第2話 黒い影の怪異、秋音の怪異

「遅いわよ、誠也!!」


 扉の向こう側から、最初に飛んできたのは遠乃の声。

 僕は申し訳なさそうに見えるよう俯くと、静かに部室の中に入った。


 部室には複数のパイプ椅子に謎の植物が植えられた観葉植物、資料がぎゅうぎゅうに詰め込まれた棚といった物が置かれている。

 そして、中央に存在するのが古びた4人用サイズのテーブル。何処から持ってきたのか不明なそれに、千夏と雫が座っていた。

 千夏はPCと睨めっこしていたのを止めて僕に会釈して、雫は僕が来た途端に体ごと僕に向けて、屈託のない笑顔を見せてきて。


 ……うん。代り映えのない、素晴らしい日常だ。いつも通りだった。


「すまない、他に寄る場所があったんだ」

「ふーん。いつも暇な誠也に、用事があったの。って、あれ。葉月?」

「どうも。おじゃま、します」


 僕の後ろからひょっこりと。姿を現した葉月が挨拶する。

 というのも葉月は前回の怪異から、夕闇倶楽部一同と関係があった。

 彼女はゆっくり部屋内を進むと、雫と向き合う形で真ん前のイスに座った。


「むむむっ」

「ぬぬぬっ」


 ……そして、何故か睨めっこを始めた彼女たち。

 2人とも大人しい性格だからか迫力はないし、むしろ可愛らしいけどさ。


「誠也先輩と鳴沢先輩が良い感じだからか、雫先輩が焦ってますね」

「物静かでオタク趣味、シズほどでないにしろ胸が大きいと誠也の好みに当てはまってるし。もちろんシズも負けてないけど……最大のライバルの到来ね」

「最大のライバルではないでしょうけど。ねっ、遠乃先輩?」

「何よ、シズ以外に誰がいるのよ? あの妹?」


 端では、遠乃と千夏が聞こえるか聞こえないかの声量で内緒話。

 ……彼女たちは何を話してるんだろうか。ちょっとだけ気になるな。


「あっ、そうそう。怪異っぽい事件を見つけたわよ」

「明日、雨が降るよ。な感じで言うなよ。それで、どんなの?」


 急に話が変わったなと思いつつ。話題の内容を聞いてみる。


「私からご説明します。一言で纏めると“人を襲う黒い影の怪異”です」


 千夏が僕にスマホの画面を向ける。そこには、あるアカウントの呟きが。


「ほら、この動画を見てみて。SNSにあった奴だけど」

「……すごい、怖かったよ。これ」

「『終電で帰った時に見かけた映像です……』か。随分と簡素だな」


 いいね数が3000、リツイートが5500。多少は拡散されているみたいだ。

 さっそく映像を視聴することに。映像は暗い、夜に撮影されたのだろうか。


「ここから、ですね」


 映像では――千夏の言う通り、黒い影が女性を襲っていた。


 うねうねと、奇妙な動きで地面を這いずり、確実に相手を殺そうとする。

 作り物……には思えない。異様な黒い影、影が動き出す度に飛び散る、暗がりでも見えるほどの血、今にも死んでしまいそうな女性の呻き声。

 声は次第に小さいものに変わり、影は次第に嫌な黒みを帯びている。

 

 理解不能な怪奇現象。僕も、撮影者も、じっと黙り込んでいた。

 その直後、影が人型に代わり、ギラギラした目を向けた。紅い目だった。



『――うわぁぁぁぁぁぁぁ!!!?』



絶叫と、刹那、映像が途切れて。黒い影はこの場から消失した。

 ……残されたのは、辺り一面に飛び散った血と中心で倒れている女性。

「大丈夫ですか!」と撮影者の男性が近寄ったところで、映像は終わっていた。


「ど、どうでしょうか」

「これ、本当に現実で起きた出来事なのか? 信じられないけど」


 影が、人に襲い掛かる。しかも現実に干渉できる怪異だった。

 この映像が真実かは疑わしいけれど……もし本当の存在だとしたら。

正体がまるで不明ということも相まって、かなり脅威に思えるものだった。


 ――だけど、黒い影に謎の人型か。どこかで見たことがあったような。


「まあ、リプライには否定的なコメントが多いですけどね」

「科学的な説明をつけようとする馬鹿、多いわね。まったく、ここは真空状態でも摩擦係数が存在しない空間でもないのに! 絶対に怪異よっ!!」

「その保証はないですけどね。映像加工という線もありますし。それよりも特筆すべき点は、これが撮影された場所でしょうか」

「……場所?」

「この女性が襲われや場所、見覚えありませんか?」


 千夏から言われて、映像の光景に目を向けてみることに。

 細い河原道で、壊れかけで辺りを照らせない街灯。遠方には川を横断するように繋がれた線路。うっすらとだけど見える街の景色。

 ……これは、僕たちが通う大学の近所だった。それも歩いて行ける距離の。


「誠也もわかったみたいね。それで、あたしと千夏が調べたけど」

「はい、この近所で起きた事件を見たところ……ここ1週間以内に3人が不可解な事件に巻き込まれていました」

「それが、黒い影の怪異が関係していると?」

「どれも事件性が低いからか、隅にある箱物記事しかなかったですけどね」


 千夏が渡してきた記事の切り取りに目を向ける。どれも小さい記事だな。


「最初の事件と、2つ目の事件の被害者は重症……3回目の事件では1人死亡しています。死因は出血多量。どの事件も出血が見られているようです」

「殺人事件。その割には扱いが軽い感じがするけど」

「河原の土手で発見されたことから、橋の下から落ちたと警察は判断しています。金品が奪われた形跡もないですし、自殺と扱われたようですね」

「つまり、自殺と思われてるこれが、あの映像と関係しているかもと?」

「今のところ怪異の可能性は低いですが、0ではないですね。そうなると――」


 千夏が呆れたような視線をどこかに向ける。視線の先には得意げな遠乃。

 

「ふっふーん! 可能性があるなら調査する。それがあたしたち夕闇倶楽部よ!! さっそく今夜、調査に出かけましょう!!」

「こうなるよなぁ、やっぱり」


 というのも、夏休みの一件から。まともな(?)怪異に遭遇してない。

 全容があまり掴めていない怪異に、遠乃がはしゃいでいるのもこれが原因だ。

 まあ、僕も忙しいわけじゃないし、別に怪異の調査自体は拒否しないけど。

 果たしてどうなることやら。不穏な未来に溜息をつくと――千夏の電話が鳴った。


「出ますね。もしもし――ああ、卯月先輩ですか。どうされたんですか?」


 卯月、珍しい苗字だ。となると……彼女かな。

 文芸同好会の部長であり、僕の知人でもある卯月秋音のことだろう。


「なんで文系ネクラ女が千夏の電話番号知ってるのよ」

「新聞部の関係で知り合ったみたい。ちなっちゃんから話を聞いたんだけど、部長さんが新聞に連載小説を載せたいようで。卯月さんに頼んだの」


 そうなのか。伊能さんと秋音にそんな関係があったのか。


「ふーん、あの人、変に行動あるわね。んで、どうなったの?」

「交渉は決裂したみたい。意識高い系特有のウザい言動を繰り返した挙句、“文章なんて誰でも書けるんだから無償で良いよね”“宣伝にもなるんだからむしろ広告費払うべき”“読書? ああ速読で月に30冊は読んでるよ。僕は読書家だ”とか言い出した結果、体の急所にドロップキックを食らったみたいで」

「怒って当然だね。もっとボコらないといけないと思うよ、うんうん」


 確かにキレられるな、それは。秋音の地雷を尽く踏み抜いている。

雑談をしてる僕たちの空気と裏腹に、千夏の表情が深刻なものに変化した。


「いや、そんなこと言われましても。現に、あの人はここに」

『――、――、――、――、――』

「卯月先輩、何を言ってるんですか? 有り得ないんですって、それは!」


 どこか嫌な雰囲気が、千夏の周りに顕在し始めた。

 何か問題が起きているのか? どころか軽い口論になってないか?


 それから、千夏は傍から見ても異様な押し問答を続けていたから。


「貸して! あたしがどうにかするわ!!」

「あっ、ちょ、ちょっと!?」


遠乃が痺れを切らして、電話を強引に奪い取った。おいおい。


「待ちなさい、文系ネクラ女!! ウチの可愛い後輩にケチつけないで!!」


 ……ああ、これは面倒なことになりそうだな。

 遠乃と秋音。まさに水と油、犬と猿、文系と理系、相容れない関係。

 こうなったら両者とも止まらない。少なくとも疲れた様子で首を横に振る千夏が助かったことだし、見守っていれば良いか。

 案の定、遠乃は激高し、スマホから聞こえる秋音の声も聞こえるほど大きいものに。さながら大怪獣バトルみたいな形相になったけど。


「何を言ってるのか全然わからないんだけど。人をチンパンジー呼ばわりするなら自分から人間に進化しておきなさいよ!!」

『――、――、――、――、――』

「誠也が!? 頭おかしいって!? いつものことでしょ、そんなの!!」


 いや、待てよ、おいコラ。人を頭がおかしい奴扱いするな。

 というか、彼女たちはいったい何を話しているんだ。僕に関係するのか。


「あのさ、千夏。君と秋音とは何を話していたんだい?」

「それはですね。意味不明なんですけど、なんでも誠也さんが……」

「……えっ。いやいや。だから、そんなこと有り得ないんだって!!」

『――、――、――、――、――』

「そんなに見たけりゃ見せてやるわよ。本物出したらアンタも黙りなさいよ!」


 遠乃がそう言い切った直後、千夏のスマホを僕の目の前に出してきた。


「んっ、電話。代わりに出て」

「だから、どうしたんだ。何があったんだよ」

「それは文系ネクラ女に聞いて! あたしも意味不明なのよ!」


 ふん、と腹立たしい気持ちを体現したような仕草の後。

強引に僕の手にスマホを渡すと、近いイスに頬杖をついて腰かけている。

 見るからに怒ってますよという感じ。本当に、秋音に、何があったんだ?


「もしもし、電話変わったよ。何かあったみたいだけど、どうした?」

『誠也くん!? どうして!? チンパンジーの戯言だとばかり……』


 電話の相手は確かに秋音だ。どこか困惑してる様子、だけど。


『なんで誠也くんはそこに居るの? こっちにいるはずでしょ?』

「いや、僕は夕闇倶楽部の部室に居るよ。それまでは7号館にいたんだ」

『えっ、なんで? そんなことないはずなのに、どうして?』

「……すまないけど、状況が分からない。結局、何が起きているんだ?」


 彼女は「ああ、もう!」と。困惑と苛立ちを隠さず、こう言ってきた。


『――誠也くんが! 文芸同好会で頭おかしいことをしているのよ!!』

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る