こいつが余計なことをしたからだヨ」

「なにを言っているノだ。お主が呪文を間違えたノがそもそもの」


 あぁ、もう分かった。その辺のいきさつは読者も飽きてるのでサラッと行くぞ。つまりは、


「失敗したってことだな!?」


 しおれたふたりがハイと言いかけたところを、ハルミが制止した。


「失敗だなんてとんでもない! 大成功ですよ! オウミ様、ミノウ様、こんな素晴らしいニホン刀を作っていただき、ありがとうございました!!」


 まあ、本人がそれで良いというならこちらに文句はないけど。もう宣伝の必要はないわけだし、あれでなにかを切って見せる理由も当面はないのだ。


 しかし、失敗は失敗だ。ミノウとオウミ。


「「はいっ」」

「失敗は仕方ない。もう1本作ってやってくれ」

「「りょ、了解なノだヨ」」


「え? そんな必要はないぞユウ。こんな素晴らしい刀を作ってもらって私は感動しているのだ」

「しかし、それでは脇指しとしても短すぎる。持ち歩くには軽くていいが、とても刀として使うには」


「ふふふふ。そう見えるであろう?」


 そうとしか見えないけど?


 そこに遅れてヤッサンがやってくる。


「やあ、さっそく皆に見せたか、ハルミ。思った通りの反応だったようだな」


「うん、思った通りの反応だったあははははは」

「そりゃあ驚くよな、これを見ればわはははは」


 お前らは陽気か。


「ヤッサン。どうしてこれはこんなに短くなってしまったんだ? 材料が足りなかったのか、それとも他に理由でもあるのか」


 なんでそんなにのんきで陽気でいられるんだよとも聞きたい。


「いや、それは小さいけれど、小さくはないんだ」


 なにを言っているのかまったく分からない。


「論より証拠だ。ハルミ、練習場へ行こう。見せればすぐに分かる」

「そうだな、じゃあみんな、練習場に集まってくれ」


 いったいなにが始まるんです? とばかりに、興味津々で皆は練習場に移動した。ぞろぞろ。

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